お姫様のナイトであろうとした女が聖園ミカのために死ぬまで 作:恥谷きゆう
補習授業部は現在ティーパーティーのホストである桐藤ナギサによって作られた部活だ。
つまり、彼女らの受ける特別学力試験は、ナギサの意向一つで簡単にルールが変更できてしまう。
たとえば、試験会場を治安の悪い場所に設定しそもそも試験を受けること自体困難にしてしまう、などということも不可能ではない。
深夜2時。まともな生徒ならとっくのとうに眠りについている時間帯。
けたたましいエンジン音と爆発音が、ゲヘナ自治区に響き渡っていた。
「ど、どうしてこうなったんですかー!?」
まるでスタントマンのように華麗にバイクを乗りこなすヒフミは、悲痛な叫びを上げた。その後ろには、愛銃を構えたコハルが乗っている。
彼女らはゲヘナに根を張る不良生徒たちに追われている真っ最中だった。不良たちはアサルトライフルやロケットランチャーを持ち出して、逃げる補習授業部を攻撃してくる。
彼女らの乗るバイクの近くで激しい爆発が起きた。バイクがグラグラと揺れる。
「ヒフミ、照準がブレるから揺らさないで!」
「無茶言わないでください!」
彼女らのバイクの前を走るのは、ゲヘナの給食部の車両だ。
しかしそれを運転するのは美食研究会の面々。補習授業部は、それに先導してもらっている形だ。
この車の持ち主である給食部のフウカは、美食研究会によって縄でグルグル巻きにされてトランクに放置されていた。
まさにテロリスト。人の心を持たない悪魔の所業であった。
「飛ばしますよー!」
可愛らしい声で宣言した美食研究会の一員、アカリがアクセルを踏み込む。
車体が急激に加速し、タイヤが己の限界を訴えかけるように悲鳴を上げる。
直後、車の真後ろで爆発が起きた。
「ひゃああああああ!」
車に同乗していたチサキの喉から、生涯出したことのないような甲高い悲鳴が飛び出た。
敵を前に怯むことは決してない彼女だが、抵抗できない恐怖に対してはただ悲鳴を挙げて縮こまることしかできなかった。
「と、とめて……とめてくれッ……もう無理! むりむりむり!」
「ダメですよ、試験に間に合わなくなってしまいます」
「ここまでしないと間に合わない試験ってなんだ!? もうヤダ! 私帰る! 帰るうううう!」
チサキの常の堂々とした態度はどこか行ってしまったようだった。
実際、遊園地のジェットコースターの数倍スリリングだった。
後ろから飛んでくる爆発物。
爆風のたびにガタガタと揺れる車体。
免許を持っているのかも怪しい運転手に、この状況を楽しんでいるテロリストたち。
(キヴォトス基準で)大人しく、育ちの良いお嬢様に囲まれて育ったチサキにはすべて未経験のことだった。
これならまだ、紅茶を片手に腹の探り合いでもしていた方がマシだ。
「し、死ぬかと思った……」
試験会場についたチサキの第一声はそれだった。
合流を果たしたヒフミのゲッソリした表情も、概ねそれに同意しているようだ。
度重なる戦闘とスリリングなカーレースに疲弊し、彼女らはもはや試験どころではなかった。
治安の悪いゲヘナ自治区に侵入したのだから、当然のこととも言えた。
ゲヘナの不良がトリニティ生など見つけたら、身代金目当てに誘拐しようとするに決まっている。それがキヴォトスの常識だった。
それでも、不合格なら退学をつきつけられる彼女ら補習授業部は、どんな劣悪な状況でもやるしかないのだ。
ナギサの指定した通りに試験を受けなくてはならない。
「どうしてこんなことに……」
「あらあら、せっかく恩返しに目的地まで運んで差し上げたのに、随分な言いぐさですこと」
補習授業部の様子を見ていたハルナが、冗談めかして笑った。
他校の自治区でテロ行為を働いた危険人物には見えない親切さだった。
彼女らなりに、穏便にことを済ませた補習授業部に感謝しているらしい。
