転生家庭教師のやり直し授業◆目指せ!教え子断罪回避◆ 作:タナゴコロ
二週間前に我が家の優秀な弟分が嗅ぎつけてくれた情報は、もう元のゲームシナリオとは無縁となった今、私が挑むには手に余りすぎる案件だった。
ガンガルが嗅ぎつけた臭いは恐らく非合法の麻薬。ランベルク公爵は何らかの形でその臭いを纏うような繋がりを持っていると思う。それもガンガル達の同族を利用した非人道的な行為で。
ガンガルから聞き出せるだけ聞き出した情報を精査して伝えると、父は『成程、大きなおねだりだ。そうだなぁ、本業の片手間で良ければどうにかしよう。場合によってはホーエンベルク殿にも手伝ってもらおう』と言った。
領地経営を任されていたとはいえ、私ができることは自領の内政だけ。貴族間の腹の探り合いは、ずっと城で働いている父の本分。独りよがりの正義感だけで手を出せば大火傷では済まされない。
父と話した翌日ホーエンベルク様にもガンガルの話を伝えたところ、非常に良い笑みで『こんなに身近に公を追い詰められる情報があるとはありがたい。是非その時がくれば協力させてもらおう』と、心強い返事を頂いた。
勿論彼の甥である王子二人にはそんなことは教えられないけれど、彼等は聡明だ。必要がなければたとえ伯父であろうとも、ランベルク公爵に自ら近付くような真似はしないだろう。
いつもは教えを説く方だけど、自身の力量を見極めて最適解を求めるなら、専門畑に丸投げだってする。力量を過信して固執するのは愚かなこと。自分にできることを日々消化することが大切なのだ。
何にせよ、これで一つ公爵に対して大きな手札を手に入れたことは間違いない。問題はあの嫌みなミドルが、この手札を切らせてくれるようなポカをするかどうかだけれど。それはそのときがこないと分からないので保留だ。
――……ということで。
非番の日に訪ねたコーゼル家の温室。その一角に設けられた勉強の場を利用して行われる授業は、以前までとは逆転している。
「それでは今日の授業はここまでに致しますわ、先生。次回も課題を作ってお持ちしますから、しっかり復習なさって下さいませ」
頬をほんのりと上気させたアウローラは、可愛らしくそう言ってノートを閉じた。私の手許には今日の授業で彼女が出してくれた問題と、前回もらった課題の採点を終えた教材がある。
「はい。アウローラ様、ありがとうございます。本日も大変ためになる授業内容でしたわ」
「ほ、本当ですか?」
「ええ。参考に貸して下さったノートも、とてもしっかり要点をまとめられていて、アウローラ様が王城でどれだけ真剣に授業を受けられているか分かります」
これは何もお世辞ではなく、秘密主義の王族のマナーや、公のパーティーなどで社交を任される王族の女性らしく、周辺国との外交問題なども教わっている教え子の授業は新鮮で面白い。それに人に教えることによって、自らの予習復習になるのは有名な話だ。
こちらの言葉に嬉しそうに微笑む教え子を見ていたら、最近マキシム様に追い付かれそうになっているメンコの腕前の焦りも薄れる。
あちらもこの子くらい勉強に熱心になってくれればいいものを……とは、思うまい。座っていられる時間が長くなっているだけでもかなりな成長なのだから。
――と、ふと一瞬遠くに思いを馳せていた私の横顔を、教え子がジッと見つめていることに気付く。話を聞こうと視線をそちらに向ければ、教え子はいそいそと椅子に座り直した。
「あの、先生、そろそろ隣国からミステル座の皆様がお戻りになられると耳にしましたが、本当でしょうか?」
先ほどまでの淑女らしさをどこかに追いやり、やや前のめりに訊ねられた内容にそのことかと苦笑する。何というか……順調に脳の一部がオタクな方向に占拠されていっているな。
「はい、本当ですわ。良くご存じですね」
「わぁ、やっぱり! 遊戯盤投資の会員特典情報なのですけど、先生の口から教えてもらわないと信じられなくて!」
「ふふ、ヴァルトブルク様に頂いた帰国の報せを綴った手紙の消印からだと、あと二日ほどで帰国すると思います。あちらでとても刺激を受けたそうで、帰国後はすぐに一作新しい公演をされるそうです」
「五国戦記の三期ですか!?」
「い……いえ、あの、五国戦記の三期はもう少しかかるかと。妹にも領地での仕事がありますので。申し訳ありません」
「そう、ですか……そうですよね……」
直前までの勢いが嘘のようにガッカリする教え子の姿に、本来感じないでいいはずの罪悪感が芽生える。もう漫画だと効果音で【シューン】とか入りそうだ。この子の中でどれだけの大きさを占めてしまっているのだろうか、あの物語は。
「え、ええと、ですがヴァルトブルク様の単発新作も面白いと約束しますわ。次の物語の主役は義賊だそうです。向こうの劇団で剣舞の稽古もしたようですよ?」
「剣舞!」
「そう、剣舞です。きっと素晴らしい公演になりますわ」
思わず公演前の題材を若干ネタバレしてしまったが、許して欲しい義弟よ。第二王子の婚約者からこのネタバレを聞ける人種などほぼ皆無だから。
「わたくし、剣舞のある劇はまだ観たことがないのです」
そう言ってほわりとはにかむ教え子の表情にホッとしつつ、今度は別の心配ごとが頭をもたげる。それというのも、義弟の手紙が届くのとほぼ同時にミステル座のライバルであるあの劇団が、私を題材にしたとしか思えないあの劇の第二部公演予定を発表したからだ。
