お姫様のナイトであろうとした女が聖園ミカのために死ぬまで 作:恥谷きゆう
嘘と決別の日から、少しの月日が経った。
白手袋をつけた少女は教室のドアを開けると礼儀正しく一礼した。
「失礼します。補習授業部というのはここでよろしかったでしょうか」
「あ、あれ、チサキさんがなんでここに!?」
現れた人物に目を真ん丸にして驚いたのは、阿慈谷ヒフミだ。
ツインテールとゆるりと着こなした制服は、優し気な生徒という印象を与える。
チサキとはティーパーティー関係で多少知った仲だ。
「いえ、私も補習授業部の一人としてここで補習授業を受けることになったので……」
「えっ、でもチサキ様は私よりずっと成績が良かったような……」
ミカに代わって政務をこなしていたチサキの見識はかなり深い。
今まで彼女は補習の類とは無縁だった。
「……その、ちょっとした事情があり……ぺ、ペロロ様のゲリラライブが……」
「……え?」
聞き返すヒフミに対して、チサキは頬を少し赤らめて「なんでもない」と誤魔化した。
教室にはヒフミを含めて4人の少女がいた。ヒフミ以外の少女も、チサキの元に近寄ってくる。
「チ、チサキ様!? いったいどうしてここに……」
上ずった声を出したのは、一人だけ黒い制服を来た少女、下江コハルだった。
「あらコハルちゃん、この方とお知り合いだったんですか?」
驚くコハルに対して、おっとりとした笑顔を浮かべる少女、浦和ハナコが問いかけた。
「いや、知り合いっていうか有名人でしょ! ミカ様の侍従で、次期ティーパーティー候補のチサキ様! 逆になんで知らないのよ!」
まくしたてるコハルに対して、頷いた銀髪の少女、アズサが冷静な顔で応じる。
「私も聞いたことがある。ティーパーティーの懐刀。聖園ミカのナイトを自負する優秀な護衛だと聞いている。設置式の爆弾やトラップは強襲とは相性が悪い。対策を考えなければな……」
「アズサちゃんはなんでずっと倒し方を考えてるんですか……」
すぐにゲリラ戦を始めようとするアズサに対して、ヒフミは呆れたような声をあげた。
補習を受けるために集まった生徒たちだけあって、個性的な面々のようだ。
アズサの感情を映さない瞳は、一瞬だけチサキの目を見た。
襲撃の時以来の再会だ。
アズサとチサキは少しの間目を合わせたが、すぐに視線を切って初対面を装った。
仮に顔見知りだと知られれば、どこで知り合ったのか尋ねられるかもしれない。
スパイ、裏切り者というものは常日頃から警戒を怠らない。
トリニティを転覆させるためここに転校してきたアズサも、主君の命に背いたチサキも、そういう環境に身を置いていた。
「とある事情で試験を受けられなかったため、私も補習となった。あまり馴染みのないことで困惑しているが、どうかよろしくお願い申し上げる」
手を胸のあたりにあてて一礼するチサキ。
礼儀正しい所作は、自由奔放な生徒の集まるこの場ではひどく浮いて見えた。
それを見たハナコは、困ったように笑った。
頬に手を当てて笑う様子は、まさしくトリニティのお嬢様に相応しい気品に溢れていた。
しかし、その印象は一瞬で覆されることになる。
「チサキさんはなんだかお堅い方ですね♡どうでしょう。ここはお互いに打ち解けるために、■■■■■■でもしてみてはいかがでしょうか♡」
「はあ!? きゅ……急に何言ってるの! エッチなのはダメ! 死刑!」
とても文字に起こすことができないような爆弾発言を始めたハナコに、コハルは真っ赤な顔で叫んだ。
■■■■■■の意味を理解した時点で比較的エッチな知識があることを自白していることにコハルは気づいていないようだった。
一方、二人の言い合いの意味を理解できなかったらしいチサキは、首を傾げた問いかけた。
「すまない。■■■■■■とはどういった単語なのだろうか。無知で申し訳ないが、私は成績を上げなければならないので後学のために■■■■■■がどういった意味なのか知りたいのだ。■■■■■■とはいったい」
「あああああ! ストップストップ! 真面目な顔してエッチなこと言わないでください!」
コハルが顔を真っ赤にしてチサキを制止するが、元凶であるハナコはニコニコ笑うばかりで何もせず、ヒフミとアズサは「何のことだろう」と首を傾げていた。
そんなカオスを極めた補習授業部のいる教室のドアが開いた。
「失礼します。ここが補習授業部……でよかったのかな?」
「せ、先生!?」
唯一面識のあったヒフミが声を上げた。
キヴォトスでは滅多に見ない、大人の男性の姿。
「先生」。
彼は生徒たちの姿を見ると、小さく微笑んだ。
第三話
補習授業部の本懐は猥談を始めることでもゲリラ戦の戦術を練ることでもない。
集まった生徒たちは、課せられた特別学力試験に合格するべく、早速勉強会を開始した。
紙のテキストをめくる音。何かを書きこむ音。
誰かが問題に躓くと、誰かがそれを助ける。
補習授業部の勉強会は、問題児を集めたとは思えないほど真剣な空気を形成していた。
「ヒフミ、この問題はどうやって解けばいいのか教えてくれないか?」
「あ、アズサちゃん、これは先ほどの公式の応用でして……」
二人の少女が身を寄せ合ってひとつのテキストを眺める。元々成績の良いヒフミは、アズサに積極的に勉強を教えていた。
その後ろでは、コハルがテキストを眺めてうんうんと唸っている。
