大きな家の子として生を受けたとしても、幼い頃の私と葉留佳の待遇や、私たち姉妹の関係は決して恵まれたものではなかった。特に、葉留佳に関しては……
本家の醜いご都合に、私たち姉妹はいつも酷いことばかり強制されてきた。どっちが本家を継ぐのにふさわしいか、どちらが本家に利を齎すモノなのか、ただ、家のためだけに私たち姉妹は大人たちの手のひらで踊らされた。
そしてその過程で、良い成績を残していく私が徐々に株を上げ、そして妹の葉留佳がそれに比例するように虐げられていくという現象がずっと続くようになる。
良い成績を見せる私。私と正反対な葉留佳。
「本当に何をやっても駄目な子ね。 お前はいらない子だ」
いつしか、葉留佳を虐げる行いも本家の大人たちに強制されるようになった。思ってもいない罵声を、私は葉留佳に叩きつける。地べたに崩れ、虚ろな瞳を向ける葉留佳を見下ろして、私は葉留佳に酷い言葉ばかりを吐き散らす。
本当はこんなこと言いたくない。でも、やらないと駄目。
だって、絶対に逆らえないことだから。
先ほどまで大人たちが集い、葉留佳を徹底的に罵倒した部屋には、私と葉留佳しかいなかった。今日は学校のテストが返却された日で、私は全教科を大人たちが納得するような成績を収めた。だが、葉留佳はまた、酷い結果を残してしまった。
幼い私たちには広すぎる畳の部屋には、葉留佳の鼻をすする音が聞こえる。体育座りして、膝と膝の間に顔を埋めて鼻をすする葉留佳の背中を、私は心配げに見詰めていた。
「はるか……」
「……かなたはいいよね。 頭が良くて……」
「……最初から頭が良い人なんていないよ。私も一生懸命勉強したもの」
だけど、きっと葉留佳も必死に勉強したんだと思う。葉留佳はいつだって一生懸命だった。私に負けないくらいに。でも、不器用にも結果は良い方向に転がることがなかった。
「あのね、今日はクッキー箱を貰ったの。 はるか、また半分こ、しよう?」
「……いいよ、私は。 かなたがもらったんだから、全部かなたのだよ」
「言ったでしょ。 これから先、私がお家の方から貰ったものは、みんなはるかと半分こするって。その髪止めも、そうでしょ……?」
葉留佳の頭にちょこんと生やした髪の下には、私と分け合った、初めて半分こした丸い髪飾りが添えられている。
私も頭の後ろのほうにお揃いの髪飾りを付けている。
お揃いの髪飾りが象徴するように、私たち姉妹の仲は決して悪い方ではない。むしろ、本家の目がない所では、私たち姉妹は仲良しだった。
「これ、きっと高級だから、おいしいはずだよ」
「だから、いいってば……」
「わぁ、おいしそう」
カパッと開けてみると、色とりどりな形のクッキーがぎっしりと詰まっていた。ハート形やひし形、色々。とても甘くて美味しそう。
「ほら、はるかもお腹減ってるでしょ?」
「……………」
私はクッキーがぎっしりと詰まった箱を葉留佳の顔元に寄せ付ける。葉留佳はちらちらとクッキーを見ていたが、やがて、ぐぅ~という虫の音が葉留佳のお腹から鳴った。
顔を赤くする葉留佳、クスリと笑う私。
「はい」
ハート形のクッキーを、葉留佳の前に摘んで持っていく。葉留佳は目の前に差し出されたクッキーを見詰めたが、遂に私からのクッキーを口にしてくれた。
「おいしい……」
「ほんと?」
私も一つ摘んで、口にしてみる。甘くてほのかな香りが口全体に広がり、舌がとろけるような錯覚に陥る。
「うんっ。 すごくおいしいね」
今度は葉留佳が自分から、クッキーを一つ摘む。
「ほんとにおいしい。 ありがと、おねえちゃん」
その時の葉留佳は、既にいつもの笑顔に戻っていた。
そうして、私と葉留佳は二人だけで、全部なくなるまでクッキーを食べたのだった。
本家の意向によって、私と葉留佳は何事も比べられ、争われる。私と葉留佳はお互いのために、演技を続けることにした。私が葉留佳を見下し、罵倒する。葉留佳はずっとそんな私の罵倒を大人しく受け続ける。私が葉留佳に酷いことばかり言うのをやめるためには、葉留佳とのこんな偽りの関係を消し去るためには、葉留佳を救うには、私がもっと頑張らなくてはいけない。もっと頑張って、良い成績を残して、本家に選ばれるような人間にならなくてはならない。
そして選ばれた後、今より強くなった私が葉留佳に救いの手を差し伸べるんだ。そんな目標が、私の中で芽生え、そして成長しつつあった。
そして、私は本家に選ばれた――――
三枝本家を継ぐふさわしい人材として。
これで、やっと葉留佳との偽りの関係を消し去ることができる。私が、葉留佳を助けるんだ―――
「葉留佳、私――――」
でも、私は気付けなかった。
妹が――――
葉留佳が、既に壊れてしまっていたことを。
「良かったね、おねえちゃん……」
「葉留、佳……?」
何の感情もこもっていない虚ろな瞳が、ゆっくりと私の方に振り返る。乾いた笑みが浮かんだ。
「選ばれて、さ」
葉留佳は、もう限界だった。
本家に、そして私に卑下にされる毎日。私の場合は偽りだったとはいえ、葉留佳には、もうその区別さえ付けられなくなったほど、弱々しくなっていたんだ。
「かなたは選ばれた。でも私は……いらない子だ」
