転生家庭教師のやり直し授業◆目指せ!教え子断罪回避◆ 作:タナゴコロ
「お嬢! お嬢!! 大変!!!」
あまりに切羽詰まった声に玄関ホールから外に出れば、手にイチゴジャムが入った瓶を握りしめたガンガルが、血相を変えて駆け戻ってくるところだった。その顔に浮かぶのはどう見ても喜びの感情ではない。
後ろから怪訝な顔をしたフェルディナンド様も走ってくるし、教え子はガンガルの変貌ぶりに怯えて私の背後に隠れてしまった。家令とメイド長も何事かと騒がしさに眉を顰める。
「どうしたのガンガル? そんなに慌てて」
「教会、行く!! いますぐ!!!」
「いまからって……待って頂戴。それに説明してくれないと何が何だか――、」
「エルから、あの臭いした! 倉庫違う、教会に何かある!!」
その言葉でスゥッと血の気が引く。次いで家令とフェルディナンド様の表情が固くなり、こちらの事情をまだ知らない教え子も、周囲の大人達の反応にただならない雰囲気を感じ取ったのか、背後から「先生……」と不安そうに見上げてくる。
『“ベルタ、緊急事態に淑女のまだるっこしい言葉は必要ない。分かるね?”』
瞬間脳裏に甦ったのは、幼い頃の父の教え。
「分かったガンガル。行こう。皆はお父様がお戻りになられた際に説明を頼む。私達は先に教会に向かうが、捕り物になる場合も考えられる。すぐに屋敷で腕に覚えのある者を数人向かわせろ。急いで馬を回せ!」
もう随分長らく口にしなかった父の教えに従って身につけた男言葉は、瞬時に使用人達を動かした。振り返ってしがみつく小さな教え子の手をひき剥がし、頭を撫でてからフェルディナンド様に目配せを送ると、彼も無言で頷いてくれる。
ブーツを履き直した直後に馬の用意ができたという声を聞いてホールから飛び出し、先に馬に上がってガンガルの手を掴んで引き上げたのち、春の夕闇に馬首を巡らせ腹を蹴った。
***
「新しく変わったことですか? そうですねぇ、そういえば孤児院に半月ほど前に新しい子が入ってきましたよ。ベルタ様は戻られてからお忙しくなさっていたので、まだご紹介していませんでしたね」
慰問に訪ねて来るには遅い時間だというのに、嫌な顔一つせず教会の裏にある孤児院の中へと招き入れてくれるのは、この教会で一番年配のシスターだ。神父を呼びに執務室に行ってくれた年長の子供達とは別に、現在ここで面倒を見ている七人の子供達が顔を覗かせたのだけれど――。
「ああ、ちょうど良いところに。あの子が新しく入ったユニです。少々言葉が遅れているようですが、土弄りが好きなのか、いつも色んなところを――、」
私の視線に気付いたシスターの言葉が終わるよりも早く、隣をすり抜けた影がユニと呼ばれていた少年に向かって動いた。けれどそれを察知したのか、一瞬遅れで身を翻した少年が裏口の方向へ走り出す。
何が起こったのか分からない様子のシスターと子供達の横をすり抜け、私も二人の後を追った。逃げようと裏口から夜の始まりに紛れかけた少年の小さな身体は、見えなくなるよりも早くガンガルによってあっさりと地面に転がされる。
「ガンガル!?」
興奮しているのか、彼の口からは攻撃的な響きを持った母国語が飛び出し、地面に押さえつけられた少年も負けじと同じ響きの言葉で言い返していた。直後、そのまま無理矢理引き立たせた少年の首に、ガンガルが手をかけて持ち上げる。
「止めなさいガンガル!! そんなことしたら死んでしまう!!」
頭に血が上って声をかけても聞こえないのか、足が地面から離れてもがく少年の抵抗などものともせずに締め落とそうとする姿。彼の元の生活を忘れかけていた自分の暢気さに思わず舌打ちを漏らし、駆け寄る勢いをそのまま体当たりの力に利用した。
ぶつかった身体が揺らぐ気配はなかったが、衝撃で振り向いたガンガルの瞳が私を映してやや正気を取り戻す。その手から力が抜けると同時に地面から離れていた少年の身体が落ちた。
身体を丸めて激しく咳き込む少年を一瞥してすぐに逃げ出せそうにないと判断し、先にガンガルの身体を反転させ、正面から抱きしめ頭を撫でて落ち着かせる。
少し震えているガンガルが「色、違うけど、こいつもリベルカ人。同じ檻にいた臭いがする。ごめん、お嬢、ごめん」と詫びた。暗くて分かりづらいが、恐らく少年はリベルカ人と他民族の混血なのだろう。
――しかし、やられた。半月も前から領内に潜り込まれていたなんて。
細々と紛れ込まされていた荷物は囮で、こちらが本命だったのだ。無口なのは言葉が遅いのではなく最初から通じないからで、土弄りをしていても怪しまれにくい年齢の子供だから。それでいて訳ありの子供を無条件に匿う場所を選んでここに入れたのだろう。くそ、読み負けた。忌々しい。
恐らく半月の間にかなりの数の
追ってきてくれた屋敷の使用人は私とガンガルを気遣うように覗き混み、こちらの視線が蹲る少年に向けられていることに気付くと、手早く腰に持っていた縄で少年を捕縛する。
