転生家庭教師のやり直し授業◆目指せ!教え子断罪回避◆   作:タナゴコロ

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◆隙間編◆
◉1◉ 手紙の言葉で。


 

 領地に戻って三週間。一月から社交シーズン終了までを、丸々お姉さまと一緒にすごした反動で、すっかり自分で起きるという習慣が抜けてしまった。

 

 王都の屋敷にいる使用人の皆とは違い、生まれた頃から世話をしてくれる遠慮を知らないこっちの皆は、わたしが抵抗してくるまるシーツごとベッドから引きずり下ろし、ドレッサーの前に座らせる。

 

 欠伸を噛み殺して鏡越しに睨む自室の壁には、王都の屋敷前から別々の馬車に乗り込む際にお姉さまが『これを見て生活習慣を取り戻してね』と、手渡してくれた円形の予定表。

 

 たとえば夜は遅くても十一時就寝、朝は七時起床。八時までに朝食を終えて、十二時までは書類整理や翻訳の仕事……などという内容が、お姉さまの直筆で書き込まれている。わたしがこれを眺めるのが嫌にならないよう、端々に押し花をあしらってくる心遣いが素敵だわ。

 

 今日もそれを見ながら予定を当てはめて仕事をこなしていると、三時頃に郵便物が二つ送られてきた。一つはお姉さまからの手紙で、中身を少し確認したところ、ローラとの楽しそうな日常を綴ってある。

 

 こっちは夜寝る前にじっくり読もうと決めて、机の端のインクが飛ばない場所に置き、もう一方のヴァルトブルク様から届いた小包を開けてみたら――……。

 

 中には深緑の地に銀で牡鹿のレリーフが箔押しされた舞台のシナリオが一冊と、同じ装丁の施された一冊の小説、それに手紙が同封されていた。裏返して最後の頁をめくり、そこに捺された王都の出版物であることを示す初版印に思わず溜息が漏れる。

 

 表紙に戻って頁を開けば、原作者の部分にはアンナ・ホテク。原案者の部分にベルタ・ホテクと綴られていた。

 

 これまで顔も知らない原案者の名が載っていた部分にお姉さまの名前があって、原作者としては載せたことのない自分の名前がある。それがこんなに嬉しいとは思わなかった。

 

「綺麗……」

 

 表紙の牡鹿を撫でる指先が震え、見つめるタイトルの文字が滲んだ。

 

「本当に綺麗だわ……」

 

 一人きりの執務室で自分に言い聞かせるようにそう噛み締め、今度は舞台のシナリオを開いてみる。すると一番最初の頁にはやはりわたしとお姉さまの名前が書かれているものの、彼の名前は見当たらない。

 

 訝かしみながら一頁ずつ最後の頁までめくると、舞台の出演者達の名前が書かれている最後尾に、ちらりとそれらしい名前が載っていた。

 

「たぶん“ヴァルト・ブルックス”っていうのが、ヴァルトブルク様よね?」

 

 わたしと同じく本名で載せてはいないけれど、彼の偽名からはどことなく別人になりたい願望が透けて見える気がした。身長の高い彼のオドオドとした猫背と、絡まり気味の黒髪の隙間から見える赤みがかった琥珀色の瞳と、ふくふくしい大きな手を思い出してみる。

 

 彼は社交シーズン中どの会場にいてもいつも嗤われ、そのことを怒っているところを見たことがなかった。わたしが相手に噛み付きに行こうとすれば、彼は『本当のことだから、いいんだ。危ない目に合うことは、しないで』と。

 

 そう苦笑しながら体温の高い掌が肩に置かれるたび、胸の内側がモヤモヤとして悔しかった。彼の困った表情と、気弱に笑う以外の表情を見たことがない。

 

 ――思えば、社交シーズンの最終日もそうだった。

 

 領地に帰る前に劇場の皆のところへ寄り、家族への言付けや荷物を預かって待たせていた馬車で屋敷に戻ろうとしていると、向こうから癖毛の大きな身体が近付いてくるのが見えて。

 

 そこで荷物だけ馬車に積み込み、裏通りの子供達にせがまれるまま、上着のポケットから飴を取り出して手渡すお人好しな彼を待つこと数分。ようやくわたしの前に辿りついた彼は、開口一番他人のことで謝った。

 

 ルドという名のわたしの読者はいないと。その少年のことについて秘密を明かし、悲しそうに『黙っていて、ごめんね』と言ったお人好しさには呆れたわ。別にお姉さまさえ気にしていないならわたしにとってはどうでもいいし、彼がそのことで謝る必要なんてないと思った。

 

 あのときの少し腹立たしい気分がぶり返して、つい苛立ったまま手紙の封筒を開ける手つきが乱暴になったけど、中に入っていた穏やかな書き出しの文章に気持ちが落ち着いていく。

 

 初版を刷ってもらったから書店に並ぶ前の一冊を譲ってもらったこと、わたし達が領地に戻ってからの劇団のこと、新人賞に応募しようと思ってる新しい脚本のこと、次の舞台の演目のこと。

 

 手紙の中の彼はお喋り上手で博識だ。こんなにたくさん話すことがあるのなら、社交場でもっと堂々としていたらいい。そうすればきっと誰にも軽んじられることなんて――。

 

「そう……本人が別人になりたいのなら、なれないはずがないわよね」

 

 独り言にしてはやや大きな言葉と突飛な思い付きは、何だかストンとわたしの心に落ちてきた。

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