灰をあつめて天に撒き 風吹いて また魂燃ゆる 作:kuona
亥の刻。
旅人たち一行は緑生い茂る無妄の丘までたどり着いていた。
「ふぃ〜、やっと着いたぜ!この洞窟を抜ければ純水精霊のいるところだよな」
「ああ、もうすぐだ」
「ちょっぴりわくわくするでございまするっ」
「灰理、暗いから足元に気をつけてね」
ゴツゴツした岩の空洞を歩く。そしてその先に見えた石造りの階段を彼らは登っていく。
すると、一気に視界が開けた。
滝の流れ落ちる高い岩肌に囲われた泉と、その泉の中央に浮かぶように座する石盤のフィールドが一行の前に姿を現した。
ようやく彼らは、精霊の支配する水の棲に到着したのである。
夜半前なこともあって薄暗く、常に出ている霧のせいで視界はあまり良いとは言えないが。
「なあ鍾離、透水木はどこにあるんだ?」
「透水木はその名の通り透明な木だ。長い年月の間清められた水に浸ることでその根から枝の先に至るまでが透化し、幹から切り離されれば通常の木と同じように姿を現す」
「透明な木か、はやく見てみたいな!」
「水に浸るってことは…」
「?」
「?」
「気づいたか旅人…つまり、透水木があるのは石盤の下、──この泉の底だ」
「え…ええー!?」
パイモンが叫ぶ。
旅人と灰理も驚いたように少し目を見開いていた。
なぜって、
「この広くて深い泉を四人で潜って、目に見えない透明な木を探せっていうのか!? オイラ水の中は飛べないぞ!」
「パイモン…素材集めはいつも時間と手間がかかるものでしょ? 空飛ぶ非常食の手だって借りたいくらいだからちゃんと手伝ってね」
「おいっ、遠回しにオイラが役立たずだって言ってないか!?」
素材集めの苦悩を前にパイモンと旅人は小競り合いを始めた。じゃれ合いともいう。
一方、灰理は鍾離に近寄って大きな瞳で見上げながら話しかけた。
「透水木はどうやって見つければよいのでございまするか?」
「ふむ。透水木は透明とはいえ、全く見えないわけではない。水中では確かによくよく目を凝らさねば何も見えないが、周辺の水が無くなった時には比較的見つけやすくなる。その状態であれば、透明なガラスの木のように見えるだろう」
「なるほどでございまする。泉に入ると精霊殿は怒るでしょうか」
「恐らく。どうやらここを訪れた者は皆侵入者として問答無用で攻撃をしているようだからな」
「むむ…では攻撃とはどのようなものでございまするか?」
鍾離が純水精霊の攻撃手段は幻形生物の召喚と足場の沈降、渦による爆発であることを教える。
すると灰理は「むぅ」と小さく唸って黙ったあと、パッと顔を上げた。その後ろでチラチラと火の粉が舞う。
「では、わっちと流刃若火が精霊の怒りを鎮めて参りまするっ」
鍾離殿は飛び火せぬよう、こちらの守りをお願い致しまする!
そう言って、小さな姿は一瞬にして掻き消えた。
「だいたい旅人はいつもいつも──って灰理はどこに行ったんだ?」
「あれ…?」
「心配するなふたりとも、灰理殿はあそこだ」
鍾離の指さす方を二人が振り向くと、水に浸かるフィールドの上に佇む小さな姿を見つけた。
「おい、ひとりで行かせちゃったのか!? は、早く追いかけないとっ」
「いや、灰理殿は自分と流刃若火が行くから俺たちにはここに居るようにと言われた。俺にいろいろと問い質していたから、彼女なりに何か考えがあるのだろう」
「え。で、でも…っ」
「それに、これは灰理殿の大事な〝おつかい〟なのだろう?」
鍾離が旅人とパイモンを見る。
その琥珀の瞳に、金色の光が滲んだ。
「心配なのは分かるが、彼女の意思を尊重し、時にはその行動を見守るのも大切なことだ」
可愛い子には旅をさせよ。
璃月に神はもう必要ないと凡人らに試練を与え遂には時代を明け渡したかつての岩神は、二人にそう言いたいのだろう。
旅人とパイモンが何も言えずにいると、バシャンッと大きな水音が響き渡った。
〈──故郷からの刺客か、それとも軽策の水を侵す者か…〉
水の大精霊、ローデシア。
彼女はいつ見ても怒りと嘆きに満ちていて、その器から溢れ出た感情を大波に変えて訪れる者を外界へ推し流そうとする。
そしてその怒りは今、小さな少女に向けられていた。
ローデシアは水中から飛び出すと、灰理を押し潰さんばかりの圧で見下ろし激しく睨みつけた。
〈喰らいなさい!〉
ローデシアは灰理に向けてその大きな尾を叩きつける。
灰理は大きく飛び退いてそれを避けると、鞘から刀を抜き放った。
今日これまで一度も抜かれなかった刃は彼女の身長よりも大きい。それを小さな両手で握り、ふらつくこともなく真っ直ぐに立って構えてみせた。
〈水の中で苦しむがいい〉
ローデシアが複数の大きな渦を水面に作り出し…それを避けようとした灰理に水弾を放つ。
が、少女はそれらを見事すべて瞬きの間に真っ二つに叩き切ってみせた。
しかし水を切られた精霊の怒りようは、更に苛烈さを増すこととなる。
〈──お前は逃がさないッ!〉
怒れる大精霊は次こそ少女に攻撃を当てようと、逃げ道を潰すように空中に、盤上に、数多の幻形生物を召喚した。
