転生家庭教師のやり直し授業◆目指せ!教え子断罪回避◆ 作:タナゴコロ
会場入りをする前の約束通り手を振るため、俺とアグネス嬢はすぐに別の入口から通された出席者達の並ぶ舞台の近くに陣取った。
最初ベルタ嬢とエリオットは最上段に座るマキシム様を仰ぎ見て手を振ったり、他の出席者達と会釈を交わしたり、アンナ嬢達と会話を交わしたりしていたが、やがてこちらの存在に気付いて手を振ってくれる。
アグネス嬢の周囲を警戒しつつ二人で手を振り返した直後、今夜の主役達を讃えるために用意された舞台以外の会場の灯りが落とされ、陛下が式典開催の文言を常と同じく熱のない声で告げた。
年末に執り行われる行事の中でも今夜の式典は、ジスクタシアとリスデンブルクの両国間の友好関係を深めるものでもある。従って後日に控えている王家主催の大舞踏会とはまた違った緊張感があった。
厳かな空気の中で一人また一人と名を呼ばれ、一年間の文化的功績を読み上げられて両国の関係者達の前でカーテシーや礼をとる。そして最上段までの階段を上り、再び礼をとった彼や彼女等は竪琴を模したトロフィーと、陛下方の口から直接お褒めの言葉をかけて頂く栄誉を賜るのだ。
「……皆様、自信に満ちておられて美しいですわね~」
ふと少しだけ離れて前に立つアグネス嬢が、思わずといった風にそう口走った。俺に向けられているのか判断に迷う声音だ。彼女の声に一瞬壇上からそらしていた視線を再び壇上に戻せば、隣国の児童文学者がこちらに向かって深く一礼しているところだった。
彼だけでなく、確かに壇上に立つ出席者達からは内包する自信と喜びが溢れだして見える。
うっとりと壇上を見上げる彼女の肩に少しだけ力がこもったように見え、立ち位置をずらしてその手許をちらりと覗けば、マリアンナ嬢がお守り代わりにと持ってきた五国戦記の原本に微かな皺が寄っていた。
もう一度壇上で光を浴びる出席者達に視線を向ける。功績は充分に足りていた。本来ならアグネス嬢の姿もあちら側にあるべきはずだ。それに考えすぎかもしれないが……今回の彼女の件は何かおかしい。
「――アグネス嬢、もっと前に出て見てきてはどうだ?」
「え? ここからでも充分にベルタ様の姿は見えますけれど……。それにあまりわたしが離れすぎるとホーエンベルク様のお仕事に支障が出ますわ~」
「ああ、警備のことならさっきからしている。危険な気配は周囲にない。だから壇上の出席者達にそれが良く見えるように、もっと前に行ってくれて構わない。選出者の職務怠慢を出席者達にも知ってもらわねば」
彼女の視線は壇上から動いていなかったにもかかわらず、警備の仕事について心配されたことにも驚いた。実際には斜め右背後からおそらく同一人物からの視線を感じてはいるが、観察しているといった風で接近してくる気配は未だない。
こちらの申し出に見上げてくる彼女の細い目が少しだけ開いて、目蓋の下から現れた水色の瞳が暗がりに揺れたが、すぐに「ふふ、そういうことでしたら是非」と。元々微笑んでいるように見える表情をしっかりそれと分かるように笑った。
薄暗がりの会場内を二人でゆっくり舞台に近付くと、背中に感じる視線の持ち主もついてくる気配がする。人の目が多い場所までついて来るからには、身体的に危害を加えるつもりはないのだろう。
ただまだ心理的な危害を加える可能性もある。アグネス嬢と背後の人物の間に収まり距離をはかるが、やはり一定の距離以上は近付いてこない。それに狙いが分からない相手を背後に立たせたままというのは、やはり気になった。
ふと思いたって立ち止まってみる。アグネス嬢はこちらが立ち止まったことに気付かずに、そのまま吸い寄せられるように舞台の方へと引き寄せられていく。背後の気配が少し揺れた。
どちらに焦点を絞るのかはまだ決めていなかったのか――?
