魔理沙ちゃんを曇らせたいだけ   作:愉悦部出身

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地獄

 抗うつ薬の服用をやめて二週間が経った。

 

 魔理沙が各地を回った際、パチュリーからお茶会の誘いを受けており、今日はその日だった。朝目覚めてからお茶会の支度をしようと歯を磨き終えたとき、魔理沙は気づく。

 

 昨日は夜遅くまで研究に熱中してしまい、魔法の媒体となる茸や草花を使って調剤していた。その後眠くなってきてしまってそのまま寝てしまい、手を洗い忘れていた。そのとき、手に、菌が付着しているはずだ。今すぐ洗い落とさないと――――

 

 魔理沙はあまりに驚いて「ひゃっ!?」と叫んだ。心臓の音が聞こえるかと思えるくらい、一気に動悸が激しくなる。

 

 魔理沙は洗面台で激しく手を洗った。念入りに、正しく、正確に、完璧に。石鹸を手にとり両手で百回擦る。石鹸を左手の甲に置き百回、右手の甲に置き百回。手を組んで、指の間同士を擦り合わせることを百回。爪の間を一本の指に付き十回擦る。最後に手首をそれぞれ百回擦る。服薬前から決めていた、手洗いのルールだった。

 

 それでも吐き気を催すほどの気持ち悪さが拭えなかった。手から菌が入り、手首、肘、肩へとどんどん菌が昇っていき、最後には脳に到達する。菌に侵された脳は瞬く間にカビが生え――――魔理沙は白いほわほわとした産毛が脳に生える様が見えた。

 

 魔理沙はもう一度、死に物狂いで手を洗いはじめた。傍から見れば滑稽に見えるかもしれないが、当人にとっては必死なのだ。なぜなら、自身が死ぬかもしれないと本気で思っているからだ。

 

 魔理沙は都度三回、手洗いをし終え今度は衣服を全て脱ぎシャワーを浴びはじめた。

 

「くそっ……。くそっ。何でこんなに見落としてたんだ」

 

 苦悶しながら魔理沙はつぶやく。シャワーから出る水が壁や床に当たり、音が出る。まるで魔理沙が苦痛で叫んでいるかのようだった。

 

 魔理沙はこれからどうするか考える。菌が他にも移っているかもしれない。身体中、いや、部屋中掃除しないと――――

 

 計一時間ほどシャワーを浴びていた魔理沙は、着替えようと下着を身にまとうとするものの、細かな汚れやシミを見つけた。他の衣服も同様だった。着まわしているものが多く、魔理沙は全てが穢れているように感じた。

 

 しかし、菌が蔓延している部屋を裸で動き回るのもよくない。魔理沙は、家をひっかきまわし、何とか綺麗そうな衣服を身に着ける。途中、洗って何とか使えそうな衣服は洗濯機に叩き込み、他は全てゴミ箱に突っ込んだ。

 

 家中をひっかきまわしたおかげで、部屋中に物が散乱している。いや、そもそも家自体が汚らしく感じられた。経年劣化により、あちこちにボロが出ているためだ。天井は染みだらけだし、壁も日に焼けて黄ばんでいる。

 

 魔理沙は全てを片付けることを諦めた。そのため、ベッド周りと研究机だけは綺麗にしようと決心する。まずは布団を外に天日干しにしよう――――

 

 魔理沙の不安はもはや取り返しのつかないところまで燃え盛っていた。そしてまた、不安の炎が魔理沙に襲い掛かる。

 

 ――――天日干しにするのはいいが、外は魔法の森、胞子塗れだ。いや、この家には二重に結界が張ってある。それで害ある胞子は全て遮っているはずだ。結界が機能していれば――――今は本当に結界は機能しているのか?まだ七曜の結界の調整は済ませていないのでは――――

 