さらにローデシアは宙高く舞い上がり足元に大渦を発生させ、その穴から水球を形成していく。その大きさは見たことがないほど巨大なものになりつつある。
ゴウゴウ、ビュウビュウと水が空間を切り裂く轟音が響き渡る。それはフィールド外にいる旅人たちの元にまで響いていた。
「おいマズイぞ!」
「灰理…!」
飛び出そうとした旅人とパイモンだったが、それは鍾離の腕に遮られた。
「鍾離、なんで止めるんだよっ!」
「ふたりとも、これ以上前に出るな」
「先生…?」
鍾離はそう言って、手のひらに元素力を溜めるとそれを前方に解き放つ。すると、洞窟と泉の境界に黄金の結界が張られた。
「これより前に出れば、」
鍾離は旅人とパイモンへ振り返って続けた。
「呑み込まれるぞ」
「……」
一方。
渦中の少女は、静かに瞳を閉じた。
荒れ狂う水の咆哮も。
自身を取り巻く獣たちの気配も。
己を案じる者たちの視線も。
今この瞬間、彼女は全てを遮断した。
『……』
何故なら向き合うべきは、己の内にこそ在る。
瞳を閉じて、内なる炎に手を伸ばす。
そうして…
「『──』」
遂に、重なる。
「万象一切灰燼と為せ──…」
自らの身体よりも大きな水球を掲げて、ローデシアが宙高く舞い上がった。
水獣たちが少女ににじり寄る。
その中心で彼女は静かに目を開けた。
〈逃げ場はない…〉
〈──沈め!〉
上空から水の砲撃が放たれる。
それを合図に獣の群れが一斉に飛びかかった。
その瞬間、ついにその鯉口が切られた。
「──流刃若火!」
右足を強く踏み込む。
下から上へと空間を切り上げる、刹那。切っ先から炎が噴出する。
しかしそれを認識する頃には、すべてが爆発的な炎の渦に呑み込まれた。
「!?」
「うわあっ!?」
一瞬で眼前に迫った業火に旅人が身構えパイモンが驚いて叫ぶも、鍾離が張ってくれたシールドのおかげで火の手は洞窟の入口で止まる。
しかしそれでも完全に熱さを殺しきれないのか、それとも単に冷や汗か。旅人の頬を汗が滑り落ちた。
「沈んだ…」
火の海に。
この中で純水精霊は大丈夫なのだろうか。
よもや消滅してしまったのでは…。
というかこの技を放った本人も無事であるだろうか。
旅人は未だ治まらない炎の壁を前にそんなことを考えた。
この中に入る? 無理無理、今の自分は岩元素だ。
元素シールド? 無駄無駄、すぐ割れちゃうよ…。
「………」
旅人がちらりと隣を伺えば。
鍾離はじっと炎の向こうを見ているようであった。
精霊のことか、灰理のことか…はたまた全く別のことを思案しているのか旅人にはわからない。ただふと、先生はこの炎を懐かしんでいるような気がした。
本当に、何となくだけども。
そんなことを考えているうちに、フワリと目の前から業火が消える。
あんなにも轟々と燃え盛っていたにも関わらず、一瞬で掻き消えたのである。
そうして開けた視界には、一人フィールドに佇む幼い少女。
どうやら火傷はなさそうである。が、小さな身体の至る所からはまだチリチリと火が出ている。
しかしチャキ、と彼女が刀を鞘に収めるとその炎も消えていった。
もう近づいても大丈夫だろう。
「灰理〜!ってなんだこりゃ!?」
「泉が…」
旅人とパイモンは飛び出そうとしたがしかし、思わず足を止める。
何故なら、泉の水がほとんど消滅してしまっていたからである。
それに加えいつもより視界がずっと良好になっているのに気づく。年中立ち込めているはずの霧が消えているのだ。
思い当たる原因はひとつ。恐ろしいことに、先程の灼熱で蒸発してしまったのであろう。
「お三方ー!」
泉の惨状に驚愕していると、遠くから呼びかける灰理の声が聞こえてそちらを向く。
と、彼女はこちらに向けてめいっぱい手を振っていた。
髪紐は燃えてしまったのか、三つ編みがほどけ波のようにゆるくウェーブのかかった銀灰色の髪が肩口でふわふわと揺れている。
「水のなくなっている今が好機にございまする〜!また水が溜まってしまう前に透水木を見つけるでございまするよー!」
その言葉を聞いて旅人もパイモンもハッとした。
そうだ、自分たちは透水木を取りに来たんじゃないか、と。
確かに水のない今なら透明な木を素潜りで探すなどという所業をせずにすむ絶好のチャンスだ。
見れば無数にある滝はどうやら幸か不幸かまだ健在で、こうしている今も絶えず水が落ち続けている。
あのままではそう時間もかからずに泉に水が溜まり、また透水木は水没してしまうだろう…
「い、いそげ────!!」
旅人とパイモンは一も二もなくカラカラになった泉の底へと飛び降りた。
そうして灰理も合流して、「あったか」「いやない」「どこにある」ときゃあきゃあ騒ぎながら溜まり始めた水をバシャバシャ蹴って探し始めたのである。
「ハハハッ」
鍾離はその忙しない様子を見て声を上げて笑った。
未だに洞窟の出口にいる彼は完全に出遅れていた。歳をとったせいか一歩引いたところから状況を見るのが癖になっているためである。
そうして、あそこまで焦る必要もないのだがな、と思いつつのんびり降りていけば。
当然のごとく若者たちから「遅い!」とお叱りを受けた鍾離なのであった。