それに気づいたハナコは、彼女の手元を覗き込み勉強を教えていた。
「こちらは古文からの引用ですね。トリニティの第一回公会議についての記述はこのあたりです」
「あ、なるほど……あ、分かってたし! ちょっと迷っただけだし」
あくまで自分はエリートと言い張るコハルは変に意地を張るが、ハナコはそれを見通しているようにニコニコと笑っていた。
「……」
一方のチサキは、ひとり黙々と勉強を進めていた。
その様は、少々根を詰め過ぎているようにも見えた。
まるで何かに追い立てられているような気配。
生真面目さとは少し異なる、危うさのようなものが今の彼女からは感じ取れた。
それを見て、先生がチサキの机に近寄って行った。
多くの生徒の悩みを解決してきた先生は、今回も気負うことなくチサキに話しかける。
「チサキ、お疲れ様。そんなに集中していると疲れない?」
話しかけられたチサキは、やや遅れて返事を返した。
「……あ、先生でしたか。すいません。集中すると周囲が見えなくなるタチでして。私の方は順調です。ミカ様の名前に泥を塗らないように、精進します」
「そう? それならいいけど」
先生の視線がハナコの方を向く。にこりと笑った彼女と目が合った。
「チサキさん。私は少しお手洗いの方に行きますので、コハルちゃんが分からない部分を教えてあげてくださいませんか?」
「え? ああ、承りました。私に分かることであれば、ご教授します」
言われたことに素直に従ったチサキは、コハルの元に近寄っていく。
テキストを覗き込んだチサキは、淀みなく説明を始めた。
「トリニティの古い分派の名称は系譜を辿ってください。こちらはパテル派に合流して──」
ハナコの時は変な意地を張っていたコハルだったが、チサキの前では顔を赤らめて素直に言うことを聞き始めた。
コハルにとって、正義実現委員会の上級生やティーパーティーのお嬢様は憧れの一つだ。
そんな社会に属していたチサキの洗練された雰囲気は、コハルにとって少し緊張するものだったらしい。
それを見届けたハナコは、にこりと笑って先生にアイコンタクトした。
先生もまた小さく笑みを返す。
即興だったが、チサキを少しリフレッシュさせる策はうまくいったようだ。
◇
「先生。ご足労くださりありがとうございます」
「ナギサも。忙しいのに時間を造ってくれてありがとう」
ティーカップを掲げながら微笑むナギサは、先生を労った。
一見いつもの余裕ある態度に見えるが、目の下には薄っすらクマができている。
長年敵対してきたゲヘナ学園との和平条約、エデン条約の成立目前という難しい時期だ。重責を背負うナギサには隠し切れない疲労が蓄積していた。
セイアが活動できない今、ナギサはティーパーティーのホストでありトリニティの最高権力者だ。
ナギサの心労を悟り、挨拶もほどほどに補習授業部の近況を報告する先生。
部長として率先してみんなに勉強を教えているヒフミのこと。
彼女の言うことを素直に聞いて知識を増やしているアズサのこと。
言動はかなり痴……特徴的だが他の生徒に勉強を教えているハナコのこと。
意地を張りつつも少しずつ勉強を進めているコハルのこと。
それから、真面目すぎるきらいがあったが、少しずつ他の生徒と関わるようになったチサキのこと。
一通り話を聞いたナギサは、紅茶で喉を湿らせた後に先生に問いかけた。
「それで、例の『トリニティの裏切り者』は見つかりましたか?」
「前も言ったけど、それは私のやり方とは違うよ。私は私のやり方でやらせてもらう」
「そうですか……」
特に表情を変えずに、ナギサは紅茶を口にした。最高品質の茶葉を使った紅茶は、今のナギサにはやや苦く感じられた。
「ナギサ。どうしてあの子たちを疑っているのか聞いてもいいかな?」
補習授業部の生徒たちが和平条約の妨害を目論んでいるとはとても思えない。
先生の疑問に対してナギサは素直に応えた。
ハナコは次期ティーパーティー候補になるほどの頭脳を持っていたにも関わらず落第するほどに成績が落ちたこと。
不自然な次期に転入してきた背後関係不明のアズサ。
ブラックマーケットに行っていたという情報のあったヒフミ。
少々事情は異なるが、ゲヘナ嫌いのハスミへの人質として正義実行委員会のコハル。
裏切り者の可能性があるなら、まとめて退学に──ゴミ箱に捨てればいい。
ナギサは躊躇なくそう言ってのけて紅茶を口にする。先生の目がわずかに鋭くなった。
「じゃあ、チサキは?」
「チサキさんはミカさんの属するパテル分派の実質ナンバー2です。政治的抗争に向かないミカさんを操ってよからぬ企みをしている可能性があります」
ナギサの顔には、形容しがたい感情が浮かんでいた。
「ミカが操られてると?」
「ええ。ナンバー2、と言っても彼女はパテル派の政務を実質的に仕切っています。仮に彼女が予算を横領したところで、私は気づくことができないでしょう」
「どうしてそこまでチサキを疑うの?」
ナギサがチサキを疑う様子は、執着すら感じた。他の生徒を疑うのとは、また違った感情が感じ取れる。
「彼女は、私の友人を傷つけた事件に関与していた可能性があります」
「……事件?」
先生はまだ、セイアが襲撃された事件を知らない。だから、彼女の言葉に首を傾げることしかできない。
「仮に私の仮説が合っていた場合──絶対にゆるしません」
語気を強めたナギサは、怒りを滲ませて薄く笑った。