転生家庭教師のやり直し授業◆目指せ!教え子断罪回避◆ 作:タナゴコロ
右を向いても仮面。
左を向いても仮面。
一口に仮面と言ってもサングラス型のものから、顔面をほぼ覆ってしまうもの、鼻まで隠すものなど、形状だけでも種類がある。どれも目を惹く装飾を施されているだけあって圧が凄い。
そこにイヌ、ネコ、シカ、トリ、ウサギ、などなど、まるで鳥獣戯画の中に入り込んでしまったのかと錯覚するデザインに、これが現実のできごとなのか夢なのかすらあやふやになる。
三週間前にフェルディナンド様に誘われた仮面舞踏会の会場なのだから、ある程度は覚悟していた。しかし小規模な身内だけのものという言葉には偽りありと言わざるを得ない。
かなり賑わっているうえに煌びやかだ。しかも決して悪趣味にゴテゴテとした装飾がしてあるわけではなく、フェルディナンド家に縁があるのだなという品のある会場内。これは結構な倍率で皆さんお呼ばれしたのではないだろうか。
『当日はあっちで偶然会った方が楽しいからさー、どんなのが送ってこられたかは教えないでね?』
招待状を手渡した友人や知人には、後日招待したお屋敷の方からランダムに当日着用する仮面を送られる。手続き的には前世のマラソン大会のランナー達に送られるゼッケンと同じだが、かかっている金額が明らかに違うだろう。
どれも個性的で美しい仮面は、当日会場で主催者側に返還するか、気に入れば購入ができるとは聞いている。けれど、ほとんどの人が購入するから毎回新しいものになるというのも頷けてしまう出来映えだ。
ちなみに私がいま着用しているのは、翡翠色のベルベッド地に黒色の刺繍糸で細かく目許に幾何学模様が描かれているもの。鼻の先まである仮面はメグロかウグイスを思わせる。髪色とちょうどいい感じに釣り合いがとれているので、パッと見そこまでおかしくはないはずだ。
ドレスは主張の少ない地味なものを……と、思ったのに、父と妹と、何故か教え子までもが張り切って素敵なものを選んでくれた。
上半身から下半身へと徐々に色の濃さを増す黄色のドレスは、袖が着物のように広がるタイプで、髪型はいくつか作った三つ編みを水引の梅の花っぽく纏めた。ドレスや仮面と相まって、そこはかとなく
本当はフェルディナンド様お手製のガラスビーズのイヤリングをしたかったけれど、正体のばれるものをつけてきては彼の言っていた楽しみが半減するだろうと思い、今回は置いてきた。代わりに形が不揃いで、色の差が楽しい淡水真珠の房形イヤリングをつけている。
誰か一人くらいと言わず、二人くらいはいそうな知り合いを探して周囲を見回していたら、ふとある女性の姿に視線が吸い寄せられる。淡い紫色のドレスは首の後ろで結ぶホルターネック。大胆に開いた背中はヒラヒラと羽衣のように流れる首のリボンに隠れて、そこまで露出が目立たない。
仮面は黒と紫のグラデーション。鼻の部分まで覆う形は鳥の嘴を思わせた。細い三つ編みを緩く両側で纏めている髪飾りが孔雀の羽根でできているせいもあって、何と言うか、かなり神秘的な装いである。
――けれど、入場して一時間でようやく出会えた知り合いだ。
見失う前にさっさと距離を詰めて捕獲してしまおうと、招待客達の間をすり抜けて紫色のドレスの女性を追いかける。そして肩を叩ける距離まで近付いた私は、その背中に声をかけた。
「こんばんは、アグネス様」
すると驚かせてしまったのか、思っていたよりも勢い良く振り返った女性は、こちらの頭の天辺から爪先までをザッと眺めてから、ゆっくりと息を吐き――。
「まぁまぁ、ベルタ様。この大人数の中で良くお気付きになられましたわね~」
そう言って、唯一覗いた口許で親しみのある微笑みを浮かべてくれた。のんびりしたいつもの話し方も、仮面をしているとやけにミステリアスでよろしい。成程、これが仮面舞踏会の楽しみ方なのかもね。
「ふふ、所作で何となく。今夜は髪を巻いていないのですね。新鮮だわ。それにそのドレスも……とても良く似合っています。シンプルなものの方が、アグネス様の姿勢の良さが際立つのね」
