お姫様のナイトであろうとした女が聖園ミカのために死ぬまで 作:恥谷きゆう
チサキの見た夢。
それはまだ、チサキがナイトなどと呼ばれていなかった頃。
ただのトリニティの新入生だった頃の記憶だ。
ミカのお茶会に通い詰めたチサキは、すっかりミカのお気に入りになっていた。
今日のミカ主催のお茶会が終わった後、二人は誰もいなくなったティーテーブルで残った紅茶を飲みながら会話を交わしていた。
今日のチサキは、少し浮かない表情をしていた。
「ミカ様は、どうして私に対してここまでよくしてくださるのでしょうか」
「うーん? どうしてって言っても……私はいつも、好きなものには好きなように接しているだけだと思うけど……」
とは言え、チサキの求めている答えがこれではないことはミカにも分かった。
チサキの暗い顔を見れば簡単に分かる。彼女の中には、何かの迷いがあるようだ。
「ミカ様。私の中身は空っぽです」
言いながら、チサキはティースタンドからシュークリームを取った。
ミカの舌をも唸らせるそれの中には、ギッシリとクリームが詰まっている。
私とは対照的だな、とチサキは自嘲した。
「私は幼い頃の憧れに忠実に行動しているだけです。私自身にはなにもない」
ミカに付き従ううちに、気づかされてしまった。
自由奔放で、己の思うままに行動するミカに対して、自分はなんて薄っぺらい人間なのだろう。
幼い頃憧れたナイトの在り方を模倣しているだけだ。
「私は、今の私を赦していいのか分からなくなってしまいました。ミカ様のように光り輝いていない、模造品のような私が、ミカ様の傍にいることは赦されることなのか。そんな風に、思ってしまいました」
チサキは手に取ったシュークリームを食べるのを止め、手元の小皿に置いた。
中身がぎっしり詰まったシュークリームは、形を損なうことなくその場に存在し続けた。
その様子を黙っていたミカは、少しだけ身を乗り出すと彼女の取ったシュークリームを奪い取った。
「……あ」
「んむ……美味しい! 流石私の選んだシュークリーム!」
頬を緩めた彼女は、口の中を空っぽにした後に自然な笑顔でチサキに告げた。
「──じゃあ、私が赦すよ」
「……ミカ様が、赦す?」
「うん、そう。たとえ主が赦さなくても、私が赦す。チサキちゃんはそれでいい。自分の憧れる自分を全うして、私と一緒にいていい。そう言ったら、チサキちゃんはどうする?」
ミカの笑顔を見たチサキは、ぽっかりと口を開けて固まってしまった。
間の抜けた様子にカラカラと笑ったミカは、もう一つシュークリームを掴むと彼女の口に突っ込んだ。
「えいっ!」
「むぐ……! むぐむぐ!?」
「あはは! ナギちゃんが私にロールケーキ食べさせる時の気持ちがちょっと分かったかも!」
いたずらが成功した子どものように笑ったミカは、黙ってチサキが何か話すのを待った。
シュークリームを飲み込んだチサキは、
「……他ならぬミカ様が私を赦すというのなら、私は私を赦す他ありませんね。……ありがとうございます」
チサキの感謝の言葉に、ミカは軽く微笑むだけで応えた。
チサキの生に救いがあったとすれば、きっとあの時だ。
主に祈りを捧げた時ではなく、告解の時でもなく、チサキはただ、ミカの正直な言葉に救われたのだ。
救われたのなら、救わなければ。
チサキの思う忠道は、ミカの肯定してくれたチサキの在り方は、彼女の取るべき行動を示していた。
ミカの為に死ぬ。これ以上の忠義があるだろうか。
死への本能的な恐怖をも押し殺してしまう激しい興奮を覚える。
殉死への興奮。
それは原始的で、非論理的で、けれど彼女が生まれてから最も激しい熱を感じる代物だった。
