転生家庭教師のやり直し授業◆目指せ!教え子断罪回避◆   作:タナゴコロ

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*13* 深夜のお客様。

 

 十一月まであと数日ともなれば流石に朝晩とても寒い。石造りの城ともなれば特に。深夜に書き物机に向かいながら足許に置いた簡易ストーブで暖をとっていても、容赦なく爪先や指先を凍てつかせる。

 

 ロロさん達のいる大部屋に、この城内で使っていない部屋の防寒アイテムをまとめて置いてきて良かった。皆でくっついて眠るところはたぶん冬ごもりのリスみたいだろうなと想像し、羨ましさからちょっぴり泣ける。

 

 タペストリーや絨毯などの調度品が整えられていようが、寒いもんは寒いのだ。狭すぎる部屋もあれだけど広すぎる部屋も考えもの。室内全体を暖めようにも簡易ストーブではとても間に合わない。

 

 とはいえ、この部屋の暖炉はもしかすると深夜に来客があるかもしれないから火を入れられない。慌てん坊のサンタクロースは実際にやったら、埋み火やら燃え残りで大変なことになると思うんだよね……。

 

 結果として“堪える”以外のコマンドがない状態で、一人黙々とイザークの書いた脚本(・・)を添削している現在は深夜の一時。肌のことを考えても、今日の作業内容を考えても、健康面を考えても、そろそろベッドに潜り込むべきだ。

 

「せめてホーエンベルク様に頂いた乗馬手袋があればなー……」

 

 上質な革手袋は季節によって違う素材のように感じる。特に豚革。夏は長時間使うと流石にペタペタするけれど、それでも優しい柔らかさと他の革手袋より通気性に優れているところが良い。冬場は逆に保湿力があるのか温かいのも魅力。

 

 しかしいくらあの滑らかな肌触りの革手袋を思い出したところで、ここに実物が飛んでくるわけでもない。諦めてもう寝ようとペンを置き、指先に吐息を吹きかけていたそのとき、カリカリと何かを引っ掻くような音がした。

 

 聞き覚えというか、身に覚えのあるその音の出所に慌てて椅子から立ち上がったものの、寒さで自由のききにくい脚が絡まってもたつく。その間にも引っ掻く音は盛んになり、ついにはゴトッ、と鈍い音を立てて暖炉の中から手が現れた。

 

 簡易ストーブの灯りで陰影を濃くする手。テレビから貞○の現象。

 

 ――初日のイザークはよくこの状況で悲鳴をあげなかったな。土や古い煤で汚れた手が急に何もないところから出てきたら、普通に驚くと思うんだけど……。

 

 一応私と同じこの隠し通路を辿ってきた人なら味方のはずだけど、万が一に備えて机の上にあったペーパーナイフを手に暖炉へと近付く。刃引きしてあるとはいえ尖っているから突き立てる分には遜色ない。

 

「ええと……こんばんは。これはどちら様の手かしら?」

 

 手が生えている暖炉へ挨拶する姿はかなりシュールだとは理解しつつ声をかけると、ペタペタと隠し扉の開け方を探っていた手がピタリと止まった。そして――、

 

「“え、その声、そこにいるのって……もしかしてベルタ先生?”」

 

「はい、そうですわ。その声はフェルディナンド様ですね?」

 

「“そーだよ。でさ、格好良く助けに来たよって言いたいとこなんだけど……ここ開かないんだよね。これってそっちから見てどうなってるの?”」

 

「ああ、少し待っていて下さい。すぐに開くようにしますから」

 

 隠し扉の向こう側から聞こえてきたあからさまにホッとした声に、手にしていたペーパーナイフをそっと机に戻してから、何事もなかったように壁にある仕掛けを解いた――と。

 

「うわっ?」

 

「――おっと、と、大丈夫ですか?」

 

 向こう側で壁にもたれかかっていたのか、直後に倒れ込んできたフェルディナンド様を慌てて正面から抱き留める。自分より背の高い男性だというのにそうと感じさせない体格は、触れてみると意外に骨っぽくて驚いたけど、地下道を通ってきたことで染み付いたのだろう苔むした匂いに苦笑してしまう。

 

