転生家庭教師のやり直し授業◆目指せ!教え子断罪回避◆ 作:タナゴコロ
「う~ん……熱は、まだ少し高いですけれど、咳も出ていないし……これならそろそろ登城しても~……」
「アグネス様? これのどこに“そろそろ”の要素があるのですか。風邪でないだけで、熱はバッチリありますよ」
昔懐かしい水銀式の体温計は三十八度を指している。アンナの結婚式を終えた翌日にホーエンベルク様が任務に向かい、それから四日経った昨日、アグネス様は城から戻るなり倒れたのだ。さっきまでここにいたお医者様の見立てでは、過労からくるものだという。
教え子が戻って来たことで再開された第二王子妃教育に、マリアンナ様も合流されたことから、休憩時間は四人の生徒に囲まれることになる。過密学級だ。
体温計をブンブン振りながら真っ赤なアグネス様の頬に手の甲で触れ、すっかり溶けた氷嚢の中身を生温くなったボウルの水と交換するため、開け放した窓からボウルの水を捨てた。
――が、途端むせかえるような緑の香りが室内に流れ込みカーテンを激しくはためかせたので、致し方なく窓の半分を閉める。
その足で部屋の外に控えてくれていたメイドに新しい氷嚢と冷たい飲み物、それからすりおろしたリンゴを頼み、再びアグネス様の横たわるベッド脇に戻った。
「ううぅ……でも、わたしが登城しませんと……ベルタ様にご迷惑が~」
「アグネス様、貴女はいま私にかけられた迷惑で大変な目に合っているんです。こちらの都合に貴女を巻き込んだから、この体調不良なのですよ。ですから、今後しばらくはが私が城に行きます。むしろご自身の身体を第一に考えて下さい。それに、熱のある人物を王子達に会わせてくれるはずがありませんよ?」
「ベルタ様の、せいだなんて……そんなはずは、ありませんわ~……。ああ、ですが……王子様達に近付けないのは、そうなのかも~?」
苦し気に荒い呼吸を漏らしながらもこちらを気遣う姿に胸が痛む。毎回のことだけれど、良い人すぎて色々と心配になる。
「んふふふ……そうですわ~……一緒に登城しましょうよ~、ね~?」
あ、これは駄目だ。高熱時特有のポヤポヤとした雰囲気のまま、無意識に幼児退行を起こしている。このままだとまた熱が上がるかもしれない。
実質いまのところは今朝スペンサー家から迎えの馬車を寄越された私しか、彼女の状態を知る人間はいなかった。教え子と妹はまだ寝ていたから伝言を残してきたけれど、父がすでに領地に帰ってしまっているのは手痛いところだ。
数日城に登城しなければならないとなると、アンナの結婚で項垂れていた父でもまだ王都にいて欲しかったかも……。
「そうなると二人して一網打尽になってしまう可能性もありますが……考えておきますね。でもひとまずいまは病気中なんですから心配をしないで。私は大丈夫ですし、むしろいままでアグネス様に頼りすぎていたのですから、多少は格好をつけさせて下さい」
ガシャガシャと細かく残った氷と水で布を濡らして絞り、汗の浮いた額に乗せれば「冷たくて、気持ちいいわ~」とへにゃっと笑うアグネス様。その様子に閃き、冷たくなった私の両手で頬を挟んであげると思った通り、彼女は幼子のように「もっと」とねだった。
すぐに温む布と手を交互に使ってアグネス様をあやしていると、ドアがノックされて。部屋の外に出るとそこにメイドの姿はなく、代わりにリンゴと氷嚢を乗せたワゴンが一台止まっていた。きっと弱ったアグネス様に対する配慮だろう。
私の親友はフワフワとして見えるのに、こんな風に寝込むまで人に弱味を見せようとはしないのだから。ワゴンを押してきた方向の廊下の角に向かってお辞儀をし、それを押して部屋に戻る。
すりおろしたリンゴを食べさせ、薬を飲ませて着替えを手伝う作業は、昔はよく熱を出したアンナにもしてあげたので馴れたものだ。
「は~……ベルタ様にこんなことをして頂いて、申し訳ありません~……。本当なら、アンナ様達と、今後の策を練るはずですのに」
「何を水臭いことを仰っているのですか。親友なのですから頼られて嬉しいことこそあれ、迷惑なはずがありません」
背中をさすってそう声をかけ、逆上せた顔でこちらを見つめるアグネス様を安心させるように微笑んだ。薬で眠った彼女を使用人に任せ、就業時間に間に合わせるために慌ただしくスペンサー家をあとにした。
***
スペンサー家から一度屋敷に戻り、妹と教え子に事情を説明をしてから登城ということになったのまでは良いけれど――。
嬉しそうな表情とそれを不謹慎だと感じている表情の両方を浮かべた教え子と、明らかに機嫌を悪くしてこちらを睨んでくるマリアンナ様を例の妃修行棟へと送り出し、急いでマキシム様とフランツ様が待っているだろう図書室へと向かう途中に
こんなに広い城内でこういうときに限って嫌な人間に会う確率の高さは何なんだろうね。かの有名な法則を見つけたマーフィーとやら、異世界まで出張とか働き者すぎる。
おまけに周囲への喪に服しているアピールなのか、全身真っ黒のコーディネートは季節柄暑苦しい。これが本当に伴侶を喪った哀しみによるものならそんな風には感じなかったところだが、この男に限っては万に一つもないと断言できる。