 疲れて疲れて仕方がないが、確認しないと菌に侵されて死んでしまう。足を引きずってでも外にでないと。外から見るに結界は正常に機能しているように見えるが、いつ破綻するか分からない。やはり点検しないと。手順は覚えてる。火星から各頂点をぐるっと一周、水、木、金、土、日、月だ。ちゃんとやれる。ルール通りやれば安心できる。外は怖いけど仕方ない。結界が破れるほうが余計怖い。一番目の頂点、火星を見てるけど何が正しいんだったか。そもそも何が正しいんだ。いやそうだ全体の式は大体正しくて、ただ火星の力が弱まってるのか強まってるかだけ見ればよくて、そうこれはあってる。何だ楽じゃないか。そうだ。楽楽楽楽。楽な作業のはず。なのになんでこんなに苦しいんだ。何で怖いんだ。私はバカなんじゃないか。いまさら胞子を恐れるなど、一体何年この森にいるんだ。楽な作業だから大丈夫。大丈夫。大丈夫。水、木、金、うん大丈夫、大丈夫だからいける。何も問題はない。このままいける。やれる。……うっ、土星の力がやや強まっている。出力をやや下げなけば。どうやって?どうやって下げるんだったか?そうだ空から受けとる星の力を制御するため、入力部分の門を上手に閉じればいいんだ、でもこの作業が一番難しい。川の流れを狭めて氾濫しないようにコントロールするのが難しいんだ。パチュリーはいつも正確で私には毎回正確には無理だ。私は魔法使いに向いているのかどうかさえ疑問で苦しくて、……できたけど上手くいったのかよく分からない。気持ち悪い。ぞわぞわして苦しい。そもそも何のためにこんなことを、そうだ。菌塗れの布団を天日干しにしようとしたんだった。さっさと干さないと、家に戻って布団を持ってこないと、いやでも外は魔法の森だぞ?そんなところに干したら余計に菌が付着して、私の頭も侵されるんじゃ、いやだから結界の点検をしているんだったか。でもどれくらい点検できたんだ?私はちゃんと確認していたか?手順通りにやれてるか?霊夢の結界のほうは?苦しい。苦しい。苦しい。分からない。死んでしまう。死なないためにはもっかい確認しないと――――

 

 

 

 

 魔理沙は自分が何をしたかさえ、分からなくなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 魔理沙が全てを終えるころには昼過ぎとなっていた。魔理沙は困憊して、今すぐにでもベッドで眠りたかったが、パチュリーとお茶をする約束があった。すでに約束の時間をとうに過ぎているが、行かないよりマシだと家を出た。箒に乗って飛び立つも、その軌跡はふらふらで、今にも堕ちてしまいそうだった。魔理沙は意識を失いそうになりながらも何とか紅魔館につき、寝ている門番を通り過ぎ大図書館にまで辿り着くことができた。

 

「なんでこんなに遅くなったわけ?」

 

 パチュリーは不満げに魔理沙に問いかけた。どうしてこんなことになっているんだろうか。魔理沙にもよく分からなかったから正直に答えた。

 

「いや……私にも、よく分からないんだぜ……」

 

 パチュリーはますます不満げに、眉をひそめた。横で見ていた小悪魔が魔理沙に語り掛ける。

 

「ちょっと……魔理沙さん、顔が真っ青ですよ。体調が優れないのではないですか。いったん席に着きましょう?」

 

 小悪魔はお茶が用意されているテーブルに魔理沙を誘導しようと魔理沙の肩に手を置いた。

 

 魔理沙の脳裏に、また不安の炎が立ち昇る。――――小悪魔は紅魔館という吸血鬼の館に居る妖怪だ。主がテーブルの上にあるティーポットやティーカップに血を入れて飲んでいるのを見たことがある。小悪魔はあのティーポットやティーカップに触れていて、その手に誰か得たいの知れぬ血液が付いているのではいか?そして小悪魔の手についている血が私について、私が汚染されてしまうのではないか――――

 

「触るなっっっ!!!」

 

 と言って魔理沙は小悪魔の手を思いっきり払いのけた。

 

「っ――――!」

 

 と小悪魔は勢いよく払いのけられた手を庇いながら、驚愕したように魔理沙のほうを見やる。

 

「あっ……」

 

 魔理沙は一気に現実に引き戻された。ここまでする気はなかったのだ。

 

「ちょっと!何やってんの!?」

 

 パチュリーが大声を叫びつつテーブルから立ち、魔理沙を睨みながら小悪魔を守るように前に立つ。

 

「今日はもう帰って!なんでそんなにイラついてるのか分からないけど小悪魔に手を出すなんて信じられない!さっさと消え、ごほっ!ごほっ」

 

 大声を出し過ぎたからか、パチュリーは咳き込みはじめた。魔理沙はパチュリーのほうにかけよろうと、一歩前に出ようとするも、足が動かなかった。横にいる小悪魔が

 

「パチュリー様!」

 

 とパチュリーを介抱しだしたのを見て

 

「ごめん……ごめんな……」

 

 とだけ喋り、紅魔館を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 魔理沙はめっきり外に出れなくなってしまった。胞子と菌に塗れたこの世界が怖かったのだ。もっぱら出るのは結界の確認をするときだけ――――それも二回や三回の確認ではなく、下手すれば十回は霊夢の結界と七曜の結界を交互に確認していた。

 

