ガールズ&パンツァー 盲目の狂犬 作:大洗に住みたい
遠方である茨城県大洗町を目指して船に揺られる妹との電話を終え、まほは携帯電話をポケットにしまい込む。
頬が熱い。触れてみると手のひらでも熱いと感じるほどに火照っているのが分かる。
年甲斐もなく、姉という面目すらかなぐり捨てて、電話越しとはいえ妹の前で泣いてしまった。
恥ずかしくないわけが無い。西住流の次期後継者とされている自分とは、普段の黒森峰女学園で振舞っている自分とはあまりに掛け離れた姿だ。思い出すだけで気分がザワつく。
「……フフッ」
でも不思議と、嫌では無い。自分がどれだけみほを愛していたのか再確認出来て、自分がしっかりと血の通った人間であると再自覚出来て、嬉しかった。
みほが元気そうだったのも姉として喜ばしい。我が家と学び舎を離れる事となり落ち込んでいるかとも思ったが、頼れる友人のお陰でどうやら持ち直したらしい。
「弘海には……助けられてばかりだな…」
弘海との出会いはまほが中学生の頃に遡る。
みほが弘海を伴って帰宅してきたのがまほと弘海の初対面。
あの時の光景を思い出すと、まほは今でも背筋に僅かながら寒気が走る。
『何やらドえらいもんを妹が拾って帰ってきた』
そんな感想を抱いたのを覚えている。
そして実際、弘海はドえらいもんだった。
目が見えないながら、弘海は絵の具でまほの全身像を描き上げた。
手に触れ、足に触れ、体を揺らし、顔の輪郭を探り、肉体の細部に至るまでを事細かく割り出し、絵の具の香りで色を識別して完璧に描いた。
視力を持たないが故の特技に、心底度肝を抜かれた。そしてそれを切っ掛けに、彼女に惹かれた。
「そうね。貴女は弘海さんと出会って、随分丸くなったわ」
自分と同様にさっきまで涙を流していた母親の指摘にまほは思わず俯いてしまう。
まほは孤独感を感じていた。西住流の次期後継者として、黒森峰女学園の隊長として振る舞ううちに、彼女は『西住流の次期後継者』や『黒森峰女学園の隊長』としての己を確立していき、それに反比例して『年相応の女子高校生』としての己を失っていった。
友と呼べる存在は少なく、規律を重んじる校風と自分が西住流の人間であり隊長でもあるという立場もあって、自分に気さくに接してくれる人など居なかった。
エリカのように接してくれる人はいても、それはあくまでも自分を『隊長』として見てのこと。
次期後継者だの隊長だの、そんな諸々の立場をガン無視して『女子高校生の西住まほ』として自分を見てくれる人は、彼女の知る限り誰も居なかった。
慣れてはいた。幼い頃から長女であり、性格的にも西住流に向かないみほの代わりにもなれる自分が西住流を継ぐのだと決めていたから慣れてはいたのだ。
だが、慣れは言い方を変えれば『麻痺』に相当する物。辛いものが常態化すれば辛さを感じにくくなるように、まほは孤独感に慣れてしまっていた……弘海と出会うまで。
「……そうですね。彼女と出会って、自分が変わったように思います」
弘海は転校生であり、黒森峰女学園の学園艦に乗る以前に様々な学園艦を転々としている。
その中でもアメリカ的なノリが強いサンダース大学付属高校の学園艦、敬語を用いることがない継続高校の学園艦に乗っていた時期が長かったこともあり、その両方の特徴をミックスしたような接し方でまほに絡んで来た。
距離感なんて感じさせずグイグイ来て、いきなりちょっかいをかけたりイタズラを仕掛けてきて、それでも言動の節々に暖かさを感じさせる。
相手が目上だろうが知ったことかとグイグイ迫り、とりあえず仲良くなろうとして反りが合わないなら無理には付き合わない。
そして戦車に乗れば視力が無いという圧倒的不利を感じさせない、西住流とは掛け離れたデタラメな挙動で次の一手を読ませない動きで翻弄しに掛かってくる。