「そういうものかしら~? 自分ではこの仮面がないと地味すぎて……せっかく素敵なドレスを着ていても、煌びやかな空間ではかえって浮いている気がしますわ~」
「大丈夫です。とても良い意味で目立っていましたわ。同性なのに思わず見惚れていたらアグネス様だと気付いたくらいですもの」
「あら、お上手なんだから。そう言うベルタ様も、いつものカッチリとした装いとは違って新鮮でお綺麗ですわ~」
お互い一人で不安のピークだったせいもありその場で褒め合っていると、背後から「あれー? もうお互い見つけたの?」と声をかけられる。二人揃って振り返れば、そこにはフクロウを模した仮面の男性が一人。
楽しそうに唇を笑みの形に持ち上げたその相手を「「フェルディナンド様」」と呼んだのは、私も彼女もほぼ同時だったと思う。
ガラスビーズこそつけていないものの、飄々とした声と特徴的な髪色ですぐに正体が知れるのも考えものだ。今夜の趣旨に一番そぐわないのは、言い出した側の彼だったらしい。
「今夜はお招き頂いてありがとうございます」
「最初に伺っていたよりもだいぶ人が多いですわね~?」
アグネス様と揃ってカーテシーをとれば、フェルディナンド様も胸に手を当てて応じてくれた。こういうところはちゃんと紳士らしくてギャップがある。
――が。
「それね。オレももっと少ないかと思ったんだけど。やっぱり話題の遊戯盤の発案者が紛れてるって噂が流れてたからかなー。出不精で普段は絶対にこういうところに出てこない一族の奴もいたよ」
見直した直後にこうやってわざわざやらかしてくれる。しかしゲームのときのように、ひどく気分屋で協調性がなかったりはしない。芸術家仲間ではない私達とも砕けた様子で話してくれるけど……それはそれだ。
「あら、何か聞き捨てならない発言が混じっていた気がしますわ」
「いやいや、誤解だ。噂を流したのはオレじゃない。でもま、製作するときのやる気とか、これから協力を仰いだり、出資したがる人間を増やすのにはちょうど良かったかもよ。七月の終わり頃には妹さんのお芝居もあるんでしょ?」
お小言モードに入ろうとした私の言葉をそんな風に軽くいなし、口許だけでヘラリと笑いながら、逆に「それよりさー、二人とも今夜何人くらいに声かけられた?」と話題を振ってきた。
いきなりの謎な問いかけに「はい?」と声を上げた私とは違い、隣にいたアグネス様が「それなんですの!」と、突然興奮気味な声を上げたので吃驚する。
「何故だか今夜はやたらとダンスに誘われるんです。いつもはほぼ壁の花でしたのに。きっとフェルディナンド様の助言に従って縦ロールを封印したのと、注文したこのドレスのおかげですわ~。仮面を脱げばすぐにいつも通りでしょうけれど、生まれて初めて舞踏会を満喫しておりますの~」
嬉しそうに両手を胸の前で組んだアグネス様は仮面をしているけれど、まるでデビュタントを終えたばかりの少女のように可愛らしい。ゲームの種類が違えばヒロインになれる素質がある逸材だ。
この世界の男はいったいどこに目をつけているのだろうか。妹の想像力を分けてやりたい。するとそんなアグネス様の言葉を聞いたフェルディナンド様は、一瞬考える素振りを見せた後、再び口を開いた。
「うちの一族は才能とか振る舞いに惚れる奴が多いから、仮面を脱いでも平気だと思うよー。異性の小指の爪の形を熱く語られたことがあったくらい好みの幅が広い。ただ相手がうちの一族で、本気で相手をするのが嫌なら“美しくない”の一言で離れていくから。声が好みとかの場合は何度か言わされるけど」
人間に対する対処法というより、物語の中に出てくる妖精とかの扱いに近いけど……一族相手にいいのだろうかそれで、とは思わなくもない。あと地味にフェチな人が多いのは分かった。
ここまでくると芸術家とフェルディナンド家への認識が、私の中で段々と残念な方向へ傾いていっているのは仕方がないことだろう。
「それはまた何と言うか変……こだわりが強いのにガラスの心臓ですね」
「変態っぽくて傷付きやすいって素直に言ってもいいよ。たぶん皆自覚はあるから。それに芸術家なんて大抵そんなもんだって」
ヒラヒラと手を振りながら適当なことを言うフェルディナンド様を、仮面の下からチベスナ顔で見つめていると、アグネス様が「んふふふふ」と肩を震わせて笑っていた。