こうして、聖園ミカのナイトであろうとした女は、彼女のために死ぬために幸せな夢から目を覚ました。
◇
目を開ける。夢から醒めたチサキが最初に知覚したものは、”歌”だった。
「──」
蓄音機の穏やかなメロディー。それは、チサキにとって聞き覚えのあるものだった。
「……キリエ」
うっすらと、歌声が聞こえた。
透き通るような声は、真摯に祈っている。
それは慈悲を求める聖歌だった。
キリエ。
主に慈悲を願う歌。
ああ。この歌声の元に、ミカはいる。
まるで歌に引き寄せられるように、チサキは歩き出した。
「
チサキは無意識に聖歌を呟く。
ミカの歌声とチサキの呟きが重なる。
チサキの歌は、己のためのものではない。
彼女に。我が主に。聖園ミカの為に。
「
純真に、ただ真っ直ぐに生き、それゆえに過ちを犯した彼女に、憐れみを。
私に救いをくれた彼女に、慈悲を与えたまえ。
地下回廊の一角で、聖園ミカは大量の敵を前にして一歩も引かず銃を構え続けていた。
既にその体は傷だらけだ。血が流れた跡すらある。それでも、毅然として前を向く彼女は、一歩も後ろに退かなかった。
気絶したチサキから敵を引き離すため、そして先生の元に敵を向かわせないため、ミカは孤軍奮闘していた。
しかし、それももう限界だろう。
タフな彼女でも、次の攻撃には耐えられない。
聖女バルバラの機関銃がリロードを終え、銃口がミカに向く。
ミカをはそれを回避しようとすらしない。いや、避ける気力すら残っていない。
穏やかに笑う彼女は、主の憐れみを聖歌を口ずさんでいた。
──ああ、これこそが私の出番か。
そう確信したチサキは、悲鳴を上げる身体に鞭打って走り出した。
「ハッ……! ハッ……!」
息を切らして我武者羅に駆ける。不思議と思考はハッキリとしていた。
足は軽い。大量に出血した後とは思えないほどに俊敏に動ける。
ミカのところまではもう少しだ。
歓喜と恐怖。それらがごちゃ混ぜになって脳内をグルグルと回る。
怖い。怖い。
死ぬのは怖い。痛いのは怖い。己が終わるのは、たまらなく怖い。
それでも、チサキの足は前に出ていた。
「──ミカ様ッ!」
彼女を突き飛ばして、代わりに前に立つ。
弾丸が、爆撃が、チサキの身体を襲った。
「チサキちゃんっ!?」
ああ、これは耐えられない。
弾丸の衝撃を受けた瞬間、チサキは悟った。
バルバラの放つ弾丸は、頑丈なチサキと言えどすぐに耐えられなくなる。
それでも、この場を譲るわけにはいかなかった。
「ッ……あああああああ!」
身を穿つ痛みに本能的な恐怖が抑えられない。少しでも気を抜けば倒れてしまいそうだ。
チサキのヘイローがみるみるうちにヒビ割れていく。
それでも、後ろにいる人に弾丸を通すわけにはいかない。意識すら朦朧としてくる中、それでもチサキは二本の足でその場に立ち続けた。
その姿は数多の矢を受け、立ったまま絶命した僧兵を思わせるものだった。
耐え難い苦痛の中で、彼女の頭を記憶が走馬灯の如く駆け抜けた。
ミカと初めて出会った時。
彼女との幸せな記憶。
ティーパーティーの会合。
友人との語らい。
補習授業部での新鮮な日常。
エデン条約の混乱。
──それら全部を振り返って、チサキは死にたくないと思った。
殉死だとか理由をつけたところで、死ぬのは怖い。
もっとミカの役に立ちたかった。
補習授業部のみんなで海に行きたかった。
ナツともう一度お菓子を食べたかった。
先生のことを、もっと知ってみたかった。
それでも、ミカを守ることに後悔はない。
この胸の感情に偽りはない。
「……ミカ、様」
ミカが泣きながらこちらに手を伸ばしてくる。
それを振り返って、チサキは小さく微笑んだ。
「お慕い申しております」
弾丸が彼女の胸を貫き、チサキのヘイローは砕け散った。