はるかかなた Sisters' wishes.   作:伊東椋

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別サイトにて2010年に投稿された作品です。
(※)原作のネタバレを含みます。ご注意ください。


01.僕の彼女は風紀委員長

 夏休みが近づき、じりじりと夏の暑さが照りつける今日。至って普通の放課後だが、いつもなら恭介たちと野球をするか、恭介が発案したミッションで遊ぶのが僕の日常だった。

 しかし、最近は恭介がまた就職活動に行ってしまったためにその機会は少なくなっている。あの修学旅行のバス事故があって、リトルバスターズの皆で修学旅行をやり直した。だが、僕たちと違って三年生である恭介は長らく入院していたために就職活動に出遅れてしまった。だから、恭介は遅れた分を取り戻すように最近は外に出ることが多かった。

 恭介がいないと、大抵暇になる。リトルバスターズは恭介がいて、皆で遊ぶからこそ、楽しいものだから。

 だから僕は、今日も彼女の下にいた。

 「直枝、そっちのプリントを取ってくれるかしら」

 忙しそうに筆を走らせながら僕に言葉を投げた彼女は、風紀委員長の二木佳奈多さんだ。

 彼女は風紀委員長として、学園の風紀を取り締まり、学生生活において日々忙しい毎日を送っている。

 ちょっと吊り目で、鋭い瞳を持った彼女だが、実はこれでも初めて出会った頃と比べたら随分と柔らかくなったものだ。少しずつだけど、双子の妹に近くなっている気がする。

 何が彼女をそこまで変えたのかと問われれば、きっとあの事故の後、葉留佳さんとの仲直りが主な原因だろう。

 そしてそれとほぼ同じ時期に、僕の彼女になってくれたことかな――――

 「はい、二木さん」

 「……なにをニヤけているのよ、直枝」

 僕は言われたプリントを二木さんに渡すが、僕のふぬけた顔を見て、二木さんはまるで気持ち悪いものを見るような目つきで僕を見詰めた。

 「何もない所でニヤけるのは、端から見れば気持ち悪いだけよ」

 「ひどいなぁ」

 「ひどいのは直枝の顔でしょ?」

 「……それはいくらなんでも、ひどすぎだと思う」

 僕が本気でしょぼくれると、二木さんはふんっと鼻で笑う。

 「そう言われたくなければ、真面目に仕事をすることね」

 「はいはい……」

 そう、僕は二木さんの仕事の手伝いをするのが最近の日課になっている。

 恭介の就職活動でリトルバスターズの活動が休止している間、僕はいつも忙しそうにしている二木さんの手伝いをすることに決めていた。

 最初は僕の申し出を受けた二木さんは

 「あなたなんかに出来るの?」

 といきなり厳しいことを言ってきたが。

 「二木さんのためなら、僕はなんでもするよ」

 「……人手はないよりマシね。 なら……仕方ないわ。 じゃ、邪魔にならないでよね……ッ」

 と、顔を赤く染めてそっぽを向いた二木さんの言葉を了承と受け止めて現に至る。

 「……あの時の二木さん、可愛かったな」

 「なにか言った? 直枝」

 「なんでもないよ」

 筆を走らせながらも、ジロリと見詰める二木さん。ちょっと禍々しいオーラが見えるのは気のせいかな……?

 「なら、仕事をさっさと終わらせるためにもちゃんとやりなさい。 ほら、次はその資料を取って」

 「うん」

 「あなたは労働基準法が適法されない強制労働者の身分だと思って、仕事に没頭すれば良いわ」

 「それは、ひどいなぁ…」

 と言いながらも、僕は言われた通りに二木さんに資料を渡す。そして、僕は二木さんと二人だけで、いつものように夕日が暮れるまで仕事に明け暮れるのだった。

 

 