「まぁ、素敵。わたしのような地味顔にとっては持ってこいな夜ですわね。むしろ望むところです。燃えますわ~」
「うん。自信を持ってくれたようで何よりだ。それじゃあ一旦解散しない? オレも合流し損ねてる迷子のヴィーを探してくるからさ」
先に身を翻したフェルディナンド様の背中を見送れば、隣のアグネス様もグッと拳を握りしめて戦闘体勢に入る。
「ではベルタ様、今晩中にお互いに戦果を上げられるよう頑張りましょうね~」
彼女はそう言うと、さっきまでの心細そうな雰囲気とはうって変わり、機敏な足取りでダンスホールの方へと去っていった。
アグネス様とは違い、未だ妹と父に甘えて明確に結婚する未来が全然見えない私は、せめて真面目に取り組む人達の邪魔にならないようにと、壁の花になることを選んで会場の端へと移動する。
ありがたいことにそんな僅かな時間でも、幾人かが呼び止めてダンスに誘ってくれたものの、それらを全てお断りして会場内の端まであと少しというところで、グンッと手首を誰かに掴まれる。
急なことに驚いて振り返れば、渡りガラスをモチーフにしたらしい仮面をつけた、全身真っ黒な衣装に身を包んだ男性の姿があった。掴まれた手首は振り払えばすぐに離されるだろうけれど、引き抜けるほど弱くはない絶妙な力加減。
誰かは知らないけれどはっきりと分かるのは、この男性に“美しくない”と言ったところで手を離さないだろうということだ。そういった冗談の通じそうな友好的な気配がない。
「あの……どなたかお知り合いとお間違いになっているようですが、離して頂けますか?」
内心困惑しつつ、刺激しないようにそう言ったそのとき。ヌッと横から現れた大きな手が、私の手首を捉えていた男の腕を掴んだ。新たな人物の登場に視線を手の伸びてきた方向へと向ければ、そこには狼をモチーフにした仮面の男性が。
目の部分からは見知った紺色に近い青い瞳が覗いて、こちらの視線に気付くと“もう大丈夫だ”というように頷いてくれる。
「彼女は俺の連れだ。悪いがダンスパートナーなら他を当たってくれ」
そんな十代の女の子が好む小説の台詞を耳に拐われるという貴重な体験は、後にも先にも今日だけだろうけれど。握られた掌の温かさが、不安に冷えた心に心地良かった。
人気の少ない壁際付近から、賑わう中心のダンスホールへと招待客達の間を縫って向かう。その間も握られたままの手に少しの気恥ずかしさを感じて、前を歩くホーエンベルク様の広い背中を見つめるけれど、彼の歩みが止まることはない。
けれど彼のお陰でさっきの人物について考える暇が少しできた。ただ現状だと恐らく初対面だと分かるだけだ。あり得る可能性としては、また気付かないうちに知らないルートを踏んでしまったとかだと思う。
現に今夜の仮面舞踏会もいままで見たことがないルートだし、もっと挙げるならここに至るまでのことも色々初めてのことばかりだ。少しずつプレイしたことのあるルートが重ならない、未知のルートに切り替わっている可能性がある。
帰ったらここまでの数年間の情報と、憶えている限りのルートを整理した方がいいだろう。そうすることで何か新たな切り口を見つけられるかもしれない。
そんなことを考えながら周囲に視線を巡らせれば、そこには仮面の人々が交わす談笑と、音楽を奏でる楽団員達に向けて指揮者が振る
進行方向にあるダンスホールの中心近くにはちらりとアグネス様らしき姿も見えた。そうした光景を見ていると、段々と不整脈気味だった心臓も落ち着いてくる。さっき大きな声を出していれば、この空間を台無しにしてしまうところだった。
渡りガラスの男が追いかけてくる気配がないことに安堵しつつ、それでも後ろを気にしていると、いつの間にかダンスホールの端に立っていて。ホーエンベルク様に手を引かれ、演奏が次の曲に移る間を逃さずダンスに加わってしまった。
しかし身体に染み付いた慣れとは恐いもので、飛び込み参加であろうが勝手にパートナーと向かい合って手を組み、曲に合わせたステップを踏んでしまう。背中ばかり見ていたホーエンベルク様と対面したのは、今夜はこれが初めてだ。
