「見つけたぞ、千に一つの子よ」
花畑が藍に染まった。
巨大な狐の足元から溢れ出した藍の炎が大地を焦がし、花々へと燃え広がっていく。
花畑で戯れていた子供たちは突然の凶行に逃げ惑い、その妖から少しでも離れようとする。
妖狐はそれを止めようとはしなかった。
彼女の目的の子供はそこから逃げなかったから。
妖狐の魂と適合する、千年に1人の貴重な人間。
その器である少女は目の前が火の海になったのにも関わらず、せっせと花冠を作り続けていた。
不格好で出来の悪い花冠、それでも少女はそれを完成させようとしていた。
妖狐の登場にも気付かず作り続けるその集中力は賞賛すべきなのかもしれない。
とはいえ、無視された妖狐としては面白くない。
「………………おい」
「待って、もうちょっとで完成するから」
「…………………………」
妖狐の呼びかけに少女はすげない返事をする。
彼女にとっては目の前の作業が全てにおいて優先されているようだ。
普段なら人間の話など聞く妖狐ではない、だが千年待ったのだ、あと数分待つことなどなんでもない。
妖狐が待つこと数分。
「できた!!」
少女は嬉しそうに声を上げると、完成したばかりの不細工な花冠を掲げた。
その心底嬉しそうな表情に妖狐は不服そうに鼻を鳴らす。
「どう、似合う?」
少女は花冠を被り、あろうことか妖狐に向かって問いかけてくる。
その自慢げな顔に妖狐の目が細まる。
少女の行動は大妖怪を前にした人間としては常識はずれすぎた。
もう少し危機感を持った方がいいに違いない。
「下手くそだな」
「ありゃ、手厳しいなぁ」
率直な感想に少女は頭を抱える。
漆黒の髪の上で色鮮やかな花冠が揺れた。
花冠作りは下手くそだが、それは少女にとても似合っていた。
その可憐さに妖狐は内心で満足する。
自分の身体になるのだ、美しいにこしたことはない。
「喜べ人間。今日からその身体は私のものだ」
横柄な態度で妖狐はそう告げる。
今、肉体という器には少女の魂が入っている。
そのままでは妖狐は肉体に入れない、不要な魂は食ってしまわなければいけない。
妖狐はその大口を開けた。
「え、やだよ」
だが少女のすげない返事がまた妖狐を止める。
なんなのだこの娘は、強大な存在を前にしているのに塩対応すぎないだろうか。
いつもだったら逃げ惑う人間の魂を背後からパックリいかせて貰っているので、こうも正面から完全否定されるのは初めてだった。
肝が太いのか、頭が鈍いのか……
後者だろうな聡明そうには見えない、などと大変失礼な考えを妖狐は抱く。
「そもそも、わたしの身体で何をするの?」
「そりゃぁ酒池肉林よ。国中の美酒美女美男を喰らい尽くすのさ」
「えぇ……」
理解しているのかいないのか、少女は残念ものを見るような目をむけてくる。
全て過去に妖狐のしてきた贅、傾国と呼ばれるその手腕だ。
人間の肉体がなければ、人間を誘惑して籠絡することも、洗脳して支配下におくこともできない。
だが目の前の少女がいればそれが叶うのだ。
「すべての人間が羨むような贅の限りを尽くすのだ、国が傾くほどのな!」
「うわぁ…………楽しそうだねぇ」
「ああ、そうだ!愉快極まりないとも!」
「ほんとうに?」
妖狐の動きが止まる。
呼吸さえも止まったかとと錯覚するほどの沈黙。
次の言葉を妖狐は吐き出すことができなかった。
黒々とした底の見えない瞳が妖狐を覗き込んでいたから。
「そう言う割に、ずいぶんつまらなそうな目をしているね。狐さん」
……
…………………
……………………………
煤羽は翼を広げ、小さな村の頭上を飛んでいた。
人間に憑依した妖狐、夢羅が潜入したあの村だ。
あの夜、夢羅は乗っ取った少女本来の住居へと帰っていった。
それからもう数日経っている。
そろそろこの村は妖狐の支配下におかれていてもおかしくない時期だ。
「……おかしいな」
だというのに村の様子は平和そのものだった。
今も村の女たちが井戸から水を汲み、談笑している姿が見える。
とても妖狐が潜んでいる村とは思えぬ平穏さ、あの妖狐はいったい何をやっているのだろうか?
