呪術廻戦 -0 GAME-   作:柴猫侍

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第1話 マモリと真依

 

 

 

───2013年 ■■県■■市(旧■■村)

 

 

 

()()、君がやったのかい?」

 

 いやに淡々とした声だった。

 というのも、その場は有り体に言って地獄だった。木造に似合わぬ濃密な鉄の色が充満しており、転がった肉人形から溢れ出る赤が床を染め浸している。

 

 蝋燭の火がゆらゆらと揺れている。

 火は、向かい合う二人分の輪郭を浮かび上がらせていた。

 

 一人は袈裟を身に纏った長身の男。入口に立つ彼は、死屍累々と化した部屋を目撃しても尚、顔色一つ変えてはいなかった。

 先ほどの問いかけは彼のもの。

 

 つまり、言葉を向けた相手が視線の先に居る。

 

『ゔぉ……お゛……ぉお゛……!!』

 

 部屋の最奥に蠢く影があった。

 白い糸に雁字搦めにされた異形が一匹。芋虫にしては仰々しい牙が生えており、何より大きさが異様であった。大人一人をも丸呑みに出来てしまいそうな程、醜く肥えた胴体からは、人間の手足と思しき四肢が無数に生えていた。

 

 男が問いかけた相手はその異形───の、少し手前に居た子供。

 真っ赤な血溜まりに立つ姿は、燃え尽きた灰を彷彿とさせた。それほどまでに男を見つめる紅い眼は空虚であり、返り血に塗れた白い髪も色褪せているように見えた。

 

「……ああ」

 

 少しして、子供は口を開いた。

 男とも女とも取れる白皙の美貌から放たれた声は、酷く沈んでいた。

 

「そうかい。じゃあ()()は?」

 

 男は入口付近に転がっていた肉人形を一つ、足で転がした。

 仰向けに転がされた肉人形の顔は恐怖に彩られていた。目に鼻、口と、穴という穴から血を垂れ流している顔はショッキングと称する他ないが、大して男は動揺する素振りを見せることはない。

 

「知り合い?」

「……別に」

「なるほどね」

 

 男は、そのまま肉人形を足で退ける。

 

「で? これからどうするんだい?」

「……どうする……って?」

「こんなところじゃあ生きにくいだろうに」

 

 男は入口まで及んだ血溜まりを踏みしめながら歩み寄る。

 そうして血溜まりを渡ってきた男は、おもむろに手を差し伸べてきた。

 すると、突如として最奥に捕らえられていた異形に異変が訪れる。それまでのうめき声が一段低くなったかと思えば、みるみるうちにその巨躯が吸い込まれるように男の手へと流れ、最終的に掌に収まる黒い球体に変貌した。

 

 それを男は一口に呑み込む。

 化け物を丸めた、ドス黒い塊を。

 

 しかし、子供はピクリとも反応しない。

 無感情。その目は、男の所業に何も思うところはないと告げていた。

 

 異形を取り込んだ男は一息置き、改めて手を差し伸べてくる。

 今度こそ、その手は子供の方に向けられていた。

 

「私は夏油。君の名前は?」

「……マモリ」

 

 少年は、自身をそう名乗った。

 

「そうか……マモリ。私と一緒に来る気はないかい?」

「夏油と?」

「ああ。私と共に理想の世界を作ろう」

 

 優し気な眼差しを向ける男───夏油は続ける。

 

「私や君のような術師だけの世界。それはきっと、君にとっても行きやすい世の中じゃないかな?」

 

「……」

 

 初めての沈黙が場に流れる。

 真剣に悩んでいることが見て取れる子供は、自身の足下に広がる血溜まりをジッと見つめた。

 

 反射する自分の顔を覗き込む。少年はそこに遺された微かな面影を追い求めていた。

 その表情は紛れもなく、寄る辺もなく彷徨う子供のもの。血溜まりの向こうにしか望むことのできぬ存在を前に、握りしめられた拳は小さく震えていた。

 

 だが次の瞬間、視線を遮る夏油の手が視界に入り込む。

 

「別に今すぐに決めろという話じゃないさ」

「……」

「辛いことがあったんだろう。私にも分かるよ」

「……」

「非術師を見下す自分。それを否定する自分。どちらかを本音にするか、私も悩んでいる時期があった」

 

 『それでも』と男は続ける。

 

 

 

「どっちを本音にするかは……君がこれから選択していけばいい」

 

 

 

 ***

 

 

 