長らく得られなかった、あるいは得ていたかもしれないが立場によって失ってしまった『同じ学校の友人』を、まほは得た。
『同じ学校の好敵手』の登場に、まほは歓喜した。
「なら…何故、あの子が立ち去ることを許したの? 数少ない友人なのでしょう?」
しほも弘海との出会いがまほに変化を齎したことを認知している。
この先の展望を考えれば望ましくは無いかもしれないが、1人の母親として見れば喜んで受け入れられる変化。
そんな変化を齎してくれた友との別れを、まほが容認するとは思えなかった。
「あの子はきっと、私がダメと言っても止まりませんから。人との別れを何よりも嫌う……あの子なら」
「……そうね」
問い掛けに対するまほの寂しげながらもどこか誇らしげな返答に、しほはすんなりと納得した。
弘海は苗字を舩坂と名乗っているが、書類上では蝶野となっている。蝶野 弘海。これが本当の名前だ。
彼女はしほも親交のある女性自衛官、蝶野亜美の養子だ。亜美の中学時代の学友の実子が弘海である。
「あの子ほど孤独や離別を嫌う子は、私も知らないわね」
門下生となった弘海の来歴を知り、しほは顔を顰めたのを覚えている。
自分より一回りも若い子が背負うには、あまりにも辛い過去が弘海の双肩には乗っている。
父親は弘海が小学生低学年の頃に事故によって死亡。母親の実家があるサンダース大学付属高校の学園艦へ転校。
そして中学校進学直後に、今度は母親が病死。唯一の身寄りである父方の祖父母を頼り、継続高校の学園艦へ転校。
その後、わずか3ヶ月で祖父母も他界してしまった。頼れる身寄りを、弘海は立て続けに全て失ってしまった。
亜美は弘海が母親を失った頃に、旧友の実子が辛い境遇にあると知り接触。
父方の祖父母も病弱であり、社会的立場のある彼女に弘海を託すと決め、養子縁組をするに至った。
「亜美さんの姿も……忘れられないですね」
弘海を引き取った亜美は初めての育児に苦悩しつつも、彼女に人間性を取り戻させた。
両親と死別し、祖父母とも死に別れてまだ若い心に傷を負い笑顔や夢すら失った弘海は、亜美との共同生活の中でメキメキと己を取り戻していった。
よく笑い、よく騒ぎ、よく駆け回り、よく転げ、よくイタズラをする。
気遣いが出来て曲がったことを嫌い、何に対しでも決して怯むことを知らず、そして戦車が大好き。
親しい人を次々と亡くし孤独感を味わってきた彼女には、もっと広く交友関係を持って欲しい。それが新たな別れへの邂逅に繋がると分かっていながらも、亜美はそう望んだ。
自分のよく知る旧友の顔が過ぎった。
自分らしさって奴を取り戻した弘海にそっくりでよく笑い、よく騒ぎ、よく駆け回り、よく転げ、よくイタズラをした気遣い上手で曲がったことが大嫌い、恐れ知らずな旧友の顔。
だから、彼女はしほを頼った。
「ええ。まさか彼女に土下座をされるとは思いもしなかった」
自分が頼れる人物の中で、特に弘海に合致するであろう人物として彼女はしほを選んだ。
黒森峰女学園という立派な学園艦とパイプがある人物であり、自分との関係もそこそこに深い。環境的にも弘海には合っている学園であり、頼るのにはうってつけな存在だ。
頼りにはなるが、相手はあの西住流の師範代。合うことは簡単でも気軽に接せられる相手では無い。
そこで亜美は……ゴリ押しした。西住邸に押し掛けてしほと面談し、自分が養子を迎え入れたことを報告。
戦車道絡みの話かと思っていたしほが予想外の方向の話に殴られて困惑した隙に、亜美はそれはもう残像が残るレベルの超高速移動で土下座の姿勢へ移行。
そこから先はもうゴリ押しもゴリ押し。額を畳に押し付け、しほが首を縦に振るまで弘海の黒森峰女学園転入を懇願し続けた。
