お姫様のナイトであろうとした女が聖園ミカのために死ぬまで 作:恥谷きゆう
閑話 お姫様
チサキがミカと出会ったのは、トリニティに入ってすぐのことだった。
ティーパーティが主催した新入生の歓迎会。
そこに呼ばれたのは比較的家柄の良いお嬢様ばかりだった。
紅茶を嗜みつつ、将来のために縁を作る場。
そこに招待されたチサキは、ミカを一目見た瞬間から目を奪われてしまった。
「……お姫様みたい」
気品ある制服の着こなし。純白の翼には、所々にアクセサリーが散りばめられている。
そして、その顔は。純粋で、無垢で、自然に生きていた。
その在り方は、チサキの中のお姫様像と一致していた。
「は、初めまして……し、士道チサキと申します。あの、お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
らしくもない震えた声が出てしまったことに、チサキは思わず羞恥した。
それを見たミカは、嫌味なくカラカラと笑った。
「あはは! そんなに緊張することないのに。私は聖園ミカ。えっと、チサキちゃん、だっけ? よろしくね☆」
その笑顔に心奪われた。
こんな人のために生きられたらどれだけ幸せだろう。
その後のチサキの様子は、まるで恋する乙女のようだった。
ミカの主催するお茶会に積極的に参加して、彼女に積極的に話しかけた。
彼女と同じアクセサリーをこっそりつけたりもした。ミカからそれを指摘された時は、喜びと恥ずかしさがごちゃ混ぜになって赤面してしまった。
チサキの想いは、童話のお姫様への憧れの延長のようなものだった。
だからチサキは彼女のナイトのように振る舞うようにして、付き人のような立場を確立していった。
「ねえチサキちゃん。私、ティーパーティーに入ることが決まったんだ」
「喜ばしいことですね。ミカ様の魅力なら当然のことです」
「えっへへ……チサキちゃんは相変わらず私に甘いなぁ。はい、ご褒美のマカロン!」
「有難うございます」
2人が知り合って一年ほどが経ち、ミカが3年生になった頃の会話だった。
その頃にはチサキはすっかりミカの侍従として知られていた。
聖園ミカのナイト。それがトリニティ内での彼女の呼び名だった。
気ままなミカの意見を聞き、それを叶える従者。
そんな生活を送るチサキは、幸せだった。
何よりもミカのことが好きだったから、彼女の役に立てることが嬉しかった。
そんな日々が、いつまでも続くと思っていた。
◇
「というわけで、黒幕登場☆ってとこかな? どう? 驚いた?」
補習授業部の前に悠然と姿を現した聖園ミカは、茶目っ気を出しながら言った。
立ち位置から言って、彼女がクーデターの首謀者であることは一目瞭然だった。
「あれ、なんか反応薄いなー。ここはもっと驚いてもいいところだよ? 先生とか、感想はないの?」
「驚いてはいないよ。トリニティの本当の裏切り者はミカだと思っていたからね」
「あはは! 全部お見通しだったってわけ? ──つまんないの」
醒めた顔をしたミカは、すぐに笑顔に戻った。
「でも、分かっていたならあまりにも無策だったんじゃないかな? いくら先生の指揮があると言っても、この人数差じゃ勝つことなんて不可能だよ。大人しくナギちゃんの居場所を教えてくれないかな?」
「──ミカ様」
一歩前に出てきたのは、チサキだった。
その姿を確認したミカが、大きく目を見開いた。
「あはっ……あははは! ここにいるってことは、やっぱりチサキちゃんは裏切り者だったんだね! ねえ、どうして? 私が馬鹿だったから? 頭の良いチサキちゃんは私を見下していたのかな? 私の命令なんてもう聞きたくなかったのかな!?」
先ほどまでは余裕綽々と言った様子とは、少し違った。
瞳孔が開き、頬が紅潮している。
「もしかして先生がここに来たのはあなたの密告のおかげかな? 途中から私の行動は一切知らせていなかったけど、そのデキの良い頭で推理したのかな!?」
興奮したミカはまくし立てる。
疑心暗鬼の闇に囚われた彼女は、既に冷静な思考ができなくなりつつあった。
