宇宙大学の合格により男性になる権利は持っているフロルだが、その後タダと婚約し女性になる予定でいる。しかしフロルはそのことを両親には一切話していなかった。
ヴェネでは性ホルモンを受け取ることで成人と見なされ、法的には自分で結婚相手を決めることができる。フロルはこの機会に故郷に帰り、女性になり自分で決めた相手と結婚するつもりでいることを話そうと決心した。
いやな予感を感じたタダはフロルの里帰りに同行することにするが…。
宇宙大学の合格により男性になる権利は持っているフロルだが、その後タダと婚約し女性になる予定でいる。しかしフロルはそのことを両親には一切話していなかった。
ヴェネでは性ホルモンを受け取ることで成人と見なされ、法的には自分で結婚相手を決めることができる。フロルはこの機会に故郷に帰り、女性になり自分で決めた相手と結婚するつもりでいることを話そうと決心した。
いやな予感を感じたタダはフロルの里帰りに同行することにするが…。
*挿絵は画像生成AIを用いて生成した画像を必要に応じて加工して作っています。s
春の夕方。陽が傾き大学の寮の窓から斜めに陽が差し込んでいた。突然タダの部屋のドアが開き、フロルが入ってきた。寮の部屋のドアは5人まで顔認証を登録できる。タダとフロルはお互いの部屋は2人とも登録してあるので、どちらの部屋も自由に入れた。
「タダ、オレ、今度の試験休みヴェネに戻る」
大学は各学期の考査後一週間ほどの休みがある。一緒に旅行をしたこともあったし、ずっと一緒にアルバイトをしたこともあった。
「君、ヴェネにはもう戻らないって言ってなかった?」
「……通知が来たんだ。正式なヤツ」
「通知?」
「うん、見て」フロルはいつも首からさげているペンダント型の折りたたみ式端末を広げながら言った。見た目は大きめのペンダントだがスライドして大きくするとスマホ大から小型のタブレットの大きさにまで広がる多くの機能がついた優れものだ。鎖から外して最大限まで伸ばし、スクリーンを見せる。
「
「エッセ…ああ、女性ホルモン?」
その瞬間、いやな予感がした。タダは眉をひそめた。
「フロル、これってわざわざ取りに行かなきゃならない?性ホルモンだけだったら、純度の高いヤツが大学で簡単に手に入るよ」
フロルはいかにも傷ついたという表情でタダを見つめた。
――あ、地雷踏んだかな。
「あのさ、おまえ知らないから仕方ないけど」フロルは説明を始めた。
「ヴェネって性ホルモンをもらって始めて成人と見なされる訳。一律に何歳だからってんじゃないんだ」
「なるほど」
「で、成人すると自分で結婚相手を決められる訳なんだ。法的にはね」
「うん」
「オレ……実はおまえと婚約してること両親には言ってない。だから今回行って、成人したところで話してこようと思うんだ」
「わかった」やっぱり行かないといけないんだな。しかし先ほどのいやな予感を考えるとフロル1人では到底行かせられない。
「じゃ、僕も行くよ」
「え?…オレはエルフィの家に泊めてもらって、役所に行ってもらって来るだけ。授与式には両親が来るだろうからそのときに全部話すつもり」
「エルフィ…ああ、君の勉強仲間だった子だね」
「うん。もう結婚して…第2夫人になってる。おまえ来るならおまえも泊めてくれって頼んでおくよ」
「ああ、頼む」
――きっと何かあるんだろうな。しかし行かない訳にはいかないだろう。
「…ところで試験だけど」タダは急にフロルの顔に自分の顔を近づけて真剣な表情で言った。
「とっても大事な事を言うけどさ」
「何だよ?」
「フロル、絶対に追試取るなよ!」
フロルは顔をのけぞらせて「うっ」とうなると「わかった」と小声で言った。
「ヴェネに帰るどころじゃなくなるぞ」
「…うん」
10日後、2人は無事にそろって宇宙船に乗っていた。
大学にいる間はまるで忘れていた故郷の星の事が、こうして宇宙船に乗って故郷に向かっていると色々思い出される。
――考えてみると、オレ今、本当に生活を楽しんでるよなあ。