土下座の勢いもさることながら、断られたら冗談抜きで腹を切りそうな気迫にしほは押し切られてしまい、弘海の転入を推薦することにした。
「切腹しそうな勢いでしたからね……」
「私、あの人が頭を下げている隙に家中の刃物を隠させたからね…あんなにヒヤヒヤしたのいつぶりだったか…」
2人揃ってため息を吐く。
気迫に押されて転入を推薦し、その後のゴタゴタを乗り越えて初めて出会った弘海を見て、更にビックリ。
亜美から話は聞いていたが、自分たちの目の前に立った女子高校生は本当に盲目だった。
それもしほより背が高い外国人風な美人だということもあり妙な緊張を対面した二人に植え付け、開かれた瞳は濁り切っていながらも芯の強さを感じさせるものがあった。
「それに弘海も弘海です。大人しそうな子だと思ったのに……はあぁぁぁ……」
それだけで済めば『亜美にも凄い娘が出来たなぁ』程度の感想で済んだのだが……
いざ口を開けば暴言だの酷いあだ名だの笑い声だのが飛び出し、少し動けばイタズラを仕掛けるわいきなり走り出すわで行動予測が出来ず、あっという間に距離を詰めてきて体を擦り付けて来る。
まほにはサンダース大学付属高校のケイという知り合いがおり似てるな、と感じたことで衝撃は少なかったがしほからすれば特大の衝撃だ。
もう人間と言うよりも、人間に慣れ過ぎた大型の暴走犬と言った方が良いのでは無いかと思わせる程に弘海はハチャメチャだった。
視覚に頼れない分を他の感覚に頼らざるを得ない分仕方ないのだが、いきなり体中を撫でくり回された時はしゃがみ込んだ隙に久し振りのゲンコツをしたものだ。久々過ぎて手首を痛めたのは内緒。
「みほも影響を受けてましたね」
「辞めてまほ……それを掘り返すのは辞めなさい」
みほが友達を家に呼びたいと言った日があり、しほが良いでしょうと言ったその日の午後に弘海が転がり込んできた時には頭を抱えたものだ。
よりにもよって友達ってその子か……と。
幼少期のみほは虫を捕まえると言って虫取り網片手に駆け回るようなやんちゃな子であったが、中学生になるにつれて少しづつそのやんちゃ具合も軽減されていたのに……弘海と出会ってぶり返してしまった。
なんならもっと輪をかけてやんちゃになった、と言っても良いかもしれない。大人しそうな顔の下にやんちゃな顔を隠しているのだから尚更悪質とも言える。
最近では弘海、みほ、エリカの3人組が『黒森峰トンチキシスターズ』なんてあだ名でセットで扱われてすらいる。母親としてはなんとも言えない境遇だ。
「確かに昔のみほに戻ったみたいですが……私としては、嬉しいんです。羨ましいくらいに」
困っているような、それでも嬉しそうにまほは微笑んだ。
大切な妹が友達と笑い合い、はしゃぎ合い、楽しそうに戦車を乗り回す姿がどうしようもなく好きだった。
自分には様々な立場があるせいで混ざれないが、心底羨ましくすら思えた。III号戦車、ティーガーⅡ、エレファント重駆逐戦車が縦列ドリフトやらスリップストリームやらで暴れ回る所に混ざりたかった。
そんな風に羨ましいと思えるくらいに、今のみほはイキイキして眩しかった。
「……そうね」
しほも何だかんだ言いつつ、みほの現在の様相を認めてはいる。厳しい言葉を投げ掛け、厳しい姿勢を示すことも多々あったがその中には確固たる愛情があった。
いきなり虫を持ち帰ってくるわ体のアチコチに擦り傷をこさえてくるわと、昔のみほにはかなり振り回されていた。そこに西住流師範代としての仕事、母親として成すべき事が重なるのだから毎日疲労困憊だった。
でも毎夜、スヤスヤと眠るみほの姿に癒されていた。目に入れても痛くない、それくらいにみほを愛し、育て上げ、守ると決めていた。
「まほ……大人って、辛いわ」
