転生家庭教師のやり直し授業◆目指せ!教え子断罪回避◆   作:タナゴコロ

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♕幕間♕悪夢とホットミルク。

 

 “――ああ、どうして……また駄目なの”

 

 どこかで誰かが寂しげに呟く声がした直後に、ゴウッと何かに飲み込まれるように意識が闇に攫われる。

 

 苦しくて苦しくて、視界を遮っていた黒い靄を追い払おうと手を伸ばした視界には、いまのわたくしの身長とつりあわない大人の手があって。だけどその手は枯れ枝みたいに細くて傷だらけ。

 

 そのことに気付いたときには身体のあちこちが痛んで。異変はそれだけでは終わらずに、たくさんの人々がこちらに向かって何かを口々に叫んでいる場所に自分がいるのだと分かる。声は聞こえないのに恐ろしく感じるのは、奇妙に興奮して見える顔のせいなのか。

 

 わたくしもそんな人々に向かって声を限りに叫ぶのに、誰も助けてはくれない。髪を引っ張られて顔を上げさせられたわたくしを見て、皆が酷く喜んでいる姿に段々と諦めが身体を重くしていく。

 

 でも、おかしなくらい熱狂する人々の中で、たった一人だけ。たった一人だけわたくしに向かって手を差し伸べて、必死に叫んでくれている人がいた。

 

 ああ、先生だ。

 先生が、助けに来てくれた。

 先生だけは、何があっても来てくれる。

 

 いまの(・・・)先生よりも歳上なのか、少しだけ落ち着いた色味の服と髪型。押し退けようとする人々の隙間から何度も何度も、溺れる子犬のように顔を出しては手を伸ばして叫んでくれる。

 

 ここがどこでも、自分が何かとんでもない罪を犯してしまったとしても。先生がいてくれるなら、信じてくれるなら、怖くない。

 

 だから先生、もう庇わないで。

 わたくしの味方をしたりすれば、先生まで酷い目に合うかもしれない。

 

 先生、

 先生、

 先生、

 先生、

 

『ありがとう、先生――』

 

 震える唇でそう呟いた直後に世界はぐるりと暗転する。熱狂の中で木霊する悲鳴。願わくば、先生。この次は、もっと早く……綺麗なままで、貴女に――。

 

「…………っ!!」

 

 自分の嗚咽で目覚めた先にあった天井を見て、せり上がりかけていた悲鳴を飲み込めたことにホッとした。でもすぐに耳に流れ込んだ涙のせいで不快な気分が戻ってきてしまう。

 

 そのことにガッカリしながら汗で濡れてしまった夜着を脱いで椅子にかけ、下着(シュミーズ)姿で物音を立てないように注意しながら細く窓を開いた。すぐに初夏の近い夜風が滑り込んできて、張りついた下着と髪を優しく撫でてくれる。

 

「……大丈夫、大丈夫よアウローラ。いまのは、ただの、夢だもの。怖くないわ」

 

 唇が震えて上手く繋がらない言葉に不安が増すけれど、王都にはない土と緑の良い香りにドキドキとうるさかった心臓も、少しずつ元の正しい音に戻っていく。

 

 先生が王都に戻ってしまった頃からよく見るようになった悪夢。

 

 フェルディナンド様やユニ、ガンガルと危険植物の駆除と写生に出かけていたのだけれど、五日前、ついにユニとガンガルがそれを見つけてくれた。すらりとした茎の先に重たそうな赤紫色の蕾。

 

 嬉しかった。あの花の絵をたくさん描いて農家の人達に配れば、きっと先生のお役に立てると思ったから。

 

 だけど……あり得ないことのはずなのに、わたくしにはその危険植物に見覚えがあって。だけど赤紫色の可愛いような、毒々しいようなその花を見たことがあるとは口に出せなかった。

 

 あれはまだ先生に出逢う前の、愚図で出来損ないのわたくしだった頃。

 

 お父様の執務室のドアが開いていて。

 威圧感のある調度品で囲まれた部屋の中。

 机の上に乗っていた、不似合いに綺麗な植物画。

 

 見たことのない花の絵をもっとよく見ようと思ったけれど、お父様とお客様の声が近付いてきたから、怒られるのが怖くて慌てて部屋から逃げ出した。

 

 あれを今更、先生の大切な場所で見つけてしまったことが悲しくて、後ろめたさを感じる原因になったお父様が……とても、憎くて。一瞬でもいなくなればいい、お父様とお母様を捨てるにはどうしたら良いのだろうと、そんなことを思う自分が嫌になった。

 

「……あんな悪夢を見るから先生に会いたくなって、お父様とお母様に八つ当たりしてしまうのだわ。そうよ、やっぱり朝になったら、先生のお父様に正直に話してしまいましょう」

 

 そう誰も聞いていない言い訳を口に出したら安心したのか、お腹がキュウッと音を立てた。怖い夢のせいで怒ったり落ち込んだりしたせいでこんな変な時間にお腹が空いたのだと思う。

 

 空腹をまぎらわせるために水を飲もうかと考えたけれど――。

 

「水差しの水は……季節的に飲むと危ないかしら……」

 

 六月がもうすぐそこに来ているこの頃は夜でも温かい。なら、水差しの水は顔を洗うためだけに使った方が無難。でも……お腹の虫が鳴き止まなくて。

 

 よそのお屋敷でお行儀が悪いしみっともないけれど、厨房に行けば朝食用の何かがあるかもしれない。そう思って少し乾いた夜着をもう一度着直して部屋を出た直後、見回りをしていたガンガルに「どこ行くの?」と捕まって。

 

 汗の匂いで悪夢を見たことも、お腹の虫が鳴くせいで「腹が空いたのか」と言い当てられたあとはそのまま彼に厨房に連れて行かれ、そこで棚に隠されていたスコーンを夜食にしようとしていた先生のお父様に遭遇。

 

 何故かそのまま三人で燭台を一つ灯しただけの食堂でそれを一緒に食べた。

 

 ガンガルが悪夢を見たことを先生のお父様に話してしまったところ、彼は「ああ、そのことなら安心しなさい」と笑って仰って下さり……。

 

 朝を待たずに全部吐き出せたおかげで安心しすぎ、何故大丈夫なのか、どうしてご存知なのか訊ねることもできずに、ホットミルクを頂いている最中に眠たくなってきて。

 

「“ふむ……可哀想に、馬鹿な親のせいで気を張っていたんだろう。ガンガル、この子を着替えさせてくれるようメイドを呼んで来なさい。わたしはこの子を部屋に連れていく”」

 

「“分かった。でも王様、腰に気をつけて”」

 

「“まだそんな歳なわけがあるか”」

 

 重い目蓋を頑張って持ち上げていた緊張感はそこで途切れて――……。

 

 朝になってフェルディナンド様が写生に誘いに来て下さったことにも気付かずに、お昼すぎまでぐっすり眠ってしまったのでした。

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