授業に加えて、試験休みに行った小旅行。それだけでなく大学では日常的に展覧会や講演会が開かれ非常に安価で参加できた。コンサートもほぼ毎週末開かれ、それこそクラシックから前衛音楽まで様々な音楽に触れることができた。タダと一緒に映画を見に行って感想を話し合った事もあった。
それだけじゃない、とフロルは思った。大学構内のショッピングモールはお客の大半が学生という事もあり、安価な店が多い。ファストファッションの店であれこれ迷って安い服を買うのも、ちょっと変わった初めてのお菓子を試してみるのも、またがんばってアルバイトをして2人でちょっと贅沢な料理を味わうのも、すべてが楽しかった。
宇宙船はワープに入り、窓の外が真っ暗になった。窓ガラスを見ると幸せそうな顔が映っていた。ふと受験勉強をしていた頃の自分の部屋のガラスに映った自分の顔を思い出した。いつも怒ったような表情で挑戦的なにらみつけるような鋭い目つきをしていた。
――もし合格していなかったら。もし大学に入れなかったら。
ずっとあの表情のままだったのだろうか。
こんなに幸せなのもやっぱりタダが一緒にいるからだろうな、と思う。
――よかった。本当によかった。ここまで来れて。
思わず横に座っているタダの手を握りしめてしまう。その手は無言で優しく握り返された。
ヴェネ中央宙港に着きさらに飛行機に乗り換える。そして…
空港で「フロル!」と金髪の少女が声をかけた。エルフリードだ。
「エルフィ!」と叫んで抱きしめる。
「フロル、久しぶり!元気そうだね!」彼女もフロルを嬉しそうに固く抱きしめた。ついでフロルが「こちらがタダ。オレの婚約者」と紹介する。
「始めまして、タダ。ええっと、こちらがフォル。私の夫」
二人の男性は握手をした。
「感激だな。いや、こんな星にいるとなかなか他の星の人と会う機会がなくてね。僕はフォルウィン・ベイカン、弁護士をやってる。フォルと呼んでくれ。タダ、君は僕の初めての異邦人の友人だよ」彼は快活に笑った。
「さて、時間もちょうどいい。このまま僕の車で役所のホールに行こう」とフォルウィン。
「父上達は来るのかな」
「ああ、来るよ。役所から連絡があったみたいだ」
程なくして車は町の役所に着いた。
フロルは率先して中に入っていく。役所の奥にシンプルな小さなホールがあった。
「タダ、私たちはこっち。式場には家族しか入れないの」
エルフィがタダを2階の見学者席に案内した。狭いが式場全体を見渡せる。
しばらく待っているとヴェネの古来伝統の服装をした女性と制服を着た男性の係官が入ってきた。女性は白くて飾りのないシンプルな長いドレスを身にまとい、編んだかごの中に入ったガラス瓶を大切そうに持って部屋の前の壇の上にあがった。フロルは一番前の席に一人座っていたが、フロルの両親や兄や姉だろうか、後ろの席に何人か座っていた。
「そうだ、タダ、授与式は古代ヴェネ語でなされるんだ」とフォルウィン。
タダは慌てて折りたたみ式のタブレットを胸ポケットから出すと広げて翻訳アプリを立ち上げた。
その女性は講壇の向こう側に立ち、フロルを手招きした。フロルは壇の上にあがり、講壇を挟んで女性と相対した。
女性は厳かな声で儀式を始めた。
「余は此を汝に授けん。汝は是を受ける権利を有する。心して受け取り給へ。甚く貴重なる物なれば、大切に用いよ。ヴェネの守護神のご加護の御身にあらんことを。
して御身は
「
「わたくし、フロルベリチェリ・フロルは
「え?」女性は思わず聞き返した。
「え?」フロルの家族の間にも動揺が走った。
女性の額に汗の粒が浮かんだ。
「もう一度聞きます。
「
「……」女性は口ごもった。
「どうしたのだ?」とそばにいた男性係官が声をかけた。
「てっきり
「どのくらいで用意できる?」
「地下の倉庫から持ってくるだけですから、5分もあれば…」
「わかった」そういうと男性係官は大声をあげた。
「5分中断する!」
フロルは壇の上でじっと立っていた。
「フロル!どういうことだ!」下の座席から声がした。
「父上!儀式の最中だから黙っていて!最後に全部説明するから!」フロルが振り向いて言った。フロルの父親は眉をひそめて座っていたが、つと立ち上がると会堂を出て行った。