「……ミカ様」
彼女の言葉を受けて、チサキはわずかに唇を噛む。
こうなることは予想していた。
けれど、敬愛する彼女の言葉に傷つかないわけがない。
でも、思っていたよりずっとマシな精神状態だ。
きっと、少し前の自分ならまともに受け止めることすらできなかっただろう。
けれど今なら。何もない士道チサキではなく、これから何か作ろうとしている士道チサキなら、応えられる。
凛と前を見据える。主君の姿を仰ぎ見る。
「ミカ様、違います。先生は私に言われたからここにいるのではありません。生徒のために。そして、あなたのためにここにいるのです」
「……ははっ」
ミカは笑う。開き切った瞳孔は不安定に揺らぎ、興奮による頬の紅潮と手の震えは止まらない。
「はははははは! チサキちゃんの嘘つき! そうやってセイアちゃんの時も私に嘘をついたんだね! ティーパーティーのホストの座を奪うためにセイアちゃんを殺して、私も殺そうとしたんだよね!?」
「違います、ミカ様」
凛然と、チサキは答える。
「私はティーパーティーのホストなんてどうでもいいのです。あなたの役に立つこと以上に大事なことなんてありません。でも、セイア様について私は確かに嘘をつきました。──セイア様は死んでいません。生きています」
「……え?」
ミカの顔が固まった。
「申し訳ありません、ミカ様。今思えば、最初からミカ様に真実を告げるのが最善の選択だったのでしょう。……私の、失敗です」
「……なに、言ってるか全然分かんないよ?」
ミカの声が震えだす。
「本当に、チサキちゃんもセイアちゃんも、何言ってるか全然分かんない。小難しいことばっかり言って。頭いい人ってみんなそうなのかな?」
「ミカ様。これは私の失態です。素直に、アリウスのセイア様殺害計画は未然に阻止したと言えば良かったのです」
まるでチサキの言葉が聞こえなかったような態度で、ミカはチサキの背後にいる人物に話しかけた。
「……アズサちゃん。白洲アズサちゃん。君はセイアちゃんを殺した犯人なんだよね? アリウスの人はそう言っていたよ?」
話しかけられたアズサは、少し間をおいて答えた。
「チサキの語ったことに偽りはない。私と彼女で共謀して、百合園セイアを匿った」
「……!」
ミカの呼吸が浅くなる。己が致命的な過ちを犯したという予感に、鼓動の加速が止まらない。
「ミカさん。もういいのではないですか?」
この場で誰よりも落ち着き払ったハナコが、静かに呼びかける。
「全ては疑心暗鬼が生んだ悲劇だったんですよ。ナギサさんの暴走も、セイアさん襲撃も、チサキさんへの疑惑も。私たちが人を信じられないから生まれた悲劇です」
他人の心は決して分からない。
楽園の存在証明が不可能であることと同じだ。
古則は問いかける。『楽園に辿り着きし者の真実を、証明することはできるのか』。
「……そして、アリウスの皆さんについても、既に手を打ってあります」
体育館に続く通路から、新たな人影が現れた。
正義実現委員会は全て遠ざけたはず。
そう思ったミカは、闖入者の姿を見て驚愕した。
黒い修道服の集団。敬虔な祈りを捧げるように瞠目するその手元には、各々の銃を持っている。
彼女らはトリニティにおけるブラックボックス、シスターフッドだった。
「ハナコさん、遅くなりましたが契約を果たしに来ました。シスターフッド。これより伝統を破りトリニティの内政への干渉を開始します」
先頭に経った歌住サクラコが宣言し、アサルトライフルのセーフティを解除した。
彼女の後ろに立つ修道服のシスターたちも、サクラコに続く。
深夜の体育館に、無骨なコッキング音が響く。
彼女らは、ただ神に祈りを捧げるだけの非力なシスターではない。
「っ……」
アリウス生が小さく唾を飲んだ。
状況は、既にクーデター側に大きく不利になっていた。
肝心のナギサの所在は知れず、人数的な有利もシスターフッドの加勢によって覆された。
それでも、聖園ミカはもう止まることができなかった。
