転生家庭教師のやり直し授業◆目指せ!教え子断罪回避◆ 作:タナゴコロ
――パシンッ!
――べチッ。
――スパンッ!
――べタッ。
鍛練場の片隅、丸く相撲の土俵のように取った円の中で、お手製のメンコが乾いた音を立てて砂埃を巻き上げる。ちなみに前者の音が私、後者の音がマキシム様だ。少し遠巻きにこのゲームの光景を見守る兵士達は、次々に床から減っていくメンコの枚数を気にしている。
何故こんなところでメンコなのかといえば、城の中で絨毯が敷かれていない場所で、通行人の邪魔になりにくく、警護の目もそれなりにあり、メイドの邪魔が入りにくいという難題を全部クリアできたのがここだったからだ。
この遊びは結構な体力を使うので、頻度は二日に一度。十五分ずつ二回に分けての真剣勝負である。初日の翌日は筋肉痛になった。
マキシム様は未だにメンコを投げるときに大きく振りかぶって、力任せに真上から床に叩きつける。風圧で一枚だけ端が浮くも、ひっくり返るまでには至らなかった。悔しそうな表情をする様は子供らしくて可愛気がある。
一見簡単なこの遊びにも投げ方や持ち方にコツがあるのだが、教えると勝負が長引いて面倒なので教える気はない。
対する私はマキシム様が返し損ね、隣のメンコに端を乗り上げたそれに狙いを定めてひっくり返した。同時に隣のもう一枚もひっくり返る。一度目のも合わせれば通算十五枚目だ。対する彼は四枚。
「今日も五枚以上の差で私の勝ちですねマキシム様」
「……見れば分かる」
「では明日までに課題を三頁追加しますね。分からないところがあれば、翌日の授業で質問を受け付けます」
「それも毎回言わずとも分かっている。皆、騒がせた。ベルタを送って戻ったら、わたしも鍛練に混ぜてくれ」
兵士達に向かってマキシム様がそう言うと、彼等は苦笑混じりに頷いていた。けれどいつものごとく私が会釈をすれば居心地悪そうに視線を逸らす。まぁ、彼等からしてみれば、こんなところに家庭教師がやって来るのは面白くないのだろう。
マキシム様の誕生式典から三週間。四月の社交界シーズンを目前に控えている午後の空気は、春の気配を感じさせる。
妹はまだ隣国でロングラン上演中で、先日も分厚い手紙と向こうの新聞記事の切り抜きが届いた。毎回手紙を止めてくれた誰かさんも、流石にあちらの国営郵便馬車で送られてくる郵便物には手が出せなかったらしい。
他国内から直送される郵便物に手を出すのは、政治的な介入と取られても仕方がないからだ。何にせよその手紙に来月には戻るとあったものの、社交界シーズンの最中に団員の皆も一緒とはいえ、婚約者でもないヴァルトブルク様との帰還。
世間の目はどうでもいいとして、姉としては密かに甘い話を期待してしまう。
それにしても教え子の逃走資金確保に始めた試みは、どんどん私の予期していない規模に発展していっている。
それに伴い現在フェルディナンド様は新製品の最終確認に領地に一旦戻り、四月の二週目頃に新しい遊戯盤を持って再登場予定。
アグネス様とマリアンナ様も女性用の遊戯盤の広告に、知り合いのお茶会へと足を運んでくれている。
一方私の教え子は――……と、不意に隣を歩いていたマキシム様がこちらに向かい、ズイッと手に持っていたメンコの一枚を差し出してきた。五国シリーズ中で私が愛用している紫色の大蛇のメンコだ。
「おいベルタ、本当にこのメンコという遊びにはコツがあったりしないのか?」
「さぁ、勘では? 勘を掴むことならマキシム様はお得意でしょう」
「お前のそういう言い方はどうも信用ならない。本当はあるんじゃないのか?」
「どうでしょう? 最初にお見せしたときは『こんな子供騙しな遊びがあるか!』と怒っていらしたのに。夜中に睡眠時間を削ってまで製作しましたから、あれには少々傷付きましたわ」
そうからかった途端に気まずそうな表情になることがおかしくて、ついその手から受け取ったメンコで額をペチペチと叩けば、彼は小さく「最初はそう思ったんだ……悪かった」と素直に謝る。話題の誘導に引っかかりやすい子だ。こういうところが時々心配になる。
あの夜のファーストダンスに交わした約束通り、翌日から休憩時間はそのまま授業時間を十五分延長し、このゲームに負けるごとに課題を三頁追加するという書面を作らせた。
「いいえ、分かって頂ければいいのです。これは私がマキシム様のためだけに作ったものですから」
本音は“現在勝ちっ放しなおかげで遅れ気味だった授業が捗って仕方がない。このままコツの追及など忘れて勉学に励んでくれたまえ”なのだが、根は素直らしい彼は「わ、分かった」と頬を赤らめて頷いている。
そんな様子を
「ベルタ先生! お迎えに上がりましたわ!!」
第二王子の婚約者候補の座をどこのご令嬢達より早く射止めた、私の可愛い自慢の教え子がこちらに駆けてくるところだった。
勢いを殺さず駆け寄ってきた教え子は、そのまま私に抱きついて停止した。
