かつての担当から連絡がきた。
トレセン学園を引退した今でも、近況の報告や軽いトレーニングについての相談を受けることはあるが、今回はいつもとは違う要件だった。
何やら新しく登場したアプリについて、トレーナーとしての意見が欲しいとのこと。
それはウマ娘管理という珍しいジャンルのアプリであり、かつて中央に在籍していたウマ娘から見てもよく出来ているものだという。
一般のウマ娘が使う所謂トレーニングアプリといえば、自分にあったトレーニングを調べたり、新しい走りを見つけるために利用するものが多い。
これは多くのウマ娘にとって指導してくれる立場の人間が身近にいることのほうが少なく、自分にあった走りは基本的に自分で見つけていかなければならないものだからだ。
便利なものではあるが、中央所属のウマ娘にはあまり必要とされるものではない。
トレーナーがついていない生徒でも、教官からのアドバイスや、共に走る学友たちとの交流、そして図書館に置かれた専門書や学園の資料など、より専門的な情報が多く存在し、手軽に調べることができるためだ。
そんなトレーニングアプリとは違い、この『ALL U MIND』は、トレーニングや走りのデータの記録そのものを管理する目的で作られたものだという。
だが記録することだけが目的ならば、似たようなアプリは昔から存在するし、それこそトレーニングノートや日記を作れば済むだけの話だ。
一般ウマ娘にとってはたくさん走ることこそがトレーニングであり、記録をつけることなど稀である。
逆にレースの世界を目指すウマ娘ならばクラブやチームに所属し、監督役のトレーナーがウマ娘の管理を請け負うケースが多い。
自身の走りや他者のデータを分析し記録するものもいるが、それらはむしろ少数派である。
年若いウマ娘たちにとってはむしろ面倒に感じるだろう。
よって、ただ成長を記録するための管理アプリというのは存在したとしても、ほとんど話題にならないようなシロモノなのだが……
わざわざ中央所属のトレーナーに意見を求めるほどのアプリなのだろうか。
そう疑問に思いながらも、かつての相棒のアプリ紹介動画や、数少ない利用者がいると思われる掲示板やSNSを調べ回った。
一通り見て分かったことは、写真や動画からウマ娘の情報を分析し、その身体能力を数値やランクで表す機能があるということだ。
他にもレースにおいて走る距離やバ場、脚質の得手不得手を示すランク、そのウマ娘の持つ技術を表したと思われるスキル、目に見えづらい状態を示すコンディションなど……
凡そ胡散臭さの塊のようなデータが画面上に示されるという。
さらにデータを提出して溜めたポイントで景品がもらえたり、今後ウマ娘同士のレースを円滑にマッチングさせるための機能が追加予定など…普通の管理アプリとはかけ離れた情報ばかりが集まった。
はっきり言って、ただ出鱈目を並べただけのエセデータや詐欺目的のアプリにしか見えなかったが…
どうも元担当ウマ娘が言うには、このアプリで計測した数値やランクはかなりの精度をもっているのではないかという。
動画での紹介や送ってきたデータを見ると、ゲームキャラのステータスのような各パラメータの数値にランク表記がされている。まるでスポーツゲームの選手のステータスのようだ。
たしかにウマ娘の身体能力を数値で比較することはあるが…このアプリはヤケに規準が低い。
かつての相棒は重賞での勝利こそなかったとはいえ、一般ウマ娘とは比べ物にならないほど能力は高いはずだ。
全盛期を過ぎてレースから引退しているものの、トレーニングを続けて走りを少しでも維持しているなら、野良のレースであれば負けることはほぼないと今でも思えるような実力がきっとあるはず…なのだが…
送られてきたステータスは予想より低すぎて全く見当がつかない。他のウマ娘のステータスと比べれば確かに高くはあるが、大きな差を感じるほどではない。
もし一般ウマ娘がG級だとして、一流ならA級、重賞クラスを低く見積もってもC級はあるかと思ったが…元相棒はそれよりさらに低い。
かつて苦楽を共にした日々の思い出に砂をかけられた気分だが、他に不可思議なデータがあった。
それはバ場と距離適性、脚質だ。CやBが並んでいてA評価はないが、何故か不気味なほど適性についてはかつての相棒の走りと合致している。
芝…マイル…そして先行…かつて主戦場としていたそれらだけがB判定になっていた。
二人で数年間、試行錯誤しながらトレーニングやレースの中でやっと見つけ磨き続けた、もっとも得意なレース条件と作戦だ……
あまりにも奇妙な出来事を前に、背中にじっとりと汗が滲んできたのを感じる。
写真や動画だけでこれらの情報を把握できるものなのだろうか?
