一日に何度か失敗をする所も良く見かけるが、人手が欲しいのは確かだった。
信用できる、人手が。
金か情か、義か仁か。はたまたその外か。
那美さんは情で今、動いてくれている。
それは有り難い事だった。
どうせだから、この家にある物を少しだけ教えておいて……
というか、どうやってメイド服とはたきの場所を知ったのだろうか。
掃除機と茶器の場所だけ教えておいて、地下へと潜った。
大きなRC旋盤機が地下に置かれている。
旋盤屋――鉄工所が用いる最新式の機械だ。
プログラムさえ確かなら、誤差コンマ一ミリで削り取る事が出来る、らしい。
最終的にはその道の熟練工が確かめ、磨きを入れるらしいが、出来うる限りは忍の手で、ノエルの全てを治したい。
忍の意向だ、異存は無い。出来うる限り、彼女の思うが儘に付き合って行きたいと思った。
地下に設けられた工場は、気付けば三倍の大きさに膨れ上がっていた。
エリザ叔母さんという、忍が綺堂さんと同等に信頼している人の魔法による物らしい。
空間把握魔法の一つ……らしいが、その手の事はまだ良く分からない。
今後ずっと忍に付き合うことになるのだから、徐々にでも覚える必要はあるだろう。
旋盤機は入って左手奥深くに。
そして左手には机と、椅子とパソコンと。埋もれるようにして座っている忍の姿。
俺は振り返りもせず作業に没頭している忍に声を掛けた。
「忍、どうだ?」
「うん。起動するのにはまだ時間が有るだろうから、今は身体の修復作業から」
「その進行状況は?」
「全工程の十二パーセント」
「あれから五日。そろそろ休み時だぞ」
「うん、分かってる」
全然分かっちゃいない。
溜め息を吐いて、部屋を見渡す。
雑然とした室内。表すならばその一言に限る。
足の踏み場も無く所狭しと物が置かれ、その上に乱立し、奇跡的なバランスを保っている。
エアコン完備、空気清浄機完備のお蔭で地下室は環境こそ良いが、そこには日光が存在しない。
これじゃ本当に吸血鬼だ……。その言葉を飲み込んで、俺は忍の隣に立った。
水気を失ってカサカサとした肌に、窪んだ目。
睡眠不足のせいで瞳は充血し、痛々しい。
これが本当に俺を魅了して止まない、月村忍なのだろうか?
人見知りは激しく、しかし一度心許したものにはあけっぴろで。
見るに堪えない……心がひび割れる様な痛みを発した。
口から出た声は、しゃがれたように弱弱しい。
俺までが呑まれて、どうする?
「もう、眠れ」
「…………いや」
「眠れ」
「もうちょっと、もうちょっとだけだから……ね?」
「今ここで無理をして効率を落とすよりも、一度休んで確りとした作業で早く治す。
どっちの言い分が正しいか、分からない訳じゃないだろ?」
「いやぁっ! わ――――ぐ、う……あぅ……ふ」
「休むべきだ。眠れなくても」
夜の一族が何だと言うのか。
月村忍の心はあくまで人間と変わりなく、あまりに弱く。
そして疲れ切った彼女の身体能力も、人の並よりも遥かに低く。
気絶させる事など、赤子の手を捻るに等しく。
現実に鳩尾の一撃で、容易く忍は気絶した。
崩れ落ちる身体を抱きしめる。
力の入っていない身体は抱きかかえるには少し重く。
しかし“人”にしては余りに軽い。
それが少し――
寂しい。
俺は憧れているのかも知れない。
絶対的な強さ。越えられない種族という壁。
そしてそれを、乗り越えてみたいという最強への渇望。
その一面だけを考え見れば、イレインとの戦いは、俺を愉しませた。
全体として残りの99は悲としても、たった1パーセントほどの喜びながら、確実にだ。
ぐったりと身を預けている忍の身体を抱き上げる。
お姫様抱っこ。
「……他人には見せられんな」
苦笑して俺は部屋を出た。
途中ノエルの姿が見える。
焼き爛れた部分には今布がかけられ、その醜さを隠されている。
本来なら煤けていた筈の表面は、丹念に拭かれていた。
満足そうな笑み。それは守れた、と言う使命を全うした充実感だろうか?