しかしそれならそれで好都合かもしれない。一か八か背後を振り返る。
するとこちらが振り返るとは思っていなかったのか、こちらの背を追っていた相手は視線を逸らし損ねて目があった。その視線が逸らされる前に相手の目に視線を合わせて口を開く。
「驚いたな……今年は選出者の漏れが多い年のようだ」
突然振り返って投げかけたこちらの問いかけに、相手は微かに考え込む素振りを見せたものの「……妥当だと思いますよ」と答えた。自身に向けられた言葉ではないと素知らぬふりもできただろうに、相手はそうしなかった。
薄暗がりの中に浮かび上がる銀色の柊を模したコサージュ。今夜の式典関係者である証を胸に飾ったその顔は、初めて遠目に見たあの日と同じく、やはりどことなくランベルク公を彷彿とさせる。
薄暗がりで歳が分かりにくいものの、そこまで歳が違うようにも見えないことから、ほぼ同年代だろう。外観から読み取れる情報は残念ながらそれだけだ。
ただどこまでも似ていないのはその瞳か。こちらを探るように見つめるアイスブルーの瞳には、覇気どころか生気すら感じられない。ガラス玉のような瞳だ。一瞬だけ背後のアグネス嬢を視線で追った以外に動きらしい動きもない。
「俺はそうは思えないが」
「……何故?」
「俺の友人もそうだが、君もあちら側に立っていない」
先手を取るのが得意な性分というわけではないが、せっかくだ。少し牽制する程度のことはしておいて損はない。こちら言葉に一度瞬きをした彼は、気怠そうに溜息をついて口を開いた。
「失礼。以前どこかでお会いしましたか?」
「ああ。舞台を観に行った」
「そうでしたか……それはありがとうございます」
薄い唇が少しもそう思っていない言葉を紡ぐ様は、ランベルク公の若い時分を想像させた。再びついと動いた彼の視線が壇上を彷徨う。その場から動く素振りも見られないので、こちらも視線を壇上に向けた。
そこには名を呼ばれ、はにかみながらホールに向かって一礼する年若い戯曲家の姿。隣国から呼ばれた劇団のうちの一つが、嬉しそうに彼へと拍手を贈っている。少年の歳をいくつかすぎた戯曲家は、仲間の拍手に背を押されるように階段を上がっていく。
「……君の知り合いか?」
「いいえ。まったく知らない方です。そもそもこの国にボクの知り合いなど一人もおりません」
「一人も」
「ええ、一人も」
感情のない瞳にそれが嘘だと
「だが君は彼や彼女等と舞台に立っていた」
「色々な劇団を渡っているだけですから、どこに所属しているというわけでもないのですよ。それに舞台の端に立っていた程度のボクが、あの場所に呼ばれるはずがない」
視線を壇上からこちらに戻した彼は、そう言ってまた気怠げに溜息をついた。苛立ちや焦燥、敵意や殺意のようなものは感じられない。単にそのままを言葉にしているといった様子だ。
「それは乞われて雇われたとしてもか?」
「“乞われて”」
初めて見せた感情の揺らぎはまさかのオウム返し。けれどその瞳に宿ったのは侮蔑と呼ぶのに相応しい色だ。少なくとも雇い主と彼の仲が良好ではないことが窺い知れる。情報量としては乏しいものの、いまは“親しくはない”ということが分かればそれでいい。
「ああそうだ。端役として出ていなかったのにあの場に立っていたのなら、才能は本物だということだろう」
「面白い発想ですが、流れの雇われなど所詮裏方のようなものですよ。もういいでしょうか? 雇われの身とはいえ、現在世話になっている劇団の団員達が名を呼ばれるところを見届けたいので」
「そうか、引き留めてしまってすまない。お互い今夜を楽しもう」
「はい……それでは」
「またそちらの舞台を観に行かせて頂こう」
再び感情のない声でそう言った彼はアグネス嬢のいる舞台の方へは向かおうとせず、人がまばらなホール中央へと歩いていく。その後ろ姿を見送る背後で、またも大きな拍手が沸き上がる。
振り返ればそこにはあのライバル劇団の役者と舞台演出家、それに正規の看板脚本家が笑顔で一礼とカーテシーをとる姿が見えた。光が落ちる舞台から離れた暗がりの彼がどんな表情をしているのか、この位置からでは窺い知れない。
そろそろエリオット達の名が呼ばれる頃だろう。アグネス嬢の背に近付いて手許をちらりと覗いてみたが、お守り代わりの原本に、もう皺は寄っていなかった。