「タダ」フォルウィンがタダの腕をつついて、階段の下をそっと指さした。フロルの父親が電話を取りだして慌てて何やらしゃべっていた。こちらの様子にはまるで気付いていない。
やがて儀式は再開された。フロルは新しく持ってこられた別のガラス瓶を渡され、短い儀式は終了した。女性と男性係官が部屋から去るとフロルは振り向いて家族の方を見た。
「父上、母上…、実はオレ、婚約者がいます。自分で選んだ人です。…その人と一緒に生きていくためにオレは女性を選択します」
「何だと?ならぬ、ならぬ、ならぬ!!」フロルの父親が叫んだ。
「父上、オレ、もう成人だよ!法的に自分で結婚相手を決められるんだよ!…だからオレは性別も結婚相手も自分の意志で決めます!自分の人生は…自分で決めるから!」
「ならぬ!」
しかしフロルは父親の言葉を遮って続けた。
「…今までありがとう。オレ、大学に帰ります。もうこの星には戻って来ないから」
そのときフロルの顔が凍り付いた。会堂の入り口に例の領主が立っていやらしい笑いを浮かべてフロルをじっと見つめていた。
――なんで今こいつが?
「連れて行け!」父親が叫んだ。フロルの兄や他の男達がフロルの両腕を取り壇から引きずり下ろした。フロルの悲鳴が聞こえた。
「フロル!」タダが叫ぼうとした時、フォルウィンがタダの腕をつかんで押しとどめて言った。
「タダ、君の気持ちはわかるが今は出るな!大丈夫、やつらはフロルには危害を加えない。しかし今、君が出たらやつらは容赦なく君を八つ裂きにするぞ!」
「……」
タダの直感はフォルの言っている事が正しいと告げていた。
「いいかい、フロルは婚約者がいるとやつらに話したが、君の名前は出さなかったし、君がここにいることも言わなかった。フロルはフロルなりに君を守ったんだよ。それを無駄にしちゃいけない」
――確かにそうだ。…そしてフロルは無理矢理連れ去らまれながらも僕に助けを求めなかった。僕の名前を呼ぶこともしなかった……。
「さあ、ひとまずは僕の家に行こう。そして僕が知っていることと推測していることをすべて説明するよ」フォルが言った。
それは小高い丘の上に立つ大きな窓のある比較的小さな明るい家だった。家の中に入ると二人の子供が駆けてきた。「パパ、お帰りなさい!エルフィママ、お帰りなさい!」
エルフィは2人の子供を代わる代わる抱き上げ「ただいま!」と言って頬ずりした。
もう1人の女性がお茶を持ってきた。フォルが紹介する。
「僕の第1夫人のキャスティンだ。この子達はキャスの子供達」
「あなた」キャスティンが言った。「あなたが言っていたとおり、聖堂に荷物が運ばれていたわ」
「やっぱりな」
フォルはタダにティーカップを勧めてソファに座るよううながし、自分もティーカップを手にソファに座り込んだ。
「で、フロルは生家に連れていかれた訳だけど」とタダは話し始めた。
「どうすれば確実にフロルを取り戻せるだろう?」
「実はこうなるだろうという事は僕はある程度予想していた」
「?」
「…フロルは僕の目から見ても美人だよ…」彼はタダに微笑んだ。
「……?」
「フロルの父親は実は貧乏貴族の出なんだ」
「え?」
「この星じゃ珍しくないよ。まあ、僕に言わせりゃ頭の固いプライドだけは高い連中だけどね。……さて、フロルの父親はあるとき末っ子のフロルが思いのほか美人に育ったのに気付いたのさ。それで彼は賭けに出た。フロルを着飾らせて金持ちのとなりの領主に引き合わせたんだ。彼のもくろみは当たり、領主は一目でフロルを気に入った。それで領主との間に正式に婚姻の書類を作成したんだ。今から3年前の事だ」
「……」
「正式な婚姻の書類には5名の署名が必要で、僕は弁護士としてその1人だったから知ってるんだ。
フロルは結婚したくなくて、親に黙って勉強を始めて宇宙大学を受験した。それから後は君の知っているとおりだ」
「……」
「フロルにとって幸運だったのは、引き合わされた当時、領主は8人目の妻を迎えたばかりでさらに新しい妻を急いで迎える気はなかった事と、領主は熟女好みで未分化のフロルに魅力を感じてなかった事だね」
「……」
「それでフロルは結果的に2年間の猶予が与えられた訳で、その間に宇宙大学を受験する事ができたんだ。
