転生家庭教師のやり直し授業◆目指せ!教え子断罪回避◆ 作:タナゴコロ
久々にお茶会のない一日を手に入れたので、教え子と二人、朝から温室の一角でのんびりと貯めていた教材を消化していく。このところ少し授業が遅れ気味ではあるけれど、焦って詰め込むのは駄目だ。
楽しんで憶えなかったことは驚くくらいあっさりと忘れてしまうものだから、授業の開始が朝の十時からと早目ではあるものの、いつものように小休止を挟んでのミニゲームも忘れずこなす。
ちなみに今回は彼女好みの政治家穴埋め問題である。枯れ専というのとはまた違うのだろうけれど、政治に携わる人物は比較的年齢層が高くなるため、どうしても渋い感じになるのは否めない。
けれど途中まで水を得た魚のように穴埋め問題を解いていた教え子が、ふとその手を止めた。それに伴い生き生きというよりも爛々としていた瞳の色が翳る。
「あの……先生、質問したいことがあるのですが」
その控えめな声量と歯切れの悪い物言いに、こちらも次に出題する問題を選ぶのを止めて視線を彼女に合わせ「どうぞ」と先を促した。
「わたくしも、お姉様達のように結婚しなくては駄目なの……?」
ややあって教え子の口から発された言葉の背景にあるものを大体察した。そしてそういう将来のために私は彼女の傍につけられている。
ここが
「侯爵……お父様がそう仰られたのですか?」
「いいえ、お母様です」
そういえばそっちもそんな感じだったかと舌打ちしそうになった。両親共に野心家だと子供の気苦労も絶えないだろう。前世でも教育熱心な親御さんが子供に期待をかけすぎる場面をよく目にしたけれど、ここでもそれは変わらない。
むしろ家同士の繋がりを強固なものにするための責務がある分、こちらの世界の方が子供への干渉は過剰だ。恐らくだが、このところアウローラがやればできる子だというところを見せすぎたのだろう。
「結婚はいずれはしなければならないものではありますが、今のアウローラ様はまだお勉強が必要な時期です。この頃はお茶会に顔を出すことが多くなってお勉強が遅れがちですから、私から少しお茶会への出席を減らして頂けるよう侯爵様にお話しておきますわ」
こちらが意図してのことではなかっただけに油断したけれど、このままではまずいということが分かった分だけ早く軌道修正ができる……が。
「先生は? 先生もいつか結婚してどこかにいってしまうの?」
急に何かに急き立てられるように声を上げ、しがみついてくる小さな手。その意外な力強さにほんの少し驚いた。
「それもお父様かお母様に仰られたのですか?」
「は、はい……」
やれやれ、本当にろくなことを吹き込まない両親だ。せっかく味方が現れたのにいなくなると言われたら、誰だって動揺するだろう。ましてやこの子はまだ子供。庇護する立場の大人が脅してどうするというのか。
「ではアウローラ様が今より少し大人になって、将来結婚してもいいと思える素敵な婚約者を見つけられるまで、私は結婚して家庭教師を辞めないと約束します。それなら安心できますか?」
本音は単に結婚に対して無関心で、そもそもできるか分からないだけなのだが、そんなことは言わなくてもいい。
その後は落ち着きを取り戻したアウローラと一緒に再び課題をこなし、門限である七時に間に合うように帰宅したけれど、帰宅直後に執事から受け取った伝言の内容に苦笑したのだった。
***
伝言を受け取ってから四日後の非番。
差出人は前回うっかり本音と建前を逆に伝えて凹ませてしまったある人物。懲りずに誘われて最初は戸惑ったものの、内容的には授業の意見交換といういつものものだったので、それに応じる旨の返事をしたのだけれど――。
待ち合わせ場所に指定していた本屋の前に立っていたのは、ホーエンベルク様と見知らぬ美……少女なのか少年なのか、性別のあやふやな子供だった。