 気がつくと、外はオレンジ色に染まっていた。時計の時刻は、夕暮れを指そうとしている。

 二木さんも一段落着いたのか、筆を置くと、ぐっと腕を伸ばす。腕を伸ばした拍子に、時計の針が二木さんの視界に入る。

 「もうこんな時間なのね」

 「二木さん、そろそろ終わろうか? 日も暮れてきたし」

 「そうね、とりあえず今日の分は一応片付いたし……」

 ガタ、と二木さんが椅子から立ち上がる。二木さんが立ち上がった時、さらりと揺れた長髪が夕日の光に照らされて、オレンジ色に煌めく。

 「夕日が眩しいわね」

 「そうだね」

 眼を細め、手を眼の上に構えた二木さんは夕日の方を見る。オレンジ色の光を浴びる二木さんは、どこか綺麗だった。

 そして、僕と二木さんは教室を後にして、学園を出た。寮までの帰り道、と言っても歩けば五分もしないうちに着くのだが、それでも僕たち二人はこれでもカップルだ。二人で帰るのは当然だ。

 「……………」

 「……………」

 そして……うん、やっぱり無言。二木さんと並んで歩いていると、僕の方から話題を振らない限り、二木さんとの間はあまり会話が生まれない。仕事の時など、用がある間は良いが、ただこうして帰るだけの時は、こうなってしまう。

 あと、カップルだから二人で帰るのは当然だと言ったけど、ぶっちゃけカップルじゃなくても、男女二人が帰るなんて、別にカップル限定ってわけじゃないよね。友人同士とかだったら、普通にいるし。

 そう、この行為をしない限り、カップル限定とは言えない。

 それは……手を繋ぐこと。

 僕が過去に何度挑戦し、敗北したことか。まぁ、主に自分に負けているんだけどね。

 手を繋ごうとしても、二木さんの雰囲気がそれを妨げる。

 いや、それはただの言い訳に過ぎないね。

 僕がヘタレだというのが正解だと思う。実際、彼女から拒否されたことはないのだから。

 僕が、躊躇しているだけ。

 僕がしっかりすれば良いだけの話なんだ。

 だから、僕は毎回、そして今日も二木さんと手を繋いで帰ることに挑戦している。

 寮までの短い帰路、時間は限りなく少ないッ!

 行くんだ、僕ッ! 今度こそ、男として、彼氏として、彼女のその白い手を掴み取れ―――!

 

 「……ところで、直枝」

 「うひゃうッッ!!?」

 思わず、僕はビクッと思い切り跳ね除けてしまった。僕の異常な反応を見て、二木さんが呆れた表情を浮かべる。

 「……なにしてるの?」

 凄い。とても冷めた眼で、僕を見ている。こんな冷めた眼で彼氏を見詰める彼女はそうそういないと思う。

 「いや、なんでもないよ。 …ところで、なにかな?」

 二木さんは怪訝な表情を浮かべていたが、一つ溜息を吐くと、いつもの表情に戻った。

 「最近、夏休みが近づいているじゃない」

 「うん、そうだね」

 修学旅行の件で色々とあったけど、もう一学期ももうすぐ終わりだ。そして、学生たちにとっては待ち遠しい夏休みが近づいている。

 「そのせいか、やっぱり学園の風紀が最近乱れているというか、緩くなっているのよね」

 「ああ……」

 やっぱり、学生たちにとっては夏休みという長期休暇は大きな楽しみの一つだ。そんな夏休みが目前まで迫れば、つい浮かれてしまうのは当然の摂理だろう。

 「おかげで、ちょっとのことで風紀を違反する輩や、素行が目立つ輩が増えているのよ」

 「なるほどね」

 「夏休みが近いから浮かれてしまうのは私でも少しはわかる。 でも、だからこそ最後まで引き締めておかないと駄目だと思うのよ。 もうすぐお望みの夏休みが来るんだから、それぐらい我慢してほしいものだわ」

 「あはは……そうだね」

 「一学期も終盤になって、忙しくなるのは私たち風紀委員なのよ。 まったく、生徒たちには自覚が足りないわ」

 「う~ん、まぁ……つい浮かれてしまうのは仕方ない事だと思うよ。誰しも、夏休みは楽しみだからね」

 「せめて、一番の厄介者であるリトルバスターズが活動を休止していることが幸いね」

 「う…ッ」

 僕の胸に何かがグサリと突き刺さる。

 「本当、あなたたちには世話を焼いたものよ。 特に棗先輩には、どうしても勝てないわ」

 「あはは……」

 「……ま、それもあの時までの話だったけどね」

 

 あの時―――

 

 僕たちの乗ったバスが崖から転落した、修学旅行の中で起こった不幸な事故。

 