そしたらフロルは宇宙大学に合格してしまい、性別自己決定権イムペニエリオルを手に入れた。フロルは宇宙大学から正式な合格通知が届いた時、両親を連れて役所に申請に行った。これは父親も喜んだ。だって自分の子供が15人しかいない性別自己決定権イムペニエリオル者のリストに16人目として加わったんだからな。
しかしフロルは君という婚約者がいること、そして女性になると決めたことは一切言わなかった。
両親、特に父親はフロルが男性になるものだと思っていた。それならば事は簡単だ。卒業して帰ってきたら、誰かかわいい女の子をあてがってやればいい。それが彼の考えさ。
そこへ今回の爆弾発言だ。頭の固い父親は女性になるなら結婚させることしか頭になかった。3年前の書類が生きると思ったんだ」
「…フロルは成人したから自分で結婚相手を決められるんだろう?」とタダが聞いた。
「法的にはね。でもこの因習と伝統でがんじがらめのこの星では法律はあまり人を守ってはくれないんだ。弁護士をしていて忸怩たる思いをすることは多い」
フォルウィンは黙っていたが、やがてお茶を飲み干した。
「で、フロルの父親はフロルをあの領主と結婚させようとしているわけ?」
「そうだ。今日僕はキャスに聖堂を見張ってくれとたのんだんだが、案の定荷物が運び込まれていたらしい」
「明日、その聖堂で式を執り行うつもりだろうか」
「そうだろうね」
「フロルを取り戻すのは生家と聖堂とどちらがいいと思う?」
「今晩は無理だ。フロルの生家は古いが頑丈でおそらく大勢が固めている。そして彼らは明日聖堂で結婚式をあげるつもりでいるが聖堂の方が生家よりも遙かにフロルを奪還できる」
「…明日の聖堂か?」
「ああ、そうだ」
「…フォル、この星の銃の所有率はどのぐらいだ?」
「いい質問だな。あまり高くない。せいぜい70%ぐらいだ」
——十分高いと思うけどな!
「もう一つ言うと、フロルの父親も領主も銃は何丁も持っている」
フォルはからのカップを手の中でもてあそんだ。
「しかし明日、彼らは聖堂には銃を持っていかない」
「え?」
「この星の文化、かな。聖堂は神聖なところだから銃は御法度だ。僕だってとても銃を持って聖堂内には入る気にはなれない」
フォルは立ち上がってドレッサーの小さな引き出しを開けた。
「そこでそんなタブーとは無関係の異邦人の君の出番だ」
彼は取り出した銃をタダに手渡した。
「保証する。明日聖堂に集う人間は誰1人銃を持っていない」
フォルウィンは立ち上がった。
「さて、説明が終わったところで聖堂を見に行こうか」
それは小高い丘の上の小さな聖堂だった。フォルウィンとタダとエルフィが中に入ると明日の準備が整い正面には講壇が設置され、壁には花が飾られているのが見て取れた。
「正面をみてごらん」フォルウィンが言う。
正面の壁には二種類の紋章が飾られていた。
「左が領主の紋章。右がフロルの家の物。ヴェネじゃ結婚は2人の人間じゃなくて家と家との結びつきなんだ。まあ、これで明日フロルと領主との結婚式が予定されているのは明らかだな」
「あそこがいい」タダが指を指していった。
聖堂の正面には上部に側廊が作られ、ぐるりと会堂を取り囲んでいた。
——ここで銃を持っていたら……。かなり有利に事を運べそうだ。
側廊に上がってみると外へ出られるドアがあり、会堂の外に狭い階段が地面までつながっていた。
「次はフロルの家を見に行こう」とフォルウィン。
フロルの家は古いががっしりとした大きな家だった。
「左端の2階がフロルの部屋だったの」とエルフィ。
「よく外から窓に小石を投げて合図したわ」
しかしフロルの部屋には灯りがついていなかった。
「おそらく今は塔の部屋に閉じ込められてるんだろうな。逃げ出せないように」
家には2つ塔があり、その1つには灯りがともっていた。カーテンが閉められていて中の様子はわからない。
翌日、タダは朝早くから聖堂の正面の上の側廊の隅で銃を手にじっと待っていた。
時間になり参列者達が入ってきた。フロルの両親や兄姉。領主の妻達とおぼしき女性達。
やがて祭司が入ってくると正面の壇上にあがった。
――来た!
