魔理沙の症状は比較的和らぎ、悪化の速度も緩んでいった。永琳の言う通り休養しようと、無茶な研究を一か月は手じまいにした。そのため心身ともに回復傾向にあった。
また抗うつ薬のおかげも大きい。抗うつ薬は不安の強さを和らげる。そのため過剰な問題行動に走るリスクを軽減してくれている。
しかし、強迫性障害を根治するためには服薬だけでは難しい。魔理沙は今、不安を無理やり抑えている状況なのだ。不安の炎が増幅する原因を解消できなければ、再発は容易い。
これは不安の元を断つという意味ではない。魔理沙は「認知」という自身が世界を観測するフィルター、無意識が狂ってしまっているのだ。「認知」を正すには不安とどう戦うか、不安の炎をいかに直視できるか、という方法を知る必要がある。これは服薬では不可能であった。強迫性障害を治す上で、薬はあくまで補助なのだ。
事実、魔理沙の症状が無くなることはなかった。ときどきではあったが、猛烈な不安に襲われるときがあった。そのときは不安に駆られ、結界の確認や過剰な洗浄をしてしまっていた。
魔理沙は、症状が緩和された理由として、薬よりも休養が最も大事だと感じた。
そう思うのも無理はない。薬の影響というのはとにかく分かりにくい。
風邪薬がいい例だろう。飲んでも飲まなくても、ほぼ全ての人は風邪症状が回復する。風邪薬を飲んだ自分と、飲まなかった自分の比較は不可能だからだ。そのため「風邪薬など不要」と断定する人間のなんと多いことか。
副作用をことさら大きく強調するものもいる。これが個人ならまだ救いがあるが現代ではマスメディアでさえ煽り続ける。もちろん過剰に抗生物質を処方することなど、薬漬けがよいとは言わないが、薬は正しく用いればこれ以上ないほど人類の味方であるのだ。付き合い方を学ぶことが、今の人類には必要ではないか。
魔理沙はだんだんと元気になる一方、症状が完治しないことに苛立たしさを感じた。自分では結界の確認や過剰な洗浄が馬鹿馬鹿しいと分かっているだけに、余計にだ。
魔理沙は家で過ごす日々に段々と嫌気が差してきたため、一度幻想郷中を回ることにした。
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魔理沙ははじめに博麗神社へと寄った。自分自身で避けていた場所であるものの、あまり期間を開けすぎると余計来づらくなる。博麗神社に着いた魔理沙は内心、緊張感を持ちながら、神社の中から出てきた霊夢と対面した。
「ホントに久しぶりね。ついに引きこもりになったかと思ったわ」
霊夢は久々の来訪に皮肉を交えつつも、さほど気にしていない様子だった。
この前会ったときは、霊夢のその変わらない様子に魔理沙は苛立っていた。今回はむしろありがたく思った。強迫性障害の症状が改善されており少し余裕ができたこと、霊夢に会うことをわざと避けていたため怒られるのではないかと危惧していたからだ。ほっとした魔理沙は戯言を霊夢とともに並べ立てた。
「ああ。パチュリー菌がうつってな?本の虫になっていたぜ」
「それは重症ね。消毒しとかないと。ちょうど裏に池があるから、飛び込んでもいいわよ」
「いや、祟られそうだから遠慮しとくぜ。もっとも、おまえの発言が一番祟られそうだがな」
博麗神社の奥には池があり、祭神と深いつながりがあるらしいことを知っての発言だった。
「崇め奉る心さえあれば問題ないのよ。私はいつもそう思って祭事に務めているわ」
「さすが、不良巫女サマだぜ」
魔理沙はにやりと笑った。霊夢も笑っていた。
「で、久々なんだしちょっとはゆっくりしていったら?少ないけれど夕食くらいは出せるわよ」
魔理沙にとっては渡りに船であった。
「そういうなら仕方ないな。それじゃあお邪魔するぜ」
素直じゃないんだから、と言われつつも霊夢に案内されて、魔理沙は博麗神社の母屋で他愛無いおしゃべりを楽しんだ。普段何気なく交わすやりとりも、魔理沙はとても面白く感じられた。それに、霊夢も楽しんでいるように見えた。
あっという間に時間が過ぎ、夕食の時間となった。霊夢が炊事場で用意してくれた夕食は、質素ながらもとてもおいしく感じられた。
「ごちそうさまでした」
と魔理沙は手を合わせた。
「お粗末様でした。……あんたってホント、無駄に礼儀正しいわよね」
魔理沙は礼儀作法について幼いころから叩きこまれていたため、習慣になっているだけだった。もっとも、今では何の意味もないものとなっているが。魔理沙ははぐらかすためふざけて返事する。
「ああ。もちろんだぜ。礼儀正しい私は霊夢に洗い物を任せて、それを見張る役目を承るぜ」
何ふざけてるの、と言うかのように魔理沙をじっと見た霊夢は「はいはい」と言いながら魔理沙の前に置かれているお盆を手に取り炊事場に持って行った。魔理沙はお礼を言ってその背を見送った。
