愛は赦す。欲情することさえも赦す。かつてニーチェが言った言葉だ。
肉欲を満たす為だけにヒミコの身体を貪る私は、果たして人間なのだろうか。勿論そんな高尚な人間だとは思っていない。人間とは即ち理性が少しあるだけの、獣。
私にとってそれは、まだ人間であろうとする安寧であり、間違いなく、生きるために必要なことだと思っている。ヒミコを抱くことさえ儘ならなくなるほど、鬼になるつもりは無かった。
それが復讐の灯火を握り潰そうとしているとしても、私は人間でありたかった。
人間的な、あまりに人間的な、善と悪で決めるだけの存在とて、今の世の中はむしろそれが推奨されているのだ。
いつも通り胸に顔埋めればヒミコは優しい手つきで、気息奄奄ながら頬を撫でてくれる。苦しそうに、幸せそうに呼吸をして動く身体の奥底で心臓が動いている音がする。
ベッドが湿って気持ち悪い。脚を絡めればいじらしく絡め返してくる。私はヒミコが大好きだ、愛している。
私を私たらしめる、人間としての気概は何時しか復讐よりも遥かに愛する人への想いで構成されているのを、強く感じる訳で、其れをどうにも嫌いになることなどできなかった。
「ねぇ、葵ちゃん…明日ね?明日私は敵さん達と一緒に貴方の学校に行きます。」
突然、ヒミコが私を強く抱き締めて、話しかけてくる。
「ひっじょーに不愉快ですけど、いっぱい敵さんが一緒に来ますが、そいつらは蹴散らしちゃって大丈夫です。少しの間だけ、イチャイチャしましょうね…♡」
と、言うのが昨日…というより今日の午前2時位の時の会話である。
今日も何時もの如くヒーロー基礎学が始まる。特例でオールマイト含めて三人体制というのはマスコミ突入事件の結果を鑑みてだろう。
戦闘服に着替えて向き合わせのバスに乗る。イインチョーが今日も張り切って出席番号順と言い出したがお生憎様そのバスは向かいあわせである。肩を叩いて慰めながら乗り込んだ。
相澤の横が空いていたので遠慮無く座ると生徒達から凄い目で見られた。良いだろう、教員の隣の方が楽しそうではないか。
「お前…いや、いい機会か…話しておこう。嫌いか、珈琲。」
「いえ、有難く貰います。」
缶のコーヒーを渡され、相澤は静かに話し出す。内緒話をするかのように。
「音、消しましょうか?」
「バレるだろうが、こう言うのは堂々と隠れてやるものだ。」
矛盾。
「お前の戦いを観させてもらったよ。他の奴らと同じように、な。だが流石入試トップだ、格が違う。そこらのセミプロ…いや、プロヒーローより強いだろう。」
元々鋭い目が、研がれたナイフの切っ先のように鋭く、私の心をかっさばいて覗く様なそんな視線。
「今まで何をしていた。あれは習い事や武術じゃ到底身につかない動きだ。」
缶のプルタブを引き、空気を流し込む。口をつければ生徒を思ってだろうが微糖であった。
「先生、私はブラックがいいです。」
「そうか、交換せんぞ。」
缶の縁に溜まった褐色の液体が左右に拡がっていくところを眺める。ああ、意外と早かったなと、その程度の感想が湧く。
結局相澤の個性が私の個性を消すことが出来るのか、珈琲を顔にぶちまければ一瞬隙はできるだろうか。しかし、軽率。後ろで爆豪の性格がドブだの、そんな喧騒が逆に精神を研ぎ澄ます。
「…まあ、なんだ…話したくないこともあるだろう。困った事があれば、頼れ。」
「…」
「そんな驚いた顔をするな。俺も教員だ、生徒を見るのは当然だろう。」
あぁ…良い先生で良かった。節穴で、良かった。
「分かりました、言えるようになれば、言います。」
「それでいい。」
ホッと胸を撫で下ろす私を見て、満足そうに立ち上がり、そろそろ着くから静かにしろと睨みを効かせていた。
「甘ったるいな…」
「すまんな、次はブラックを用意するよ。」
「ありがとうございます。」
本当に、良かった。
生憎私は生まれてこの方遊園地など行ったことが無い。ヒミコと一緒にいつか行きたいものだ。
USJ。嘘の災害や事故ルーム。そんなふざけた名前のここは、スペースヒーロー13号なるプロヒーローによって作られた救助活動用の演習場であった。
オールマイトは遅刻だそうで…。
彼女曰く、自分にある可能性を、人に個性を向ける危険さを、次は人命のために個性をどう使うかを学ぶ機会であると。
ブラックホールという個性の彼女は、そう力説した。容易く他人を殺せる技、いや、業と言うべきか。単純な崩壊は、人を救う事も出来るが、よく考えなくともその力は人を殺す方が、いくらも簡単だ。
「君達の力は傷付けるためにあるのでは無い。」
私の力は、拒絶だ。
「救ける為にあるのだと心得て帰ってください。」
無理だ、私は誰も助けられない。
お辞儀をする宇宙服のその奥、顔はきっと誇らしい顔をしているのだろう。ヒーローの、強い目をしているに違いない。私にとっては、程遠い明るいものだが。
「そんじゃあ、まずは…」
悪意は、善意より感じやすい。音より早く。そして、より本能より感じるのは害意である。私の意思と、同じなのだろうか…。
空間に穴が開く。深淵そのもの。深く深く闇が続くそこから出てきたのは、顔に手を付けた化け物であった。途端怒号、鋭い警告語。
「ひとかたまりになって動くな!!13号、生徒を守れ!!」
同じ程早く伝わるものがある。愛情だ。
闇の中からヒミコがひょっこり顔を覗かせ此方を一瞥して微笑んだ。
「なに…あれ…」
「入試みたいにもう始まってる…なんてパターンじゃねぇよなこれは!」
ゴーグルを下ろしながらもう一度相澤が叫ぶ。
「あれは敵だ!!」
さらなる緊張が走る。じりりと足元の砂が鳴る。闇から出てきた霧を揺蕩うスーツの異形型、手を顔に着けた異形…のような人型、そしてヒミコが並ぶ。
「13号にイレイザーヘッドですか…先日頂いた教師側のカリキュラムではオールマイトがここにいるはずなのですが…」
「どういう事だトガヒミコ…オールマイトがいないじゃないか…」
「知らないですよぅ…」
ヒミコはずっとこちらを見ている。バレるって。
首をバリバリと掻きながらこちらを睨む顔に手の敵。正確には見てるかは分からないが、明確な殺意を感じる。
「子供を殺せば…来るのかな?」
ヒーローはこんなにも苦しい闘いを強いられるのか。強いストレス、恐怖心。それは途方もない害意である。
一旦切ります。楽しくなってきましたね。