煤羽は羽を伸ばし、夢羅がいるであろう村はずれの小さな一軒家へと向かう。
死んだあの女はその家で一人暮らしをしていた。
妖狐は人間たちに怪しまれぬよう女を装ってそこで暮らしているはずだ。
ちょうど開いた窓から夢羅の姿が見えた。
煤羽は羽ばたきを緩め、窓枠へと着地する。
そこで夢羅の姿を認めた彼は、固まった。
「………………何やってるのですか、妖狐様?」
「何って、見れば分かるだろ」
分かりたくもない、そう煤羽は目を引き攣らせる。
夢羅は台所で食材と格闘していた。
台所は台風が通過したのかと思うほどの無惨な有様になっている。
あちこちに散らばった野菜の切れ端。
まな板の上には野菜だけでなく、夢羅自身の指が転がっていた。
夢羅の持つ包丁からは血が滴っており、彼女の手によってそれが切り刻まれたのは明らかだ。
「料理というものをやってみているんだけど……」
「いや!おかしいだろ下手くそが!!」
大妖怪への敬意など吹っ飛び、素のツッコミを入れる煤羽。
これが料理だと思っているのならば、料理というものの概念を一から学び直した方がよい。
どこの誰が自分を食材にするというのだろう?
不敬ともとれる煤羽の言葉、夢羅はそれに怒ることもなく、くつくつと笑った。
「なぜ料理などしているのです!?」
「村娘だ、料理ぐらいするだろう」
「はぁぁあああ?」
確かに妖狐の乗っ取ったその身体は村娘のものだ。
この村に住む村人たちと同じように料理をし、平凡に暮らしていただろう。
だがそれを夢羅がやる必要など全くない。
夢羅ならそこらの村男を誘惑し操れるのだ、料理なんて作って貰えばいいだけの話だ。
煤羽には夢羅の考えがまるで分からなかった。
夢羅の方は夢羅で、煤羽がなぜそれほど狼狽しているか分からず、首を傾げる。
「まぁ、いいか料理は今度で」
手を一振り、藍の炎が舞い上がる。
散らばった野菜も、指も綺麗に焼き払われた。
そうして指の切り離された手にも炎が踊り、指を修復していく。
不要なものだけを綺麗に焼失させ燃え広がることもない炎、見事な妖術だった。
その大妖怪らしい様子を見て、煤羽は一旦落ち着きを取り戻す。
今自分の目の前にいるのは料理もできない間抜けな村娘などではなく、確かにあの大妖怪の妖狐夢羅なのだ。
「失礼しました。ところで傾国の方は順調なのですか?村の様子は変わらぬようですが……」
「傾国ね…………気が向いたら始めるよ」
「気が向いたらなどと!そんな悠長な話ではないのですよ」
やはりのらりくらりとしている夢羅に対し煤羽は焦りを覚える。
数年前の戦いの勝利から人間は調子づき、妖怪にとって世はますます生きづらいものとなってきた。
戦争の英雄である剣士を讃え、妖怪狩りはますます盛んになってきている。
どこかで人間と妖怪の力関係を壊す存在が必要なのだ。
傾国には妖怪達の未来がかかっている。
妖狐の気分次第でどうにかなる代物であっていいはずがないというのに。
なぜ自分だけが焦っているのか?