フロルと領主が入ってきた。それぞれ鮮やかなヴェネの正装を身につけて、手を組まされている。2人は正面の壇上にあがり祭司の前に立った。
「それでは結婚式を執り行う」祭司が厳かな声で述べた。祭司はさらに参列者一堂に向けて両家の歴史を長々と語り、さらに長々と結婚についての説教を述べた。
それがやっと終わったところで祭司は2人に顔を向けた。
「それでは結婚の誓いをたてる。新郎は新婦のヴェールをあげ、2人は手を重ねて誓いの言葉を述べるように」
領主はフロルの方に身をかがめ、フロルの顔を覆っているヴェールをはねのけた。
フロルは右手を固く握りしめていた。ヴェールがあげられた瞬間フロルの握り拳が思いっきり領主の顔面を襲った。
「ううっ!」領主が思わず顔を押さえてふらついた。フロルは次に腰の短剣を引き抜くとドレスのスカート部分をぐるりと切り取った。スカートがなくなり身軽になったフロルはハイヒールを脱ぐと領主と司祭の顔をそれで殴りつけた。フロルはドレスの下にスパッツを穿いていた。参列者たちは予想外の展開に誰も動けずにいた。
「フロル、こっちだ!」タダは側廊から声をかけロープを垂らした。
「タダ!」フロルはロープに駆け寄り登り始めた。
タダは領主に向かって銃を向けた。
「動くな!動かなければ撃たない」
聖堂の中で銃を見て会衆はおおっとどよめいた。
「な、なにをぼさっと見てる!あいつを捕まえろ!」
領主が叫んで駆け寄ろうとした。タダは領主の足元の床に容赦なく銃を撃った。
「動くなと言ったろ!」
フロルは軽々と柵を乗り越えた。
「おまえ、銃なんか持ってるの?」少々おびえた声だ。
「僕はなんとも思わないからね。さ、逃げるよ!外でフォルが車で待ってる」
側廊の外につながるドアを開けて階段を走り降り外に出た。
外には領主の部下だろうか、何人かが追って来た。タダはまたためらいもなく銃を地面に向けて撃った。
「おまえ、結構簡単に銃をぶっぱなすんだな」とフロルが走りながら言う。
「なに、人を撃つ気はさらさらないよ」
建物の陰にフォルの車が止まっていた。
「フロル!こっち!ああ、よかった!」エルフィが手を振った。
2人は車に乗り込んだ。
「来てくれると思ってたよ!」車に乗るなりフロルはタダに抱きついた。
「実はもう少し早いタイミングで声をかけようと思ったんだけど」とタダ。
「でも直前に思ったんだ。きみ、きっとあの領主に何か一発お見舞いしたいだろうって」
「おまえ、ほんとうにオレのことよくわかってんな」フロルは声を上げて笑った。
「まあ、誓いの言葉なんか言いたくなかったから絶対にその前に一発ぶちまかしてやろうと思ってたけどな!」2人は笑い合った。
しばらくしてタダがまた突然思い出したようにクスクスと笑い出した。
「なんだよ、今度は」フロルが聞く。
「いや、以前テラの昔の映画を見た事があるんだけど…主人公がラストシーンで結婚式場で花嫁を奪い去るんだ。なんとなく格好いいと思ったんだけど…。まさか自分が同じ事をやるとはね!」タダはまだクスクスと笑い続けたが、他の3人はきょとんとしていた。
家に着くとキャスティンと2人の子供たちが飛び出してきた。
「ああ、フロルを連れ出せたのね!よかった!」
「さあ、家に入って、これからの事を考えよう」とフォル。
皆がソファに座るとフォルは地図を取り出してテーブルに広げた。
「ここから一番近い宙港は中央宙港だ」地図で指をさす。
「しかし僕はこれを使うのは勧めない。見張られている可能性がある」
