ガールズ&パンツァー 盲目の狂犬 作:大洗に住みたい
ふと、西住みほは思い出す。母校である黒森峰女学園を離れ、転校先である茨城県大洗町の大洗女子学園を目指して船に揺られている最中に。
隣にいてくれた友達のことを。姉とは似ても似つかない自分を支えてくれて、凹んだ時には励ましてくれて、頑張る時には強く背中を叩いてくれた、大切な友達の顔が脳裏を過ぎる。
辛くはあった。西住流の理念と合わない考えに基づく動きを叱責される事もあり、苦悩した回数ももはや数えられない程になる。
それでも、楽しかったのも事実だった。友達と学食を囲み、勉学に励み、洗車に乗って切磋琢磨する。
鉄臭さと油臭さと汗臭さに塗れながらも、その生活は断じて『辛かっただけ』とは言えない生活だったなぁ、と振り返る。
「……はぁ」
深い深いため息を吐き、みほは立ち上がった。
座っていると過去の懐かしくて楽しかった、それでいて二度と手に入らない生活を次から次へと思い出してしまいそうだったから。
自動販売機に小銭を入れて飲み物を選ぼうとしたが、狙いが定まらない。思い出してしまったことで精神的に動揺しているのか指が震えて動かない。
コレでは仮に飲み物を買えても満足に飲めもしないだろう。返金レバーに手を掛けて小銭を取り返そうとした彼女だったが、船員がバタバタと走り回る足音と怒号にも似た騒ぎ声を聞いて止まってしまった。
「どこに行ったあの子!?」
「動かすなって言ったのに聞き分けねぇなアイツ!」
戦車を運送することもあるこの船舶はかなり巨大だ。戦車が走行できるだけの余裕がある程であり、学園艦とまではいかないが並の客船よりも巨大。
それを操る為に用意されている大勢の船員、その過半数が船内を駆けずり回っているのだ。
何事かと自動販売機から視線を離したみほの視界にも、制服を身にまとった男性達が入り込んできた。
みほの存在に気付いた船員の二人が駆け寄ってくる。
大人に駆け寄られるなんて経験がないせいで妙な緊張感に襲われる彼女に、船員は息を切らしながら問い掛けた。
「あっ、キミ! ここら辺で戦車見なかったかな! 停車してるんじゃなくて走ってるやつ!」
「でっかい戦車でさ! 砲塔部分が回らないやつなんだけど!」
停車しておらず走り回っている巨大な戦車ともなれば、いくら物思いに耽っていたみほでもその振動やエンジン音で気付くはずだ。
知りません、と言葉にする間もなく彼女は頭を左右に振っていた。船員達も責めるような物言いはせず「そっか…ありがとうね!」、「船旅を楽しんでよ!」と微笑んでくるりと背を向ける。
捜索に戻るのだろう。他の船員達と連絡を取り合い走り出そうとした船員達の背を何となく見ていたその時、みほの耳が異音を拾う。
波の音や海風の音とは違う、低く重々しい音。とても聞き慣れた音、戦車のエンジン音。
「戦車が見付かった!? わかったすぐ行く!」
船員達も走り去っていってしまった。
また一人だ。優しい言葉に少しばかり明るくなった気持ちも、すぐに孤独感で揉みくちゃにされて消え去ってしまう。
雲ひとつなく青々としている空の明るさとは正反対な暗い気持ちが再来し、彼女の口から溜め息として漏れ出る。
でっかくて、砲塔の回らない戦車。そう聞いて彼女がぽんと想起した戦車には、とても変わった友達が乗っていたのを思い出して不意に寂しさに襲われた。
彼女は、相当な変人だった。戦車が好き、というかその砲塔が回らない戦車がちょっと異常なレベルで好き過ぎるあまり、勝手に塗装して半ば無理くり私物化しちゃったヤバい人。
そのカラーリングは黒森峰のものとはまるでかけ離れた色合いをしていて、遠くから見ても悪目立ちする。密林であろうと砂漠地帯であろうと雪原であろうと……どこであっても一目で見つかるような色合い。
当たり前ながら噴出する苦情等々を『私にケチつける気か!?』とキレ返して黙らせた性格も含め自分とは真逆ではあったが、一緒に居ると楽しかったし頼もしかった。
「元気にしてるかなぁ……お母さんと喧嘩してないと良いんだけど…」
暗い気分になりはしたが懐かしい変人気質な友達を思い出せて、誰かと話せたのも手伝って幾らかの気分転換にはなってくれた。
自動販売機に再度小銭を入れて、海風により少し冷えた体を温めようとおしるこを選択。
暖かい缶を両手で包み込みながら座っていたベンチに戻った彼女は腰を下ろし、木製のベンチとは明らかに違う座り心地に違和感を感じて首を傾げた。
「んん?」
妙に温かくて、安心感を感じる。ただのベンチにそんな効果があるのだろうか。
それに、背もたれのないタイプのベンチだったはずなのに気付けば背中をなにかに預けている。後頭部には柔らかい感触もある。