 すると笑ったことに気付いたらしい彼が「ははっ、ベルタ先生を助けに来たのに助けられるとか。オレ格好悪いねー」と耳許で笑う気配がしたと思ったら、今度は逆に抱き締められて。

 

「アグネス嬢に頼まれて迎えに来たよ。彼女は宿でガルが護衛してくれてるとこ。適材適所の人選じゃないけどさ、絵描きが助けに来る脚本も新鮮じゃない?」

 

 そんな風に強がって見せるくせに寒さで歯の根の合わない彼の言葉で、久しぶりに心からの笑みが浮かんだ。

 

「この街に私達を迎えにいらして下さったのは、ガンガルとフェルディナンド様だけですか?」

 

「ひとまずって言うか、表向きはね。それと迎えに来るの、遅くなってごめん」

 

「いいえ、私が油断をして捕まったことがそもそもの原因ですもの。いまはこうして来て下さったことが嬉しいですわ。それより風邪をひくといけません。一旦火の近くへどうぞ」

 

 歯の根が合わずに辛そうなフェルディナンド様を簡易ストーブの傍に座らせ、私も椅子をもう一脚用意して向かい合わせに座った。そうすると彼のガラスビーズに炎が反射して、悪戯好きな火の精霊みたいに見える。

 

 チラチラと揺れる炎に無言で手を翳して温めることしばらく。ようやく指先に血が巡り出したところで先に口を開いたのは彼だった。

 

「あ、そうだ。あんまり寒くて一瞬忘れてたけど、アグネス嬢からベルタ先生にお土産を預かってきたんだよ」

 

「お土産?」

 

「うん。苔の臭いが移ってないといいんだけど。オレからのお土産はベルタ先生も気になってるだろう、先生と離れてからのアグネス嬢の行動ねー」

 

 そう言うや懐に手を突っ込んだ彼が取り出したのは、仄かに甘い香りのする小さな紙袋。深夜に吸い込むには危険な香りだけど、ズイッと手渡されたので反射的に受け取れば、彼は視線で開けるように告げる。

 

 それに頷き返して開けると中にはちょっぴり期待した予想通り、カシューナッツの乗った素朴なクッキーが入っていた。まずいと思って慌てて下腹部に力を入れたものの、僅かに間に合わず腹の虫が鳴く。

 

「お、良かった。その音を聞くに、アグネス嬢の読みは当たってたねー」

 

「育ち盛りでもないのにこんな時間に……お恥ずかしいです」

 

「いーじゃん別に。寒いと余計な体力使ってお腹減るでしょ。大した量でもないし、体温上げるのに糖分の補給は有効だって。温かい紅茶がないのは惜しいけどさ、それでも囓りながらオレの土産話を聞いてよ」 

 

 その視線がチラリとベッド脇のナイトテーブルにある水差しに向けられ、思わず苦笑してしまった。クッキーを食べたあとの喉を潤すのに、冷たい水でもないよりはマシだと思うことにしよう。 

 

「何から何までお気遣い頂いてありがとうございます。もうアグネス様のことはずっと気がかりでしたので、是非聞かせて下さいませ」

 

「時間制限があるからなー……どれも面白くて全部聞かせてあげたいんだけど」

 

 そんな軽口を叩きながら、ついに影すらも振り回した彼女の生態が明かされる時がきたことに震え、紙袋のクッキーをつまみ上げてハラハラ半分ワクワク半分で耳を傾けたけど――。

 

 途中で何度か「そろそろ他の近況説明にする?」という言葉に、そっちも聞かなきゃならないのに「あともう少しだけ」と何度も返してしまった。およそ普通の子爵令嬢としては一生縁のない生活に馴染む彼女の話が面白すぎるのがさ……。

 

 影は必要最低限の情報しかくれないから、アグネス様がどんなに面白いことをしていたとしても、それを教えてはくれなかったらしい。そりゃそうか。

 

 特にお気に入りだった部分はスラムの子供だけのスリ集団の話で、影とスリの子供達との攻防戦にようやく気付いた彼女の取った行動が、スリの子供達の中でも小さな子を数人選出し、手持ちのお金を使って古着屋でのお買い物。

 

 フェルディナンド様の話から、影達が私と彼女の滞在費についてのやり取りをしたその日だったことが分かった。自分のために使うのでないところが如何にも親友らしい。

 