煤羽には理解ができなかった。
「今日、料理を初めてした」
「はい?」
「昨日は裁縫をして針で指を穴だらけにしてしまった。料理の時も思ったのだが、初めてというのは上手くいかないものだな」
「ですからあなたにそんなことをする必要はないんですよ」
なぜか生き生きと村娘としての体験を話す夢羅。
そこに大妖怪としての恐ろしさは微塵もなかった。
ただ初めての経験を楽しんでいるような、純朴な感情がそこにあった。
掃除、洗濯、裁縫、料理……大妖怪にそんな雑務をする必要などない、全部人間たちにやらせてきたことだ。
それは人間の肉体を持たぬ時ですら同様だった。
妖怪たちは夢羅を大妖怪と讃え、いつでもご機嫌取りをしてきた。
妖狐はいつでも皆が羨むものを与え続けられてきた。
「褒めてやればよかったな」
「はぁ……何をです?」
懐かしむように、夢羅の目が細められる。
「花冠……あれは初めてにしては出来がよかった」
……………………………
…………………
……
「……つまらなそう?そう……見えるか」
沈黙の後、妖狐はようやくの思いでそう返した。
呑まれそうだった。
少女の漆黒の瞳に。
暴かれそうだった、自分のつまらぬ本性を。
「そうだな、そうかもしれない……」
不敵な笑みが剥がれ落ち、不安そうな表情が顔をのぞかせる。
傾国……そう初めて呼ばれた時、妖狐は今よりずっと幼かった。
まだ自分の力を制御できず、周りの人間を魅了し続けた。
怖かった。
知りもしない人間たちが自分に媚を売ってくることが。
自分に取り入り、体を手に入れようとしてくるのが。
嫌だった。
望みもしないものを差し出され、喜ぶことを期待されるのが。
力を制御できない幼い妖怪はただ作り笑いを浮かべるしかなかった。
そうすれば周りの人間たちは喜び、妖狐を魅力的だと褒めそやしてくれる。
結果として、その強大すぎる魅了の力により人間の国は傾き、妖狐は妖怪たちからも一目置かれるようになった。
これでよかったのだ。
妖狐は自分に言い聞かせた。
だって妖怪の仲間たちは喜んでくれたじゃないか。
二度目の傾国は初めよりもずっと上手くやった。
なにせ自分の魂に見合う肉体を探すのに千年もかかったのだから。
妖狐は成長し、力の使い方も学んだ。
幼かった妖怪は立派な大妖怪になっていた。
王を誘惑し、その寵愛を欲しいままにする。
そうして贅の限りを尽くした。
まさに酒池肉林、皆が羨む生を謳歌した。
ただ国を傾ける、そのためだけに。
ただ大妖怪として妖怪たちの期待に応えるために。
そこに意思などない。
「楽しいわけがないだろ」
自分がそれを望んだわけじゃない。
勝手に与えられ、勝手に期待されただけだ。
そこに自分の欲望などなかった。
ただ自分の身を、地位を、それだけを守るためだけに二度も国を傾けた。
それが夢羅という妖狐のつまらぬ本性。
「楽しいことなど何もなかった」
何かに怯えてばかり、そんな2000年。
妖狐の嘆くような呟きに、黒い瞳が瞬く。
見透かしたような眼差し。
知られたくないないはずの本性を人間に見抜かれたというのに、なぜだか微かな安堵があった。
「じゃあさ、探そっか。楽しいこと」
小さな手が差し出される。
ちっぽけな存在。
自分が力を振るえば簡単に消し飛ぶ、弱い人間。
それでも、その時ちっぽけな少女がとても大きなものに見えた。
「わたしが教えてあげる。楽しいこと、いっぱい」
初めて、欲しいものを与えられた気がした。
初めて、誰かと目が合った気がした。
傾国ではない夢羅を見てくれる存在。
「あなたが楽しいことを、やりたいことを見つけられたら、私の身体をあげる。だから、それまではわたしがあなたの先生!」
そうしてちっぽけな人間と大妖怪の間で約束が交わされた。