論文の校内提出まで残り3日に迫ったその日の夜、達也は自宅の地下にあるワークステーションでデータ処理をしていた。このワークステーションはおおよそ一般家庭が持つものではない、どこかの企業か公営機関かと見紛うほどに立派な設備が整っており、司波兄妹が使うCADの整備やデータ処理はこの部屋で行われる、いわばこの家の心臓部のようなものである。
そんなワークステーションのホームサーバーが、執拗なまでに何度もアタックを受けていた。同時に複数の経路をアタックするその手口はどう見てもプロの仕業であり、そうなるとここのサーバーを最初から狙い撃ちしていると考える方が自然だ。
──何度撃退されても、まったく諦めようとしない。狙いは論文コンペの資料か、それとも勾玉の解析データか?
とりあえずこのアドレスはもう使えないな、と達也は溜息を吐きながら逆探知プログラムを立ち上げた。
次の日、昼休み。
達也は一高のカウンセリング・ルームを訪れ、部屋の主である遥に自分の悩みを相談していた。
「──ですが途中で接続を切られてしまいましてね、結局攻撃元は掴めませんでした」
しかし彼のような人間が世間一般の学生が持つ思春期特有の悩みを抱えるはずも無く、その相談内容は昨夜に起きたサーバーアタックについてだった。
そしてそれを聞く遥の表情は、実に迷惑そうに歪められていた。カウンセラーとしてあるまじき態度だが、達也との過去の遣り取りを考えれば一概に彼女だけを責めることはできないだろう。
「・・・・それで? 私はネットワークチェイスなんてできないわよ」
「分かっていますよ、先生の得意分野くらい。そこまで手間を取らせるつもりはありません」
「それじゃ、何?」
あからさまな疑いの目を向ける遥に、達也は白々しい愛想笑いを浮かべて、
「最近、魔法関係の秘密情報売買に手を出してる組織について、ご存知の範囲だけでも教えてもらえませんか?」
「・・・・達也くん。私にも守秘義務があることくらい知ってるわよね?」
「無論です。何なら、報酬をお支払い致しますよ?」
「・・・・あのね達也くん、私がお金欲しさで何でもやる女だと思ったら大間違いよ?」
「えぇ、存じています」
眉1つ動かさずにじっと遥を見つめ続ける達也に、遥は大きく溜息を吐いた。
そして、観念したように口を開いた。
「・・・・先月末から今月の初めにかけて、横浜や横須賀で相次いで密入国事件が起こってるわ」
「密入国? やはり・・・・」
「やはり? 心当たりがあるの?」
「いいえ、こちらの話ですので。それで、そいつらの正体については?」
「県警と湾岸警備が合同で捜査してるんだけど、結果は芳しくないみたいね。それと時期を同じくして、マクシミリアンやローゼンに部品を納入しているメーカーが相次いで盗難に遭ってるわ」
「つまり、魔法機器の製造に関わりのある企業が狙われているということですか」
「そいつらがやったって決まったわけじゃないけどね。──達也くん、論文の提出はオンラインじゃなくてメディアに入れて持ってった方が良いわよ」
最後のその言葉だけは、余計な感情が一切入っていないように思えた。真意を確認しようとした達也だったが、遥は彼に背中を向けてデスクに座ってしまった。これ以上は話せないという意思表示であり、達也もその辺りは引き際を弁えているのでそれ以上は訊かなかった。
「報酬については、先日教えてもらった口座で宜しいですか?」
「別にいいわよ、これくらい」
「そうですか、ありがとうございます」
達也は「失礼します」と軽く頭を下げて、部屋を後にした。
そして、その日の放課後。
風紀委員本部にて、達也は五十里を相手に昨夜の不正アクセスの件を報告していた。
「えっ! ホームサーバーにクラッカーが?」
「はい。幸いなことに、被害はありませんでしたが。──五十里先輩の方は、何事もありませんでしたか?」
「僕の方は何も無かったけど・・・・。その口振りからすると、やっぱりコンペ絡みなのかな?」
「狙っていたのは魔法理論に関する文書ファイルのようでしたし、時期的に考えてもその可能性が高いかと」
実際にはレリック絡みの可能性の方が高いのだが、そこまで馬鹿正直に答える必要も無い。それにコンペ絡みの可能性も充分に存在する以上、後で鈴音にもこの話をして警戒してもらう必要があるだろう。
と、そのとき、
「啓、お待たせー!」
ばんっ! とドアが開かれ、入口から勢いよく走ってきた花音がそのまま五十里に抱きついてきた。「会いたかったよー」と体を擦り寄せる花音に、五十里は口では落ち着くように諭してはいるが満更でもなさそうで、僅かながら表情を崩しているのが分かった。
「まったく、花音は相変わらずだな」
そして達也が考えていたことと同じ台詞を吐きながら部屋に入ってきたのは、風紀委員長の任を退いてからすっかり顔を合わせることが少なくなった摩利とのび太だった。とはいえ、真理と最後に会ったのが10日ほど前と考えると、果たしてその表現が適切かどうかは疑問の余地が残るが。
「達也君、久しぶりだね」
「えぇ、お久しぶりです」
「新しい風紀委員長の仕事ぶりはどうだい?」
「パトロールの方は問題ありませんよ」
「お、何かほかに問題でも?」
「ちょ!司波君!?」
絶対に言うなよ?と言わんばかりに睨みをきかせる。が、達也はすぐに視線をのび太に移した。
「( ≖ᴗ≖) 資料の整理整頓はきちんとやってますよ〜摩利さんよりも、きちんとやりすぎて大事な資料を無くすぐらいに〜」
「うっ!」グサッ!