(あるいは、たまたま食べ物が絡んでいなかったから温厚だったとも言える)
「い、いや。すまない。助かった。礼を言おう」
胸に手を当てて頭を下げるチサキだったが、その足はガクガクと震えたままだった。ナイト様に戻るには少し時間がかかりそうだ。
「フフ、いいんですよ。恩に報いるのは当然のことですから。それでは。皆様の幸運を祈っておりますわ」
そう言って、ハルナの率いる美食研究会は去っていった。
初めてまともに接したゲヘナの生徒たち。ミカの嫌う、角の生えた生徒たち。
そんな彼女らを、チサキは少し感慨深げに見送った。
「さて、試験会場はここで合っていましたよね?」
ヒフミが目的地を確認しながら言う。
ゲヘナ自治区、廃墟の地下。試験会場にはあまりに適さない場所だった。
ボロボロの机と椅子だけが置かれた殺風景な部屋。
ヒフミが床から何かを拾い上げた。
「これは……L118牽引式榴弾砲の弾頭ですね。トリニティのものに間違いないです」
ヒフミが中を開けると、試験用紙と共にホログラム映像が流れ出した。
映し出されたのは、彼女らをこんな目に遭わせた張本人、ティーパーティーのナギサだった。
「これを見ているということは、試験会場に辿り着いたようですね。ああ、私への恨み言を言っても無駄ですよ。これは録音映像ですので」
映像の中のナギサが薄く笑う。
「私は約束を違えません。あなた方がこの試験に合格した際には退学は取り消しましょう。ただし――気をつけてくださいね。色々と」
含みのある言葉を言い残して、ナギサの録画映像はおわった。
「と、とにかく、試験用紙はここにあるようなので、さっそく試験を受けましょう!」
敬愛するナギサの冷たい言葉を受けても、ヒフミは気丈だった。
各々が試験用紙を手に取り、ボロボロの椅子に座る。
直前になって発表された試験範囲は従来の三倍。合格点は70点から90点へ。
退学がかかった試験を受ける生徒たちへの嫌がらせとしては、最悪のものだった。
それでも彼女らの顔に諦めはない。一心同体の仲間たちを退学にさせないためにも、彼女らは全力を尽くした。
そんな彼女らを嘲笑うように、廃墟の外から爆音が響き渡った。偽の情報に踊らされたゲヘナ生による爆破が、試験会場を襲う。
キヴォトスの生徒ならともかく、普通の紙で出来た試験用紙がそんなものに耐えられるはずもなく。
強烈な爆発に巻き込まれた解答用紙たちは、一瞬にして塵となった。
第二次特別学力試験――試験用紙紛失により、全員不合格
6話
「うぅ……もうやだ! 無理! 意味分かんない! できない!」
あんまりだった第二次試験を終えた朝。限界を迎えたコハルは駄々をこねた。
「あう……気持ちは分かるのですが、やらなければ退学になってしまいます……」
ヒフミが宥めるが、コハルは少し涙目のままだった。
「本当に意味分かんない……『トリニティの裏切り者』ってなに? ていうかティーパーティーの偉い方が私たちを退学にしようとしてるならもう無理なんじゃない? ……うぅ」
トリニティの裏切り者。
その言葉に、アズサとチサキはわずかに顔を歪めた。
「けれど、ここで諦めてしまったら本当に退学になるしかないので……力を合わせて頑張りましょう!」
試験を終えてからすぐに勉強。
理不尽な状況であっても、彼女らは90点以上取るためにひたむきだった。
一週間程度の期限、そのほとんどを勉強に費やす。
朝早くに起きて、休憩を挟みながら夜までテキストと向き合う。
少しずつ、少しずつ、全員の点数が伸びてきた。
模擬試験を繰り返して、分からなかった点を復習。
一週間が経ち、全員の試験合格が現実的なまでの成長を重ねてきた、その夜。
落ち着かなかった生徒たちは、自然と寝室を抜け出して先生の部屋に集っていた。アズサ以外の全員がこの部屋にいる。
「いよいよ明日、ですね……」