「代わりに…こちらの貨物専用の宙港を使うといい。相当遠いが、きっと彼らはこちらは見張っていない。だから…」フォルは地図上を指でなぞった。
「ここにある駅まで僕が車で送る。6時間ぐらいで行けるはずだ」
そのときドアをノックする音がした。
「はい、どなた?」とエルフィ。
「フロルの母です」
皆の間に緊張が走った。フォルは黙ってタダとフロルに部屋の奥の扉を指さし、タダはフロルの腕をつかんで2人で奥の部屋に隠れた。扉を細く開けたままにして隙間から2人で様子を見る。
エルフィは2人が隠れたのを確認すると玄関に飛んでいって扉を開けた。
「中央宙港に行ってはだめよ!主人と領主はあそこに人を送ったわ!」母は部屋に入ってくるなり言った。
「…大丈夫だ」タダはささやくとドアを開けてフロルを出してやった。
「母上!」フロルは母に飛びついた。
「ああ、フロル!」母親はフロルを抱きしめ、それから両手でフロルの両頬を挟み込むようにして言った。
「いい、フロル?遠くの星に行ってしまっていいの。この星に戻ってこなくていいの。でも、幸せになるのよ!」
「母上!母上!」フロルは泣きじゃくりながら母を抱きしめた。
しばらく抱き合った後、母はタダの方を向いて微笑んだ。
「異国の方、あなたでしたのね!一目でよい方だとわかりましたよ」
——聖堂で銃をぶっぱなしたんですけど。
「フロルは受験を終えて帰ってきたとき、それはそれは幸せそうな顔をしていたの。あんな表情のフロルは見たことがなかったわ。だからわかったの。合格しただけでなくて何かあったって。あなただったのね!」
そして彼女は深々と頭を下げた。
「どうか…どうかフロルをお願いします」
タダも思わずフロルの母を抱きしめて言った。
「…必ず幸せにします!」
フロルの母は涙を拭うと顔を上げて言った。
「主人と領主はあなたたちがここにいることをまだ知りません。あの人はフロルのお友達なんて興味なかったんです。でも人を使って一軒一軒しらみつぶしに調べているわ」
「つまり」とフォルが言った。「ここが見つかるのは時間の問題という事だな」
「私はもう行きますね。家を空けていると怪しまれます」
母は帰りかけた。フォルウィンは「待って」というと玄関のドアを開けて周りを見渡した。
「大丈夫、今なら誰もいない」
そして母は出て行った。
「さあ、できるだけ早くでかけよう」とフォル。「しかしなあ」
「何だい?」
「異邦人のタダ、君の髪だよ。ヴェネじゃ黒い髪は非常に珍しい。君、目立つんだよ」
「待って。いい物があるわ!」キャスティンが引き出しを開けて奥から何かを引っ張り出した。
「これ、使って!」金髪のかつらだった。すぐにタダの頭にかぶせる。
「結構似合うじゃん」とフロル。
「あ~あ」タダはため息をつき、他の皆は笑った。
早速彼ら4人は車に乗り込み遠くの駅を目指した。
車を運転しながらフォルは話し始めた。
「タダ、君の星は男女比は1:1ぐらい?」
「そうだね。というか僕の知っている限り銀河の惑星のほとんどは男女比はほぼ同じだよ」
「実はヴェネだって200年前に法律ができる前は男女比は同じぐらいだったんだ」
「そうなんだ」
「やっぱりそれが自然だよ。でもヴェネでは今は男女比は1:4.5で学校では散々そのおかげで戦争がなくなった、平和になったって教えられている」
「ああ、それはフロルから聞いたよ」
「嘘だよ」とフォルはきっぱりと言った。
「え?」
「確かに戦争はなくなった。でもそれは人から争う本能が消えた訳じゃない。単に人口の85%を女性にして家に押し込んだ結果、残りの15%の中から徴兵しなければならなくなったからだ。単にどの国も軍隊を持てなくなったのさ。その証拠に小競り合いは絶えず続いている……。それから君の星も一夫一妻制?」