インチキ占い師による出鱈目な診断結果のようなものだと一笑に付すことはできなかった。
スキルの欄に数少なく記載されてある右回りや負けん気というものも、現役時代の走りのクセと一致しているものがある。
撮影された走りを見ればある程度把握できる部分もあるかもしれないが…当てずっぽうにしてもここまで看破できるようなものではないはずだ。
そもそも個人に適した距離やバ場など、少し視た程度でそのウマ娘の潜在能力を推し量ることなど中央のトレーナーでも至難の業だ。
数少ない一流トレーナーなど、見極められる人物がいないこともないが、やはり幾度も走る様子を観察しないと結論付けられるものではない。
しかもアプリに提出した動画では走った回数自体が少なく、ウォームアップ程度のもので、レースを想定した走りですらないという。
もはや何から能力を読み取っているのかすら理解不能である。
このアプリを運営しているのは果たして何者なのだろうか…?
まずウマ娘に関して素人でないことは、示されたデータが物語っている。
そして手軽すぎるデータの提出方法にかかわらず、ここまで精度が高い測定結果が出るならば、AIや機械の判定などではないことはほぼ確実だろう。VRウマレーターなどの測定機械を除けば、流石に人の眼に頼らざるを得ないはずだ。
少なくとも中央に在籍するトレーナークラスの観察眼に匹敵する力量の持ち主か。
ステータス適性やコンディション、スキルなど独自の規格ではあるが、こちらから見てもそれほど的外れではないように思う。
レースの最前線にいるトレセン生であっても、相当低く見積もられたステータスだけが一抹の不安を与えるが……
筋力や体格、スピード・スタミナ・パワーといった映像で見て取れるものはともかく、やる気や根性・賢さといったものはそもそも画面越しに判断できるものではなく、数値で評価できるものなのかも怪しい。
我々トレーナーとウマ娘が日々顔を突き合わせ、トレーナーとして積み重ねた経験を注ぎ込み、過去の記録と比較し…それでも少しずつしか伸びることのない記録を眺めながら、長い歳月を努力と汗に費やし…その果てにやっとウマ娘として成長したと心から自覚できるようになる、そんな途方もない作業を……
そんなウマ娘の力を、たかだが写真や動画、トレーニング内容だけで分析できるはずがないのだ。
おそらく複数の同業者がアプリに関わっているのだろうが……いや、もし優秀なトレーナーだったとして、こんなアプリを運営している暇があるとは思えない。
それにトレーナーの身でこういったアプリを世に出したと発覚すれば、免許停止まではいかなくとも、URAからの注意やトレーナーとしての名を落とすことになるデメリットのほうがよほど大きい。
そもそもトレーナーとしての手腕や知識を世にばら撒く行為はある種タブーに近い。
ウマ娘と同じく、トレーナー同士もレースの世界ではライバルだ。
一位を目指し最終的に他者を蹴落とすことになるのは、走ることのないトレーナーも変わりがない。
トレーナー間の意見交換や、時には協力し助け合いをすることもあるが、前提として担当するウマ娘こそが一番の優先事項である。
これほどの観察眼と独自の規準を持っているならば、自分の担当ウマ娘にその力の全てを活かすはずなのだ。
トレーナーとしての技術をばら撒くということは、そのトレーナーを信じ共に歩んでくれる相棒を裏切る行為に等しい。
他の問題点として、レースの世界とは距離のあるウマ娘たちへの影響のほうが大きいことだろう。
トレーナーのいないウマ娘では、ステータスや適性の意味も理解しづらいはずだ。
パートナーたるウマ娘をいつも観察し、トレーニングを組みコミュニケーションを経て、身体能力及び心理状況を把握するのが我々トレーナーの仕事だ。
アプリによって現在の身体能力だけを見せられ、自分のことを把握できたつもりでも、ウマ娘だけでは客観的な視点で自身の力量を理解することはできない。
その上、効率的なトレーニング方法が何も指示されないこのアプリだけでは、不確かな数値に気を取られてしまい、逆に迷いや事故が増える可能性もある。
そもそも能力が全てではないのに、上辺のステータスだけを把握することになれば、自分と他者を容易に比較してしまい、自分が相手に勝っているという慢心、相手より自分が劣っているという不安が、ウマ娘達の間に広まってしまいかねない。
もしくは自分よりさらに上位にいるウマ娘と比べてしまい、絶望し脚を止めるものもでてくるだろう。
走るために生まれてきたウマ娘にとって、それほどまでに走りで勝つことの意義は大きいからだ。
全てのウマ娘のためにある、などと謳っているが実態は怪しいものだ。
もしや……このアプリはデータ収集そのものが目的か?
