はるかかなた Sisters' wishes.   作:伊東椋

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07.託す想い

 路上の隅に佇んでいたのは、黒マントを覆い、奇妙な仮面と帽子で素顔を隠した一人の男だった。

 声を掛けられた僕と二木さんの二人は、見るからに怪しさ満載の男を目の前にする。

 どこからどう見ても、怪しいことは変わらない。

 だけど、僕たちの学園の制服が、黒マントの間から微かに伺える。とりあえず彼の正体が、同じ学園の生徒であるからか、どうしてかわからないけど、何故か彼のことを初対面とは思えない僕がいた。

 奇妙な違和感を抱いていた僕だったが、二木さんの声で我に帰る。

 「で。 あなたは何者なの? どうして私たちに声を?」

 仮面の裏で、男が微かに笑った気配が伺える。

 「なに、ただの気まぐれさ。 だが、俺が声を掛けたことによって、お前さんたちが俺の所に来たということは、お前さんたちはこれから起こる現実を受け止める覚悟をしたということだ」

 仮面を被っているからか、男の声は妙にくぐもっているというか、どこか不協和音な声だった。

 それにしても、覚悟とか大袈裟なことを言う人だ。

 二木さんのほうをチラと様子見すると、二木さんはいつものような鋭い目つきだ。目の前にいる仮面の男をジッと見詰め、男の言葉を真剣に受け止めているみたいだった。

 「あなたは、これからの現実を知っているの?」

 何故だろう。これからの現実という言葉が、二木さんの口からだと、妙に重たく感じる。

 「さぁな」

 彼の返した一言に、二木さんは眉間に皺を寄せる。僕以上に、二木さんは目の前にいる彼のことを怪訝な視線でずっと見詰めていた。

 「だが、俺はこれから一人で消えようとしているヒーロー気取りの存在を、近くにいるくせにそれも気付かない鈍ちんに教示してやろうとしているだけだ」

 「!!!」

 その時、二木さんの肩が大きくビクリと跳ねた。

 僕が驚いて二木さんの顔を覗くと、二木さんの鋭かった瞳は、今は目一杯に広がり、驚愕の色に満ちていた。

 そして、徐々に怒りの色に変色していく様子を僕は目撃する。

 「あ……なた……」

 二木さんの声が、わなわなと震えている。

 さっきから感じていたことだけど、二木さんはどうやら目の前の彼を知っているのではないかと思うほどの態度を見せていた。

 そして今の二木さんこそ、まるで余計なお世話をする知人に対して物凄く怒っているような、そんな感じだった。

 「どういうつもり……?」

 噴き出しそうになった怒りをぐっと抑えたかのように、二木さんは声を落ち着かせるようにして、彼に問い詰める。

 「ふん」

 彼は、仮面の底から鼻で笑う。

 「人は人を救えない」

 「ッ!?」

 彼の呟いた言葉。それに過剰に反応する二木さん。僕はただ、その二人の光景を傍観することしか出来ない。

 でも、見ている僕だからこそわかる。

 まるで、彼の言葉が、二木さんの言葉のように聞こえた。

 「そんなことを勘違いしているのは、大きな間違いだ」

 「あなた、なんで……」

 「依頼人から受け取ったもんだ。 お前さんがよく知っているはずだが」

 依頼人?

 ますます、わからなくなってくる。

 この男は二木さんの知っている人で間違いないだろう。

 そして、もしかしたら僕も……

 でも、何が目的で、何を二木さんに伝えたくて、この人はそんなことを言っているのだろう。

 「あのこ……」

 「え?」

 二木さんは顔を俯いて、ぐっと下唇を噛んでいる。

 「お前さんがやろうとしていることは、誰一人として望んじゃいない。 そして、それが最善の未来であると、お前さんは自分にそう言い聞かせているだけで、本当は納得なんかしていないはずだ」

 顔を下げた二木さんの表情は見えない。

 だけど、握り締めた拳が、ふるふると震えている。

 「そして、そこの小僧」

 「こ、小僧って、僕のこと…?」

 小僧なんて呼ばれたのは生まれて初めてかもしれない。

 しかも、妙に威圧感がある。

 「お前は気付いているかどうかは知らないが、この女には、お前という存在しかいないということを忘れるな」

 え……?

 「なにを、わかって……ッ!」

 二木さんの声が、怒りと微かな悲しみを帯びて、放たれる。

 「あなたなんかに、私の何がわかるというの……ッ!」

 二木さんの怒りに満ちた形相が、仮面の男に真正面から向けられる。二木さんは彼に負けない威圧感をビシビシと走らせていたが、彼はそれらを全て仮面に受け止めても、微動だにしない。