「うへっ!?」グサッ!
摩利と花音のどちらにも深く突き刺さった。摩利は整理整頓をせずに本部をゴミ屋敷一歩手前に追い込んだことを、花音は必要なものまで捨ててしまい風紀委員総出で捜索に当たらせてしまったことを気にしているようだ。
「それで渡辺先輩、用事は何でしょうか?」
達也が本題へと促すと、摩利は気分を変えるように大きく咳払いをした。
「論文コンペの警備について、少し相談があってな」
「警備、たしか風紀委員会が警備をするって聞きましたね」
「そうだ。と言っても会場の警備ではないよ。そっちは魔法協会がプロを手配する。相談したいのはチームメンバーの身辺警護とプレゼン用資料と機器の見張りだ。論文コンペには『魔法大学関係者を除き非公開』の貴重な資料が使われるからね。その事は外部の者にも結構知られている。その所為で時々、コンペの参加メンバーが産学スパイの標的になることがあるんだよ」
随分タイムリーな話題に達也は驚いた。
「・・・・例えば、ホームサーバーをクラックするとかですか?」
「いや、所詮は高校生レベルだからな・・・・スパイと言ってもチンピラが小遣い稼ぎを企むくらいでネットワークに侵入なんて大それた真似をしでかした例は無いが・・・・むしろ警戒するべきは置き引きやひったくりだ。4年前には会場へ向かう途中のプレゼンターが襲われて怪我をした例もある」
確かに、現代ではネット内での情報窃取は強盗よりも重い罰が科せられている。データの改竄に至っては殺人未遂レベルだ。そんな重いリスクを背負って、わざわざ高校生の論文を盗み出そうなんて奇特な輩はそうそう現れないだろう。
「当校でも護衛がつけられていて、毎年風紀委員と部活連執行部から選ばれている。だが具体的に誰が誰を護衛するのかについては、本人の意思が尊重されるけどな」
「もちろん、啓はあたしが守るからね!」
花音は当然とばかりにそう言って五十里に抱きつき、彼もそれを拒否しなかった。ここは決まりだろう。
「ちなみに市原には、服部と桐原がつくことになっている」
「部活連会頭が自らですか。それはまた・・・・」
若干棒読み気味に聞こえる達也の言葉に、摩利は「あいつは市原に頭が上がらないからな」と人の悪い笑みを浮かべて答えた。
「平河については同性の方が本人も良いだろうからそれで見繕うとして、問題は達也くんだな。君は補佐とはいえほぼ代表みたいなものだから護衛を付けるのに異存は無いが、下手に護衛を付けると却って足手纏いになりかねんだろ。だから普段から風紀委員の活動で一緒になるのび太君に護衛に着いてもらおうと思うんだがのび太君はそれでいいかい?」
「えぇ、達也君なら護衛の必要なくないですかぁ〜」
「念の為だ」
「もう、過保護なんだがら」
のび太の小言に被せて頭を引っぱたかれるのだった。
部屋を退出する摩利を見送った達也たちは、コンペに使用する3Dプロジェクター用の記録フィルムの買い出しに出掛けた。いつもなら校内の売店でも売っているのだが、たまたま今日に限って切らしていたために外の商店街まで足を運ぶことにしたのである。
「わざわざ先輩達についてきてもらわなくても、自分達だけで大丈夫でしたが・・・・」
「いや、2人に任せきりじゃ悪いよ。僕も自分の目でサンプルを見ておきたいし」
「・・・・そうですか」
道のりを半分ほど過ぎてから達也が声を掛けたのは、言葉通りの意味以上に所構わずイチャイチャする2人(花音が一方的に迫っているだけに見えるが、それを止めようとしない五十里にも責任はある)を見ていられないから、という理由が強いのだが、達也はこれ以上何も言わずに大人しく歩みを進めることにした。
「五十里先輩と千代田先輩って、いつも仲が良いですよね」
と思った矢先、のび太が何の躊躇いも無く踏み込んできた。
「そりゃあ啓は格好良くて強くて頭も良くて性格も良いからね! もし許嫁じゃなかったとしても、啓以外と結婚なんて考えられないもんね!」
