赤く咲くバラの棘   作:肥前文俊

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 生きている理由を考えて、俺達は狂う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何時だって、本当に唐突に事態っていうのは急変する物だ。

 

 それを分かっているから、出来る限りの手を打とうと、俺は行動する。

 

 可能性を考慮し、一つ一つに対処し、対抗案を練って、時には人にも頼る。

 

 巻島館長に。色々と世話になった父さん筋に。

 

 俺よりも強い何らかの力を持つ人々に、俺は念の為声を掛けておく。

 

 それでも、安心は得られない。

 

 

 

 

 ――――この世には絶対がない事を知った。

 

 

 

 

 誰よりも強くて、誰よりも頼りになるあの人。

 

 静馬さん達が亡くなって、俺が唯一心許して、もたれる事が出来たあの人。

 

 あの日、父は亡骸になって帰ってきた。

 

 絶対に、何が起ころうと死ぬ事が無いと信じていた父は、呆気なく死んだ。

 

 約束したのに。

 

 美由希に剣を教えるって。

 

 約束していたし、父さんだって本当に本気で、守るつもりだったのに…………。

 

 最後の最後まで守る為に戦って、生き残る為に虫けらみたいに足掻いて。

 

 それでも呆気なく人は死ぬ。

 

 この世には絶対がない事を知った。

 

 それが俺の、恐怖の始まり。

 

 護れないかも知れないと言う事。

 

 己の命を極簡単に落とすかもしれないと言う事。

 

 例えば治安が悪いと言いながら夜中に街に出歩く一般人。

 

 それは自分の身にはそんな不幸は降りかからないと、理由もなく信じていられるからだ。

 

 治安大国と呼ばれていた日本でさえ、一日に起きる殺人事件は平均四件を越えるこの世の中で、一体何処にそんな保障があると言うのか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

 

 世界は疑心と不安で彩られている。

 

 俺達は暗闇の中を手探りで歩きながら、でも足元を調べもしないで歩いている。

 

 そして、俺達の進んでいる道の脆弱に気付いた人だけが、恐怖に震える。

 

 何も信じられない。何かを信じるという事は、盲目になると言うことだから。

 

 だから逆に、一度信じた人だけは、最後まで信じたいと思った。

 

 あの平穏を。あの心の温もりを……もう一度、手にしたい。

 

 理由もなく安心できたあの奇跡が欲しい。

 

 最早帰らぬ過去の日の想い出を取り戻したい。

 

 例えそれが無理だとしても。

 

 その為に俺は、死地にだって飛び込んでやりたい。

 

 あの人には絶対は無かった。

 

 だから、父さんよりも劣る俺には、もっと絶対なんて言う言葉は似合わない。

 

 だけど、だからこそ。

 

 俺は《オレハ》――――

 

 

 

 

 

 

「恭也っ!!」

 

 

 

 

 

 悲痛な声で思考は遮られた。

 

 ドアが開いた向こう側に忍。

 

 顔色が悪い。青色を通り越して土気色だ。

 

 呼吸は荒く、しかし細く。

 

 見開いた目が、こちらを凝視している。

 

「何が有った?」

 

「ノエルが……ノエルが、いないの」

 

「自分で起動したわけじゃないのか?」

 

「無理よ! ……今はフリーズしてるもん。誰か、誰か盗んだ……、でも誰が?」

 

「…………氷村か」

 

「え……?」

 

「お前の叔母さんが張った結界は、かなり強固な物だったな」

 

 そして、それほどの結界を破れる者は限られていると、俺は綺堂さんに聞いた。

 

「ノエルの場所を知っているのは、俺の他には綺堂さんと氷村、エリザさんの三人だけだ。例外を言えば那美さんか」

 

「ひ……むら……」

 

 念の為、その場で電話をかける。

 

 コール音が一度――――現在使用されておりません、か。

 

 これで確定だな。

 

「……………………」

 

「……忍? おい、落ち着け! 一人で何処に行く」

 

「あの男を、殺すのよ」

 

 ……本気だ。

 

 朱色に輝く忍の双眸は、その精神に呼応して輝きを増す。

 

 眩しいまでに力を灯した眼球と、真っ黒な虹彩。

 

 夜の一族と呼ばれる由縁の一端を知らされる。身体が我知らず震え、慄く。

 

