復讐
仕返しをすること。または報復。
かつては古代ローマ帝国の皇帝マルクス・アウレリウス“もっともよい復讐の方法は自分まで同じような行為をしないことだ。”と言った。
それは、夢物語に過ぎない。そんなもの、悪者にならないための方弁だ。身内が殺されればどうする?母が父が子が、恋人や親友が、自分が裏切られれば今までの関係は殺されたと言っても過言では無い。
ルサンチマンとは、ニーチェの言葉だが、報復についてキリスト教の成り立ちだと言った。愛とは復讐心だと。そんなひねくれが、しかし自分にとっては心地が良い言葉だ。
許せぬ者が居る。奴は、自分に最も苦しみを与えることが出来る。それは直接的なものではなく、生きていればそれだけで苦だ。嫉妬?妬み?どうだか。憎しみを相手の幸せに対してだと言えば、確かに嫉妬を持ってるかもしれない。
心理学的に言えば、不公平さに対する正義感などと称されるが義憤か?そんな馬鹿な。自分はこれからの人生の全てを復讐にかけるのだ。
お前は、男を1人、殺すのだ。
泥のような瞳は、輝きを失った。鏡を見れば、酷い顔だ。これから一生をかけて、全てを騙す。そう考えればいい顔じゃないか。犯罪者の顔だ。もっと堕ちればいい。鬼には、少し程遠い。
父と母は、仲が良かったように子供ながらに思う。何時ほど昔か。もう分からなくなってしまったが、父は母を殺して自分を犯した。声など思い出せないほど、昔のような気もするし、昨日起こった気もする。
残された金と家は、そのまま私のものになった。小説のように金をせびる大人こそいなかったが、むしろ自分を求める大人は多かった。
自分で言うのもなんだが、顔はいいほうだ。胸も大きい。身を売ればいくらでも稼げるに違いない。それでも、なんとか自分をいいきかせた。
復讐ができるその時まで、刃は研ぎ続けるしかない。何度も、何度も、何度も。
心理学では、復讐はしても気分は晴れないし、意味が無いとされている。だからどうした。この傷は癒えないぞ。埋まることがない傷を法ごときが捌いて満たされるはずがない。
人間とは理性的な生物か?なにを驕っているのか。人間は動物だ。
中学に上がれば、周りも変わる。少し離れた学校に向かうことにした。そうすればあんな惨めな目で見られる必要が無いと思ったからだ。髪型も、過ごし方も少しずつ変えた。勉強などしなくても学力はあったし、何より友人を作ることは、少しだけ気分を紛らわすことが出来た気がする。
そして自分には幸い力があった。勉強よりも個性を鍛えることが、自分には必要だと思った。運動神経も悪くない。常に個性を使い続ければ、より複雑な動きができるはずだ。
自分が生まれた時には個性飽和社会となり、ヒーローが闊歩し、悪を滅多打ちにして、褒められるような世界。人口のほとんどがその個性を悪びれもなく使い、正義を語る。
誰とて、自分を救ってくれた人間は居ないのに。
しかし、自分も個性を個人的に使い正義を振るうべくして生きているのだから、何も違いは無いのかもしれない。再三言うが、人間は動物なのだから。
個性は拒絶。そう自分では思っている。何もかもを拒絶し、反発し、殻にこもる。それだけの個性。研究した。そして騙す準備をした。これから生涯をかけて周りを騙し続ける。
4歳の頃には発現する個性が、正確にわかるのはその遥か先、役所には盾(シールド)として提出されたこの個性を、シールドとして偽り続けなければいけない。
六角形の盾を何枚も自分の周りに展開できる。障壁。その方が不定形より使うエネルギーが少なくて済む。色が変えられるから、文字を書いた。外から見て何をしようとしているか分かるように。ただ欺罔の為に。
反発する、それは物理エネルギーも、音も、光でさえも反射する。その盾には反と記した。文字の周りを広辞苑の説明が回るようにした。展開するアニメーションを作った。ただ瞞着の為に。
そうして、着々と準備を進める毎日は、ある日突然姿を変えることになる。
夜。雨だった。酷いとも言えないが、鈍色の空にはすこし共感を覚える。たまたまだったんだ。理由があったわけじゃない。惹かれるように、ただ、足が運ぶ故を知りたかったのかもしれない。しかしそんなことはどうでもいい。空っぽな自分を、雨は笑ったのだ。
「誰…ですか…?」
何時もは見向きもしない、路地。迷宮のように、入ったものをまるで縮退星のように逃さない。それは光も、雨でさえ吸い込むような闇を抱えた路地の、最奥。
弱い声で、狂気を孕んだ甘い声で、まだ興奮冷めやらぬと言った、そんな声で。果は向こうが先にこちらを見つけた。
赤い血糊が地面を這う。ああ、これがいつか私のなる姿なのかと思う。決して怖い訳では無い。納得、それが一番近い。
倒れた男の腹に乗った栗色の髪の少女は、私を見ながら薄い舌で唇を拭う。彼女はきっと、人を殺した。血の匂いはそう簡単には流されない。雨とて、流せない。
「…誰…なんですか…?」
彼女と私の目が合う。怯えた笑顔でこちらを見ているが、手に持ったナイフは殺意に満ち溢れ、こちらに向いている。
嗚呼、なんて、可愛いんだ…。
「私は、葵(まもる)。君は?」
「私…?私は…トガ、トガヒミコ…お姉さんは…どうするつもりです?」
「一目惚れした。ヒミコ、私と付き合って。」
「…は??」
寧ろ私の人生は、ここで初めて回り始めたのかもしれない。
「ちょ、ちょっと待ってください、えっと…あれですか?殺人鬼と一緒にいると好きになる的な?」
「ストックホルム症候群?それ誘拐犯とかに使うやつだし、違うよ。言ったでしょ?一目惚れだって。」
心底意味が分からないと言った顔でヒミコは立ち上がった。
「だ、だって、私血を吸ってたんですよ?人を…その…殺して…」
「うん、いいんじゃない?可愛いじゃん。」
「か、かぁいいですかね…?」
「いいね、その言い方。ちょーかぁいいよ。」
ゆっくり近づいて、スマホで写真を撮る。狂気的な、その笑みが最高にゾクゾクして可愛い…否、かぁいい。
「ほら見て、ちょーかぁいくない?」
「…お姉さん私の事怖くないんですか…?」
「いや?全く。怖がった方がいい?」
突然ヒミコがナイフを私のお腹に突き立てた。障壁で防ぐことも出来たけど、受け入れてあげる。いつか昔、もう既に壊れてた私は、ヒミコの存在で不格好に治りつつあった。イケナイカタチで。
「な、なんで避けないですか…?なんで…んむぅ…」
「…大丈夫、そういうの好きなの?血も吸わせてあげる。」
ついでに抱きしめた。鉄と復讐と壊れた愛のいい匂いがする。一緒だ、私と。その狂った笑顔も、泥のような瞳も、こんな匂いも、全部全部。
「私と一緒だ。」
「え…?お姉さんと…?」
「うん、一緒…苦しかったんだね。」
ヒミコの体から力が抜ける。ナイフから離した手を、恐る恐る私の背中に回して、露出した首筋を噛んだ。肌が裂けるほど、強く、まるで子供が母の乳を吸うように、恋人と、久しぶりのキスをするように、それでしか生きていけないような必死さで。
「よしよし…いくらでも吸っていいんだよ。」
「ん…ぐすっ…ちうちう…」
雨はまだ止まない。涙も、匂いも、流してくれそうだ。