まだ内容は伏せられているものの、恐らく今回も何かしらこちらの心境を波立たせることだろう。それを考えると気が重い。けれど――。
「楽しみですね、先生。今度は絶対にご一緒しましょうね」
本当に嬉しそうに笑う教え子を前にしてしまえば、笑って「勿論ですわ」と頷いてしまうのだ。
***
落ち着かないほど豪奢な椅子に腰かけ見下ろす先。
パラパラとキャンディーの包みをほどいたような服に身を包んだご婦人達や、黒は黒でも独特なぬめりのある光沢のものから光を吸収してしまう硬質なものまで、様々な黒に身を包んだ殿方達の姿がある。
端から端まで扇状になっている広い劇場は、観客動員数から内装に至るまで裏通りの小劇場とは比べものにならない。今夜ここで舞踏会が行われると言われても、きっと信じてしまうことだろう。
しかし今日ここにいる理由は当然観劇のためだ。演目はライバル劇団の前回公演の続編。流石は国内一と名高い大手劇団。収容人数が凄い。これでは始まる前から気が滅入る。
――だが、それはあくまで一人で何の情報もないままに鑑賞する場合のこと。
一昨日隣国から帰ったヴァルトブルク様が持ち帰ってくれた、耳寄りな情報を仲間達と確認するためであれば何ら恐るるに足らず……は、言い過ぎか。
何にしても観劇中にお喋りをしても他の観客の邪魔にならないよう、遊戯盤の売り上げで二階のお高いボックス席の半券を購入したのだ。授業料としてはかなりな出費になってしまったものの致し方ない。
「早く座って座って、もう始まるから。あ、でもそっか。席順どうするー?」
「公演中の会話のしやすさを考えるなら、ヴァルトブルク様、わたし、ベルタ様、フェルディナンド様、ホーエンベルク様の順が妥当だと思いますわ~」
ライバル劇団の舞台を観に来るのは、控えめに言っても地獄。それにもかかわらず、半券をもぎった団員達にこちらの正体がバレても物怖じしない頼れる友人二人は、ここでもさっさと席順を決めてくれた。
生徒の希望校見学についていくのが苦手だったから、前世で塾講師や家庭教師をやっていた頃に、この二人の引率上手さと度胸を習得したかったな。
特に塾だとあの仕事は交通費は出るけど特別手当ては出ないし、誰も受かるか分からない学校の見学を教え子と行きたがる同僚がいなかったので、毎回くじ引き合戦をしていた。
私は普通に親戚枠みたいな気分で行ったけど……教え子と一緒にドキドキしただけだったっけ。頼りなかったな、当時の私。
「手際よく決めて下さってありがとうございます。私はその順番で構いません。あとのお二人はどうでしょうか?」
「え、あ、はい、だ、大丈夫です……義姉さん」
こちらの問いに俯いてモジモジとそう答えるヴァルトブルク様。席順を決めるだけだというのに、いきなり可愛いな義弟よ。長期公演にアンナを連れて行かなかった寂しさが顔を出したのか?
家にも弟分がいるけれど、タイプが違うとまた別の可愛さがある。思わずこっちまで照れながら「そ、そう。良かったわ、ヨーゼフ」と答えた。
「はは、二人揃って初々しいなー。ヴィーはどう? その並びで良い?」
「ああ、俺もその席順で構わない」
「それでは決まりですわね~。ほらほら、そろそろ明かりが落ちますわ~」
そんな感じでパタパタと席順通りに並び直した私達が席についた直後、公演開始を報せる鐘が劇場内に鳴り響き、壁に設置されたランプの明かりが落とされ、周囲は闇に包まれた。
サワサワと聞こえる階下の観客達の声は、ゆっくりと開いた緞帳の内側にある舞台へとパッと明かりが投げかけられた瞬間、聞こえなくなる。王都一の舞台の始まりは、想像していたよりもずっと静かだった。
舞台の真ん中には書き物机と、地味な服装の女性。けれどその女性は地味な服装など霞むほどに美しい。
むしろわざとそんな格好をして人を欺こうとする狡猾な人物なのだろうと、観るものに感じさせる。女優は前作と同じ人が続演するようだ。彼女は書き物机の上から二通の手紙を手に取ると、それを掲げた。
「“ふふ、ふふふ……あはははは!! ああ、愚かで可愛い男達だこと。どちらも少しずつ褒めてあげただけで、こうも簡単に私にお熱になるだなんて”」
自分をモデルにしていると思われる登場人物にこういう台詞を言われると、無性に恥ずかしくなるのは何でなのか。居たたまれない感満載の始まり方に早速頭痛がしてきた。
けれど両側から生暖かい視線を向けられるのを肌に感じながらも、悔しいことに脚本の面白さに意識は舞台へと没頭していって……いつしか私も息を潜め、ただの観客の一人になる。
――――……そして二時間半後。
劇場内は観客からの拍手と喝采で覆われた。私も席についたまま魔法にかけられたように拍手をし、舞台の上で横一列に並んだ団員達が笑みを浮かべ、一斉に例をしてカーテンコールに応えていた。
しかし両側から拍手をする手を同時に片方ずつ握られ、はたと正気に戻った私の耳に、薄暗がりの中から「ね、義姉さん、舞台の上、い、一番舞台脇に近い、あの人です」と、やや興奮した様子の義弟の声が届く。
彼の声を聞いて舞台の端に視線をやれば、そこにはほとんど腰を曲げず、観客達に愛想を振り撒く素振りを見せない青年が一人、無感動そうに立っていた。この距離と舞台照明の問題から確信は持てない。
持てないけれど……その青年の佇まいはどこか、あのミドルの姿に似ていた。