転生家庭教師のやり直し授業◆目指せ!教え子断罪回避◆ 作:タナゴコロ
「良いですよ。ご協力させて頂きます」
古びたアパルトメントの一室で私の話に耳を傾け、先程『粗茶ですが』と市場でよく見かける大袋の紅茶を淹れて出してくれたのと同じ声音で、コトッと色々な生活の中で染みがついたテーブルにマグカップを置いた彼は、何でもない風にそう口にした。
「あの……こちらから提案を持ちかけておいて何ですけれど、お返事を頂くのは本日中でなくともよろしいのですよ? 一晩考えられてからでも……」
「いえ、即決できますからお心遣いは不要です。領内の怪しいと思われる場所の簡単な見取図と、外部から領内への侵入経路の確保、それから次回作での貴女に批判の目が向く展開……でしたね」
「はい。ですが本当によろしいのですか? このままことが上手く運べば貴男は公爵家の跡取りとして認知されるのでしょう?」
「ボクは別にあの男に義理などありませんし、公爵家の跡取りとしての地位も必要ない。最初から足を引っ張ってやるつもりで奴に飼われたふりをしているだけだ。それに貴女には現在進行形で名誉毀損を働いている」
まったく感情の読み取れないアイスブルーの双眸がこちらを見つめるものの、特にこちらの反応を気にする様子もない。彼の名はイザーク。平民なので名字はないが、正真正銘ランベルク公爵の落し胤だ。
淡々と事務的な答えを返してくる様は、前世テレビで見た女性型アンドロイドのようであり、野心と貴族としての気品を兼ね備えたランベルク公爵とはあまり似ていない。
大人であれば不気味さを感じるだけで済むが、子供はどれだけ人間に似た見た目であっても、表情筋の動きでアンドロイドを異物とみなして泣くという。彼はたぶん子供に泣かれる。
「名誉毀損……舞台のことですか? ですがゴシップを題材に脚本を書くことは別に珍しくもありませんし、何より貴男の書く脚本はとても面白いですわ。次回作の私の活躍も楽しみにしています」
「……おかしな方ですね貴女は。いえ、貴女だけでなく貴女の妹も、その婚約者もです。敵方である劇団に所属しているボクが言うのもおかしいですが、貴女方には恐怖心がないのすか?」
「怖いことは沢山あります。生きている上でなくなるものではありません」
私が家では使わないような重たいカップの中に残った紅茶に視線を落とせば、向かいに座る彼から「それもそうですね」というあっさりとした同意が返る。いや、もう何と言うか……本当に怖いこととかあるのかと問いたい。
彼と話をしていると、同調してくれるけど的外れな返事をしてくれるAIロボットとお喋りしている気分だ。あの通じてない感をまさか人間相手に感じることになるとはね。
「まぁ大したことはあまり知りませんが、あの男の治める領地には何度か足を運んでいます。簡単な領内の事情くらいお話しできますよ。あの男を訴える証拠が揃えば証言もしましょう」
ユニという少年を保護(?)した翌日、私とガンガルは王都への道をひたすら馬で駆けた。流石のガンガルも馬との並走はできないので今回は相乗りで、揃いの旅装束を着た姉弟に見えたことだろう。
普通貴族の娘が馬車で移動せずに単騎駆けをすることはまずない。だからこそ、そういった周囲の思い込みの目をかいくぐっての行動だった。そんな無茶を押し通した理由が、目の前にいるこのアンドロイド君との交渉である。
赦せないものがあるときほど、人の結束力は高まるものだと思う。共通敵とでも言おう者がいれば、当然共闘する方が話は早い。
――あの夜、食事の席で父は言った。
『昨日の敵は余程のことが起こらない限り今日も敵だ。しかしその敵が使う駒はただの駒であることが多い。駒にされた者は条件を満たせばこちらの味方になる。だからベルタ、あのクズの失脚を成功報酬として、アンナ達が取った
