はるかかなた Sisters' wishes.   作:伊東椋

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12.未来へと

 「これからはきっと、楽しい毎日が続くよ!」

 

 葉留佳と仲直りしたあの日、あの娘の病室で、妹は笑顔でそう言った。それは私にとって、久しぶりに見た妹の満面な笑顔だった。

 私自身に向けられた笑顔は、小さい頃以来だった。

 リトルバスターズという棗先輩と直枝たちのグループに入ったあの娘の楽しそうな姿を、私は遠くからよく見ていたものだった。その笑顔が、また私に向けてくれる日が来てくれるのだろうかと、私は無意識の内にそう思っていたのかもしれない。願っていたのかもしれない。

 あの事故の後、一命を取り留めた葉留佳と私は元の仲の良い姉妹に戻る事が出来た。葉留佳は再び、私にその笑顔を向けてくれた。それを目の前にした時、私は涙が溢れそうになった。

 葉留佳の笑顔は本当に無邪気で、可愛らしい。子供のような笑顔は、小さい頃から変わらない。

 だけど、その娘の笑顔が、嬉しかった。

 葉留佳は私の手を取って、色んなことを楽しみに言ってくれた。退院したら、二人で服でも買いに行こう、今の葉留佳の両親がいる家に姉妹で帰ろう、色々なことをして遊ぼうと。葉留佳は笑ってそう言ってくれたのだ。

 でも私は、知っていた。これからは楽しい毎日が始まるだろう。だけど、それは永遠ではないことを。

 とても、短い間の幸せであることを。

 何故なら、私は葉留佳のために一人で消えていこうと決意していたから。

 

 「お姉ちゃん」

 ホテルの廊下を走る中、葉留佳が私に優しく声をかけた。

 「なに? 葉留佳」

 今の私は、囮を買って出てくれた古式さんスタイルだ。眼帯をし、古式さんのように髪を一つにまとめている。葉留佳はまじまじとそんな私を見渡すと、笑顔になって言った。

 「お姉ちゃん、可愛いデスよ」

 「な…ッ。 あなたはこんな時に、何を言って……」

 「ああ、それに関しては私も同感だ。 佳奈多くんの眼帯も中々萌えるものがあるな」

 「来ヶ谷さん! あなたまで……」

 「なあ、少年もそう思うだろう?」

 「え? うーん……僕は眼帯より、髪を一つにまとめている所がいいかな……なんて」

 「あなたまで何を言ってるのよ…ッ!」

 まったく、この人たちは。

 こんな状況なのに、この人たちは楽しそうにやっている。どんなことも楽しくしようとする彼らは、凄いとは思う。

 不意に、ちょっとだけ噴き出してしまう。

 そんな私を、来ヶ谷さんだけが気付いていたが、彼女は何も言わなかった。

 それにしても、古式さんは大丈夫だろうか。

 勿論、彼女にそんな危険な役をやってほしくなかった。だからかなり心配だ。でも、あの剣道バカがいるのなら、彼女の安全は保障されると思う。

 私は古式さんや葉留佳たちの想いを無駄にしてはいけない。だから、私も頑張らなくては。

 「いたぞッ! こっちだ!」

 「―――!?」

 途中で、追っ手と出くわした。やっぱり、簡単には逃がしてくれそうにないらしい。

 「く…ッ! もう少しなのに……」

 「大丈夫だよ、葉留佳さん。 これも計算の内」

 直枝がはっきりと断言する。

 何故、追手が目の前にいるのに彼はここまで余裕でいられるのか。

 その理由が、すぐにわかった。

 

 その時、上から一つの影が降りてきた。それが私たちの前に降り立つと、その毅然とした姿を現した。

 