───2017年 京都府立呪術高等専門学校

 

 

 

「それじゃあ転校生紹介するわよぉー」

 

 『注目~』と緩い声色を上げるスカーフェイスの巫女が手を叩く。

 彼女───庵 歌姫の声を聞き、閑散とした教室に着席していた三人の生徒が反応を見せる。

 

「転校生だって。どんな人が来るんだろう……あ、女の子だったらいいですね!」

 

───『四級呪術師』 三輪(みわ) (かすみ)

 

「さあ。別にどんな奴が来たって興味ないわよ」

 

───『四級呪術師』 禪院(ぜんいん) 真依(まい)

 

『真依の言う通りダ。男だろうが女だろうが関係なイ』

 

───『二級呪術師』 究極(アルティメット) メカ(まる)

 

 個性的な面子が揃うここは、京都府立呪術高等専門学校の1年生の教室だった。

 今日までに1年生はたったの3人。それが呪術師という世界がいかに人手不足かを何よりも証明している。

 が、そこに新たに1名の転校生が来ると来た。

 

(もっとはしゃいでもいいでしょうに。この子達ったら……)

 

 余りにもドライな反応の2名を見ていると、歳相応にはしゃぐ霞が天使に見えてくる。

 そんなことを思わずにはいられない庵 歌姫(30)は柏手を鳴らし、入室を催促した。

 

「入っておいでー」

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

「……入ってこないですね」

「嘘でしょ?」

 

 『そんなことある?』と歌姫が迎えに赴こうとした、まさにその瞬間だった。

 

 

「はぁっはーーーッ!!!」

 

 

「きゃあああ!!?」

 

 突如、扉を蹴り破ってきた筋肉ゴリラがフェードインする。あまりにもあんまりなホラー展開に歌姫も乙女のような悲鳴を上げて後退る。

 

「なに!? いったいなんなのよっ!?」

『アレが転校生カ』

「馬鹿。どう見ても2年の東堂でしょ」

「じゃあ、あの扉と一緒に蹴り飛ばされてきた人が転校生ですか?」

「え?」

 

 霞の言葉で歌姫はハッとする。

 蹴られて窓の方まで吹き飛ばされた扉。真ん中から半分に折れ曲がり座椅子のようになった扉には、高専の制服を身に纏った人影が一人もたれかかっている。

 

「ななな……何やってんのよ、東堂ォーーーッ!!?」

 

 ほぼほぼ悲鳴に近い叫び声を上げながら、歌姫は転校生を蹴り飛ばした男へと掴みかかった。

 

「アンタは何してくれてんの!!?」

「お? 先生か……いやなに、今日から転校生が来るっていうもんだから面を拝みにな」

「面を拝むってレベルじゃないでしょ!! 初日から転校生〆る馬鹿がどこに居るって言うのよ!!」

「〆るなんて人聞きの悪いことを言ってくれるな。これはただのレクリエーションだ。俺はただそいつと女のタイプを熱く語らっていただけで」

「明らかにぶっ飛ばしておいて何言って───きゃあああっ!!?」

 

 掴みかかって説教を開始するも束の間、今度は東堂の身体が窓の方へと引き寄せられて行き、そのまま窓ガラスを突き破って外へと放り投げられた。

 

「……なんで俺は蹴られたんだ?」

 

 全員が唖然とする中、パンパンと制服の埃を払う少年が立ち上がる。

 スタンダードな学ランタイプの制服の中に真っ赤なパーカーを着込んでいるようであり、未だその素顔はフードに隠れて見えない。

 しかし、立ち上がった際の振動ではらりとフードがずり落ちる。

 そして目に飛び込む鮮烈な白と紅。先天性白皮症───いわゆるアルビノと言われる類の特徴を宿した少年は、真っ赤な瞳で校舎の外に放り投げられていった東堂の方を見遣る。

 

 

 

「呪術師の挨拶って全部こんなんなのか?」

 

 

 

((((いや、違うけども))))

 

 教室に居る全員の心が一つになった瞬間だった。

 が、誰かが止める間もなく転校生らしき少年は校庭へと躍り出ていった。恐らくあのまま東堂とやり合うつもりなのだろうが……。

 

「どどど、どうしよう……完全にあらぬ誤解を持たれている……!」

「はぁー……」

『歌姫。とりあえず止めに行ったらどうダ?』

「はっ!? そ、そうだったわ。いきなり過ぎて頭フリーズしてたわ……コラー、東堂ォー!! あと葛城も止まれェーーー!!」

 