それを聞いていたフェルディナンド様が『賛成ー!』と笑い、事情を知らないまでも、ユニの姿を目の当たりにした教え子も『先生とそのお父様が仰られるなら、わたくしも賛成致します』と頷いてくれた。無論私も大賛成。
果たして交渉を持ちかけるためとはいえ、次に会うのは五月だと思っていた姉が単騎駆けをして王都の屋敷に乗り付けたとあり、妹は驚きと、喜びと、怒りを順繰りに見せてくれた。そんなアンナに頼み込み、何とか今日の面談を取り付けたのは二日前のことだ。
ホーエンベルク様とアグネス様にはまだ会っていない。二人のいる王城近辺に近付けばすぐにランベルク公爵の耳に入るだろうからだ。ちなみに私達がこうしているいまは、ヴァルトブルク様とガンガルと一緒にアパルトメントの周辺を警戒してくれている。
しかし存在を認識してから結構経ったけれど、実際に彼と真正面から口をきいたのは初めてなのに、僅か三十分で売られるランベルク公爵の人望のなさに思わず笑いそうになった。
「そちらに潜入させられた子供のような立場の者はあの領地にはざらにいます。ボクへの言付けを持ってくる者達も同じようなものですよ」
「そうなのですね……」
「ええ。それに貴族が平民を顎で使うことは特別珍しいことじゃない。抗うことができないなら、余計なことは考えずに感情を殺して生きれば良いだけです」
さらりとした素っ気なさの中にジワリと滲み出したのは、憎しみか、狂気か。そのどちらでもあり、どちらでもなさそうな揺れ。
「だとしたら、貴男は黙って感情を殺して生きたりしない戦士だったのですね」
「……ボクのどこがそう見えるんですか」
アイスブルーの双眸に初めて理解できないとでもいうような、怪訝そうな光が宿った。目は口ほどに物を言うって本当だ。ここは貴重な自我の芽生えに立ち合えたのだし、たたみかけてしまおう。
「だって貴男は演劇を通して貴族を貶め、糾弾する。そちら方面に才能があっても普通はなかなかやろうとは思いません。だからこそ公爵も貴男という存在に気付き接触してきた。そんな貴男が戦士以外の何だと言うのです?」
実際言葉にしてみてもそう思う。こちとら教育は本職だけれど、前世は普通に一般人だったので政治的なことや汚職に関しての知識はニュースや新聞の情報程度。
巨悪に立ち向かうどころか、職場をブラック企業として訴えたことも当然ない。なのに独りぼっちでこの貴族が幅を利かせる社会に喧嘩を売るとか“君、死んだ目をしてるくせに前世は軍鶏か闘犬なの?”とか訊きたくなるくらいである。
悪人顔で微笑みかければ、彼の双眸が眇められた――……そのとき、この部屋の玄関ドアが小さくノックされる音が響いた。
椅子から腰をあげかけた私をイザークが手で制し、ドアの方へと歩いていく。ドアの前でぼそぼそと言葉を交わしたかと思うと、イザークが身体をずらした隙間からガンガルが顔を覗かせた。
「お嬢、フード被った二人組来る。妹様達のとこ、戻ろう」
「領地からの定期連絡は一昨日あったので、たぶん劇団の人間ですね。今日ここに来る予定はなかったはずですが……脚本の進捗を見に来たのかもしれません。鉢合わせないうちに出た方がいい」
「分かりました。脚本、私も完成を楽しみにしておりますわ。それでは」
「ええ、また」
微苦笑のようなものを唇の端に乗せたイザークの別れの言葉を合図に、ガンガルに手を引かれて外に出た。
ぐるりとアパルトメントの反対側に向かって歩き、建物の陰に隠れて少しすると、イザークの部屋の前で一組の男女(?)が立ち止まる。