 「ふん、手間のかかる奴だ」

 聞き覚えのある声と、見慣れた背中。

 私たちの学園の制服を着た男子生徒。帽子をかぶり、その顔には奇妙な仮面があった。

 「恭……介……?」

 直枝は彼の背中を見てその名前を言いかけたが、彼の付けている仮面を見て、声が小さくなった。

 「……何やってるんスか、恭介さん」

 葉留佳も唖然としている。

 「……ふむ、何かの趣味か?」

 「恭介? それは誰のことだい?」

 二重に重なるような人工的な声で、冷静な態度で言い放つ彼だが、あの時同様、彼の正体に気付いていないのは直枝だけのようだ。

 「え? えっ? あ、やっぱり恭介なの……?」

 気付いていないと思われていた直枝も薄々は勘付いていたらしい。

 「違う。 俺は闇の執行部部長。 時風瞬」

 「痛い! 痛いデスよ、恭介さん! その仮面も何か変態っぽいです!」

 「ふむ。 彼は現役の厨二病患者だからな。 あまり言ってやるな、葉留佳君」

 「……………」

 仮面のせいで表情が見えないが、肩を微かに震わせて見えるのは気のせいではないのかもしれない。

 ちなみに直枝はここで確証を得たようで、幼い頃から尊敬の念を抱いていた彼を、可哀想なものを見るような目で見詰めていた。

 「おお俺が助けに来たからにはもう安心だぜ。 さ、さぁここは俺に任せて早く逃げ……ぐす、逃げてくれ……」

 泣いてる。泣いてるわ、この人。

 なんか本当に可哀想に見えてきた。

 何故、この人は前からこんな格好なのだろう。

 それは後で聞くことにした。

 「彼の好意を無駄にするわけにもいかんな。 では遠慮無く行かせてもらおうか、皆」

 「そ、そうデスね姐御。 きょ……トキカケさん、後は任せたデスよ!」

 「名前間違ってるからね、葉留佳さん。 そ、それじゃあ恭……じぁなかった、時風さん。よろしくお願いします……」

 「ああ、さっさと行ってくれ。 頼むから」

 最後に本音が出ていた。

 私たちは先輩……じゃなかった、今は時風瞬というらしい彼に任せて、その場を後にした。

 

 

 さっきまで呆気としていた追っ手たちもようやく彼女たちを追いかけようとしたが、その進路を彼に阻まれる。

 「おっと、この先は行かせないぜ。 この煮えたぎるような複雑な思い、ここで完全燃焼してやる」

 彼の威圧感は、追っ手たちをたじろがせた。

 仮面の目が奇妙に赤く光る。その奇妙な威圧感に苛まれる追っ手たちだったが、所詮相手は学生。大人の数人掛かりで抑え込めば、負けることはない。そうして追っ手たちは仮面を付けた彼に一斉に襲いかかったが、その行く手を妨害するように銃弾の雨が降り注いだ。

 思わず後方に下がった追っ手たちだったが、何が起こったのかわからなかった。自分たちと仮面の男の間に、無数の銃痕が開いていた。それを見て、ぞぞっと寒気を感じる追っ手たち。

 「あー、もう。 やっぱり腕、鈍っちゃったかしら」

 そんな声が頭上から聞こえてくる。

 そしてそこに降り立ったのは、一人の少女。ふわりと舞った長髪は金色に輝き、鳥の羽のようなリボン、そしてサファイアの宝石のような蒼い瞳が開く。

 銃を手に持った一人の少女。彼女は髪を払うと、口を開いた。

 「ていうか、ここはあたしが最初に登場する予定だったのに何であんたが割りこんでるのよ。 おかげで理樹くん、びっくりしてたじゃない」

 「正義の味方というのは、唐突に現れるものなのさ」

 「その身なりでよく正義の味方なんて言えるわね。 本来ならあなたは敵のボスで、あたしが仕留めるはずの立場よ」

 「それはまた別のゲームの話だろう」

 「じゃあ、これは一体どんなゲームなのかしら?」

 そう言って、彼女はにやりと笑う。男の方は仮面で隠れて見えないが、男からも笑った雰囲気が伺えた。

 「あなたに呼ばれてみれば、こんなことになるとはね。 ま、面白いからいいけど」

 「まだ、続けるのかい?」

 仮面の男、時風の言葉に、彼女は「当然」と言い放つ。

 「まだまだゲームは終わって無い。 いいえ、これが始まりなのよ」

 「ふ、良いだろう。 ならば、ゲームスタートといこう」

 「そうね」

 彼女は振り返る。追っ手たちを前にして、彼女は不敵な笑みを浮かべた。

 「ゲーム・スタート!」

 