お休みノエル。少なくともお前の主人だけは、護ってみせよう。
ガチリとオートロックが掛かる音。
そして金属質な、この世の法以外によって、封鎖された感覚。
世界から隔離されたその一室を、自分でも驚くほどの無感情で見つめて、俺は忍を部屋に運んだ。
眼が合った瞬間に、お互いが理解した。
そんな人間が月村家の敷居を踏む。忍にとっては最悪の結果。
「貴様、血に濡れた人外が誰の許しを得て、如何にしてここに居る」
「貴様、汚らわしい人間風情が赦しなく、何故我らが一族のこの場を踏むか」
「奥義が参――」
「――鬼道が八」
「射抜――」
「――
交錯する。
互いの技が、限りなく濃密に。
冷たい双眸で、相貌だった。
その両の眼は、決して人という存在を赦してはいない。
それは存在の否定。
俺は人という存在を肯定し、眼前の男は人を否定する。
だからこそ、俺たちは決して相容れないのだ。
奴の、まったく武装していない右手と、俺の小太刀――八景が交する。
火花が散った。
――硬い。
玉鋼の最高峰たる八景で斬りつけても、なおこの手応えか。
強敵だ。認識する。そして相手はまだ些か油断している。
眼に驚きの色がある。倒すならば、今だ。
だが、動けない。
互いの圧す力が均衡して、交わった爪と刀がギリギリと音を立てる。
そのまま、互いに後の先を取り合った。
視線、呼吸、重心、まばたき――時には心拍まで。それら小さな全てを僅かに変え、本の少しの隙を見せ付け、互いの眼力を競い合う。
底が見えない。
白人系の遺伝子を思わせる茶の髪。飄々とした態度。侮蔑してくる視線。
両手両足は細く長く、チーターのような体格。
ストイックに歪められた口元が徹底的に気に入らない。
「追義――」
「――続道」
「薙旋――」
「――緋華《ひばな》」
「
その大きな良く通る声に、お互いが一瞬意識を奪われる。
そしてこれだけしておいて尚慢心が有った男の隙を、俺が見逃す筈もなく。
制止の声を無視して、刃を滑らせる。一条の軌跡。
腕を――――断ち切った。そのまま脳天を、
「ぬっ……!!」
「嘗めるなあ!」
残す三条。それら全てを応変させ、防御に費やす。
残った右腕が顔を狙い、弾く――――硬い。
迫った目視するのが難しい鋼鉄の塊、これが緋華か――――往なす。
さらに男の体当たりを、八景ではなく、踏み込んだ足先で押さえ、斜め後ろへと飛ぶ。
衝撃――――速く、重い。
身体が完全に浮いて爪先だけで足の長い絨毯を噛み、減速させる。追撃は……無い。
間には切り捨てられ、転がった男の左手。噴出していた血が絨毯を濡らすが、それだけだ。
男の左腕は異能の力か、傷口を押さえていないと言うのに早くも血が流れていない。
男が苦々しげに振り向くと、綺堂さんに言った。
「ちっ、さくら、何故止める」
「馬鹿言ってないで。……本当に変わらないわね。分かっててやってるんでしょう?」
「…………」
二人は知り合い、か。
それも、本当に変わらない、から相当の長い付き合いなのが分かる。
「興醒めだ……」
何事も無いように己の腕を拾い、傷口に合わせる。
なにやら気合を入れると、うっすらと傷口が重なり合い……。
「繋がった……?」
「命拾いしたな、人間」
「その言葉そのまま返そう」
「二人して殺気を撒き散らさないで」
まったく、どうしてこんな事になってるんだろう。
綺堂さんが頭を抱えて溜め息を吐く。
そして良く聞き取れない言葉とともに、今の戦闘で傷付いた内装を元に修復した。
「高町くん、紹介するわ。こちら氷村遊」
「宜しく、と交わす手はたった今斬られたばかりだったな。もっともそんな気は更々無いが」
「なら斬れたままにしておいたら良かったな。ついでにその舌も斬り抜いてやろう」
「――――やれるか?」
「後悔するな?」
氷村の人を食った態度を見ていると、嫌悪感を隠すのが難しい。
言葉の応酬から、再び戦闘へと移行しかけ――――
「むっ」
「くぉ……」
「いい加減にしなさい、ね?」
無理やり抑え付けられた殺気に、不覚にも一歩退いてしまった。
しかしなんて存在感だ。綺堂さん。
俺たち二人を圧倒して、そのまま紹介に移行する辺り大物だ。
「遊、こちら高町恭也君。忍の恋人……で良いのよね?」
「……ええ」
「……月村家も落魄おちぶれたものだ」
「遊!」
「怒るなさくら。幾ら言葉を飾ろうとも、こればかりは譲れんし、変われんよ」
「プライドばっかり高いナルシスト……本当に変わらないわ」