 人間に残った獣の本能が、遺伝子が、夜の一族という存在に対して恐怖を覚えている。

 

 しかしそれでも。悲しい事に、俺にすら敵わない。

 

「どうやって追いつく?」

 

 自分でも擦れた声。こういう時、本能と言うのが限りなく邪魔に思う。

 

「それは、」

 

「策も無く後追いして、罠に嵌り命を落とす。それは愚か者のする事だ。第一、お前が怪我でもしたら誰がノエルを治すんだ」

 

「あ……」

 

「取り戻すのは俺の仕事。ノエルを治すのは、お前の仕事だ、忍」

 

 ふっと、その瞳に力が抜ける。

 

 両眼が人間のそれに戻り、変質していた空気が弛む。

 

 息を吐く。空調の完備した部屋の筈なのに、震えるほどに寒く。

 

 手の甲の肌は粟立っていた。

 

 そしてこれから俺は、その恐怖を押し殺して、忍よりも戦闘に長けた、あの氷村を殺さなければならない。

 

 ……ノエルを奪回する?

 

 それが何になると言うのか。

 

 あれほど大言を弄し、そして一族の上の立場に立つ人間が、危険を冒してまで壊れた自動人形を目的に手を出すわけが無い。

 

 むしろ狙いは、忍だろう。

 

 心は不思議と落ち着いている。

 

 むしろ、この状況が一番、あり得るとさえ考えていた。

 

 奥深くに沸き立つ憎悪の感情を汲み火にして、俺は静かに行動を開始する事を決める。

 

 カーテンを空け、まず外を見た。

 

 警報機が作動した様子は無い――――当然だ。

 

 警備に人員を割いたあいつには、警報機の位置を事前に教えている。

 

 それよりも確認する事は一つ。

 

 今夜の月の様子と、空。

 

 狙っていたのだろう。まんまとしてやられたと言うべきか。

 

 煌々と輝くは満月。

 

 夜の眷属が最もその力を発揮する一日の夜。

 

 夜闇は明るく、視界に困る事は無いが……不利な状況かもしれない。

 

 武装を整える。

 

 飛針と、鋼糸と、小太刀と小刀。

 

 口元近くまで伸びた襟の防刃スーツに軽量合金使用特殊安全靴。

 

 携帯電話や無線、GPSといった機器類を懐に収め、準備を整え終えた。

 

「忍」

 

「な、なに?」

 

 急に怯えたような動きを見せる忍に、俺は不審を覚えた。

 

 そんなにも俺は、恐い顔つきをしていたのか?

 

「これから氷村を追う。綺堂さんに連絡を入れて地下に篭っておくんだ」

 

「私も一緒に……っ」

 

「居るんだ。問題ない。ノエルの躰にはGPSで探知できる発信機を事前に付けて置いた。綺堂さんが着く頃には、ノエルも俺の手に戻ってる」

 

「いつの、まに……?」

 

「お前がHで呆けてる間にだよ」

 

「なっ……!」

 

 皮肉に口を歪めて、出かける前に安全を祈願して、驚きに開いた口に一度だけキスして。

 

「じゃあ、行ってくる」

 

「早く、帰ってくれなきゃ嫌なんだから……!」

 

「ああ、約束だ。絶対に――――」

 

 

 

 

 

 

 絶対に、また一緒に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 森の中を駆けていた。

 

 暗い視界と、ほの明るい月光。

 

 響き渡る羽音。獣の気配。

 

 一日に一度は訪れる、海鳴の山の空気……。

 

 音も無く点滅するGPSの位置を確認して、疾る。

 

 足音は殺し、その為に速度はそう速くない。

 

 ブルブル、と胸元が震えた。

 

 耳元に挿したイヤホンから声。

 

「師範代」

 

「美由希か、何だ?」

 

「那美さんの消息が、下校途中から途絶えました」

 

「なに……?」

 

「さざなみ寮にも帰宅してないみたいで……」

 

「那美さんは警察に繋がりがあった筈だ。電話しておけ。あと、何なら巻島館長の門下生を使っても構わん。

赤星も使え。あいつは駒が多い。二人とも話は通してある。捜すだけで良い、手は出させるな。

いいか、お前がするんだ」

 

「はい」

 

「俺は今、手が空いてない。切るぞ。もう直ぐ……戦闘だ」

 