彼等がドアをノックし、先程までのことなどまったく表情に出さない無表情な彼が現れて……首を傾げた。意外な反応にジッと目を凝らせば、隣にいたガンガルから「あれ、ヴィーと……誰?」と呟きが漏れた。
片方の正体が分かれば恐るるに足らず。というかホーエンベルク様の隣に立ち、なおかつこの時間帯で一緒に行動している人物といえば三択だ。しかしだとしても何故ここにという疑問は拭えない。
建物の陰に身を寄せ、アパルトメントに戻ろうとするガンガルの肩を掴んで止める。ひとまず様子を見よう。問題の先送りとも言うけど。二、三言葉を交わした三人の姿が部屋の中に消えたので、彼等が出てくるのを待つことにした。
「ねぇ、ガンガル。この建物の周辺はいまのところ安全かしら?」
「うん。平気。臭いもしないし、殺気もないよ」
サラッとそう言ってのける優秀で可愛い
「そう、ありがとう。貴男がいてくれると安心して仕事ができるから嬉しいわ。そこで相談なのだけど、私は絶対にここから動かないで待っているから、アンナ達に先に屋敷に戻るように伝言を頼めるかしら?」
「妹様、先に帰すの? 呼んで来るのでなくて?」
「少し気になることがあるの。お願いできる?」
ガンガルは私の指示に一瞬訝るような表情をしたものの、結局は「分かった」と頷いて音もなく駆けていった。そして十分くらいで戻って来てくれた彼の頭を撫でて褒めながら、再びドアが開くのをその場で待つこと小一時間。
ドアが開いて中から現れたのはホーエンベルク様ともう一人。イザークは室内から声をかけているのか出てくることはなく、二人が別れを告げたのだろう、ドアは再び閉ざされた。凸凹なフードの後ろ姿が大通りの方向へ向かって歩き出す。
隣のガンガルに目配せすれば、勘の良いガンガルはそれだけで察してくれたのか、私を先導する形で二人の背中を追う。
ガンガルほどではないけれど、それでもなるべく気配を消す努力をして後を追ったのに、角を曲がってすぐに「何者だ」と、背後に小さい方を庇うようにして立つ大きな方……ホーエンベルク様に誰何されてしまった。ちなみに私はガンガルの背に庇われている。
けれど冷たい声をかけた先に立っていたのが見知った顔だと知るや、フードの下から「ガンガル?」と、多少間の抜けた声が返ってきた。頷くガンガルの背後から私が顔を出すと、今度は「ベルタさん?」とやや高い声がホーエンベルク様の背後から返ってくる。
大きなホーエンベルク様の後ろから一歩踏み出し、持ち上げられたフードから覗いたのは、深みのある金髪と切れ長なトルマリンの瞳だった。
「はい。お久しぶりですフランツ様、ホーエンベルク様」
こちらから見上げる位置には、同じように驚いた表情をしたホーエンベルク様が立っている。
大小揃って目を丸くしている様はちょっと可愛らしいものの、ホーエンベルク様には“何でここに子供を連れてきたの?”と言外に笑みに圧を込めて伝えて見せたが、彼は困ったように眉根を下げる。
「ベルタ嬢、アウローラ嬢とフェルディナンド殿と一緒に領地にいるはずでは。貴方が戻ったという報せはこちらに届いていないが、もしやエステルハージ領とエリオットに
「ええ、まぁ、はい。多少面倒な事態に陥ってしまったのでこちらを訪ねさせて頂いたのですが……いま“も”と仰いましたか?」
そう問えばホーエンベルク様は隣のフランツ様を見下ろして目配せをし、フランツ様もその合図に頷き返した。
「こちらも多少面倒な事態に陥っている。ここで話すには少々気忙しいから場所を移動したい。構わないだろうか?」
不穏な発言に背筋がゾワゾワする。敵方の働きが良すぎるゲームは嫌われると思うんだけど……どうやら無能で楽をさせてくれる都合の良い敵はいないらしい。