 怒声を上げながら校庭へ向かって行く歌姫。

 そんな彼女と入れ替わるように入ってきた人影があった。

 

 京都2年───西宮(にしみや) (もも)加茂(かも) 憲紀(のりとし)

 東堂の同級生である2人は、相も変らぬ同級生の奇行に辟易した様子で教室へと足を踏み入れた。

 

「桃! 何がどうなったらこんなことになるんですか!?」

()()()()()よ。メカ丸も入学初日に一回食らったでしょ?」

『……忘れたナ。それより憲紀、お前も止めに行ったらどうダ?』

「ああなった東堂は私達には止められん。先生に任せるよりほかはない」

 

 つまり、丸投げである。

 

「……はぁー……」

 

 本日何度目になるかも分からぬ溜め息を吐く真依は外を見遣る。

 そこでは先程出て行った転校生と東堂が仲良く殴り合っていた。歌姫も仲裁に入っているタイミングを窺っているが、何分2人の殴り合いがハイレベル過ぎて躊躇っている様子だった。

 

あの人(ゴリラ)とやり合えるなんて……何者なの?」

「田舎から来た術師だってさ」

「桃」

 

 独り言に等しかった質問に先輩が答えてくれる。

 そんな魔女っ子の方を向けば、なぜか同情されるような視線を向けられていた。

 

「……何よ、その目」

「真依ちゃん……あの転校生、気を付けた方がいいわよ」

「はあ?」

 

 なんで? と問いかける間もなく、桃は苦々しい表情を浮かべる。

 

()()()()()()()

「……」

「特に真依ちゃんは」

 

 それを言われたところでどうすればいいんだ。

 ただでさえ鬱屈とした呪術師としての生活に暗雲が掛かりそうな言葉に、真依は今日も憂鬱にならざるを得なかった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「はぁ~~~……───改めて転校生紹介するわよぉ~……」

 

 数分前より幾分か老け込んだ顔の歌姫が黒板にチョークを走らせる。

 そこに書かれていた名前は───。

 

「『葛城(かつらぎ) マモリ』君よ。皆、仲良くしてあげなさい」

「……」

「……ほら、貴方も」

「?」

「『よろしく』って言ってあげて」

「あー……よろしく?」

 

 歌姫に促されてようやく挨拶した少年。そのまま教室にあった空席へと案内されたが、しばし、痛い沈黙が続く。生返事が頂けなかったのだろう。何においてもファーストインプレッションは重要なものだ。初対面で友好的でないと受け取った場合、周囲の人間もわざわざ仲を深めんと動こうとも思わない。

 

 これは、そんな当然の帰結だった。

 

「……」

「……」

『……』

「……は、ハハッ。えーっと、マモリ君はどこの出身ですか?」

 

(ナイス、三輪!)

 

 思わずガッツポーズを取る歌姫。

 やはり三輪だ。三輪は全てを解決する。

 

 『京都校でイイ子は誰?』と訊かれれば真っ先に思いつくであろう少女の気遣いに歌姫が涙する間、質問された当人は『俺?』と自分を指差して確認する。

 

「■■県だけど」

「あー、■■県だったんですね! あそこってアレがおいしいですよねー! えーっと……柿の葉寿司!」

「そうなのか?」

「え……違いましたっけ?」

「いや、知らない」

「あー……あはは……」

 

 これには霞も笑う他なかった。

 会話が続かない。というより、相手に会話を続ける意思が見受けられないというべきか。

 

(わざわざ相手にしなくたっていいのに)

 

 霞の隣に座る真依は、心の中で吐き捨てた。

 自分は彼女のように善人でもないし、性格がいいつもりもない。だから仲良くするつもりのない相手に仲良くしようとも思わない。

 

(あーあ、早く帰りたいわ……)

 

 今日も今日とて呪術師になる為の授業がある。

 呪術高専なのだから当然と言えば当然なのではあるが、真依にとってはそれが堪らなく憂鬱であった。

 

「じゃあ今日は校外に出て簡単な任務にあたってもらうわよ。三輪はメカ丸と。真依は葛城とね」

「げ」

 

 思わず口をついて声が出る。

 

「私が? ()()と?」

()()とか言わないの」

 

 そして態度も隠さない真依に、歌姫はやれやれと眉間を押さえた。

 

「っはぁ~……なんで私が転校生なんかと……」

「都合でも悪かったか?」

「別に。霞と一緒の方が気楽にやれて良かったなんて思ってないけれど」

「霞って子と仲が良いのか」

「貴方には関係ないでしょ」

 