シスターと神父が来ないところをみると、彼等が足留めをしてくれているのだろう。二人いた使用人のうちの一人から「ベルタ様、この者をどうされますか」と怒りを圧し殺した声で問いかけられ、深い溜息が零れた。
「屋敷の地下牢にて領主と共に事情聴取を執り行う。連れていけ」
命じる自身の声はやけに空虚で。
闇に放った言葉は苦く、とてもとても重かった。
教会から屋敷に戻るとそこにはまだフェルディナンド様の姿があって。不安げな教え子の傍に寄り添ってくれる彼に会釈をし、使用人に彼等の世話を頼んで私と父とガンガルは地下牢へと場所を移す。
これまで父に屋敷の中で一度も足を踏み入れることを許されなかった場所に立つと、長閑な領地にそんな日が来るはずがないと思い込み、今日まで平和ボケしていた自分が腹立たしかった。
明かりを持ち込まない限り一切光のない地下牢は、以前私が捕らえられたことのある牢よりは随分清潔だったものの、長時間明かりのない状態で放置されれば気が触れるだろうことは容易に想像がつく。
そんな場所に年端もいかない子供を縛って転がし、冷たい殺気を纏った父が、小刻みに震えるガンガルの方へ「通訳を頼む」と短く告げた。
父の口から問われた内容は大きく分けて三つ。
領地のどこに種子を埋めたか。
誰に命じられて犯行に及んだか。
そして――……あの湖畔に近付いたか、だ。
ただこの中で当主としてではなく、父が本当に訊きたいのは最後の質問だけだと分かっていた。だからこそ、あの湖畔に一番多くの種子を蒔いたと少年が告白したときは……間に止めに入った娘の私ですら殺されるかと思った。
おまけに失禁したまま泣き出す少年の姿を見ても、残念なことに赦せる気持ちは湧いてこなかった。私は教育者失格の偽善者だ。怯えた子供を怯えたままでいさせるなんて。膝をついて抱きしめてやれないなんて。いまの私はまるで前世の父母のようだ。
自分を殺そうと向かってきたガンガルは赦せても、記憶の深く柔らかい場所にある母との想い出を汚した少年を庇う気持ちになれないなんて。嫌気がさす。
「仕えた主家を裏切って我等に素直に協力するか、ここで誰にも顧みられず一人渇きと飢えに堪えて死ぬか、選びなさい」
背後で殺意を漲らせる父を少しでも冷静にさせるために口から出たのは、そんな酷く冷たい物言いと声だった。隣で通訳してくれるガンガルの声は怒気を孕み、私の怒りを代弁するかのように震えている。
子供にこんな言葉を向けたくない。向けたくなかった。でも赦せない。大人に利用されただけの子供を責めるだなんて馬鹿げているのに。
見知らぬ土地で怒れる大人達に囲まれて震える子供は、途切れ途切れに言葉を紡ぐ。それを拾い上げるガンガルが凪いだ瞳で通訳してくれる。
「“お母さんとお父さん、知らない奴等に連れていかれた。仮面の男、二人に会いたかったら、上手くやれ、言った”」
予想はしていたけれど……やっぱり最低な理由だ。眉を顰めた私の背後から靴音がして振り返ると、そこには表情の抜け落ちた父が立っていた。床に蹲る少年は喉の奥で悲鳴を殺し、次に与えられる衝撃を予測して身構える。理不尽に与えられる痛みに慣れているのだろう。
「女は畑、男は殺し、子供は途中まで畑で、性別でその後の仕事、分ける。閉じ込める檻も違った。女の方が、体力ないから、疲れなくすのに、薬、使う。何度も使うと、薬ないと、生きていけなくなる。毒だと分かってても芽、抜けない」
少年を見下ろしていたガンガルが通訳としてではなく、当時を思い出しているのか苦しげな表情を浮かべつつも、自らの言葉でそう足りない部分を補ってくれた。
その内容を聞けばやはり憐れになって父と少年の間に立ち塞がってしまい、父の虚ろな双眸と私の視線がぶつかった。何と言葉をかければ良いのか分からないまま立ち尽くす私に向かい、父は細く溜息をついたのち、ゆっくりとぎこちない微笑みを浮かべる。泣き笑いのようだと思った。
「……お父様?」
「私は愛妻家で、妻の遺した娘達が可愛くて仕方がない」
「……はい」
「ベルタ。お前がその子供を“赦せ”と我儘を言うのなら、私はそれを叶えてあげよう。娘に嫌われるのは嫌だからな」
その言葉にハッとして顔をあげれば、穏やかな瞳が“どうする?”と問いかけてくるから、私は肩から力が抜ける思いがした。ここで我儘を言えば、教育者としてあるまじき感情を抱いた私も赦されると。父の瞳がそう言っている。
ずるい私がそんな父に甘えて「赦してあげて」と懇願すると、父は「仕方がないね」と苦笑して。そのやり取りを聞いていたガンガルが深く私達に頭を下げ、蹲る少年に何事か囁きかけた。
「ああ……腹が減ったな。フェルディナンド殿達が待っているだろう。今後の話をするためにも、まずは夕食にしようじゃないか。そこのクソガキはガンガル、お前が着替えさせてやりなさい。後で色々訊きたいことがある」
「はい、王様。ありがとう、ございます」
「何の礼だ? 私は娘に嫌われたくないだけだと言っただろう」
そう言うや身を翻して颯爽と地下牢から出ていく父の背中に、私とガンガルは顔を見合わせて、ほんの少しだけ笑った。