 彼女は身綺麗にした子供達を連れて、常連になっていたパン屋の前で所謂“サクラ”をすることをお店に持ちかけ、最初は自腹でパンを購入して客引きを試み、成果が出始めたところで、パン屋がその日に廃棄する商品を無償で手に入れる取引を取り付けたそうだ。

 

 毎日違う子供達を向かわせることで疑われることも少なくなる。昨日からは年長者を送り込み、スーパーの試食みたいなことをさせているという。前世の記憶持ちでもないのに目の付け所が良い。

 

 このやり方でちょっとだけお駄賃をもらえるようになった子供達は、スリよりも安全に食事にありつける道を見つけられたという。そんな話を熱心に聞くうちに、ふと気付けば書き物机の上の置時計が二時を指していた。

 

 げっ歯類の如くサクサクやっていたクッキーもすでにない。香ばしいこの手土産もアグネス様がお世話になっているパン屋の商品らしいので、もしも穏便にこの件が片付いたら帰りに購入していこう。

 

「もうこんな時間じゃん。そろそろ本題に入った方が良いかも。ベルタ先生はどうせまだここに潜伏してるんでしょ? オレとガルも今夜からアグネス嬢と同じ宿屋に泊まるから、また寒さのマシな日にでも来るよー」

 

「ええ、そうですね。けれど……ふふ、あの手紙が届いても、私が攫われたとは思ってもらえませんでしたか?」

 

「だってさー、ベルタ先生は大人しく攫われる人じゃないじゃん。旅先で運命の出逢いがあったからって、全部捨てて駆け落ちするような情熱的な感じでも、無責任な感じでもないし」

 

「まぁ、それは残念ですわ。せっかくアグネス様と一生懸命考えましたのに」

 

 笑い声を立てないように喉の奥で留めていたら、膝をつき合わせる格好で投げ出されたフェルディナンド様の長い脚が、不意に私の脚に絡められた。少し驚いたものの、目の前ではいつもと変わらない飄々とした笑顔を浮かべる。

 

「嘘だよ。本当は死ぬほど慌てた。あの手紙ね、うちの屋敷に届いたんだ。でもオレは何も思い付かなくて狼狽えるだけ狼狽えてさー。手紙を引っ付かんでまだ仕事で城にいたヴィーのところに行ったんだ。そしたら王子様達も一緒にいてね。二人もオレと同じで慌てるだろうと思ってたんだけど……違った」

 

 そこで一度言葉が途切れて。絡められた脚をトントンと持ち上げたり下ろされたり。自分の意識と関係なく床に踵が当たる感覚にフェルディナンド様の表情を見つめれば、彼はパッと明るく笑って。

 

「ねーベルタ先生。オレさ、先生が好きだよ」

 

 そんな風に脈絡もなく子供みたいな無邪気さでそう言った。

 

***

 

 迫る冬を前に毒草園でできることはもうほとんどない。なので本日は久しぶりに完全本職モードでお昼まで子供達の勉強を見てあげることにした。子供は語学の飲み込みが大人のそれとは桁違いだ。

 

 子供達がこちらの言葉を憶えてくれる方が早いので、もしかすると近いうちに私の黒板の出番はなくなるかもしれない。

 

 手習いの成果を嬉しそうに母親に見せる子供達と別れ、午後からはイザークと一緒にフェルディナンド様が持ってきてくれた情報と、これからの作戦を擦り合わせようと思っていたのだが、その矢先に「今日は朝からずっと妙な表情をしていますね」と突っ込まれた。

 

 思わず詳細をまとめた手許の資料から視線を上げれば、向かいに座ったイザークが小首を傾げてこちらを見ている。

 

「子供達の授業中にも感じましたが、貴方らしくもない聞き直しが目立ちます。心配事は深夜の来訪者の件ですか」

 

「はい……?」

 

「昨夜は寒かったので温かい飲み物を淹れに起きたんですよ。ついでに起きているだろう貴方にも持っていこうかと思ったら、室内から話し声がしたので」

 

「それで立ち聞きしていた、と」

 

 ジト目でそう聞き返せば、イザークは無表情に「人聞きが悪いですね」と言った。いや実際盗み聞きは行儀が悪いだろうし、何なら彼は否定もしていない。明らかに全部聞いてたな。そういうとこだぞ君。