「はい。どうか御無事で」

 

 切断。

 

 気配を探り、呼吸を止める。

 

 これで、氷村以外でも犯行が可能になった。

 

 那美さんを捕らえ、奴等お得意の催眠で聞き出せば、ノエルの居場所なんて簡単に吐かせられるだろう。

 

 胸の奥で湧き上がる焦燥を捻じ曲げ、押し殺す。

 

 GPSの反応は変わらない。ゆっくりと南下中。

 

 気配を殺すだけではなく、移動の高度を上げる。

 

 平面ではなく、立面で。即ち三次元の行動が、相手の予測を掻き分ける。

 

 木々の枝から枝へと伝い、しなりを利用して更に飛距離を延ばす。

 

 音と、速度と。

 

 天秤にかけて無音歩行に重みを置いた。

 

 そして、薄明るいはずの森の中で、深い闇を見出した。

 

 

 ――――居た。

 

 

 こちらから背後。ゆっくりとした足取りで走っている。

 

 無造作に抱え込んだノエルの腰に手を置かれ、それは鞄か何かかと言うような気軽さ。

 

 

 

 即座に跳躍。

 

 空に跳びながら、直ぐ背後に回る。鋼糸で首を絡み取り一連の動作で腰留から抜刀。握り締めた鋼糸が引き絞られ、相手の首を両断――――回避、打ち下ろ し!

 

「…………!」

 

 ――破山!!

 

「大狼たいろう――」

 

 氷村の両手から突如現れた狼の、その牙と八景が交錯する。

 

 お互いの顔に、驚愕。

 

 俺は必殺の一撃を防がれたという事実に。

 

 氷村は俺に追いつかれたという、現実に。

 

 牽制に一本飛針を飛ばしながら、距離をとる。

 

 一呼吸。納刀。

 

 夜の一族特有の精神感応に掛からない様、直視せず。しかし姿を捉えておく。

 

 ノエルの身体がどさっとその場に放り出された。

 

 視界にそれを納めながら、出そうになる足を抑えつける。

 

 今はまだ、簡単に飛び出して良いタイミングじゃない。

 

「確かに手応えは有ったんだがな。……貴様は首を断たれても生きていられるのか?」

 

「ふむ、冗談すら話にならん。首を斬られて生きている自信はない。首を斬られぬ自信なら、幾らでもくれてやるが」

 

「なら両眼を刳り貫き耳を削ぎ落とし、歯を全て引き抜いて首を晒してやろう。貴様には随分とお似合いの格好だ」

 

「ほざけ」

 

 お互いの殺気が、少しずつ形を成す。

 

 空気が圧力を増し、背筋が冷やりとする。

 

 毛は逆立ち、気分の悪い脂汗が溢れ、身体をべっとりと濡らす。

 

「貴様の心臓を貫く前に、一つ訊いておかなければならない事がある」

 

「ふむ、ノエルこれの事か?」

 

「……ああ」

 

 ギリッと歯が軋む。

 

 コレ扱いに対して腹立つのは、如何いかんし ようともなかった。

 

「そもそも何故、貴様ほどの立場の人間が、しかも自らノエルを攫うのか。そして、貴様が黒幕だとすればだ、俺のクラスメートを拉致し、従属させた事に何の 意味があるのか。この二つは訊いておきたい」

 

「ふむ……ああ、なるほど」

 

 言いながら、氷村はその場をゆらりと動く。

 

 それに合わせて俺もまた、弧を描くようにして左へと身を移す。

 

「一つは実に簡単だ。月村家の名を欲しがっているのは一つではない。それだけの話だ」

 

「もう一つは?」

 

「それは冥土の土産でも聞かせられん。僕のポリシーに反するからな。それに僕は、貴様を好かん」

 

「そうか……それは俺も、同じ事だ――――!!」

 

 小さく鋭いステップから、身を沈めこませるような大きな踏み込み。

 

 意識するのは鋭角ではなく円を以って上下移動を成す。

 

 上下撹乱歩法、群雲。

 

 人間の距離感を狂わせるこの歩法を使えば、一瞬のタイミングを違える事が出来る。

 

 予想通りの反応を返してきたド素人に、態と嘲笑を見せ付けながら、右上方へと再抜刀。

 