「今日は急に呼び出したりしてしまってすまなかった。休日だというのに応じてくれてありがたい」
「いえ、そんな。一人で授業の組み立てをしていては思考が固定化しますし、意見交換をするのは刺激があって有意義ですもの。こちらこそ呼んで頂きありがとうございます」
そう私達が表面上にこやかに挨拶を交わす間、彼の隣にいる人物はジッとこちらを見つめてくる。パッと見た感じだと儚げな美少女だけど、服の袖口から覗く手は同じ背格好の少女に比べて男性的だ。
肩口で切り揃えられた髪を結わずに流しているせいで性別の判断が揺れる。まさかこのゲーム内に、フェルディナンド様並の中性的美人(?)がいるとは思っていなかったからちょっと驚きだ。最近は育成ゲームのキャラクターも、随分綺麗な顔立ちをしているものらしい。
「ええと……そちらは?」
「母方の親戚で俺の従兄弟だ。うちの屋敷を拠点に遊びに来ているのだが、本屋に行くと言ったらどうしてもついて来たいと言うので連れてきた。邪魔をしないように言い含めてあるから気にしないでやってくれ」
「まぁ、そうでしたのね」
一瞬チラリと彼の教え子である可能性も考えた。明らかに胡散臭い説明だけど……いきなり疑えるほど彼の家族関係を知らないし、何より外見が似ていないのも血が遠いと言われてしまえばカタがつく。
しかし今日ここにアウローラがいないのであれば、彼がここに教え子を連れてきた理由が分からない。それともこれも何かしらの分岐点なのだろうか?
ただ何にしても、下手に詳しく聞き出そうとしてゲームで説明のなかった地雷を踏むのも困る。相手は多感なお年頃。教育に携わるものならば細心の注意を払って挑むべき対象だ。
気を抜けば胡乱なものを見つめる視線になりそうなところを、グッと堪えて「初めまして」と微笑めば、それまでホーエンベルク様と私を興味深そうに眺めていた少年も、ドキリとするくらい艶のある微笑みを返してくれた。
暗く深みのある金髪に、切れ長なトルマリンの色を宿す目。美少女と見紛う美少年は私に向かい、艶めいた微笑みそのままに薄い唇を開いた。
「初めましてベルタさん。僕はルド。大きな本屋に行くとヴィー兄さんに聞いたので、無理を言ってついてきてしまいました。今日はよろしくお願いします」
「あら、もう私の名前を知っているのね。それでは自己紹介は必要ないかもしれないけれど、私はベルタ・エステルハージ。お兄さんの同僚……みたいなものかしら。こちらこそ今日は一日よろしくね?」
親戚説を信じたわけではないけれど、向こうがそう言い張るなら仕方がない。同じ子爵家の十代前半の子に接する態度を貫こうと腹を決めた。
そんな私達の自己紹介を見ていたホーエンベルク様は、常と変わらず真意が読めない一見柔和な微笑みを浮かべて頷く。出会った頃より笑うと下がる眉と紺色に近い青い瞳には、同僚への親しさが込められているようで悪い気はしない。
そんなわけで私達は大人二人に美少年一人という奇妙な組み合わせで、教育業に従事する人間からしてみれば、垂涎ものの品揃えを誇る大型書店のドアを潜った。
***
同じ建物内に相当数の人間を収容しているはずなのに、紙に音と気配が吸収される異空間に溶け込んでから二時間ほど。
延々と壁一面、天井までみっしりと本を納められた棚の間を、ホーエンベルク様と手分けして次の授業に使えそうな本を探し、前回購入した教材と内容のかぶった部分がないかを確認する。
この作業は人手があればある方が楽なので、今日の誘いを受けたのも実はほぼこのためだ。二人いれば単純に二倍の早さで目的の物を発見できる。
「何かいいものは見つかっただろうか、ベルタ嬢」
「こちらの本の内容がとても気になるのですが……前回購入したものと一章目がほとんど同じ部分の歴史に割かれているんです。七章仕立ての本の一章を丸々捨てると考えると少し悩みますわね。そちらはどうですか?」