 それでも魔理沙にとっては十分でなかった。霊夢の結界には、予備のお札がない。七曜の結界は、強固ながら不安定である。不完全さが魔理沙の目に余った。

 

 もっと、もっとより結界を強固にすれば、安心できるはず。そのためにはもう自分の力じゃ無理だ。仕方ない。霊夢に頼ろう。

 

 魔理沙は博麗神社へ行くことを決心した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 博麗神社に立ち寄る前も結界確認の「儀式」を済ませてきた魔理沙は絶不調だった。何時間も命がけで不安と戦うことは、想像を絶するほど苦痛なのだ。

 

 霊夢は普段とは違い、ふらふらと蛇行しながら降りてきた魔理沙を見て

 

「ちょっと!あんた大丈夫なの!?」

 

 と心配して声をかける。

 

 魔理沙は今の心中を正直に答えた。

 

「いや……全く、大丈夫じゃないな」

 

「一体何があったの!?顔色が悪いしふらついてるし!」

 

 霊夢は心配してくれているようで、まくし立てて魔理沙に聞いた。

 

 魔理沙は正直に答えた。結界の管理が大変なこと。お札を毎日眺めて傷一つないか確認していること。七曜の結界が破れていないか少なくとも三度は確認していること。怠ったら妖怪が襲ってきて食われてしまうこと。魔法の森の胞子が家を取り囲んでいて、結界が消えると脳を侵し死んでしまうこと。今にもそうなりそうな気がして苦しんでいることを。

 

 霊夢は魔理沙のしどろもどろな説明を、ぎろぎろ見ながら聞いていた。魔理沙が話し終わっても、霊夢はしばらく喋らなかった。

 

 沈黙を破ったのは魔理沙からだった。

 

「だから悪いが、結界の起点となるお札の予備を欲しいんだ。それから窓から入ってくる菌類も対処しておきたいんだ。小さめのお祓い札も頼む」

 

 霊夢は面食らったかのように驚いた表情で魔理沙に言い返す。

 

「はあ?どう考えてもそういう問題じゃないでしょ!?魔理沙、あんたおかしくなってるわよ!何かに憑かれてるんじゃない!?私が見ても分からないなんて、よっぽど強力な悪霊よ。早苗や聖、それから永琳も呼ぶから見てもらったほうがいいわ!」

 

 魔理沙はかっと身体が熱くなった。正直に話したのに、霊夢は自分の苦しみを理解してくれていない。お札がないと自分は今にも死にそうなのに――――

 

 魔理沙は霊夢の胸ぐらを掴み、言い放った。

 

「何言ってんだよ!私の気持ちが分からないのか!死に物狂いでここに来たのに、なんでそんなこと言うのさ!いいから、さっさと用意してくれよ!」

 

 魔理沙には、バチン、という音がまず聞こえた。胸ぐらから手を離し、霊夢から一歩離れる。

 

 頬がじんじんする。霊夢からぶたれたのだと、遅れて気付いた。霊夢は歯ぎしりしながら魔理沙を睨みつけながら魔理沙より大きい声で言い返した。

 

「ちょっとは落ち着きなさい!あんた、おかしいわよ!」

 

 魔理沙は力が抜けて、その場にへたりこんだ。一体自分は何をしていたんだ。霊夢に頼み込もうと思っていただけだのに、胸ぐらを掴んで引っ張って、八つ当たりをする……?そんなの、ただのクズじゃないか。霊夢は魔理沙の真意を問うかのようににらんだままだった。

 

「ごめ、ん……」

 

 霊夢がはっとしたように魔理沙を見る。魔理沙の目は潤んでいた。

 

「ごめんなさい。霊夢。ごめんなさい。ごめんなさい」

 

 魔理沙は手で顔を覆い、謝り続けた。霊夢はすぐさま魔理沙に駆け寄り

 

「やりすぎたわ!ごめんなさい!大丈夫、大丈夫だから」

 

 と言って泣いている魔理沙を抱きしめ、顔を自身の胸に押し付けながらなだめるように背中をさすった。魔理沙はしばらくの間、ずっと謝っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ようやく落ち着いた魔理沙は、霊夢から目的のお札をもらって帰ってきた。霊夢は付いてくると頑なだったが、魔理沙は固辞した。霊夢に迷惑をかけすぎていたからだ。

 

 霊夢は対案として「明日必ず博麗神社に来ること」を条件に魔理沙を解放した。苦虫を噛み潰したかのような顔をして、霊夢は魔理沙を見送っていた。

 

 魔理沙は霊夢からもらったお札を窓に隙間なく並べ、くたくたの身体をベットに張り付けるかのようにして意識を失った。

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