 

 「ねえ、結局なんで恭介さんはあんな姿で助けに来てくれたんでしょうネ?」

 走りながら、また葉留佳さんが聞いてきた。

 それを聞かれても、僕もなんて答えたら良いかわからない。

 また何かの漫画の影響かもしれないけど……だからか、僕自身もどこかで見たことがあると思った。何だか恭介から借りた漫画に似たようなものを見たような気がする。

 というか、就職活動からいつの間に帰ってきてたんだろう。

 ちょっと、色々な意味でもやもやするけど、そんな気持ちを気にしている場合ではなかった。

 既に僕たちは脱出路を走り抜け、遂に出口寸前まで辿り着いた。ここまで来れば、追っ手の心配もないだろう。後はここを脱出するだけだ。

 「いよいよだよ、二木さん!」

 「お姉ちゃん!」

 僕と葉留佳さんが、同時に二木さんに向かって手を差し伸べる。二木さんは少し呆気になった表情だったけど、すぐにその表情を緩ませて、僕と葉留佳さんの手に、その手を伸ばそうとした。

 だけど、そんな僕たちを最後まで阻むものがあった―――

 

 「残念だが、諸君。 どうやら簡単には行かせてくれないようだ」

 「え…? 来ヶ谷さん、どういう……」

 「あれを見ろ」

 僕たちはそれを見て、足を止める。

 というよりは、足が止まってしまった。

 出口は目前だという所で、そこに一人の人物が、僕たちの前を立ち塞がっていた。それは、僕も見たことがない、知らない人物だった。

 「え……?」

 そこにいるのは、一人の少女。

 葉留佳さんや二木さんと同じ色の髪を肩にかかる程度まで伸ばし、身なりもまた二人とそっくりだった。氷のような冷たい無表情をしていて、その顔にある二木さんと同じ色をした瞳が、僕たちをジッと見据えていた。

 まるで、葉留佳さんや二木さんと似ている。彼女は何者なのか、僕は知らなかった。

 ただ、葉留佳さんと二木さんが警戒しているのを見て、やはり彼女は二人の知り合いであることを僕はここで初めて知った。

 「あの娘は……二人の知り合いなの?」

 「理樹くん、あいつは私たちの知り合いというか、親戚というか……」

 敵意を僅かにむき出しにして、警戒する葉留佳さんが答え、

 「……私たちの、監視役よ」

 二木さんが続くように、言葉を紡いだ。

 「え…ッ!?」

 そういえば―――と、改めて彼女のことを見渡してみると、見れば見るほど本当に二人と似ている。彼女もまた三枝本家や二木家と関わりを持つ人物であることは容易く想像できた。

