霊夢に完敗した日から一か月ほど経った。魔理沙は霊夢と顔を合わせづらく、つい避けてしまっていた。
魔理沙の不安は増幅する一方だ。自身の結界の拙さが起因し、家を出るとき、気になって結界の点検をしてしまうことが増えていった。また、霊夢に打ち勝つ術を思いつかないことがストレスになり、より焦燥感に駆られているのも一因だった。
魔理沙は毎回結界を点検することがばかばかしいことは承知していた。だがやめられない。割り切ろうと思い、家を出たあと結界を確認したい欲求を抑えようと我慢するも不安は高まる一方で、人里に着いた後に耐えられなくなり家に戻って確認したこともあった。
そこで魔理沙は閃いた。ならばより強固な結界を張ればよい。それは今の自身だけでは無理だ。ならば答えは簡単だ。魔理沙は紅魔館へと足を運んだ。
□
「またネズミが来たわね。キッチンのほうが餌は多いからそっちに行ったら?」
紅魔館大図書館。テーブルに積まれている本を読みながらパチュリーが相変わらず悪態をついてくる。その横で小悪魔が魔理沙に挨拶する。
「魔理沙さん、ようこそいらっしゃいました。パチュリー様が寂しがって八つ当たりがひどいのでもう少し来ていただけると――――」
言いきる前に小悪魔の頭上に氷塊が出現し小悪魔の頭を直撃した。小悪魔は目を回して倒れ伏した。
「で、用件は何?借りてた本を全部返す気になった?」
小悪魔には一切触れずにパチュリーが話を続ける。
「いや、借りた本は後でネズミが返しにいくぜ。一体どんなネズミなんだろうな?宝船を荒らしまわっていたネズミのことか?」
「勝手にナズーリンに責任転嫁しないの。まったく、口だけは上手ね」
「最初に仕掛けたのはお前のほうだがな」
と二人がじゃれているうちにいつの間にか復活した小悪魔の手元にはティーポットとティーカップが乗せられたトレイがあった。小悪魔の魔法なのか、神出鬼没な咲夜の能力なのか、魔理沙は未だ知らなかった。
魔理沙はずかずかとパチュリーのいるテーブルの向かいに座る。パチュリーは読んでいた本から目を離してはいないが、僅かに口角が上がっている。小悪魔はパチュリー、魔理沙の順にティーカップを置いて紅茶を注いでいった。
紅茶を一口嗜んだ魔理沙は用件を伝えた。
「実は結界に関して聞きたくてなあ。何かいい本ないか?」
「漠然としすぎてるわね。もちろん結界に関する本はたくさんあるけれど、目的が分からないとどれを紹介していいか何とも言えないわ。一体何がしたいの」
「実は自前で家の結界を張ろうとしていて簡素なものはできたんだが――――ってどうした急に立ち上がって?」
パンッと本を素早く閉じたパチュリーは血相を変えたかのように立ち上がり、魔理沙を見つめながら言った。
「あなた、今までどうしてたの!?魔法の森って魑魅魍魎の住処じゃない!」
パチュリーがこれほど剣幕なのは本当に珍しい。魔理沙はそれに押され、つい正直に答えてしまう。
「いや、実は霊夢に結界を張ってもらっていて、それをずっと維持していていたんだが、お札を破ってしまって……」
「なら私のところじゃなくて霊夢のところに行く必要があるでしょ!?どうしてそこからあなたがやろうってことになるの?結界術に限らず、魔法は一朝一夕では修められないわ!」
横から小悪魔も同意する。
「私も同意見ですね。魔法の森は木っ端妖怪だけではありません。用心するに越したことはないかと」
旗色が悪いと感じた魔理沙はさらに動機を伝える。
「いや、そろそろ自立したくてな?霊夢に頼りっぱなしなのは癪でな……」
魔理沙が視線を落としながら弱弱しくしゃべっている様を見て、パチュリーは口を閉じた。そのまま椅子に座りこんだが、厳しい表情は変えなかった。
小悪魔は主人のほうを見やってから少しだけ間を取って、答えた。
「魔理沙さんの気持ちは分かりました。確かにいつまでも頼り切りなのはよくありませんよね。適当な本を紹介しましょう。ただし」
パチュリーが口を開く間もなく小悪魔は続ける。
「霊夢さんから新しいお札をもらってきて結界を張りなおしてください。魔理沙さんがあまりに危険すぎます。魔法は本を読んですぐ、習得できるものではありません」
パチュリーはギロリと小悪魔を睨んだが、小悪魔はいつも通り微笑んでいるだけだった。パチュリーは少しだけ目をつぶり、微かにうなずいて魔理沙のほうを見やった。