制服を変えるだけで“背の高い中性的な美少女”になる五十里を格好良いと表現するのは些か珍しいが、価値観は人それぞれだからと達也は口を挟むことはなかった。というより、挟みたくなかった。というより、人目も憚らず大騒ぎする彼女達とは他人のフリをしていたかった。
というわけで達也が一切の無言を貫いている内に、目的地の商店街へと辿り着いた。
基本的に達也は目的の買い物を済ませるとさっさと帰宅するタイプだが、花音は五十里と一緒に出かけると意味も無く時間を費やすタイプだ。なので必然的に達也とのび太は、花音達が出てくるのを店の外で待つ形となっている。
そうして5分ほど経った頃
「・・・・達也君、心当たりは?」
「・・・・さぁ、少なくとも好意的ではない様だが」
と言い出し、携帯を取り出して自撮りを始めた。
写真を確認するとそこにはのび太と達也の2人と道行く人々が映っていたがよく見てみると木の影から誰かが覗き込んでいるのが見えた。
「
「いや、そうとは限らん。制服だけならいくらでも手に入れようがあるからな」
「どうしよっか?」
「今のところ実害はないが、即座に取り締まらなければいけないほど切迫した状況でもなし」
どうしたものかと悩んでいると五十里と花音が店から出てきた。花音の機嫌がやけに良いのは、五十里と一緒に買い物ができたからだろう。
「お待たせ。ごめんね、遅くなっちゃって───2人共、何かあったの?」
「あっ、五十里先輩、えっと、さっきからあそこで僕達のことを見てる子がいて───」
「何それ、スパイってこと!?」
のび太の言葉に割り込んで、花音が大声でそう叫んだ。
それはわざわざ犯人に対して逃げろと言っているのと同じであり、案の定こちらを盗み見ていた視線が外れて気配が遠ざかっていく。
「──あいつか!」
しかし、さすが摩利の後釜に選ばれるだけあって花音はすぐさま怪しい人物の姿に気づくと、陸上部のスプリンターとして鳴らしている脚力を存分に活かしてそいつを追い掛け始めた。
「花音! 魔法は──」
「分かってる! アタシを信用しなさい!」
五十里にそう呼び掛けてスピードをグンと早めた花音は、逃げていく小柄な人物の後ろ姿を視界に捉えた。自分と同じ第一高校の制服を着た少女の姿に花音は意外感を覚えて目を見開くも、すぐに気持ちを切り替えてさらにスピードを上げる。
あと10メートル、となったところで、逃走している彼女が肩越しにこちらを振り返った。ゴーグルもマスクもしていないその顔を目に焼き付けようと、花音は彼女の顔を凝視した。
その結果、花音は気づくのが遅れた。
その少女が後ろ手にカプセルを放り投げていたことを。
花音がそれに気づいて咄嗟に腕で顔を庇った次の瞬間、カプセルから強烈な閃光が迸ほとばしった。まぶた越しですら眼球を痛めつけるほどの光に、逃走劇をたまたま見ていた通行人のあちこちから悲鳴があがった。
花音が何とかギリギリで難を逃れた右目で見遣ると、少女はスクーターに乗って逃走を図ろうとしているところだった。逃がすものか、と花音はスクーターの接している地面に向かってお得意の“地雷原”を繰り出そうとする。
しかしそれは、背後から飛んできたサイオンの銃弾によって起動式を破壊されることで未遂に終わった。
「何をするの、達也君!」
花音はサイオンの銃弾を放った張本人・達也を睨みつけ、すぐさま少女へと視線を戻した。
しかし少女は、先程の場所から少しも動いていなかった。いや、本人はアクセルを全開にしているのだが、タイヤが空回りして前に進まないのである。花音がハッとして五十里の方を向くと、彼はほっと胸を撫で下ろしたような表情でCADを構えていた。
放出系魔法
タイヤと地面の境目にある電子の分布を操作してクーロン力を斥力に偏倚させることで、擬似的に摩擦力をゼロにする魔法である。複合的にジャイロ力を増幅する魔法と併用することで、スクーターは倒れることすらできずにその場を走り続ける。
あとはゆっくり彼女を捕まえるだけ、と誰もが思った次の瞬間、
ぼんっ──!