そして微かに、頭の上から聞こえるクスクスという殺した笑い声。
これだけの状況証拠が集まれば気分どん底のみほでも気付ける。自分が座っているのはベンチではなくて、ベンチに座っている女性の膝の上なのだと。
「クスクス……気が付いたかな、茶髪の可愛いお嬢ちゃん?」
「うわわわわわ!? ごっ、ごめんなさい! 色々考えてたから気付かなくて!」
ピシッと体が硬直したのを女性も感じ取り、膝の上に座ってしまったという事実に気付いたと察したのだろう。
楽しそうに笑いながら投げ掛けられた問い掛けにみほは慌てて立ち上がり謝罪しようとしたが、それは出来なかった。
「まぁまぁ落ち着きなってみほちゃんや。私ゃ気にしてないからさ」
立ち上がるなんて許さない、とでも言うように女性の腕がみほの体に回されて抱き寄せられてしまう。
別に力が強い訳でもない。優しくて温かいその抱擁に、みほは立ち上がりを完全に封じられてしまった。
しまった。相手はよりにもよって変質者の類か、しかも自分の名前を知っていると来た。
個人情報が漏れたかな、なんて思いもした彼女だったが視界の端に入り込んだ女性の金髪を見て、相手が誰なのかを察する。
声も思い返せばよく知っている、自分と揃ってよく怒られていた女子生徒のものと瓜二つだった。
「そうそう、落ち着いて~落ち着いて~。せっかく追っかけてきたのに逃げられちゃ悲しいぞ~? あんたの飼い犬泣いちゃうぞ~?」
自分のことを『飼い犬』と呼ぶ知人なんて、みほは一人しか知らない。
でも、居るはずが無い。彼女はここにはいない、逃げ出した黒森峰女学園に居るはずなのに。
確かめるべく、恐る恐る振り返る。油の切れた機械のようにぎこちない動きで、錆び付いてしまったような動きで。
「……うそ…なんで?」
背後にいる女性の顔に、やはり彼女は見覚えがあった。
閉じられた瞳。生まれつき目が見えないらしく、常に閉ざされている瞳と額から右頬にかけての傷跡。
目が見えないことをネタにイジメを受け、その時に負わされた怪我の跡なのだとケラケラ笑っている光景を思い出す。
何時だって彼女は自分の味方でいてくれた。
常にニコニコしていて、背中を叩いてくれて、おかしいと思えば姉である西住まほや師範代であり母の西住しほにすら噛み付く姿から一部で『狂犬』だの『みほの飼い犬』だのと呼ばれた女子生徒。
継続高校から黒森峰女学園へと転校して来て、スカイブルーとマリンブルーの2色に染め上げられたエレファント重駆逐戦車の車長を務める変人気質な友達、
「酷いよねぇみほちゃん。飼い犬ほっぽって居なくなるとかさぁ……放置プレイなんて大人のテクニックだよ? まだケツの青いガキンチョがやるこったないってぇ」
自分のことを『飼い犬』と言い、みほのことを『ケツの青いガキンチョ』と言う口の悪さも、みほが知る弘海の特徴と合致する。
弘海は口が悪いのだ、それも強烈に。パッと見外人風美人な彼女がなんの脈絡も躊躇いもなく、ド直球の暴言を火の玉ドストレートで浴びせてくる。
そして狂犬のあだ名の通り、噛み付く相手を選ばない。目上の相手であろうとも気に食わなければ噛み付いて、納得するまで絶対に食い下がらない。
しほと口論になった際に『目元のシワが可愛いババァ』と呼んだ際には空気が凍ったのを覚えている。
しかもみほはそんな光景を見て硬直している姉の姿につい笑ってしまい、巻き添えを食らって怒られたのだ。理不尽である。
ちなみにまほは弘海に『おっかないみほ』という渾名を付けられている。本人は少し凹んでいた。
まほも弘海のあだ名は知っており、確かに犬っぽいなと思っていることもあり『撫でたい』という願望があるのだが……これはまほ本人以外知る由もない。
「いや、飼い犬だの飼い主だのはあだ名であって……なんでここに居るの!?」
みほのツッコミもご尤も、というか当たり前だ。普通に考えて大洗町行きの船舶に自分以外の黒森峰女学園生徒がいるはずがないのだから。
肩を掴んでガンガン揺さぶりながら質問をするみほに、磯海は怒るようなこともなくケラケラ笑ったままだった。
「友達一人ほっとけるわけないじゃなんかぁ。ましてや私の飼い主となったらねぇ……ンなもんで、私も転校するわ。西住流門下生も辞めたし」
「…はい? はっ、はいいぃぃぃぃぃ!?」
そしてケラケラ笑ったまま、とんでもない爆弾発言をブチかまされてみほは彼女らしくもない大絶叫を上げてしまった。
「西住流は好きだよ? バカ火力とゴリゴリの装甲で一方的に相手さんに圧をかけるなんて戦車らしくてさ。ンでもねぇ、落伍者見捨ててOKってのは飼い犬的にNGなのよ。堅苦しいのも邪魔臭かったしさ、だから辞めた!」