いらない子。
それは私が散々、葉留佳に吐きかけた言葉だった。
ぞわっと、私の血の気が引く。
「葉留……ッ!?」
私は葉留佳に手を差し伸ばそうとした。でも、その手にパシンッと、乾いた音が響いた。同時に、弾かれた私の手がジンジンと熱を帯びていく。
「え……」
呆気にとられる私。そして、私の目の前にいたのは、憎悪を剥きだしにした葉留佳の瞳だった。
それは、偽りではない、本物の憎悪だった。
私はここでやっと気付いた。
とっくに、私たち姉妹の関係は壊れていたんだと。
偽りが、いつしか本物に変わっていたのだと。
気付くのが遅すぎた。
そして、どうしようもなかった。
それから、私たちの関係はベルリンの壁のように寸断されてしまった。私たち姉妹の冷戦はずっと続くこととなり、学園内でちょっとでも顔を会わせたり、注意をしたりすれば、すぐに口論に発展した。
偽りだった関係は、本物となった私たち姉妹は、あの事故が起こるまで元に戻ることはなかったのだ。
葉留佳が崖下に転落した直枝たちのバスに乗っていたという話を聞いた時から、私はまた気付くのが遅すぎた。
確かに大切な人だった葉留佳。失いかけて、気付いた。私はいつも、気付くのが遅かった。
本当に私は馬鹿だ。
病院に駆けつけ、ベッドに眠る葉留佳のそばに居て、そして目を覚ました葉留佳と色々な話をし、お互いにたくさん謝った。私と葉留佳の間に直枝という存在がいてくれたことも大きかった。おかげで、私たち姉妹は和解することができたのだ。
そして私は直枝と付き合うようになり、葉留佳との関係も良好に保つ事が出来ていた。
でも、三枝という家に生を受けたことを忘れてはいけない。
私は三枝に選ばれた人間。直枝と恋人関係になったり、葉留佳と戯れたり、そんな色恋や平安に甘えることは本来許されることではなかった。
直枝と付き合い、葉留佳と仲を取り戻し、私は改めて気付いた。
私は葉留佳を助けるために、三枝本家に選ばれる人間になったのだ。
だから、私は葉留佳を助ける。これは、私の本気だ。
直枝やあーちゃん先輩、周囲の人の迷惑になることは当然許されない。私は一人で、元々そのつもりだったけど、葉留佳を救うために本家の元へと戻った。
そして今、私はとある高級ホテルの待合室にいる。
整った高価なウエディングドレスを身に纏い、化粧を施し、他人に嫁ぐ女としての姿が、今の私だった。私はこれから顔も知らない、本家が決めた婚約者と出会わせ、私に本家の跡継ぎを産ませるために結婚させるのだ。
これは昔から、私が本家に認められた時から決まっていた、私自身の運命。私が、決めた道。
これで葉留佳の方に忌々しい家督の因縁が関与されることもなくなれば、私は十分だ。姉として、たった一人の妹が救われれば、それで良い。
まぁ、正直に言えば……
ちゃんとお別れしたかったなぁ、というのはあった。
でも、それでは意味がない。私が一人で消えるためには、ばっさりと今まで築いてきた関係を切り捨てるしかない。
これは私が葉留佳を救うために、私が決めたことなんだから。
やがて、私は遂に婚約者と顔を会わせるために待合室を出た。
周りを、まるでSPのように家の大人たちが私を囲みながら一緒に歩いていく。別に、今更逃げも隠れもしないのに……
まるで囚われの身。籠の中に閉じ込められた鳥のように、私は逃げられない立場にいることを再確認されてるかのよう。
そんなことを考え、嘲笑する。
そこでふと、あの時の河川敷での事を思い出す。夕日のオレンジ色で染まる中、直枝が叫んでいた言葉。
―――絶対に助けに行くよ…ッ!―――
絶対に助ける、か……
私もかつてそう決意して、だけど出来なかった。あの時、私は助けようと決意した大事な人を、助けられなかった。
人は人を救えない。
そんな主張を心の中に隠していた。でも、あの男はいとも簡単に見抜いた。いや―――
私は既に、“夢の中”で、あの子たちにバラしていたんだ。
どうしてか、葉留佳が事故にあった時間の間、私はよく夢に葉留佳を見ていた。葉留佳だけじゃなく、直枝をはじめとしたリトルバスターズの面々とも。そこはいつもと変わらない学園で、普通に私たちは現実と同じ学園生活を過ごしている。
そしてその中の夢の一つとして、私が葉留佳と色々あり、葉留佳と仲を取り戻すという本当に夢のようなお話。
そんな夢を見たこともあってか、病院に駆け付けた私はより強く、葉留佳のことが心配で仕方がなかった。
夢ではないような夢。
そんな不思議な虚構の世界。
でもそんな夢を見たからこそ、私は現実の世界で、葉留佳とよりを戻すことができたのだ。
あの子にはもう会えない。
私は罪滅ぼしのためにも、自分を犠牲にしてでも葉留佳を助けるんだ。
それが私の助け方。
本当に、彼は助けに来てくれるのかしら―――?
なんて、現実的じゃないことを考えながら歩いていると、気がついた時には既に私は会場へと到着していた。
この中には、三枝本家をはじめとする二木家、分家の大人たちが待っている。家の伝統、お金、様々な汚い大人の事情で塗られた、卑しい大人たちがひしめき合う、その会場への扉が、私の決意の前で、遂に開かれた。