 

「いまは大事な時だ。予定が狂うのが嫌だったので致し方なくです」

 

 全体的に涼しいカラーリングの人間の冷ややかな台詞はなかなか心にくる。圧倒的ブリザード感。しかし彼の言い分ももっともなので言い返すこともできず、悔しい気分を飲み込んでフェルディナンド様とのやり取りを思い出す。

 

『こんな忙しいときに何言ってんだって感じだよねー。ただ何でかいましかないなって思って。以前も言ったと思うけど、あのときだって途中で誤魔化しちゃったけどさ、ちゃんと本気だったよ』

 

 そう言って鼻の頭を掻くフェルディナンド様に返す言葉を思い付かず、ただただ驚きで目を丸くして口をつぐんでしまった。かといってそんな私を見た彼は動揺するでもなく、前髪のガラスビーズを弄りながら――、

 

『あ、でもいますぐ“ごめんなさい”は止めてね。悪いんだけどこの件が片付くまでは保留にしといてくれない?』

 

 ――と言ってくれたけど、フェルディナンド様くらい魅力的なら、他にもっと相応しいお相手がいるのに謎でしかない。

 

 でもあの後すぐ何事もなかったように本筋の話題に戻ったから、あれはよもや私の恥ずかしい聞き間違えだったのかと思っていたのに……いまここに頼んでもいない証人が現れてしまった。

 

「だったら盗み聞きしていた件は許しますので、代わりに脚本家の貴男に質問させて下さい」

 

「このままだと今後の予定に差し支えそうですし、ボクが答えられる範囲で良いのでしたらどうぞ」

 

 鷹揚極まる態度で先を促されたことに思うところがないわけではないが、ここは教えを乞う身だ。内心盗み聞きしといて態度がでかいだろうとは思うけど、なるべく下手に出ようと己を律する。円満な職場環境を守りたい。

 

「恥ずかしながらこういったことには非常に疎い身でして。ああいった台詞は親愛とどう区別できるものでしょうか。つまりちょっとした勘違いだとか、一時の吊り橋効果的な気の迷い的なことはあり得ませんか?」

 

「現実だとあるのかもしれませんが、人生を舞台に置き換えるとしたら、舞台は限られた時間の中で行われます。だとすればふざけている時間などありません。観客はそう言った下らない時間の使い方は好まない。席を立たれたくなければ無駄な演出は削ぎ落とすでしょうね」

 

 至極尤もなご意見だ。とりつく島もない。でも同時に納得もしてしまう。本職の手によって恋愛弱者な私の退路が完全に絶たれたことで思わず唸るが、イザークはさらに言葉の矢を射ってきた。

 

「一つだけ忠告をするとしたら、貴方は極身近な物事にもっと目を向けると良いでしょう。さぁ、これで貴方の質問には答えましたね? ここからはさっさと話を詰めていきますよ」

 

 イザークはそう言うと、きっと劇場の稽古でもそうしていたのだろう。パンッと手拍子を一つ。熱を持たないガラス玉のようなその双眸を私がさっき手渡した資料に向けた。

 

 そこにはフェルディナンド様から聞いた情報として、一度フランツ様の教育係の任を解かれたホーエンベルク様率いる騎士団と、各領地の私兵を率いた王家派の貴族達が飛び地に向かって兵士を向かわせたとある。名目上は王家に対する反逆者とその協力者の捕縛。

 

 ただしこれはあくまでもランベルク公と手を組んだ相手国側への威嚇だ。兵士を寄越されたことで向こうの動きが止まるなら、まだそこまで大事にはならないだろう。しかし問題は向こう側がランベルク公を匿い、こちらと一戦交える動きを見せた時だ。

 

 向こうの国は恐らく今回の件にそこまで多く自国の兵士を出したがらない。狙うは棚ぼた程度の気だろう。だとしたら使われる戦力はイザークと私も居場所を知らないリベルカ人の男性達だ。そこにはきっとロロさんの夫で、ユニの父親である人物もいる。

 

 遊戯盤の上とは違い本物の血が流れてしまう。私は教え子に血が流れる自国の歴史を見てほしくない。たとえそれがただのエゴだとしても、前世からのあの子の先生ですから。

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