 あの出来事があって、僕たちは色々な虚構の世界を旅した。恭介たちに救われ、そして恭介たちを助け、僕たちはやっとの思いで現実世界へと還ってきた。

 リトルバスターズの皆は僕と鈴を除いて、長く入院していたけど、恭介を最後に、僕たちリトルバスターズは以前の僕たちのように復活を遂げた。

 そして僕たちだけで修学旅行をやり直し、また野球や色んなミッションで遊んだけど、恭介が就職活動にまた出るようになって、最近はリトルバスターズの活動は休止状態になっている。

 休止状態と言っても、恭介が戻ってくればまた遊べるし、それにやろうと思えば僕たちだけでも遊べる。だけど、僕は恭介がいた方がもっと楽しいと思うし、二木さんの手伝いもしたいから、一応リトルバスターズの活動は休んでいる。

 

 「……私は、あの事故で失いかけて、初めて知ったわ。本当に大切なものを」

 「二木さん……」

 事故の後、僕たちは皆大きな病院へと搬送された。そして、最も重傷だったのが、特に僕と鈴を除いたリトルバスターズの面々だった。

 「二木さんは確か、病院に駆けつけてきたよね」

 「……ええ」

 一番傷が軽かった僕は、皆が収容された集中治療室へと足を運んだ。そして、集中治療室の前で見つけたのは、二木さんだった。

 二木さんは、これまでに見たことがない二木さんだった。いつも強気だった瞳は涙で潤み、いつも敵意を剥きだしていた表情は歪んでいる。

 二木さんが目の前にした扉は、葉留佳さんが収容された集中治療室だった。

 「……あの娘を失いかけた時は、本当に私はどうにかなりそうだった。 あんな思いは、初めてだったわ」

 いつも僕たちの前で、特に葉留佳さんの前では敵意を剥きだしにしていた二木さん。だけど、それは長年演技の末に出来てしまった、素顔とくっついて取れなくなってしまっていただけの仮面だった。

 その仮面が、葉留佳さんを失いかけた時、粉々に割れて砕けた。

 初めて、大切なものを失いかけた瞬間に、思い出した。

 二木さんの泣く姿を、僕はその時、初めて知った……

 「でも、葉留佳が助かったのも、そして私が葉留佳と仲直りできたのも、あなたのおかげよ。直枝」

 そう言って、顔を上げて振り向いた二木さんの表情は、微笑んだ表情で、とても可愛かった。僕はドキッとして、思わず戸惑ってしまう。

 「そ、そんなことないよ。 それは、二木さんと葉留佳さん二人の力であって、僕は何もしていない」

 「あなたはそう思っていても、少なくとも私たち双子はそう思っている。だから、素直に受け止めたらどう?」

 「そ、そうかな…」

 「そうよ。 そして――――」

 「?」

 二木さんは、突然口を閉ざし、顎を引いた。前髪を指で摘み、もじもじと弄んでいる。微かに見えた頬は、赤みを帯びている。

 「あなたとこうして、付き合うようになったことも、感謝している……」

 頬を赤らめ、視線を合わせようとしない二木さんが恥ずかしそうにそんな言葉を紡ぐ。僕の心臓は釘を打ち込まれたかのように、思い切りドクンと高鳴る。

 「ありがとう、二木さん」

 「わ、私が感謝しているのになんで直枝がお礼を言う――――ひゃあッ!?」

 いきなり二木さんの肩がビクンと震える。

 それもそのはず。何故なら、僕の手が二木さんの白くて、意外と小さかった手を、ぎゅっと握っているからだ。

 「な、ななな直枝……ッ!? あ、あなた何して…ッ!!」

 「さぁ、帰ろうよ。二木さん」

 あれほどまでに躊躇していた僕の手は、いとも簡単に二木さんの手を掴んでしまった。

 僕の気持ちは、青空のように広く澄んだ気分だ。

 顔を真っ赤にして動揺しているけど、抵抗はしない二木さんの手を引いて、僕たちは寮の帰路へと進んでいく。

 僕はとても笑顔だった。だが、二木さんはそんな僕の笑顔を見ても、さっきみたいに気持ち悪いとは言わない。

 顔を真っ赤にして、二木さんは唇を尖らせるだけで、僕の掴む手に抵抗を見せなかった。

 夕日に照らされ、地面に射した僕と二木さんの影が寄り添って、一つに繋がって歩いていた。


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