 「二木さん……」

 そこで、僕は気付く。

 二木さんの瞳の縁に、じわりと滲む涙。

 そして、悔しそうに歪む口端。

 まるで、隠していた秘密がバレて、親に怒られたような、子供の顔だった。

 いつの間にか、周囲の視線が僕たちに突き刺さっていた。険悪な雰囲気を醸し出す僕たちに突き刺す周囲の視線は、喧嘩か何かを見るような冷たい視線だった。

 「二木さん、そろそろ行こうか……」

 僕が声をかけ、そして、そっと二木さんの固く握り締めて震える拳にそっと手を添えると、二木さんはやっと僕のことを気付いたかのように、ハッと僕の方を見た。

 僕を見た二木さんの顔からは、既に怒りも何も消えてなくなっていた。

 「直枝……」

 二木さんも、集まりだした周囲の視線に気付く。

 僕は二木さんの手を引いて、周囲の視線の輪から急いで抜けだした。

 周囲の視線が立ちさる僕らを見送る中、僕はチラリと、そこに佇む仮面の男を見た。仮面の男はじっと立ち去る僕たちの背中を見ていたが、やがて仮面の男は人の波の奥へと消えていった。

 

 あの場から逃げ出し、こうなってはデートを続ける気分ではなかった。

 だから、僕たちは学園の寮への帰路についていた。

 いつの間にか夕日が空をオレンジ色に染めている。気がつけば、結構街の中で時間を費やしていたんだなと僕は思った。

 夕日に染まった河川敷の土手を、二人並んで歩く。

 二木さんは、あの仮面の男のことがあって以来、一言も口を開くことはなかった。視線を下げ、静かに僕と並んで歩いているだけだった。

 本当に彼は何者だったのだろうか。そして、二木さんは……

 僕は、あの仮面の男が言っていたこと。そして二木さんの言葉と反応が、妙に引っ掛かっていた。

 「……直枝、さっきのことなんだけど」

 まだ土手の半分ぐらいの辺りを歩いていると、二木さんが急に立ち止まった。そして、先に歩き進んでしまった僕に声を投げかける。

 僕は立ち止まり、二木さんのほうに振り返る。

 「なに? 二木さん」

 「さっきのことは、気にしないで頂戴……」

 さっきのこと。

 僕が、ずっと気になっていたこと。

 その事に気にしないでほしいと言った二木さんの表情は、どうしてか、とても寂しそうだった。

 「二木さん……」

 僕の声に、ビクリと震える二木さん。

 「な、なによ……」

 「二木さんは、一人で消えようとしているの……?」

 「―――ッ!!」

 仮面の男が言っていた言葉。

 あれはきっと、二木さんのことを言っていたんだ。そして、二木さんがこれから何をしようとしているのかを。

 言われるまで気付かなかったのだろうか、僕は。

 でも、最近の二木さんには奇妙な違和感を感じていたのは、確かに本物だった。

 そしてその違和感の正体を、ここで初めて気付いたと思う。

 二木さんは沈黙した。

 僕は、二木さんと視線を絡める。

 聞こえるのは土手の近くに生える草の絨毯が、風に撫でられる音。そして、流れる川の音。沈んでいく夕日の光が、二木さんの身体を染めた。

 「……もし、そうだとしたら、直枝はどうする?」

 二木さんは、僕の問いかけに肯定するかのような返し方をした。

 そして僕はそんな二木さんの言葉に、驚きを隠せなかった。

 「まさか本当なの……? 二木さん……」

 驚きを隠せない僕の表情に対して、二木さんの表情は悲しそうな色に染まっていた。

 「消える……って、本当に……? どういうことなの、二木さん…ッ!」

 「直枝には、話してなかったわね……」

 話して無かったって何さ。

 どういうことなのか説明してよ、二木さん…!

 僕は必死に、そんな言葉を心の中で叫んでいた。

 僕の心の叫びに対して返すように、二木さんは言葉を紡ぐ。

 「私はね、近い将来、三枝本家の跡取りとして、顔も知らない男の人と結婚しなければいけない運命なの」

 「え……?」

 三枝本家。

 それは、葉留佳さんと二木さん二人の姉妹の本来の家。そして、葉留佳さんと二木さんを引き離した忌々しい家紋を背負った家。

 「近い将来というか、もしかしたらこの学園を卒業したら……早ければ、学年を進級する前にこの話は来るかもしれない」

 「……!!」

 「私の恋人である直枝には悪いけど………私には、本家が勝手に決めた婚約者がいるのよ。 それも三枝本家跡取りにふさわしい血筋と能力を持つと認められた、顔も知らないような男よ」

 「……………」

 「そして私は、私個人の意思なんて関係なく、その男と結婚させられ、三枝本家の為だけにこの身を私の夫となる男に全てを捧げることになる。 結婚前まで顔も知らなかったような、好きでもない男に抱かれ、跡取りを産まされる。 跡取りを産まされたら、私はどんな扱いにされるかわからない。 それが、私の課せられた運命」

 「そんな……そんなのって……」

 「あるのよ、直枝。 そんな馬鹿げたような話が、実際に私のすぐそばに昔から決められていたのよ。 その時が、もうすぐ来るというだけ」

 「……凄く、酷い話だ……」

 「そうね、酷いわね」

 二木さんは、自虐するように笑うが、その瞳は悲しそうに揺れている。

 「許せないよ……」

 その人たちが。

 二木さんを本家の道具のように扱う、赤い血が通った人間だとは信じられないような人たちが。

 「……私とあなたは、確かに彼氏彼女の関係だった。 でも、こうなることがわかっていたのに、私はあなたを受け入れてしまった……それが、間違いだった……」

 「二木さん……」

 「だって……本当に好きな人を知ってしまったら、これから自分の未来に訪れる現実が、とても嫌に感じるから……本当に好きな人がいるのに、好きでもない男に抱かれると思うと、一人の女として、とても嫌……もっと、嫌………」

