転生家庭教師のやり直し授業◆目指せ!教え子断罪回避◆   作:タナゴコロ

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★9★ 社交シーズンの到来と試練。

 

 暖炉中で火に纏わりつかれていた薪が、ゴトリと音を立てて崩れた。もう少し前までのように慌てて薪をくべるような気候ではないものの、その音で一瞬だけ途切れていた会話が再び動き出す。

 

「ヴィーもマメだよなー。あと三日もしたらオレは領地に帰るんだし、それからうちの屋敷を訪ねて来たっていいだろ。その方がベルタ嬢に目撃される心配もしないで済むぞ?」

 

 貴族同士の交流が嫌いなエリオットが、住込みではなく仮暮らしであるとはいえ、特に問題も起こさず任期を勤めきるとは正直思っていなかった。それだけ彼女との仕事はこの自由人な男にとって居心地が良かったのだろう。

 

 手許にある彼女を描いた絵にも、いつの間にか瞳に穏やかそうな感情が宿っている。やや斜めを向いた視線の先にいるのはおそらくだが、教え子の令嬢に違いない。ヘビの縫いぐるみを肩にかけて頭を持ち上げる様は、失礼ながら童話に出てくる魔女のようだ。

 

「彼女の教育方針や生徒のことを聞けるのなら、別にそれぐらいの危険は構わん。今まで存在は知っていても、親の期待に沿えず社交界でも噂を聞かなかった娘が注目され始めた。社交場で脚色される前の情報を得る伝手があるなら使うさ」

 

「とか言って、ヴィーはほとんど授業風景についてしか興味ないだろ。使った教材や授業の内容とか聞いてこないし」

 

「教材は全て彼女の手製なのだろう。ならばそれは彼女とその教え子の財産だ。授業内容の組立てもな。俺が知りたいのは生徒への接し方だ。何でも無表情でこなしてしまうあの方の表情を引き出すのも、俺の教育者としての仕事だからな」

 

「相変わらず頭が固いねー。そんなだから五年目にもなってまだ生徒と距離があるんじゃないの? 確かそっちの生徒は十歳だったよな」

 

 その容赦ない発言に苦笑すれば、エリオットは言いすぎたと感じたのか珍しく「……悪い」と言って頭を掻いた。乱暴にかき混ぜられた髪のガラスビーズがチャラチャラと鳴り、気まずそうな表情でありながらどこか間が抜けて見える。

 

 第一こいつが謝罪の言葉を普通に口にすること事態本当に珍しい。少なくとも以前までなら口を滑らせたという表情を見せる程度だった。

 

「お前が殊勝に謝っても気味が悪いだけだ。止めておけ」

 

「あーあ、言ってろバーカ。単にオレもちょっとお前の苦労が分かったって言いたかったんだよ」

 

「それはそれは……俺の苦労も軽く見積もられたものだな。しかしお前にそんな一般人の感覚を植え付けた彼女には敬意を抱く。俺も家庭教師としての心得を彼女にご教授願いたいものだ」

 

 学生時代から変わらない軽口の応酬をしつつ、脛を蹴ろうと伸びてきたエリオットの爪先を回避する――が。

 

「たぶんだけどなー、ベルタ嬢は今年も社交シーズンに王都に行くぞ。雇い主が今まで見向きもしなかった子供の顔出しに張り切ってる。その都合で本人もどこかの夜会とかに出席するかもよー?」

 

 何故そこで彼女の名を持ち出すのかとは思ったものの、確かにニヤリとしたエリオットのその言葉に心が揺れたのは、悔しいから黙っておいた。

 

◆◇◆

 

 社交シーズン到来の四月。

 

 ……別に一ヶ月前にエリオットの寄越した、あやふやすぎる情報を鵜呑みにしたわけではないが、それでも彼女やその妹の出席していそうな夜会や茶会を当たっている自分が情けない。

 

 去年までは社交界シーズンと呼ばれるものが億劫で、本当に必要なものにしか出席していなかったくせに、今年はシーズン開始直後から、すでに前年出席した数の倍の夜会と茶会に出席している。

 

 しかし精査しているとはいえ、運に賭けるような出席方法でそう易々と彼女に出逢えるはずもなく。今日も演劇好きで有名な某・子爵家の夜会に出席したものの、あまり期待はしていなかったのだが――。

 

『ねぇ、お姉さま。こちらのケーキも美味しそうですわ』

 

『あら本当ね。でも……ふふ、アンナは去年からさらに綺麗になったのに、夜会の楽しみ方は去年からあまり変わっていないのね?』

 

 男性出席者達が不自然に足を止める会場の一角から探していた人物の声が聞こえ、慌ててそちらに向かおうとした矢先に急に肩を誰かに捕まれた。邪魔が入ったことに若干の苛立ちを感じつつも、笑みを張りつけて振り返ったそこに立っていた人物は――。