満腹感から心地よくなっていた魔理沙は、あることに気付く。永琳からもらった薬を持ってきていない。あの薬がないと、また不安を感じるかもしれない。でも今は調子がよい。霊夢とも楽しく話せている。まあ大丈夫ではないか――――
霊夢が洗い物から戻ってきて、その手には日本酒が入った瓶とそれが入った
「せっかくだし、一杯やりましょ」
その日本酒は、魔理沙が前回持ってきた日本酒だった。
「おいおい。お前、まだその日本酒を飲んでなかったのか」
「当り前じゃない。一緒に飲んだほうが楽しいでしょ?」
霊夢はさも当然かのように魔理沙に堂々と伝えた。魔理沙は気恥かしさから、霊夢を直視できず、斜め下を見ながら頬を掻き
「おう。その通りだな」
と同意しか返せなかった。
縁台で飲みましょ、と言う霊夢の言葉に乗って、魔理沙は霊夢と一緒に縁台に座り込んだ。外はすでに夜で、少しだけ欠けた月が博麗神社をうっすらと照らしていた。秋風の冷たさが、熱くなった自分を涼ませてくれて心地よかった。
魔理沙は自ら徳利を両手で持った。霊夢がお猪口を持ったのを見て、魔理沙は恭しく注いでいく。注ぎ終わると霊夢は一口酒を嗜んで、お盆の上に置いた。今度は霊夢が徳利を持ち、魔理沙に注いでいく。注がれた魔理沙も一口酒を嗜んだ。日本酒特有の甘みに加え、ほどよい酸味がありおいしかった。堪能した魔理沙はお猪口をお盆の上に置いた。
しばらく二人の間を静寂が訪れた。互いに信頼関係のある、なんとなくうれしいような静寂であった。
静寂を破ったのは霊夢からだった。霊夢が再びお猪口に手をかけ、くいっと口に傾けた。その後、疑問を口にした。
「ここ最近、めっきり来なかったけど、何か、悩んでなかった?体調は、大丈夫なの?」
霊夢は魔理沙をじっと見つめた。魔理沙は驚いて霊夢を見張りたくなったものの、我慢した。魔理沙は普段から取り繕うのは得意だった。ひとまず落ち着こうと魔理沙はお猪口を手に持ち、一口飲んでから答えた。
「ああ。ちょっと魔法の研究が行き詰まっててな?根を詰め過ぎたぜ」
探るように見つめる霊夢を見返しながら魔理沙は答えた。自身のことを想ってくれている、曇りなき瞳――――いつまでも見ていたいと魔理沙は思った。
先に目線を切ったのは霊夢だった。
「そう。なら根を詰め過ぎないようにすること。身体を壊しちゃ世話ないわよ」
「ああ。善処す――――ッ!!??」
魔理沙が言い終わる前に、霊夢は魔理沙の肩を引き寄せ、自身に寄りかからせた。そのまま魔理沙の頭を撫でつける。
「あんたがいないと、私もつらいのよ。ちょっとは自分を思いやりなさい」
と霊夢は撫でながら言った。魔理沙は頬が熱くなるのを感じた。このまま、霊夢に寄りかかって安寧を得たい――――
――――いや、それではだめだ。私は、霊夢の横に並ぶことが目標なのだ。霊夢にも寄りかかってもらえるようになりたいのだ。まだ道半ばの私が、今、霊夢に寄りかかるわけにはいかない――――
魔理沙は、寄りかかっていた身体を真っ直ぐにし、霊夢から少しだけ離れた。
「ああ。分かってるよ。できるだけ、気を付けるよ」
霊夢は本当に分かってるのかしら、と言わんばかりにジト目で魔理沙を見つめたが、長くは続かなかった。
「気を付けなさいよ」
霊夢は魔理沙に念押しをして、この話は終わった。あとは他愛もない話を続け、夜が更けていった。楽しい酒盛りであった。日本酒をたらふく飲んだ魔理沙は、博麗神社に泊まらせてもらった。
永琳からもらった薬を飲まなくても、特に異常はなかった。
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博麗神社に立ち寄った後、人里や命蓮寺、香霖堂や紅魔館、白玉楼にも立ち寄った。概ねみんな、魔理沙のことを歓迎してくれた。魔理沙はここまで自分は慕われていたのかと気恥ずかしく思いながらも、とても嬉しかった。
魔理沙は各地を巡った後、充足感を得ていた。永琳からもらった薬も既に飲み切ってしまっていたが、強迫性障害もある程度和らいでいた。休養期間だと決めていた一か月を過ぎたため、魔理沙は研究を再開した。
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ところで、薬には即効性のものと遅効性のものが存在するのはご存知だろうか。即効性は飲んですぐに効く一方、薬効もすぐに切れるものが多い。遅効性は真逆でゆっくり期間を置いて効く一方、薬効はすぐ切れないものが多い。
強迫性障害で使われる一般的な抗うつ薬、SSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害剤)は遅効性の薬物である。服薬を中断しても二週間程度は薬効が持続するのだ。
つまり、魔理沙は薬を止めてから二週間後、地獄を見ることとなる。