転生家庭教師のやり直し授業◆目指せ!教え子断罪回避◆   作:タナゴコロ

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*7* こんなところにも落とし穴。

 

 冬の土を覆い隠す雪の香りがすっかり失せ、空は淡い春先の水色。晴天とはいえ陽射しも優しい。なかなかの乗馬日和だ。

 

 以前まで妹と相乗りしていた黒毛の牡馬に教え子を乗せ、一人で馬に乗れるようになった妹は栗毛の牝馬に乗っている。番の二頭は仲睦まじく時々鼻先を寄せ合いながら、長閑に目的地を目指す。

 

「アンナその調子よ。手綱を扱うのが上手になったわね」

 

「うふふふ、こう見えてお姉さまがこちらにいない間に、たくさん練習しましたもの。最初の頃はお尻と太股と脹ら脛が痛くて痛くて。これで褒めて頂けなかったら、拗ねてしまうところだわ」

 

 私が家庭教師として領地を出た直後から乗馬の練習をし始めた妹は、そう言って馬上で胸を張った。まだ私が褒めて喜んでくれるところが実に微笑ましい。

 

 前に座っていたアウローラもしきりに頷いていたかと思うと、意を決した様子でグッと拳を握りしめ、口を開いた。

 

「凄いですわアンナお姉様。まるでお伽噺の姫騎士みたいです」

 

「え……そ、そうかしら?」

 

「はい。まるでアンナお姉様が翻訳していらっしゃる本の中から飛び出したようで、とても素敵ですわ」

 

 どうやらあの謎な頷きと拳は言葉を探している状態だったようだ。アウローラからの素直な称賛に「これくらいで褒めすぎよ」と答えるアンナの表情は、言葉とは裏腹に緩みきっている。

 

 美少女はしまりのない表情まで可愛い。可愛さレベルで表すなら、朝起こしに行ったときのちょっとあれな寝相と寝顔のときと同じくらいだろうか。

 

「それじゃあ、もう私が隣にいなくても丘の上まで一人で来られるわね?」

 

「え? お姉さま?」

 

「アウローラ様との約束があるから、私達は一足先に丘の上まで駆けるけど、アンナはあとからゆっくりいらっしゃい」

 

 自信満々だったその表情が急に不安げに曇ったけれど、妹の乗っている牝馬は気性の大人しい子だから、余程下手なことでもしない限り大丈夫だ。

 

「上からアンナの頑張りを見ているから、しっかりね」

 

 そう言い残して黒馬の脇腹を足で軽く蹴ると、合図を受け取った黒馬はそれまで咥えて遊んでいた馬銜を噛み直し――……前方に見える緩やかな丘の頂上を目指して、風のように駆け出した。

 

 ――、

 ――――、

 ――――――……。

 

 あっという間に丘の上まで駆け上がってしまったものの、アンナの乗った栗毛馬は、まだ結構遠くに見える。到着直後は馬上ではしゃいでいたアウローラの興奮状態も、通常時よりやや高めくらいまで収まってしまった。

 

 人間を二人も乗せて頑張ってくれた黒馬は、お駄賃の角砂糖を与えて近くの木の枝に手綱を結んで休ませてある。頭上を小鳥達が軽やかに飛んでいき、若葉の間から覗く小花には蝶が遊ぶ。

 

 私達もそんな丘の斜面に腰を下ろし、言い残した通りゆっくりとこちらを目指すアンナを見守っていたけれど、そのときふと隣に座る教え子が口を開いた。

 

「先生、もしも……もしものお話ですけれど」

 

「はい、何でしょうか?」

 

「お父様もお母様も、お姉様達もいなくなることがあれば……ずっとここにいてもいいですか?」

 

 瞬間、心拍数が跳ね上がった。この台詞にとても良く似た、途中までは穏やかなバッドエンドを私は知っている。一定のバッドエンドイベントを回避し、教え子との距離が近付きすぎて好感度が満タンになっているときだ。

 

『“わたくしね、先生がいれば、皆いなくなっても平気なの。だから――”』

 

 能力値は全上限いっぱい。自信をつけて美貌も手に入れた彼女は蕩けるように艶やかに微笑んで、画面越しにこう言うのだ。

 

『“他にはみーんな、いなくなって(・・・・・・)もらったわ”』

 

 あのスチルを思い出してドッと吹き出した冷や汗が背中を濡らす。製作者側の正気を疑い、頭を抱えたヤンデレ百合ルート。

 

 その場合ベルタ()は教え子の雇った裏家業の人間に馬車に詰め込まれ、彼女と一緒に侯爵一家殺害の犯人として逃避行に出なければならない。ふふ、怖。

 

 可愛い教え子の変貌ぶりに心を病みつつ、見捨てることなどできないベルタの最後は、育成ゲームとはいったい何ぞや? という哲学にまで思考が及ぶ見事なバッドエンドだ。

 

 返事をしない私を気にして振り向いた教え子の不安げな表情に、声に動揺が混じらないよう注意しつつ「ええ、勿論ですわ」と答える。すると彼女はみるみるうちに笑顔を取り戻した。

 

 この笑顔を守るためなら、もっと甘やかしてあげたい。外界からの酷い言葉など聞こえてこないように、柔らかな綿花でくるんでやりたい。でも――。

 

「そんな悲しいことを想定しないでも、ここに滞在したいときは仰って下さい。私から侯爵様に話をしてみますので」

 

「本当ですか? 本当の本当に?」

 

「ええ。本当の本当の本当にです。きっとアンナも喜びますから」

 

 そう言いつつ丘の下から必死で馬を操る妹の方へと視線を向ければ、教え子もつられてそちらを見下ろす。

 

 教育者の端くれとして育った環境が特殊で肩入れしてしまったからといって、甘い言葉と優しさだけを与えてはいけない。だというのに私は、散りばめられた教え子の卑屈な言葉に対して『“貴女のせいではありません”』を連発した。

 

 ――あれが、後々ボディーブローのように効いてくるとも知らずに。

 

 いや、でもあれは十七歳くらいのルート分岐ではなかったのかな? まだ十歳にもなっていないのにその片鱗を見せるとか早くない? これは油断とかじゃなくて流石に予想不可能。

 

 このゲームには隠しパラメーターで【依存度】とかがあるのだろうか……。

 

 何にしてもいまのままだと情操教育に問題があるみたいだ。誰でも良くはないけれど、ここは教え子がヤンデレ百合に目覚めないうちに、歳の近い異性に出会わせた方がいい。

 

 そのとき私の貧相な人脈ネットに引っかかったのは、去年の社交シーズンに出会った一人の少年。ホーエンベルク様の遠縁(仮)で、物腰の穏やかで賢そうな彼ならあるいは……と考えた、が。

 

 いくらなんでも手近すぎな上に私の都合すぎる。自分の教え子が同じ扱われ方をされたら絶対激怒するのに、それをホーエンベルク様にしようとするのも如何なものかと。

 

「……情操教育がいるのは私の方よね……」

 

 こっそりと溜息混じりに呟いた言葉は、半泣きになったアンナの応援をする教え子の声に紛れて消えた。

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