 

「ああ、やはりホーエンベルク殿でしたか。娘達にご用件でも?」

 

 目の奥がまったく笑っていない美貌の文官。早くに妻を亡くして以来再婚もせずに、社交界で女性達の羨望を集めるハインリヒ・エステルハージその人だった。

 

 

「これはエステルハージ殿。このように夜会で顔を会わせるとは珍しいですね」

 

「はは、確かにそうですな。しかしそれは貴方が本来この手の催しにあまり顔を出さないからでは?」

 

 体勢を整えようとしたところでにこやかに心理的な足払いをかけられる。流石は城に勤めている文官の中でその見目だけでなく、仕事ぶりでも信頼されている人物だけあって防御が堅い。

 

 領地こそ小さいが、元々エステルハージ領は昔から安定した土地柄だ。それが近年ではベルタ嬢とその妹の尽力でさらに評価が上がっている。加えて第一王子派とも第二王子派とも距離を置く当主の彼は、容易に政治的中立派の姿勢を崩すつもりはないだろう。

 

「ご用件があるのであれば私がお聞きしよう。娘達は先程まで挨拶回りをしていたところで疲れている。休ませてやりたい親心です」

 

 要約するに“耳に入れるかどうかはこちらで決める”ということか。だとしたら明らかに教育について語るのは避けた方が無難だ。それに何より俺自身が何と話しかけようかまったく考えていなかった。

 

 ただ彼女の声が聞こえたから、反射的にその声が聞こえた方向に向かおうとしただけの何の意味もない行動だ。有効な言葉を思いつけずに口をつぐめば、エステルハージ殿が呆れ顔で短い溜息をついた。

 

()もそうだと言うわけではないが、次女の気を惹くために長女に話しかける無礼な輩が多くてね。ついこうして尋問官のようなことをしている。美しい娘を二人も持つと男親は気苦労が絶えん」

 

 不機嫌に表情を顰めた彼がそう口にした言葉に、こちらまでその無礼な輩とやらに不快感を抱く。彼女の価値が分からない三流以下の連中に対して、殺意に似た感情すら持った。

 

「心中お察し致します。ベルタ嬢もアンナ嬢も、共に素晴らしい能力をお持ちだというのに。俺が親でもきっとエステルハージ殿と同じことをするでしょう」

 

 波立つ感情を抑え込んでそう答えると、彼はご婦人方を骨抜きにするダークグリーンの双眸を細め、薄く笑った。

 

 一見穏やかそうに見えるその微笑みを向けられた俺は、ここが人気の多い夜会場であることに内心感謝する。真意の見えない微笑みを向けられるのは、抜き身の剣を向けられるのと相違ない。

 

「まぁ、こちらの言いたかったことは以上ですな。それで、貴方が娘に話しかけたい会話の内容は思い出せただろうか?」

 

「はい。ベルタ嬢になかなか心の距離が縮まらない生徒との関係に、何か助言をもらえたら……と」

 

「成程。その質問内容なら確かに私の長女が適任だ。あの子から有意義な答えが引き出せるよう祈っているよ」

 

 今度こそ親の公認が下りた。すると彼はもう話の済んだ俺に興味をなくしたのか、こちらのさらに後方へと視線を向けて「君もいつまでそこにいるつもりだ」と、やや柔らかい口調で声をかける。

 

 振り向くと少し離れた場所に長身を丸めたヴァルトブルク殿が立っていた。熊の身体にノミの心臓と揶揄される気の弱い彼にしてみれば、エステルハージ殿の前に辿り着くまでに心の準備が必要だろう。

 

 手にしている本の題名を見るに彼のお目当ては妹のアンナ嬢の方だ。そのことに若干安堵する自分に戸惑いつつも、せっかく取り付けた許可をグズグズしている間に撤回されても困るので、彼には一人で立ち向かってもらうしかない。

 

 背後のヴァルトブルク殿と正面のエステルハージ殿に会釈をし、ようやく彼女達が会話に花を咲かせるテーブルへと近付くと、こちらの接近に気付いたアンナ嬢が悪戯っぽく微笑んだ。

 

「ふふ、見てお姉さま。お父さまのお許しを得た勇者がいらしたようよ?」

 

 その言葉でこちらに背を向けていた赤煉瓦色の髪の令嬢が、ゆったりとした動作で振り返る。

 

「まぁ、どなたかと思ったらホーエンベルク様でしたのね。妹にご用の場合は私が最後の防壁として立ち塞がりますが、どちらにご用なのかしら?」

 

 家族が近くにいるせいか、いつもより心持ちあどけなさの残る微笑みを向けられたせいで、本題を切り出すのが一拍遅れた姿に気付いたアンナ嬢に笑いを提供してしまったのだった。

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