 そういえば二人を監視し、本家に動向や情報を伝える監視役がいることを、二木さんの口から聞いたことがあるような……

 「驚いたわ。 まさか最後の最後で、あなたがいるなんてね……」

 二木さんの言葉にも、彼女は一切表情をぴくりとも動かさない。まるで、本当に氷のように凍っているかのようだ。

 「……佳奈多さん、葉留佳さん」

 そんな彼女が、ただぽつりぽつりと、小さく漏らした。

 僕たちは身構える。何かあるのかを警戒する。

 だけど、次に出てくる彼女の言葉に、僕たちは動揺することになった。

 「……私はあなたたちを止める権限はありません」

 彼女の言葉に、僕たちは驚愕する。

 それは、どういうことなのか。

 つまり……

 「―――僕たちを、見逃してくれるってこと?」

 彼女はコクリと頷く。

 「な、なんで……」

 その疑問にも、彼女は静かに答えてくれた。

 「……私はお二人の監視役に過ぎません。 ただ私は二人を監視し、その情報を家にお伝えするだけ……ただそれだけの、つまらない分家のつまらない役目です」

 「……………」

 「……あなたたちを見ている事しかできなかった私が、あなたたちを見ること以外のことをするなど、できません。 そんな権限も、あるはずがありません」

 どうしてだろう。

 彼女のことが、少しだけ寂しそうに見える。

 「……だから、私はあなたたちがどうやってこの先に進むのか、見届けたいと思います」

 彼女はただ最後まで淡々と、無機質な表情一つ変えず、言葉を紡いだ。

 僕たちより、葉留佳さんや二木さんの方が衝撃が大きかったみたいだった。

 それはそうだ。彼女は今まで二人を監視していた三枝本家をはじめとした家々の使い。敵も同然の彼女が、見逃すと言ってくれたのだ。驚くのも無理はなかった。

 でも、彼女の好意が本物なのは確かだ。僕たちを見逃してくれると言ってくれた彼女の好意に、僕は感謝する他ない。

 「行こう。 二木さん」

 僕は振り返り、さっきは繋げなかった手を、スッと伸ばした。

 二木さんはおずおずとしながらも、僕の手にゆっくりと触れてくれた。その瞬間、僕はぐっと二木さんの手を握った。

 そして、その僕たちの手を、葉留佳さんも握ってくれた。

 「ありがとう。 見逃してくれて」

 「……………」

 彼女は無言で、ただ僕をじっと見るだけだった。

 「ねえ、君の名前は?」

 「……四葉」

 案外、簡単に彼女は答えてくれた。僕と彼女とのやり取りを、二木さんたちは黙って見てくれている。

 「下の名前は?」

 「……此波多。 四葉(よつのは)此波多(こなた)……」

 「ありがとう、四葉さん」

 僕はもう一度、お礼を言った。今度は彼女の名前と一緒に。

 二木さんや葉留佳さんも、四葉さんにお礼を述べる。

 「……ありがとう」

 「……いい。 早く、行って……」

 彼女に促されるように、僕たちは遂に、出口へと向かった。

 二木さんと葉留佳さんは四葉さんのことを気にしていたようだった。

 「なんで……あの娘……」

 「きっと、四葉さんも二人みたいに、仲良くしたかったんじゃないのかな?」

 「へ?」

 「どういうこと? 直枝」

 なんとなくだけど、僕は思う。

 彼女は表情を何一つ変えなかったが、僕はどうしてか、彼女の気持ちが少しだけわかったような気がした。彼女のその寂しそうな雰囲気を、僕は知っている気がした。

 まるで葉留佳さんと仲直りする前の、棘のある風紀委員長時代の二木さんにそっくりだった。表に出しているものは違うけれど、その寂しさは、似ているものがあった。

 もしかして、彼女もまた二木さんたちと、仲良くしたかったのかもしれない。親戚として、同世代の女の子として、二木さんたちと接したい部分があったのかもしれない。

 あくまで、これは僕が勝手に考えたことだけど。

 「……もし、あの学校に戻ることができたら」

 「え?」

 二木さんが、優しい微笑みを浮かべながら、言う。

 「あの娘と仲直りするのも、良いかもしれないわね……」

 二木さんの言葉が、どこまでも優しく空気に浸透していった。

 「きっとできるよ」

 僕は信じる。きっと、そういう未来があることを。

 いや、できる。何故なら、僕たちはこの現在(いま)の瞬間を、脱出することができたのだから―――

 縛られていた鎖は解かれ、自由の身となった二木さんと一緒に、僕は駆け抜けようと思う。

 毎日が楽しい、そんな未来へと。

 


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