魔理沙は観念した。
「二人が心配してくれているのはよく分かったよ。お札は霊夢からすぐにもらってくる。それでいいだろ?」
「それはよかったです。では、私は本を探してきますね」
と本棚のほうへ小悪魔が飛んでいった。パチュリーの表情は変わらず険しかったが、テーブルに置かれたティーカップを手に取り紅茶を啜りはじめた。魔理沙もそれを見て、紅茶を飲みはじめた。
しばらくすると小悪魔が本を持って戻ってきて、それをテーブルの上に置いた。
「この本が最適でしょう。メンテナンスについても詳細に書かれているので、分かりやすいかと」
魔理沙は受け取った本をぱらぱらと開いていった。何とか理解できそうだと安堵する。
「おう。ありがとな」
「もちろんです。ただ覚えておいてくださいね」
小悪魔は笑みを深めて言った。
「悪魔との契約、破ったらひどい目に合いますよ?」
□
紅魔館を後にした魔理沙は一旦人里で山菜と酒を買い込んだ。魔理沙は一月前に負けたとき、霊夢に食料を持っていくという約束をしていたからだ。そして忠告通りに博麗神社に着いた。
わざと会わないようにしていたため魔理沙は後ろめたかったが、神社の縁台に居た霊夢は普段と変わらない様子であった。実際これまでも、魔理沙が根を詰めて引きこもることはしばしばあったからだ。
「あら。久しぶりじゃない。待ちくたびれたわ」
霊夢の目は、魔理沙が持ち込んだ酒に向け、にこやかに微笑んでいた。
いつもなら、魔理沙は霊夢の態度に何も思わなかったであろう。しかし、この前の敗戦、研究が滞っているストレス、不本意な対面、自身に襲い掛かっている謎の不安。それらのせいもあり霊夢が己の感情を何も理解してくれないと魔理沙は苛立ちを感じた。
結果、魔理沙の返事が僅かに遅れた。
「ああ。ちょっと立て込んでてな。約束の品を持ってきたぜ」
魔理沙は縁台に座っている霊夢の横に、品を置く。霊夢は喜びながら
「さすが、分かってるわね!ちょっと待ってちょうだい。一杯やりましょ」
と立ち上がろうとする霊夢を魔理沙が牽制する。魔理沙は用を済ませたらすぐ帰りたかったのだ。
「いや、実はこのあと用事があってな?そっちを先にさせてもらうぜ」
霊夢は興が削がれたかのように不満げに答える。
「久しぶりだってのにそれ?一体何の用事よ」
「悪魔と契約を結んでな。そうじゃないと命を取られるらしい」
霊夢は胡散臭そうに
「なにそれ?あんた、悪魔でも召喚したの?」
「いや、悪魔に私が会いに行った」
「それって余計にひどくない?今すぐ祓ってあげるから連れてきなさい」
「ああ分かった。今度連れてくるよ」
霊夢の機嫌はもう戻っているようでこのやり取りを楽しんでいるようだ。魔理沙はそれを見て、本題に入る。
「実は頼みごとがあるんだが」
霊夢は珍し気に魔理沙を見る。
「あんたが頼み事なんて珍しいわね。なによ」
「実は霊夢が張ってくれてたうちの結界が破れちまってなあ」
「はあ?何で破れたのよ。まだ余裕で持つはずよ」
「私がお札を傷つけちまった」
魔理沙は悪戯がばれた子どもかのように言った。霊夢はあきれたように
「あんたどう管理してるわけ?――――ま、仕方ないわね。ちょっと待ってなさい」
と言い、今度こそ立ち上がった。
霊夢は神社の中から結界に用いるお札を持ってきて魔理沙に渡した。
「今度はちゃんと扱いなさいよね」
魔理沙はバツが悪そうに頬を搔きながら
「善処するぜ」
と答えた。
□
魔理沙はくたびれながら家に帰ってきた。あまりに魔理沙の目論見から離れ過ぎた。大図書館に軽く顔を出すだけのつもりだったからだ。それに、霊夢の変わらない様子も癪に障った。
ただ結果として霊夢の結界を再構築することとなり、自身の拙い結界に代えることができる。これで少しは安全になるだろう。
しかしそれでは霊夢に勝つという決意が揺るぎかねない。何のために自ら結界を破ったのか。魔理沙の中で葛藤が生まれる。
魔理沙は悩んでいるうちに思い出す。
そういえばあの2人から魔導書を借りていた。一旦この魔導書の解読に専念しよう。解読し終えた後霊夢の結界と、より強固になった自身の結界を併用すればよい。そして自身の結界が問題なく動いているのを確認したあと霊夢の結界のほうを破ればいい、と。
こうすれば、あの大図書館の2人の思いも踏みにじらなくて済む。魔理沙は魔導書の解読に注力しようと決意した。