「模擬試験の結果から考えて全員90点以上は十分可能ですね。皆さん、本当に頑張りましたからね」
「そう言うハナコさんも、みんなに勉強を教えながら模擬試験はずっと満点でしたね。……本当に、ありがとうございます」
チサキが礼儀正しく頭を下げた。
それに対してハナコは、困ったように笑った。
「……チサキさんは、本当に謙虚ですね。ティーパーティー候補になるような優等生の方は、私のような問題児を下に見るものだとずっと思っていましたが……」
「私は、そんな大層な人間ではないないですよ。ミカ様のためになりたくて地位を求めて、それで結局失ったのです。私には既に何も残っていません」
「えっ!? 補習授業部から戻ったら、チサキさんは次期ティーパーティーだと伺いましたけど……」
事情をある程度知っているヒフミが声を上げると、チサキは諦めたような笑顔を見せた。
「元々、私はティーパーティーに興味はありません。ただミカ様の役に立ちたかっただけですから。けれど、ミカ様からの信頼はもう失ってしまいました。私をティーパーティーに結びつけるものは、何も残っていませんよ」
「そんな……」
今まで誰にも話したことのなかった決別を、諦念を、チサキは話していた。
今までの友人関係よりも、派閥での付き合いよりも、主君と仰いだ人との交流よりも、補習授業部の生徒たちが信頼できる。
そう思ったからこその、言葉だった。
「私にとって、ミカ様のためになることがすべてだった。だから、今の私には何もない。これからの私には、たとえ退学にならずにトリニティに残ることができて。それから、本懐を達成できたとしても、何もない。今の私は、ただタスクのこなす機械のようなものだ」
常に凛として前を向く彼女の瞳が暗く沈む。ずっと隠していた弱音が溢れ出す。こんな風じゃダメだ。ミカ様のナイトにふさわしくない。
そうやって己を律する習慣すら、今は機能しない。
ヒフミやハナコも、どう声をかけるべきか分からないらしく難しい顔で黙り込んでしまう。
けれど、先生は。この場で唯一の大人である彼だけは、迷わずに言葉を紡ぐことができた。
「何もないなら、今から何かを作ればいいんだよ」
「今から……作る?」
聞き返したチサキに、先生は落ち着いた笑顔を返した。
「そうだよ。私はチサキとミカがどんな関係なのか分からない。でも、チサキが補習授業部でどんな風に過ごしてきたのか知ってるよ。みんなで勉強したり、掃除したり、深夜に街に出かけてみたり。ティーパーティーっていう肩書きがなくても、そういうことはできるんじゃない?」
「そういうことでも、いいんですか? ……私は、ミカ様に恩返しがしたくて生きてきました。そうじゃない私も、あるんでしょうか」
「あるよ。チサキは子どもで、生徒だからね。好きにしていい」
「……!」
チサキはひどく驚いたように目を大きく開いていた。
「わ、私もそう思います! アズサちゃんに海を見せるって約束しましたよね? チサキさんも協力してください!今からいっぱい思い出を作って、それでいいじゃないですか!」
「わ、私も協力する! その、もし良かったら正義実行委員会に入れてもらえないか交渉できるし……!」
チサキの見開かれた目が二人を捉え、それから補習授業部の全員を捉えた。
無言で先生の言葉を肯定する、温かみのある目が彼女を捉えている。
彼女の目がわずかに水気を帯びた。
いつも固い顔をしてばかりのチサキの顔が嬉し気に緩む。それは、ミカ相手であろうと見せたことのない表情だった。
「みんな、ありがとう」
万感の想いの籠った言葉に、先生は満足げに小さく頷いた。
そんな風に話していると、唯一姿のなかったアズサが部屋に入ってきた。
いつもの無表情。しかし、そこにはどこか悲壮感のようなものがあった。
「……みんな、ごめん。隠していたことを、話そうと思う」