「もういい……? 納得できるわけない。もう誰の言葉が本当なのか分からない! チサキちゃんが裏切ってて、セイアちゃんは生きてて、シスターフッドが出てくるなんて知らなかった! 分からない、分からない、分からない分からない!」
ミカが愛銃の『Quis ut Deus』を構える。
その前に一歩踏み出したのは、彼女のナイト、チサキだった。
「ミカ様。せめてもの償いに、私があなたを止めます」
「あはは……チサキちゃんは、本当に言っていることが全然分かんないよ」
あまり知られていないことだが、聖園ミカの実力はトリニティ最強と名高い剣先ツルギに並ぶほどだ。
この状況をひとりでひっくり返しかねないジョーカー。
それが、権力と武力を併せ持つ唯一のティーパーティー、聖園ミカだ。
「言葉はもういらないよ、チサキちゃん。もうあなたが何を言っても信じられない。何も分からない。だから、私はあなたを倒して自分で真実を確かめに行く」
「……その苦しみは、すべて私の罪です。だからこそ、ミカ様がこれ以上罪を重ねないよう、ここで止めます」
補習授業部やシスターフッドは、既に先生の指揮のもとアリウス生との交戦に入っている。
聖園ミカの過ちは、ここで止めなければならない。これ以上、罪を増やしてはならない。
だから、ここで己の果たせる忠義とは彼女を倒すことなのだ。
チサキはショットガンの銃把を固く握る。
「──参ります」
チサキの姿が搔き消える。近距離で真価を発揮する彼女にとって、接近するのは戦闘の第一段階だ。
ミカの目の前まで一瞬で移動したチサキがショットガンを構える。命中を確信して発砲した散弾は、しかしあっさりと空を切った。
「あは☆まさか、その程度で私を止められるなんて思ってないよね!」
チサキの背後に回ったミカがサブマシンガンの弾をバラまく。
的確にチサキの身体を捉えた弾丸が彼女の身体を傷つける。四肢に胴体。頭部に至るまで衝撃が走り、チサキの全身に激痛が走る。
頬はパックリと割れて血が流れ出し、制服に空いた穴からは血が見える。
それでも、チサキは止まらなかった。
「当然、私の焦がれたミカ様なら避けると思っていました」
それは、ある種信頼から為せる行動だった。
ミカなら、絶対に初撃を避けて反撃してくる。
チサキは、排莢の済んでいないショットガンを手放した。
彼女の持つポンプアクションショットガンは、排莢するまで次弾は撃てない。その前提を裏切った。
チサキの戦闘スタイルを良く知るミカの表情が衝撃に歪む。
「だからこれは、最初で最後の騙し討ちです」
チサキの懐から出てきたのは、大型のハンドキャノンだった。威力に特化した大型拳銃。
「ミカ様──申し訳ありません」
隙をつかれ無防備な彼女の額に、一発。
高威力の大口径弾を頭に喰らえば、いくらミカと言えど昏倒する。
──そう思っていたチサキは、次の瞬間驚愕することになる。
「あはっ☆」
笑顔を浮かべたミカは、何事もなかったかのようにサブマシンガンを構えていた。
「あ……」
「じゃあチサキちゃん。私を裏切った報い、受けてね?」
短機関銃が火を噴いた。チサキの全身に、先ほど以上の衝撃が走る。
キヴォトスの生徒でもなければ、全身蜂の巣になっていただろう。
銃弾に撃たれていないところが存在しないほどの、銃撃の嵐。
それでも尚、チサキはその場に立っていた。
「ど、どうしてまだ立っているの? いくら頑丈なチサキちゃんでも、流石に気絶するはずだったんだけどな……」
「これが、愚かなナイトにできる唯一の忠誠の示し方ですから」
血に塗れた身体で、チサキは笑う。
満身創痍の身体には相応しくない、ひどく穏やかな笑顔だった。
決して、敵対する相手に向ける顔ではなかった。
それを目の当たりにしたミカは、呆然と立ち竦んだ。
全くもって、分からないことだらけだった。
どうしてチサキはこんなに自分を想っているのか。
ひどいことを沢山言ったのに。勝手に見限ったのに。
分からない、分からない、分からない。
他人の心は、チサキの心は、不可解だ。
けれど、彼女が自分を想っていることだけは分かった。
戦意を喪失したミカは、呆然と短機関銃を手放した。