「こっちも似たような感じだな。学術書の出版物は内容かぶりが多くて困る」
歴史書は出版された年代や作者によって内容に結構な差が出る。それというのも、作者がその時代のどの英傑や国が好きであったかで視点が変わるからだ。本来教材としてあってはならないことだけれど、注釈に主観を挟む作者もいる。
しかしそれも一概に悪いとは言えない。歴史を学ぶ人間にはオタク性を強く持つ人が多いからか、歴史の狭間に埋もれた物語を掬い取る教材に当たったときは、小説を読む気分で勉強できてお得なのだ。
あと、飽きがこなくて非常に捗る。前世はこの手でイケメン俳優が出てくるドラマや映画の出版物を教材代わりに使用して、かなり歴史の点数を稼がせて頂いた。
歴史の中に埋もれたロマンス。親友や兄弟との訣別の末に繰り広げられる死闘。
「歴史系は特にそうですものね。でもその中から物語性が強くて面白そうなものを探すのも私達の仕事の内です。教え子のやる気のために頑張りましょう」
「そうだな……それなら少し探し方を変えてみよう。同じような内容でも、出版された年代と作者別に並べてある棚がないか聞いてくる。ベルタ嬢はルドと一緒にこの辺りで待っていてくれ」
「分かりました。よろしくお願いしますね」
段々と様になってきた連係プレーを駆使して会話を切り上げれば、いつからこちらを見つめていたのか、美しいトルマリンの瞳と視線がぶつかる。
「本当にまったく構えないでごめんなさい。私達は本を探し始めるといつもこんな風なのよ。退屈していない?」
「はい、大丈夫です。今はこちらの棚にある本が初めて見る形のものばかりなので、どういったものなのか興味があって眺めていました」
こちらの問いかけにそう答えたルド少年(仮)の手には、きちんとした製本をされていない、前世で言うところの同人誌本があった。
普通の小さな本屋にはないけれど、ここくらい大きな本屋になると、才能の先物買いとして無名の作家の本や、作曲家の楽譜を買い取って棚に並べている。中には本の形にすらなっておらず、木箱に頁数を書き込んだ原稿を入れただけのものまであるのだ。
多種多様で不格好で、それでも触れれば熱を持っていそうな本達は、彼でなくとも気になって手を伸ばしてしまう魅力があった。実はアンナの翻訳した本も数冊並んでいたりする。
できあがれば初版のものを送ってきてくれるのだが、売上に貢献したくて自費でも購入しているのは内緒だ。
「ここは色々な本があるから私も良く覗くの。何か面白そうな本はあった?」
訊ねながら彼に近付き、その間に本棚に並ぶ背表紙に視線を走らせる。前回来店したときには見かけなかった本があったので、それをついでに引き抜きながらルド少年(仮)の隣に並べば、彼は「僕はこれが気になりました」と言って、手にしていた本の表紙を見せてくれた。
その表紙の題名と翻訳者の名前を目にした途端、私は自分の中で勢い良く警戒心メーターが下がっていくのを感じた。
「どうしてこの本が気になったのか聞いてもいいかしら?」
最早完全に地につきそうな警戒心メーターを、諦め悪く人差し指の第一関節分くらいで持ちこたえて訊ねる。
するとルド少年(仮)は、一瞬だけ口ごもってから「ドラゴンが出てくるので……」と教えてくれた。ああ、ちゃんとこの年頃の男の子らしい理由だ。当初よりこの子を見る色眼鏡の度数がガクンと落ちてしまった。それというのも――。
「この本が気になってくれて嬉しいわ。翻訳者のアンナ・ホテクは私の妹なの」
「え? でも……姓が違いますが」
「ホテクは母方の姓よ。本名はアンナ・エステルハージなの。妹の翻訳した本に興味を持ってくれてありがとう」
視線の高さを合わせるために屈んでそう囁けば、