2.
「インテくん、こんばんは。」
驚いて見上げると、声の主は上階の窓枠にゆらゆらとぶら下がったまま、こてりと首をかしげている。
記憶と変わらないおっとりとした様子で挨拶をしている姿は、藍色に首元の朱色が一際目を引く、まさしくゲッコウガで…
そして今まで自分が散々思い悩んでいた先輩だ。
普段なら鋭くしている目を今はゆっくりと瞬かせ、先輩は困ったように頬をかいている。
多分声をかけた相手から何の反応も返ってこないからだろう。
なにせ、視線の先にいる後輩のインテは橙色の瞳を見開いたまま微動だにしてない。
数秒、静寂が流れ、
「…あっ、なんだか、お邪魔しちゃったのかな。ごめんね、夜遅くに。」
何かを察したようにゲッコウガはそう言うと、そそくさと飛び上がり踵を返そうとする。
「せ、先輩、なんでそんなところに!?待って、危ないですって!俺は全然大丈夫なんで!」
何がどう大丈夫なのか分からないが、硬直していたインテレオンは泡をくったように身を乗り出し、慌てて腕を伸ばす。
ここは小さな建物とはいえ5階で、壁面は足場になるようなものがほとんどないのだ。
彼の必死な声に驚いたのか、先輩と呼ばれたゲッコウガは斜め上の階の縁からこちらを振り返っている。
「あー、すみません、驚きすぎて声が出ませんでした。あの、本当に大丈夫なんで…ちょっとこっちに来ませんか?先輩。」
安堵の息と共にそう言うと、インテレオンはトントンと自分が今までもたれていた窓枠を叩く。
先輩はためらう素振りを見せるが、構わず笑顔で促すと観念したのかこちらに来てーーなぜか正座をしている。
「…ええと、そう、どうしたんですか。こんな夜中に。」
怖がらせないように、にこりと微笑みながら問いかける。
ーーているつもりであるが、内心の動揺がでて引き攣っているかもしれない。
だって、そんな。
会いたいと願ったら、本当に会えるなんて。
そんな夢みたいな。
隠れて腕をつねってみるが、痛い。
夢じゃない。
「…おーい、どうしたの?」
はっと気付くと、先輩が心配そうに目の前で手を振っている。
「あ、いえ、すみません…ちょっとぼんやりして。それで、なんでしたっけ?」
慌てて取り繕うと、不思議そうな顔をした先輩はゆっくりと目を瞬かせ、
「えと、街に行くとこだったんだけど、たまたまインテくんが窓から見えたから声かけたんだ。迷惑だったかな、ごめんね。」
へちょりと瞼を下げ、手をついて頭を下げてくる。
「あっ、いや俺が気づかなかっただけで!迷惑とかじゃないんで!そんなやめてください!」
窓枠で流れるように土下座する先輩に慌てふためいて否定をする。
知名度も実力もあるのに、この先輩はとても腰が低い。
顔を上げた先輩は「そうなの?」とこてりと首を傾けると、ほわりと笑顔になる。
嬉しかったらしい。
あっ、めっちゃ花とんでる!
かわいいかよ!!
直視できずに思わず目を逸らすと、
「っあー、えーっと、そう、街に行くって…今からですか?」
この時間だとどこの店ももう閉まってますよ、とわたわたと早口で喋る。
そう、もうすぐ日付が変わる時間だ。市街地の繁華街でそんな時間に開いている店といったら、酒場かクラブか夜の店か。
どんな用であれ、先輩に似合わないし必要ない。
訝しげに横目で見ると、どうしたのか今度は先輩が驚きで緋色の瞳を大きく見開いてる。
「えっ、街って夜中でもお店開いてなかったっけ!?うそ、もう閉まっちゃってる?」
話を聞くと、どうやら里の進化前の子供達と今季の新作ゲームを買ってくると約束していたらしく。
その発売日が今日というのを夜になって思い出し、慌てて山を降りてきたものの、雪が残る山道はまだ閉鎖されているため、急遽別ルートでこちらに来たそうだ。
あー…だから会えなかったんだ。
山にはまだ春が来ていなかったことを知り、目を細めうつむく。
先輩から忘れられてしまったような気になっていたが、そうではなかった。
思わずにやけそうになる口元をさり気なく隠し、
「ええ、そうですね。…で、どうします?」
訳知り顔で頷くと、どうやら相当なショックだったらしく先輩は正座のまま崩れ落ちている。
もしかしたら、ちょっと泣いているのかもしれない。
「…うぅ、今日はもう帰るね。明日また改めて行ってみるよ。教えてくれてありがとう。」
そう言って立ち上がった背に向かって、
「あー、でも今日発売のあのゲームは相当人気みたいですから、早くに行かないと売り切れちゃうかもしれませんよ。」
ぴたりと先輩の動きが止まる。
「今から帰って、またとんぼ返りするとかなりの時間のロスですよね。…うーん、間に合うかなあ。」
わざとらしく時計の方を見ながら呟くと、案の定先輩は青い顔をもっと青くさせている。
別に新作のゲームなんて今時売り切れるとかあり得ないし、なんなら店頭に行かなくても今ここで購入できる。
が、そんなことはおくびにもださず、インテはにこりと笑顔で続ける。
「だから先輩、よかったら今夜はうちに泊まっていってください。ここからなら街まですぐですよ。」
どうやら先輩はこの提案を全く予想していなかったようで、驚いた顔で全力で頭を振ると、
「ええっ、でもそんな悪いし」
「ほらほら、もう夜遅いですし、ここでいつまでも揉めているとご近所さんにも迷惑になりますから。」
おろおろする声を強引に遮り、さあどうぞと手で促すと、しばし迷った後におずおずと先輩は窓から部屋に入ってくる。
「ほんと気にしないでください。よかったら、いつでも泊まりに来てもらって構わないですし。」
しきりに恐縮する先輩に朗らかに返しながらインテは手早く窓を閉め、かちりと鍵をかける。
「あれ、先輩ってばそんな隅にいないで、もっとくつろいでくださいって。なにか飲みます?…えっ、食べてない?昼から!?もう先輩なにやってんですか…。」
呆れながらも、せわしなく動いてあれこれ準備する彼の足取りは軽やかだ。
満ち足りた部屋の窓はかたく閉められたまま、もう開かない。
真夜中の寂しげな溜息はふわりと夜風に紛れ、再び町は優しいまどろみのなか眠りにつく。
きっと春は、もうすぐそこに。
終
ここまでお読みくださり、ありがとうございます。でも、実はまだ続きますよー(◍•ᴗ•◍)