スクーターのシートが突如爆発し、2連装のロケットエンジンが火を噴き出した。弾き飛ばされるように急発進するスクーターに、少女は体を仰け反らせながらもハンドルから手を離すことはなかった。おそらく、手に嵌めているグローブに何らかの細工を施していたのだろう。
「・・・・何考えてるのよ、あの子」
みるみる小さくなっていく少女の後ろ姿を見送りながら、花音は呆然とした表情で呟いた。五十里も達也も、口にはしなかったものの完全に彼女に同意だった。
あれだけの時間燃焼していられることから考えると、万が一転倒した拍子に引火した場合、通行人を巻き込んで派手に爆死していただろう。そもそも転ばずにまっすぐ走れたこと自体奇跡のようなもので、もしもジャイロ力を増幅させる魔法を使用していなかったら、前輪の摩擦係数が限りなくゼロに近づいていなかったら、急発進の加速でハンドルを取られて転倒して大惨事である。
「お互いに運が良かった、ってことかな・・・・」
自分が死と隣り合わせな状態だったことに気づき、五十里は自然と体を震わせていた。
東京の池袋にある古いビルの一室、表向きは雑貨貿易商ということになっているそこは、旧式のモニターがびっしりと並び、男達が食い入るようにそれを見つめていた。そのモニターの内の1つには、先程達也たちから必死に逃げていた少女の姿がある。
そして彼女を眺めていたリーダー格の男が、後ろに立つ大柄な若者に渋い表情で問い掛けた。
「あの小娘は大丈夫なのか?」
「彼女を手配したのは周大人です。たとえ彼女がヘマをしても、我々の存在を知られることはないかと」
「あの若造の仲介か。どこまで信用して良いか・・・・」
男はこのアジトを用意した青年の顔を思い浮かべながら、忌々しげに呟いた。気に食わないが信用するしかない、というのが男の本音だろう。
「例のレリックの方はどうなっている?」
「フォア・リーブス・テクノロジー社から持ち出された形跡はありませんが、現所在は不明です」
「・・・・ふん、Four Leavesか。忌々しい名前だ。あの四葉とは無関係だったな?」
「
「ふん、虎の威を借る、とやらか・・・・」
如何にも子供騙しだ、とでも言いたげに男は鼻を鳴らすが、その効果はけっして否定できなかった。現に自分達は、こうして四葉の影に怯えながら余分な時間と労力を浪費させられている。男の声色には、それに対する苛立ちが確かに含まれていた。
「──司波小百合が訪れたあの家については?」
「あの家には、夫の連れ子が住んでいるそうです。名前は兄が司波達也、その妹が司波深雪」
「義理の子供の機嫌取りにでも行ったというところか。下らない」
男はそう吐き捨て、次の質問へと移り──
「その子供の家から、例の瓊勾玉の反応があった」
部屋の隅から発せられたその声に、というよりもその内容に、リーダー格の男と大柄な若者が同時にそちらへと顔を向けた。
「それは本当なんでしょうな、“ミスター"?」
そこには金髪に黒い凹みのハットを被った男がそういった。
「司波小百合がその子供にレリックを押しつけたというのか?」
「状況的に考えれば、そういうことになるだろう」
「・・・・奴の家にハッキングは仕掛けたか?」
「是。しかし結局入り込めず、逆探知を仕掛けられそうになったので諦めました」
「・・・・あの女、命の危険に晒され、少しでもその可能性を排除したくなったか」
リーダー格の男も大柄な若者も、達也の家にレリックが存在していることを前提で話を進めている。どちらも先程の男になぜそれが分かるのか尋ねないし、その信憑性を疑う素振りも無い。
「その兄妹の素性は?」
「どちらも魔法大学付属第一高校の1年生です」
「成程、魔法大学付属高校か・・・・」
男はそこで黙り込み、思案する。その時間、10秒ほど。
「魔法大学付属第一高校を活動対象に追加。必要ならば人員を割いても構わんが、慎重に取り掛かれ。それと小娘に対する支援も強化、情報漏洩が最も効果的な報復になると教えてやれ」
そこで初めて、男は後ろへと顔を向けた。
「
「是」
大柄な若者にそう命令し、男は静かに立ち上がって部屋を出た。
そして、金髪の男は“見たことの無い銃"を取り出し磨き始めた。