ウマ娘の情報というのは、どの分野においても重宝される。
トレーナーならより多くのウマ娘の走りやトレーニング結果を。
企業ならそれを生かした商品開発を。
URAや新聞社ならレースに出走するウマ娘のデータや、将来スターになる原石発掘の手がかりとして。
もしデータが有用なものであれば、それらを売り払うだけで大金が稼げるだろう。
そしてそのデータが正確であるかどうかは、今後のアプリ利用者が裏付けてくれる。
多くのウマ娘の成長度合いなど、アプリが続けばそれだけ多くの情報が集うことになり、データの信頼度も増していくことになる。
チーム所属のウマ娘の場合は、トレーナーがアプリを管理しなければならない規約も絶妙だろう。
もしアプリが有用なものだと広まれば、勝利を目指して走るウマ娘にとっては喉から手がでるほど利用したくなるはずだ。
だがトレーナー側からすれば、担当するウマ娘のデータが収集されてしまうアプリなど警戒して当然のシロモノ。
ウマ娘側が勝手にアプリを使用すれば、トレーナーとの間に齟齬が生まれ無駄な争いのタネになる可能性もある。しかしトレーナーが初めから管理する形であれば、ウマ娘としては安心してアプリ使用の話を持ちかけることができる。
そもトレーナーとウマ娘の信頼関係が良好であるならば、アプリに頼らなくともトレーナーの育成方針を信じ、共に肩を並べてレースに挑むもの。
だが全てのウマ娘とトレーナーがそこまでの関係を築けているわけではない。
利用できるものは全て利用してでも強くなりたいという子はそれなりにいる。
トレーナーとしてはアプリの利用は避けたくとも、純粋に強さを求める担当を思えば、有用とわかっているものを使わないという選択は取りづらいものだ。
それにトレーナー側からしても、普段自分では把握できていない能力がわかるかもしれないというメリットに、魅力を感じてしまうだろう。
己が手腕に絶対の自信を持つ一流トレーナーならば、最初からこんなアプリに手を出すことなどないだろうが……
このアプリはそんなウマ娘とトレーナーの心の隙間を狡猾に狙い、トレーナーの命に等しいトレーニングデータや、あらゆるレースを走るウマ娘の情報を根こそぎ手に入れることを目的としているのかもしれない。
ここまで考え込んでいたが、ふと我に返る。
自分は、たかがアプリひとつに大仰に捉えすぎてはいないか。
ただの物珍しいジャンルのアプリが、ウマ娘の能力を好き勝手に捏造し、興味を引きたいだけなのではないか。
そう思ったほうがよほど納得できる。
だがトレーナーとしての勘が警告を発している。
もしこのアプリが自分の想像したものならば、迅速に行動を起こさなければならないと。
トレセン学園の生徒の間で知らずしらずの内に流行ることになれば、とても不味い事態になる。その事態だけは避けなければならない。
その可能性を潰すためにすぐに動かねばならないと。
まずは同僚や先輩トレーナー達に意見を求めなければ……こんなアプリに気を取られている暇はないぞ、と叱責される結果に終わることになろうとも。
自分の飛躍した考えが杞憂で終わることを願いつつ、連絡すべき情報の整理を開始した。
「問い合わせメールが大量に来てるんだけど!何なの?!怖いよぉ!!」