大図書館から借りてきた本は難解であったものの、何とか読むことができた。ここ最近、何をしていいか方針すら立てられなかった魔理沙は、打ち込む対象ができたことで束の間の休息を得ることができた。拙い円の結界は手じまいにし、霊夢の結界を再度復帰させたことも理由の一つであった。
魔理沙が熱心に読みだしたその本には、七曜を用いた結界術が書かれてあった。七曜とは七つの天体、火星、水星、木星、金星、土星、太陽、月のことである。これらの力を借りて魔法と成すことはパチュリーの得意分野であり、大図書館にもそれらに関する本が多くあった。
七曜の結界は地面に七芒星――――奇妙な四角形が2つ折り重なったような図形――――を描き、外周に式を記述する。そうして各頂点に星の力を宿らせ一つの結界として完成する。本には結界の構成方法から維持の仕方についてまで詳細に書かれていた。
魔理沙は時間をかけて魔導書を解読した。難解さに苦しみながらも、分かったときの喜びも得ながら魔理沙は読み進んでいった。ただ思ったよりも進み具合が遅く、だんだんと焦燥感に駆られていく。一日一ページしか進まないときもあった。
小悪魔が言うように、魔法の研究は一筋縄ではいかない。
魔法の研究は、基礎でさえこれほど難解で、本来時間がかかる代物だ。だから研究熱心な者ほど捨虫の魔法を使い、有限に囚われている人間から外れ、永久に生きる魔法使いという種族になろうとするのだろう。
魔理沙は「人を捨てたい欲求」を本当の意味で理解した。
だがその考えを瞬時に捨て去る。――――それではダメだ。絶対にダメなんだ。私は霊夢の隣に立つことが夢なんだ。そのためには、人間のままでないといけない。「魔法使い」としての私を、霊夢は絶対に喜ばない。親友として、人間として横に並んでこそ、互いに笑い合えるのだ――――
魔理沙は何十日もかけてようやく、この七曜の結界を実践できる段階まで理解できた。魔理沙は、さっそく結界を試してみることにする。
正確に七芒星を描き、外周に式を正確に書き、各天体の属性を流し込む。今まで使っていた簡易な結界とは比較にならないほど難しい結界だった。
試しては消し、試しては消し、魔理沙は三日間かけて七曜の結界を完成させることができた。
□
七曜の結界が完成して一息つけるかと思いきや、完成後のほうがとんでもなくストレスがかかった。維持管理面が恐ろしく難しかったのだ。
確かに教本通りにやったおかげで、今までよりも優れた結界を張ることができた。しかし七曜の魔術は日によって星の影響力が変わる。そのため毎日、七曜のバランスを考慮しながら調整しなければならない。調整を間違えると結界としての機能を失う難しい代物が子の結界であった。
これは今の魔理沙にとって致命的な現象だった。
保守管理する頻度が増えたのだ。結構な難物だ、間違ってしまい結界を破ってしまうことも多々あった。どうして私は未熟なんだろう。いつになったら霊夢に追い付けるのか。霊夢に依存する環境もそのままで、魔理沙の自尊心はひどく傷つけられた。
以前よりも追い詰められてしまった魔理沙は、外出する前には必ず結界の点検をするようになってしまった。それも、何度も七芒星の頂点をぐるっと一周する形で。ときに一時間くらいかかってしまうそれは大変な作業であった。
魔理沙の異常な行動は増えていく。
とある日、魔理沙が魔法の森で、魔法に用いる媒体を集めていたときのことだ。使える毒茸を見つけたものの、触るだけでも危ない代物であった。
手袋をしてからしゃがんで手に取り立ちあがる。すると周囲が周り、暗転しはじめる。立ち眩みだ。ふだんのストレスと疲労が祟ったのだ。
何とか魔理沙は転ばずには済んだもののふらついてしまい、手に持っていた毒茸を落としてしまう。そして、魔理沙が普段使っている白いエプロンに毒茸の胞子がベタリと張り付く。
魔理沙はその事実に飛び上がった。皮膚に触れても危ない猛毒だ。エプロンに付着したからよかったものの、この胞子が肌にでも付いたら――――
魔理沙は急いでエプロンを脱いだ。他の場所にも胞子が付いているかもしれない。急いで家に戻り、衣服を脱ぎ捨てシャワーを浴びる。汚いところがないように、念入りに身体の隅々を洗い流す。シャワーを終えた魔理沙は来ていた服を全て洗濯した。胞子を洗い流すために、神経質なまでに丁寧に。
以来、魔理沙は魔法の森で採集した後、必ずシャワーを浴び、衣服の全てを洗濯するようになった。また胞子が付いていないか、自身が汚れていないのか不安だったからだ。
魔理沙は自分自身がばかばかしい行動に気付いていながらも、それが明らかな異常だとは未だ思っていなかった。
□
魔理沙は、夜に行う妖怪の山での飲み会に参加する予定だった。豊穣の祝いが理由だそうだが、みんなバカ騒ぎしたいだけだろう。魔理沙も久しぶりに顔を出そうとしていた。
夕方、妖怪の山に向かおうと家を出る支度をしていた魔理沙は七曜の結界の点検に向かう。できるだけ早めに点検しなければ、飲み会に遅れるかもしれない――――ちゃんと計算されたタイミングであった。
七つの起点のうち、三つ目を確認しているときのことだった。木星の力が強すぎることに気付いた。そのためこの起点の出力を少し下げ、調和を図らなければならなかった。魔理沙は式を修正した。何とかバランスを取ることに成功したと思い、一息ついた。
そのとき、脳裏に不安の影がよぎった。
――――今回は何とかなったが、もし、結界の構築に失敗していたら、私は妖怪に襲われて死ぬんじゃないか?……いや、霊夢の結界があるから大丈夫だ。しかし、霊夢の結界を最近確認していないのではないか?そこも確認する必要がある――――
魔理沙は今度は霊夢の結界の確認をしようと家に戻っていった。霊夢の結界の起点は家の中央部屋にある。張り巡らされている注連縄をくぐり、棚の上に祀られているお札を見やる。じっと眺め霊力がきちんと込められているか探った。特に異常はなかった。綻びや傷がないかも確認する。それらしいものはなかった。
四隅の注連縄も確認して、問題のないことを確認した魔理沙は、自身がどこまで七曜の結界を確認したか分からなくなっていた。一から点検するしかないと考え、また一つ目から確認しだす。
そして三つ目で再度、異常を検知した。魔理沙は一度目の点検でミスをしていた。木星の力を弱め過ぎたのだ。再度、式を修正し始める。
今度こそ式の修正を完了することができた。そして魔理沙はまたも不安に駆られる。同じ恐怖だ。もし結界の構築に失敗していたらどうなっていたか、もう一度霊夢の結界を点検しないと――――魔理沙はまた、家に戻り霊夢の結界を確認しに行った。足取りはふらふらで、疲れ切っていることは明白だった。
同じ作業、同じ手順をぐるぐる、ぐるぐる、ぐるぐる、ぐるぐる……これはいったい何なのだろうか。一体何が魔理沙をここまで追い詰めているのか。魔理沙は何に「強迫」されているのか。
魔理沙は三度目にしてようやく、七曜の結界を確認しきることができた。きちんと整えられた服装は汗でぐちゃぐちゃで、気持ち悪かった。極度の疲労でふらふらで、飛ぶ気力もなかった。すでに夜となり、飲み会に遅れていることも明らかだった。
魔理沙はついに、自身がおかしくなってしまったことを自覚した。