そんな相手はこちらの“廊下を曲がるまで絶対こっち向くな”という願いも虚しく、ふと視線を上げた先にうっかり私がいたとでもいった様子で近付いてきた。
階級の差がここから逃げ出すことを許さないので、微笑みを浮かべて相手の接近を待つ。あと、普通に逃げ出すのが癪だから。
今日は登城するとあって服の下の装備はそれなりに揃えてある。前回一人でイザークを訪ねたときよりもさらに着込んだ。いわゆる勝負服というやつである。
「……随分と久々に顔を見た気がするが。父親が城内で傷害沙汰を起こしたというのに、その娘である貴殿をあっさりと通すとはな。兵士は何をしていたのだ」
滅茶苦茶嫌そうな顔でそう声をかけてくるミドルに「お久しぶりでございます、閣下」と言葉を返してカーテシーを取る。前も似たようなやり取りをしたことがあるのによく飽きないなこの人。
そんな私をGを見るような目で見下ろしておきながら立ち去ろうとしないとか、もうなんか一周回って私のこと好きなのか? と思わなくも……ないな。お互いがお互いのことが大嫌いなところだけが唯一仲良しな見解の私達ですから。
「兵士の方々はきちんと仕事をなされました。今日私がここにいるのは臨時です。ですので、数日も経てばまたここにはいない存在に戻りますわ」
まあ、嘘だけど。少なくともアグネス様が全快して、ホーエンベルク様が戻って来ない限りは居続けるつもりだ。しかしここでそれを敢えて口にする必要もない。
「閣下におかれましてはこの度の奥方様のご不幸……誠にお悔やみ申し上げます」
これは本心。主にミドルの奥方に向けてのものだ。こんな薄情な人間の妻を何十年もやって最後があれではあまりにも気の毒で。神様とやらがもしもいるのなら、来世は彼女が幸せな家庭を築けるよう取り計らって欲しいと思う。
ミドルは白々しいとでも言いたそうに溜息をついたものの、立ち去る気配はない。まだこの不毛な会話を続けたいのかとゲンナリしつつ、そういえば何故彼がここにいるのかという疑問が浮かんだ。
だってイザークの情報だと彼は色々と火消しに奔走しているはずだった。しかも白い結婚生活だったとはいえ奥さんの喪だって明けていない。なのに政権争いをする王城にいるとはこれいかに。
けれどこちらの訝る気配に気付いた様子もない。ただただ不快な生き物が視界に入ってきたという事実をありありと物語る視線に晒されるだけだ。
――が、そのときだった。
「ランベルク公、探しましたよ」
聞き覚えのある声にも驚いたけれど、長身なミドルの背後から同じ色味の青年が現れたことに、とっても驚いた。全身黒ずくめで喪に服しているのは分かるけど、その人物は誰がどこからどう見てもイザークだ。
声をかけられたミドルは苦々しい表情を浮かべて背後を振り返ると、その人物に「お前が勝手に動いたのだろう」と言っていた。ということは、ミドルは私を待ち伏せしていたのではなく、迷子になった彼を探していたのだろう。
とはいえ、何故イザークがここにいるのかという謎は残る。けれど彼はこちらに視線を向けるでもなく、ミドルに向かって感情の抜け落ちた顔で「ボクはまだあまり城に詳しくないので、どの角も同じに見えるのです」といけしゃあしゃあと言って退けた。こういうところは私達に見せる部分と似ている。
困惑を顔に出さないように「そちらの方は?」と初対面を装って尋ねれば、ミドルは「貴殿には関係ない。まだな」と素っ気なく言い放つものの……外観的な情報を隠すのに無理があるの、分かってるよね?
しかし“まだ”とわざわざつけるからには、王城でのイザークの使い道を決めたようだ。それが彼にとって良いことかどうかは関係ない。肉親であっても情がなければただの道具。要するにそういうことなのだろう。
内心物凄く腹が立ったが、イザークがここにいるということは、彼がミドルの出した条件を飲んだということだ。考えられるとしたら、奥方が死んで跡継ぎとして彼を屋敷に引き込む準備ができたとか……かな。
「左様でございましたか。差し出がましい真似をして申し訳ございません」
綺麗に撫で付けた髪型が乱れるほどどつきたい衝動をぐっと堪え、カーテシーをとるけれど、下げた視線の先でミドルの靴の爪先が向きを変えるのが見えた。人が頭を下げるのが当たり前だと思っている奴はこれだから……目上からの許しがなければ頭を上げられない。
こちらを無視して立ち去る気配に小さく溜息をついていると、不意にトン、と肩を叩かれて。思わず反射で顔を上げれば、そこには唇の前で人差し指を立てたイザークの姿が。
彼はこちらが顔を上げるとすぐにミドルのあとをついて、廊下の角を曲がって行ってしまった。いまのあれは“悪いようにはしない”なのか、はたまた“黙っていろ”なのか“心配するな”なのか……。
何がどう動いているのかまだ分からないけれど、いま私にとって確かことは一つだけだ。走らないと就業時間に遅れる。アグネス様の代理なのにそれは不味い。
邪魔者が去った方向に控えめに中指を立て、爪先がドレスの裾から覗くくらいの歩幅で、辛うじて走っていない速度で図書室へと向かうと、すでにそこには正反対な性格をした二人の王子が待っていて。
「ベルタ!?」
「ベルタさん!!」
最後に会ったときより若干声変わりをした二人の驚いた声と表情を前に、ほんの少しだけさっきまでのささくれた心が癒えたのだった。