「しかしそうでなくては氷村遊というアイデンティティは確立せん。
少なくとも俺は俺という構成要素を捨てる気にはならん。人は――家畜だ」
ふん、と唾棄する様に鼻息を吐く氷村。
今すぐその首を刎ねてしまいたい気分に襲われる。
嫌な男だ。
それは相手も同じように思ったのだろう。
「ストップ。わざわざ遊をここに呼んだのは、月村家に対する援助の為なんだから」
「ふむ……同じ血をルーツに持つ者同士、それは吝かではないが」
「お家断絶って事だけは避けとかないと」
「ああ。歴代に渡って続けられてきた祖先に申し訳が立たんからな」
この人たちは忍だけではなく、月村家というネームバリュー自体にも気を使っているらしい。
俺たち事件の当事者からすれば、家よりもまず平穏なのだが、三者からはそう見えないという事か。
はたまた、物事を見るスパンが違うのか。
……そんな視点も確かに必要だろう。
納得できる自分と、もっと忍を心配してやれという憤懣やるせない自分と。両者がせめぎ合う。
「とりあえず僕は、氷村家の背景を使って、出来る限りバックアップはしよう。分家の愚かな奴らが指揮を執る、というのも許せるものではない」
「私は信用できる人員を警備や世話役として送るとするわ」
「……ありがとう」
何のかのと言って、二人が忍をバックアップしてくれる事には間違いない。
俺は好意に甘える事にして、黙って頭を下げた。
氷村、綺堂両者の対応は流石と言うに尽きた。
外部には瞬く間に警備は完了し、達人域の人間が門を固める。
内部は使用人が二人、非常に効率良く雑用をこなす。
ただ、忍の居室にだけは入れさせない様にしていたので、そういう意味では那美さんの存在はありがたかった。
整理や掃除をするには、流石に女性の部屋だけあってはばかれる物がある。
下着が転がってたりすると卒倒物だ。
「だからって、どうして私が……」
「まあまあ、手伝ってくれるって言ったのは那美さんじゃないですか」
「そうですけどー。ベッドに腰掛けて恋人の髪の毛を弄る姿を見せ付けられながら――って、正直嫌がらせですか?」
「ははは。…………くやしいか」
「ひどっ!」
突っ込みをスルーして、忍の寝顔を満喫する。人は常に変わり続けている生き物なのだ。
背後からすすり泣く声が聞こえるような気がしないでもないが、無視だ。
こうして傍に居てやると、忍の身体からこわばりが解けていく。
眼に見えて安心している姿を見せられると、離れるわけにも行かないのが、本音だった。
独りは、寂しい。
それまでずっと傍に居た人が急に手の届かない所に行くのが、何よりも、恐い。
父の死と言う、俺はそれで道みらいを失ったから。
最悪でも、ノエルがもう一度忍を護れるようになるまで、俺は、生き続けなくてはならない。
どんな脅威からも、どんな危険からも、
忍を護り、俺も生き続けなくてはならない。
油と焦げた鉄の臭いがする忍の髪を撫でながら、決意する。
穏やかな笑み。
眼のくまは幾分和らぎ、血行も戻ってきている。
指先をスッと小刀で斬り、溢れ出す血を忍の唇に塗る。即座にそれを舌が捉えた。
寝ている間は理性が弱まり、本能が身体を支配する。
目覚めぬままに舌が指を這い、ちゅぱちゅぱと音を立てて血を吸われる。
こんなやり方は好きではなかったが、これで忍の体調は大分ましになるだろう。
「うわ、なんて淫靡……」
ぼそっと背後から声が聞こえた。
頬を染め、口元に手を置いてこちらを眺めているのは那美さんだ。
「……何だったら那美さんが血をあげますか?」
「い、いえ……痛いのはあんまり」
「なに、痛いのは最初だけです。直に良くなる」
「物凄くエッチに聞こえるんですけど……」
「このど変態め」
「えぐぅっ」
指を抜く。
傷口は直ぐに治まった。忍の唾液に浸すと、大抵の掠り傷は直ぐに消える。
これも一族の業なのだ、と言っていた。
それを時に{わざ}と呼び、時に{ごう}と読む。
俺たち御神流にも通じる、そんな悲しい能力。
もそり、と忍が動いた。
「ん、んぅ……おはよ、恭也」
「おはよう」
「おはようございます、忍さん。もう夜ですけど」
「んー……」
まだ意識白濁、と言った状態か。
掛け布団を剥いで、とりあえず立たせる。
パジャマ姿の忍を、那美さんの前に連れて一言。
「お風呂、お願いします」
「……はい……。えぐえぐ、どうしてこんな事になったんだろう」
直ぐ傍に居てくれたから。
理由なんて案外そんな物です、那美さん。