 鞘内で最大加速を得て走り出した刀身は高速で氷村の顎を裂く。

 

 しかし手応えは無い。まるで霞を斬るかの……

 

「……霞!?」

 

「ほう、我ら一族の力を二度目で見抜くか。まあ精々その鈍らで僕の首を目掛けるが良いさ。ホラ」

 

 トントン、と手刀を首元に叩き、こちらを挑発。

 

 しかしそれに激する前に、神速の領域に入って飛針。

 

 貫く――――半ばで止まったか。

 

「グッ――――!」

 

「無様だな。余りに無様だ」

 

「きさ ま……ぁああああああ!」

 

 一瞬グリンと氷村の目が白目を向いたかと思うと、痙攣。

 

 飛針が抜き取られ、血が飛び散る。そして修復……。

 

 捲くし立てるように連撃を叩き込みながら、冷静に思考を続ける。

 

 氷村の言うポリシーとは何だろうか?

 

 少なくとも、お喋りなこの男が口を噤む位、自らの矜持に反した行動ながらも尚、事を決行した――――それ程の動機。

 

 この男が主犯ではない、否。犯行を行ったのは、この男だ。

 

 それを操るような存在が、裏に居る……?

 

 となると心配なのは那美さんだが……言っても仕方があるまい。

 

 忍の身は綺堂さんに任せるしかないか……。

 

「この僕を! これほど侮辱したのは ! ……あの相川以来だ……!!」

 

 目を血ばらせこちらを睨む姿は鬼気迫る物がある。

 

 思わず二の足を踏みそうになり、仕方なくその場から飛び離れた。

 

 元居た場所に凝固した血柱が突き刺さる。なるほど、こんな方法も使えるのか。

 

「いや。あの男も結局は直ぐに死んだ……貴様も後を追わせてやろう」

 

 手元が変質し、爪が延び、色が猛禽のように黄色く変形する。

 

 禍々しさすら感じられる。

 

 猛毒があったとしても不思議ではないだろう。

 

 自らの力を見て落ち着きを取り戻したのか、氷村は整えた声で語る。

 

 それは静かな声だった。

 

 自らに問いかける様な、

 

 自らに尋ねる様な、

 

 自らに言い聞かせる様な。

 

「下賤で敬う事を知らず、我ら一族を知りもせず。ただ猿の如く交わり子を成し無駄に繁殖する。

能力も屑ばかり。自尊心だけが高いそんな奴を見ていると、思わず首を捩じ切ってやりたくなる」

 

「……それほどまでにお前達夜の一族は高貴だと言えるのか?」

 

「少なくとも、人間よりは高位だろう。我らは長寿で、身体能力に優れ、深い叡智を持っている。だがそう。我ら一族にも、貴様の様な考えを持つ者も増えてき た。月村忍が良い例だ」

 

 ……むしろ僕の様な考えの方が、今では少数と言える。

 

 そう付け加えた氷村の表情はまるで……全てを容認した上での、悲観。

 

 

 それは何という――――。

 

 

「しかし、少なくとも僕は。最後の純血たるこの僕だけは――――!

この考えを保ち、次代に伝える義務がある。

 敢えて言おうではないか。我ら夜の一族は誇りを以ってその血を保ち、そして如何な生物よりも優れこの地の頂点に立つべきだ、と。そう声を嗄らし、喉を裂かそうではないか」

 

 時代がかった、芝居がかった口調は熱く、氷村の心を昂揚させている。

 

「俺は貴様の事が分からん。しかし俺達は正反対の場所に位置するが故に……貴様を理解できず、共感しよう」

 

「ならば我が礎の為に散れ。そう……僕の王道は、脅かし難し!」

 

 走り詰めて来る氷村の動きは早く、意思が篭っている。

 

 そんな行動に対して生半可な牽制は何の役にも立たない。

 

 全力には全力で相対する。そうしなければ容易く殺される。

 

 それ程の決意。それ程の信念。

 

 これまで軟派と思っていた氷村から感じられる固い想いを前に、俺は覚悟を決めた。

 

 この命すら賭して、俺はこの男を叩こう。

 

 戦えば不敗。御神の名に傷は無し。

 

「――青冴《あおざめ》」

 

「赤鮫《あかざめ》――」

 

 今、互いの青赤の獲物が交錯し、交差し、火花を散らした。

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