「そうだよ」
「ヴェネも200年前まではそうだった」
「そうなんだ。‥始めて知ったよ」
「自分で結婚してみてわかったけど」とフォルは続けた。「パートナーは一人がいい」
「え?じゃなぜ…?」
「なぜ僕が二人も妻を持ってるか、だろ?この星ではパートナーが一人だと一人前扱いされないんだ。仕事にだって就けなくなる。情けないけど僕もこの同調圧力に負けた。でも僕は妻は2人までと思ったし、その2人の妻に仲良くしてほしかった。だからキャスティンに相談したんだ。2人目は誰にしようかって。彼女は友達の下の子を紹介してくれた。それがエルフィだ」フォルは言葉を切ってまた続けた。
「でもエルフィには本当に申し訳ない事をした。僕がエルフィの父親と結婚の話を決めた時、僕はエルフィが宇宙大学の受験を目指して勉強していたことを知らなかったんだ」
「私は大丈夫よ」とエルフィが口を挟んだ。「何度も言ってるでしょ?私はフロルほど勉強に一生懸命じゃなかったし、動画のテストもなかなか点が取れなかった。絶対大学には受からなかったわよ」
「まあ」とフォル。「でもエルフィは受験勉強をしたおかげで他の星の事を色々と知ることができた。エルフィに教えてもらって僕もあの大学が公開している動画でかなり勉強したよ」
「それから…子供が生まれて思ったんだ。上の子のエルランは優しくて下のシルディの面倒を見るのが大好きだ。シルディは活発で木登りが大好きな子だ」フォルは優しいまなざしで続けた。
「ところが今のヴェネの法律ではエルランは長子で男性だし、シルディは女性になることになる。まあ、優しい子が男性でもいいんだけど、やっぱり性別は自分で選ぶべきだと思う。フロルのようにね」
「……」
「僕は何らかの形で運動を起こすつもりだ。僕の子供達が変化する時に、自分で性別を選べるようにね」
話は終わることなく続いた。
やがて駅に着き、フォル達に別れを告げ、飛行機で貨物用の宙港を目指した。
――さて、どうやって目立たずに宇宙船に乗り込むか。
ふと見ると明らかにヴェネ星人ではない数名の人間が出国ゲートの近くにいた。中には茶色や黒髪の人間もいる。
――おそらく貨物船の乗組員だな。他の星から来ているんだ。
「フロル!宇宙船に乗るよ!」
フロルを急がせ、乗組員のすぐ後にゲートを通った。
2人は貨物船の隅のいくつかある乗員用シートに座っていた。やがてアナウンスがあり宇宙船は宙港を飛び立った。
フロルは窓の外を見た。ヴェネがだんだん遠くなる。
――ヴェネ。因習と伝統に縛られた古い星。自然はきれいだけど、他にはなんにもない星。でもオレが生まれて育った星。……もう見ることもないだろう。
涙があふれる。タダはその様子を見てそっとフロルの頭に手を置いた。
「あ、あ、あの、か、悲しくて泣いてるんじゃないからな!……オレ、嬉しくて泣いてるんだから!ここまで来れて!」フロルは振り向いて抗議した。
タダはくすっと笑うと何も言わずにそのまま唇を重ねた。
しばらくそうしていると隣で「ウオッホーン」という思わせぶりな咳払いが聞こえ、2人は慌てて身体を離した。
――やれやれ、所構わずいちゃつく異邦人と思われたな……。
急に窓の外の星の光が流れるように線状になった。ワープに入る直前だ!そして次の瞬間窓の外は真っ暗になった。
――ワープに入った。もう安心だ。
疲れたのかさすがに眠気がした。数分後2人はお互いに手を取り寄りかかりながら眠っていた。