至極当然のように言ってのける弘海に、みほは言葉が見つからない。
なんでそこまでしてくれるのか、自分には皆目検討がつかない。嬉しいことは事実だが、それにしてもやることの規模がおかしい。
転校して、西住流門下生を辞めて、そこまでする価値を自分に見い出した理由が分からない。
弘海は門下生の中でも特に優秀な方だとしほからみほは聞いている。
西住流にもしもの事があり、まほとみほのどちらとも継げないとなった場合には仮置きにはなるが後継者の座を与えても良いと思える、そう言わしめる程に。
そんな立場をあっさり投げ捨ててくっついてきてくれたという事実に困惑が止まらず硬直していると、弘海は「それに!」とやや強めの語気で話してみほの頭にポンっと手を置いて瞼を開いた。
濁った琥珀色の瞳。視力が無いことが一目瞭然なその瞳を弘海は決まって、みほだけに見せてくれた。
普段からふざけたような物言いをし、話の節々で罵詈雑言だの悪態だのがポンポンと飛び出すような人ではあるがこうして濁った瞳を見せてくれた時だけは、真剣な話をするのだと付き合いの長いみほは理解していた。
「飼い主なんて呼べるくらいに気心知れた親友が苦しんでるなら、人生なんてそこら辺の犬に食わせてでも私は着いて行くよ。アンタには今、支えが必要だからね。この狂犬を頼りなよ、真っ青おケツの飼い主サマ♪」
ケラケラ、カラカラ。なんてことないように話し、友達との雑談で笑うように、さも当然のように笑いながらウィンクをする。
これは冗談なんかじゃないな、とみほも理解する。見送りするつもりがついついくっついて来ちゃった、なんて可愛らしいものじゃない。
弘海はこういう子だ。自分の気持ちに素直過ぎる、見ていて眩しいと思えてしまう程に優しい子だった。あまりに不条理な別れなど、認めるはずがなかった。
「飼い主サマってば姉と母がアレなのに本人コレだもんなぁ。オドオドしててなよなよしててドジこいてボコマニアで西住流だもんなぁ」
優しい子、なんて思った次の瞬間に矢継ぎ早に浴びせられる言葉の槍にみほは抵抗する間もなく滅多刺しにされ、ガックリと項垂れる。
否定しようが無い。姉や母と比べれば自分は2人に似ても似つかない性格をしている。
その事実を羅列されているのだから、否定したところで意味が無い。マシンガンのように浴びせられて言い返す気力も失っていた。
「だからほっとけない。そんな可愛い飼い主サマを一人ほっぽり出すなんて私には無理だわ。変な虫ついても困るし」
こうなってしまったら、もう彼女に戻ってもらうなんて不可能だ。既に海上に出てしまっているのだし、仮にUターンしてくれるとなったとしても弘海は降りないだろう。
諦めなのやら感嘆なのやら、理由の不明なため息がみほの口から漏れた。
「ここまでされたら……放っておけないね。ありがとう弘海さん、こんな私に」
感謝の言葉を言おうとして開かれた口は、弘海のゴツゴツした手で塞がれて言葉を発せなかった。
「あーダメダメ! こんな私とか言ったら噛むよ? あんたは真っ青おケツでへにゃへにゃでナヨナヨでボコマニアな飼い主だけど、私の大好きな飼い主なんだからさ。いくら本人でもバカにしたら噛むからね?」
母や姉とは似ても似つかない性格をしていると自覚のあるみほだが、別に自分のことは嫌いではなかった。
2人とも怖い時もあるが基本的には優しいし、自分のことをなんだかんだで支えてくれる頼れる存在、大切な家族だから。
そして、自分に対してここまで付き添ってくれる友達もいるから。どんなに辛い時でも忠犬のように寄り添い、支えてくれるから。
そんな人達に恵まれていると自覚しているみほは、自分に対する好感度がそこそこ高かった。
「ふふっ…なら、噛まれないくらい立派な人にならなきゃね」
「そうそう! 狂犬の飼い主がへにゃへにゃじゃ箔が付かないからね!」
2人は顔を見合せ、どちらともなく笑い始めた。
船が海の水面を切り裂きながら新天地である茨城県大洗町を目指している音が気にならないくらいに思いっ切り、腹の底から。
「ああーーー! いたぞあの子!」
「さっきの子と友達だったのか…君ぃ! なんで黙ってたの!?」
そんな2人の大爆笑を聞いて駆け付けた船員達に磯海は見付かり、みほも巻き添えを食らってお叱りを受ける羽目になったのだった。
「見付かっちったぁ! こりゃ大目玉だうはははははは!」
「また巻き込まれたぁ……もう何度目になるんだろうねあはははははははは!」
叱られている最中でも、2人は笑うのを辞めなかった。固く手を握り合い、楽しそうに笑い続けた。