「ふふ、元気なご登場ですこと。アウローラ様お一人ですか?」
「いいえ、ここまではお城の兵士の方に送って頂きました。フランツ様とホーエンベルク様はまだお勉強中ですの。けれどわたくしが先生に早く会いたくて。三時のお茶にはまだ少し早いのですが、無理を言って連れてきてもらいました」
別れてから少し背が高くなったアウローラの頭は現在私の胸の高さ程度。ギュッと抱きつかれると母性を刺激される高さだが、見下ろす私と見上げる教え子の二人の世界に「ふん、それで護衛の兵士を置いて走って来たのか? はしたない」と、刺々しい横やりが入る。
そう言った彼の視線の先には、通路の向こうからこちらに敬礼する兵士二人の姿が見えた。彼等はマキシム様が軽く手を振ると、最敬礼をして引き返していく。持ち場に戻ったのだろう。
「あら……いらっしゃったのですねマキシム様。先生をここまでお連れして下さって感謝致します。それではまた明日お会いしましょう。ご機嫌よう」
輝く微笑みと背景にお花を背負っての登場から一転、スンッと表情をチベスナ装備に切り替える教え子。フランツ様の婚約者としてほぼ毎日城に姿を見せるのだが、毎回このテンションの低いご機嫌ようでマキシム様をたたみかける。
どうやら式典の席で、私を拐ったのが彼のためだったらしいと理解してから敵視しているようなのだが、前世のぞっこん状態では考えられなかったほど当たりが冷たいのだ。
まぁ、それでも前世ではほぼ虐げられての泣き顔か、理不尽な仕打ちを受けるときの悲痛な表情しかなかったものね……うん、そうだな。チベスナでもいい、天寿まで生きろ。
「こちらは事実を言っただけだというのに、聞く耳も持てないのか。これでは弟も今後苦労させられそうだな」
「申し訳ありませんけれど……先生のことを毎日振り回してばかりのマキシム様に
「何だと?」
「正直なお言葉を頂きましたので、こちらも事実を申し上げただけでございます」
「お前……口を慎めよ」
ここで恒例の言葉のドッジボールが勃発。十五歳と十歳の舌戦。教育者として感じることだが、相手を的確に詰る言葉を憶えるのは女子の方が男子よりも早い傾向にある……と思う。しかし流石に王城内で言い負かすのは子供同士の諍いとはいえよろしくない。
「マキシム様、歳下の令嬢の言葉にそう簡単に振り回されてはなりません。歳上の殿方はもっとおおらかな方が素敵ですわ」
「それでしたら、先生。フランツ様はおおらかな歳上の素敵な殿方ですわね」
こちらの火消しに間髪入れずにガソリンをまく教え子。多少こちらの話に耳を傾ける姿勢になっていたマキシム様の表情が険しくなった。前世を思えば教え子に肩入れしてやりたいところだけれど、ここは喧嘩両成敗が正しいか。
「アウローラ様、マキシム様の仰ったことの半分は、言い方に問題があれ正しいことです。フランツ様の婚約者候補となった以上、常に行いには注意が必要です。それと個性は人それぞれのもの。からかわれると嫌な気持ちになりませんか?」
「うぅ……」
「マキシム様、私は貴男にだけ我慢をするよう申し上げているのではありません。ただ無用な諍いの種になりますので、攻撃的な物言いはあまりなさらないで下さいませ。貴男の資質を誤解されては勿体ないですわ」
「……分かった」
こうして諭せばきちんと反省できるうちはまだ大丈夫だ。仲直りの握手をさせる趣味はないので、マキシム様の方に「また明日の授業でお会いしましょう」と伝えれば彼は小さく頷いて、兵士達と約束をしていた鍛練場へと戻って行った。
その背中を見送ったのち、目的地までの廊下を並んで歩く教え子にふとした疑問をぶつけてみる。
「アウローラ様はマキシム様をどう思われます?」
「……絶対に誰にも言わないですか?」
「ええ、勿論ですわ。私とアウローラ様だけの秘密です」
「先生と二人だけの秘密なら特別お教えしますわ」
そこで立ち止まり、爪先立った教え子の口許に屈んで耳を近付けると――。
「あの方とだけは何があっても絶対に婚約したくないな、という方です。お父様は少し残念がっておいででしたけれど、わたくしの婚約者候補がフランツ様で安心しましたわ」
ポソポソと耳打ちされた、子供らしさと大人っぽさの入り交じった言葉にほんの少し笑ってしまったけれど、前世では散々手を焼かされた報われない恋心のルートは、今世でようやく粉微塵に砕け散ったようだ。
今度こそこのルートで逃げ切り勝ちをさせてみせる――……!
ためにはまず、これまではほとんど送られてくることのなかった、見合いの釣書へ対して断りの手紙を量産する必要があるのだけれど。
多忙な父の目を掻い潜って送られてくる釣書の枚数は日毎に増え、酷い日には朝断りを入れたはずの相手から入れ違いに恋文が届く。顔も名前も知らない人物からの手紙は怖いものだ。
嬉しそうに手を繋いでくる教え子の姿を見下ろしつつ、いまから帰宅後に執事から手渡される郵便物の量を考えて、密かにゾッとするのだった。