そうして2人は無事に大学へ戻ってきた。もう何もないはず、だった。
フロルはいつの間にか薄暗い路地を歩いていた。周りはぼんやりしてどこを歩いているのかわからない。急に目の前にあの領主が現れた。領主はフロルの腰に手を回すとぐっと抱き寄せ、頬を指でまさぐり、服を引き裂き……指はさらに身体のあちこちを……。
「……美しい……」
「いやああっ!」
タダは眠っていたソファから飛び起きるとフロルのベッドに飛んでいった。フロルを抱き起こす。
「フロル、目を覚ませ!夢だよ」フロルはまだ夢うつつだ。
「フロル、ここは大学だ。君を傷つける者は誰もいない……」
やっとフロルは目を覚ました。
「タダ!ああ、タダ!」としがみつく。
フロルを抱きしめながらタダは顔をしかめた。なまじテレパシーがあるおかげでフロルの夢の断片が心に飛び込んでくる。事実ではないとわかっているが、毎回同じようなシーンを見る羽目になる。フロルがまるで目の前でレイプされているような吐き気を催すようなシーンを。大学に帰って来た日にフロルが悪夢に悩ませれてから、タダはフロルの部屋のソファで寝るようにしていた。
――セラピーを受けるべきか。それとも記憶を操作するべきか。
無理だろう。長老がタダの記憶を操作できたのもタダが子供だったからだと聞いたことがある。
しかし幸い悪夢の頻度はだんだんと下がり、やがて全く悪夢を見なくなっていった。
フォルとエルフィは時々メールをよこした。3年後、フォルはヴェネで国会議員に立候補したと連絡してきた。
そしてさらに5年後。
明るい夏の日差しが広いリビングに差し込んでいた。窓の外には広い庭と遠くにかすかに海が見える。タダは大きなテーブルにタブレットを広げ勤務中にためていたメールをチェックしていた。
「フロル!フォルからメールが来ているよ!」
宇宙船で飛んでいる間は緊急メール以外は表示しないように設定している。オフの最初の日はコーヒーを飲みながらたまったメールを読むのが日課だった。
フロルが飛んできて横に座る。2人でスクリーンをのぞき込んだ。
エルフィはフォルと共に国会議員に立候補した。結果は落選。「まだヴェネの民衆は女性の国会議員を受け入れてくれる人が少ないのです」
フォルは他の仲間と協力して新しい法案「性別自己決定法」を提出した。残念ながら否決されたが。
――でも僕らは諦めません。まだ最初の試みだからです。グラフを見てもらえばわかるように僕らが出した法案は若い層には圧倒的に支持されています。僕らは既得権にしがみついている老人達が政界から消え去るまで徹底的な抗戦をこれからも続けていき、僕の子供達が変化を迎える時までには法案を通過させたいと思っています。
領主はまだ権力を握っていますが、だいぶ弱ってきています。彼の力がなくなったら連絡します。そのときは僕の家に長居をして、色々と話し合いましょう。いつか生まれ変わったヴェネを見に来てください。
異邦人の友へ
フォルウィン・ベイカン
エルフリード・ベイカン
「フロル、いつかまた行こう。ヴェネに」
「うん」タダの肩にもたれてフロルは答えた。タダはフロルの肩に手を回し金髪をなでた。
――またヴェネに行ける。母上に会って今幸せだと報告できる。
フロルの目は遠くを見つめた。
――そして子供の頃好きだった、あの丘の小径を今度はタダと歩きたい……。
よかった。本当によかった。ここまで来れて……。
次作はタイトルは「XXY](ダブルエックスワイ)長編になります。
次作は「11人いる!」の2年半後の話になります