髪型をオールバックに整え、深い紺色の正装に身を包んだ彼は、やや年齢不詳な感じになる。これで仮面が戯曲に使われるものならオペラ座の怪人みたいだ。長身で姿勢の綺麗な彼はさぞや舞台に映えることだろう。
「すまない。さっきは知り合いかと思って少し様子見をしたせいで、助けに入るのが遅くなった」
「いいえ、そんな。助けて下さってありがとうございました。けれどよく私のことがお分かりになりましたね?」
「別に助けたというほどではないだろう。それに貴方の姿なら遠目でも分かる。髪色と……歩いているときに頭があまり上下しないし、姿勢がいい。あとは、あまりこういう場は得意でないだろうから会場の端にいそうだと思った」
「ああ、成程そうでしたか。てっきり上手く装えずに、会場内で浮いているのかと思ってしまいましたわ」
確かに妹と一緒に出席したときもやや壁に近い辺りにいることが多かった。そんなことまで考えて周囲を見ていてくれたホーエンベルク様に感謝だ。そうでなければ今頃まだあの見知らぬ渡りガラスに捕まっていたに違いない。
「浮いてなど……こちらとしては、貴方が咄嗟に大声を出さないでいてくれたことに礼を言いたいくらいだ。エリオットの一族が催す舞踏会で騒ぎになるのは好ましくなかった」
被り物型ではなく目許を隠すだけとはいえ、リアルな狼の仮面をつけた口からそんな労りの言葉が飛び出したので、思わずあまりのチグハグな絵面に噴き出しそうになってしまった。
見た目的に上背もあって威圧感のある仕様なのに……この狼、紳士である。ただ私達が三人とも鳥なのに対して彼だけ狼とは、主催者側にこれを送るように何者かから指示があったとしか思えない。
というか、絶対フェルディナンド様が面白がって送ったと断言できる。仮面をしていても分かるというよりは、仮面の元になっている狼の顔がどことなく着用者に似ている……とは、本人を前にしては言えまい。
「ホーエンベルク様はリードがお上手ですね。とても踊りやすいわ」
「お褒めに与り光栄だ……と、素直に言いたいところだが、意外だったか?」
「ええ、実はほんの少し」
「これでも父が厳しかったので一通り必要なことは憶えている。貴方こそ社交場が苦手だと聞いていたのに、意外と見事なステップだな」
「教え子の前でみっともないステップは踏めませんもの。それにいつもあの子の授業ではフェルディナンド様がお相手なので、より一層」
「はは、流石に俺もエリオットとは比べるべくもないがな。あいつは芸術にかけては一切妥協をしない。その代わりあれに付き合えば、大抵の場所で気後れせずに踊れるようになるだろう」
そう言いながら軽く促されて一回クルリ。ステップの合間も途切れない会話にようやく楽しもうという気分が追い付いてくる。
腰に添えられるだけの掌も、拳一つ分開いた場所にある身体も、中性的なフェルディナンド様と比べてしっかりと男性らしいのに、不思議と安らぐのはリードの穏やかさだろうか。
初めて会った頃には何を考えているのか分からなかった瞳の奥も、いまではちゃんと笑っている。
「そういえば、フェルディナンド様達にはもうお会いになられましたか?」
「いや、まだだ。というよりも、仕事を抜ける時間が予定より遅れてしまってな。つい先程到着したところなんだ」
「まぁ、それでは私が一番最初の顔見知りだったのにお手間を取らせてしまったのね。申し訳ありません。この曲が終わり次第、フェルディナンド様達を探しに行きましょう」
「いや、あー……その、このままもう少し踊らないか。せっかくの舞踏会だ。しかもこんな奇妙な格好でというのも新鮮だろう?」
こちらの提案に彼はそう言うと、ステップに合わせて私の身体をターンさせた。しかし成程、妹の社交界デビューで王都に来るようになってから、舞踏会というのは今回がお初だ。
おまけにここまで凝った鳥獣戯画空間は、他ではまずお目にかかれないと思う。それならば彼の言うように、少しくらいこの雰囲気を楽しんでみるのもいいか。
そう思い直して若干気恥ずかしさを感じつつ「では、もう少しだけ」と答えれば、彼の口許が「喜んで」と動いて綻んだ。