そんな決意をしておきながら、今回の全国大会でのみほの行為を酷く叱責してしまった。
荒れ狂う川へ飛び込む勇気を賞賛し、体感したであろう恐怖を払拭し、死者が出てしまい『戦車道は危険なもの』という認識が広がるという最悪の展開を回避してくれた感謝を伝えなければならないのに、それ等を一切せずに責め立ててしまった。
母親としての立場よりも師範代としての立場を優先し、大切な我が子の勇姿を否定してしまった。
己の手で、大変ながらも楽しかった日々を壊してしまった。
情けないし、恥ずかしいし、悔しかった。
叱責しつつも、しほは心中で己を罵倒していた。
「恥だの立場だの…そんなものに囚われて、大切なことを見落として……あんなことをしなければみほと離れることも、あの子達に怒鳴るなんてこともなかったのに」
みほを叱責した数十分後、乗り込んできた弘海達との口論で大人気なく怒鳴ってしまったのを思い出す。
弘海達は強くて優しかった。みほの行為を正しく評価し、正しく評価しないのであれば自分達に影響を及ぼすことだって出来る目上の存在であるしほにすら食ってかかった。
自分達がどうなろうとも、正しいと思ったものを押し通してみほを守り通そうとする姿勢があまりにも眩しかったのが、大人気なく怒鳴ってしまった要因の一つだった。
立場に縛られて自分には出来なかったことをさも当然のように行える弘海達が、しほにとっては羨ましくて仕方なかったのだから。
自分よりもみほに寄り添った立場に立っている彼女達が羨ましくて、誰よりもみほに寄り添える立場に有るまじき態度をとってしまった自分が恥ずかしかった。
「そう自分を責めないでください」
膝の上で固く握りこんでいた手に、まほの手が重ねられる。
年頃の女子らしくない、少しゴツゴツした戦車乗りの手。
染み渡るような暖かい熱を帯びた優しい手。
「確かにお母様はみほを叱責して、私はみほをフォローできなかった……厳しい物言いになりますが、お母様は母親失格ですし私は姉失格です」
そんな手とは真逆の辛辣な言葉にしほは胸が痛くなった。実の娘に『母親失格』と言われ、何も思わないような血も涙もない母親ではない。
無意識に、頭が下がってしまう。母親が滅多に見せない弱った姿を見て、まほは何だか可愛らしく思えて笑みが浮かんでしまった。
少し違うだろうが、弘海がしほを『可愛い』と連呼する理由がなんとなーく分かったような気がした。
「ですが弘海の計らいで、言葉を交わせました。直接会ったわけではないですが、謝罪が出来ました。そして許しも得られました。なら、後はやるべき事をやるだけではないでしょうか」
やるべき事。その言葉にしほは顔を上げる。
そのやるべき事とは何か、そんなことを問うほど物を知らない訳では無い。
「そうね」と答え、しほも微笑んだ。
「私はもう間違えない。母親として、もう選択を間違えられないわね」
「ええ。私ももう間違えられません。姉として、みほをしっかり守れるような人に成らねばなりません」
二人は真面目過ぎるし不器用でもあるが、断じて愚かでは無い。同じ轍は踏まない、一度犯した失敗は繰り返さない。
西住流師範代ではあるが、それ以前にしほは母親である。
西住流の次期後継者ではあるが、それ以前にまほは姉である。
二人には、守りたい人がいる。傷付け、傷付いた姿を見て見ぬフリをしてしまった、それでも尚守りたい人が。
「大変な道のりですね」
「まったくよ…不器用だと苦労するわ」
深い溜め息を吐いて二人は笑い合った。
大変な道のりだと分かっているが、二人に投げ出すなんて選択肢は用意されていない。
不器用な二人だが、同時にどうしようもないくらい真面目でもある。
一度決めてしまったら、もう曲げない。もう曲げられないのだから。