 徐々に、二木さんの声も悲しみに震えていた。

 「でも……これは……大好きな葉留佳を守るためでもあるから………私が犠牲になるしかない……三枝の忌々しい呪縛は、私の身体が全て引き受ける……そして、私一人だけが、いなくなれば全て解決……葉留佳は、幸せになる……」

 「……ッ! それは、違うよ……ッ!!」

 それは、違う。

 二木さんがいなくなってしまえば、葉留佳さんは絶対に悲しむはずだ。

 自分のためだったと知れば、尚更。

 そして僕もそうだ。

 二木さんが一人だけ全てを抱え込んで消えてしまうなんて、そんなのが許せるはずがない。

 

 

 

 ――――でも、私は許せたのよ。

 どんなに理不尽で、死んだ方がマシなほどに嫌なことでも、葉留佳のためなら、私は受け入れることができた。

 失いかけて思い出した、大切な存在。

 それを思い出させてくれた人。

 そして、心を許せる大切な人を、見つけてしまったから。

 だから、私は一人で消える決意ができたのよ。

 

 

 実を言うと、私が話したことは少し嘘でもあった。

 婚礼の話は、卒業した後……あるいは、早ければ三学年に進級する前に、と言ったが……

 実際の所は、もっと早かった。

 私と葉留佳の仲が戻ったことを、学園内にいる三枝本家の監視役が察したらしく、婚約の話は急遽早急に行われることが決定された。

 葉留佳との関係を取り戻した私によって面倒なことが起きない内に、早目に葉留佳がいる学園から出して、結婚させてしまえという本家の方針からだった。

 そして、私がある男と付き合っているという情報が、致命的となったのも事実だった―――

 頑張って気付かれないようにしたけど、監視役の目は、長くは誤魔化す事が出来なかった。だが、これは仕方のないことだった。

 「私を好きでいてくれて、ありがとう直枝。 そして、これからは私の大事な葉留佳を、守ってあげて―――」

 「……………」

 葉留佳を託せる。

 自分の心を許せる彼には、葉留佳を託すのにふさわしい。

 ちょっと頼りないかもしれないけど。

 彼ならきっと、葉留佳を幸せにしてあげられる。

 

 だって、葉留佳も私と同じだから――――

 

 「二木さ――――ッ!?」

 突然駆け寄った二木さんに、唇を塞がれる。

 二木さんに何かを言いかけた僕の言葉が、二木さんからの初めてのキスによって、出ることを許されなかった。

 僕の胸に手を当て、つま先を上げ、そっと唇と唇を離した二木さんは、最後に微かな笑みを浮かべた。だけど、その瞳は悲しみに揺れているのを、僕は見逃さなかった。

 僕は二木さんを引き止めたかった。

 だけど、まるで二木さんのキスによって力を吸い取られたかのように、僕は動く事が出来なかった。

 唇を離した二木さんは、僕の横を通り過ぎて、小走りで立ち去っていく。

 僕の横を通り過ぎる間際、二木さんは小さな声で、僕に言った。

 「―――さよなら、直枝」

 それは、永遠の別れの言葉だった。

 その言葉を聞いた時、僕の身体に力が戻ってきた。

 既に遠くへと離れてしまっていた二木さんの背中に向かって、僕は息を吸い込み、大声で言った。

 「二木さんッ!!」

 僕の声に、遠くで、二木さんの背中が立ち止まる。

 「僕は決して、きみを見捨てないッ! たとえ、本当にそんなことが起こったとしても、二木さんが僕や葉留佳さんたちの前からいなくなっても、僕はきみの元へと駆け付けるッ!」

 僕は思いのたけを叫び続ける。

 遠くで立ち止まっている二木さんに届いていると信じて。

 「僕は、絶対に助けに行くよッ!!」

 一人で消えていこうとするヒーロー気取り。

 あの時、仮面の男はそう言った。

 だけど、違う。

 僕こそが、ヒーロー気取りだ。

 いや、本物のヒーローになる。二木さんを救うヒーローに。

 なんて言ったって……

 僕は、正義の味方、リトルバスターズの一員なんだから……ッ!

 

 僕の叫ぶ思いが伝わったのかどうかはわからない。だけど、遠くにいる二木さんは、微かに頷いてくれたように見えた。遠くにいたから、ただの僕の気のせいかもしれない。

 でも、僕は信じる。二木さんは僕の言葉と一緒に、僕たちのことを忘れないでいてくれる。二木さんの手には、僕がデパートで買ったプレゼントが、しっかりと持たれていた。

 翌日、学園から二木さんの姿が消えた。二木さんが学園からいなくなったと知った時、僕はすぐに行動に移していた。葉留佳さんも所属する、正義の味方、リトルバスターズと共に。


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