 結局のところ真依の我儘が通ることはなく、現在に至る。

 彼らが乗り合わせていたのは一台の乗用車。運転手は今日の補助監督が、物々しい空気に頬を引き攣らせていた。

 

「ハハッ……も、もうすぐ着くっスよ」

 

 車が止まった場所は廃病院だった。

 年季が入りあちこちに亀裂が入ったコンクリートは、今にも崩れ落ちそうな危うさを漂わせている。

 

「ここが今日の任務地っス」

「詳細は?」

「この廃病院、近所の子供達のたまり場だったみたいっスけど、先日から帰ってこない子供が居るみたいで……それで高専(ウチ)にお呼びがかかったって感じっス」

「はぁ……これだから子供はホント……」

 

 それで迷惑を被るのはこちらだというのに。

 子供の向こう見ずな好奇心に頭を抱えながら、真依は廃病院へと足を踏み入れようとする……が、しかし。

 

「……貴方、そこで何突っ立ってるのよ」

「ん?」

「普通こういう時って男が先に行くもんでしょう」

「そうなのか?」

 

 『そうよ』と真依が告げれば、少年は何の疑問も抱いていない顔で一歩前へ出る。

 

「(……言われてホントに行く?)」

「なんか言った?」

「……別に」

 

 踏み入った廃病院をコツコツと進んでいく。

 電気は通っていないのか電灯は点いておらず、外から差し込んでくる日光だけが頼りの空間であった。

 明るくもなく暗過ぎることもない。

 ただただ奥へ進みつれて増していく薄暗がりが不気味な中を、真依は少年の背中を付いていくように進んでいった。

 

「……」

「……」

「……」

「……」

「……」

「……はぁ」

「どうした?」

 

 延々と続く静寂に溜め息を一つ零せば、すかさず前を行く少年が振り返ってきた。

 

「……別に」

「そうか?」

「それよりさっさと終わらせましょう。こんな不気味な場所、いつまでも居たくないわ」

「そうか。じゃあさっさと終わらせるか」

「……」

「……」

 

 まるでオウム返しのような会話だった。

 こちらからの何か仕掛けなければ、向こうから返ってくることはない。

 

「これならペッパー君の方がまだ喋るわよ……」

「ペッパー君ってなんだ?」

「帰って自分で調べて頂戴」

「ん、わかった」

「……」

「……」

 

 また沈黙が続く。

 一階、二階と虱潰しに部屋を当たっていくが、未だ呪霊と出会うことは叶わない。

 

 いつしか沈黙に耐えられなくなったのは───。

 

「……ねえ」

「……」

「ねえったら。無視しないでくれる?」

「ん? 俺か?」

「貴方以外に一体誰が居るのよ」

 

 苛立った口調で単刀直入に訊く。

 

「貴方……どうして呪術師になろうと思ったの?」

「どうしてって……なんでそんなこと訊くんだ?」

「いいから答えて」

「ふーん」

 

 本当に考え込んでいるかも定かでない少年は、それから歩幅をゆっくりと狭め、やがて割れた窓ガラスの上で立ち止まった。

 

「……別に、ないかなぁ」

「……は?」

「強いて言えば、向いてるから?」

 

 本人も疑問口調だった。

 それに誰よりも憤慨したのは、他ならぬ聞いた自分だった。

 

 数拍ほど呆気に取られた後、みるみるうちに眉間に皺が寄っていく。その上歯を剥き出しにした形相は苦々しいの一言に尽きただろう。

 しかし、心頭から発した怒りもすぐさま熱を失う。

 

「そう……向いてるんだったら良かったわね」

「そうか? じゃあ逆に訊くけどさ、禪院はなんで呪術師に───」

「禪院って呼ばないで」

「ん? あぁ、おい……」

 

 それだけ言って、真依はマモリの前へと歩み出る。

 ガシャガシャと。床に散らばった窓ガラスの破片を踏み砕きながら、先程までとは打って変わって自らが先を突き進んでいく。

 

(なによ、あいつッ……!!)

 

 足元に転がっているゴミや破片は足で蹴り飛ばす。

 

()()()()()()って……それだけで呪術師になるなんて!!)

 

 荒れる足取りは、そのまま床に転がっていた空き缶を踏みつぶす。

 

(私がどんな気持ちで呪術師なんかをしてるか───!!)

 

 そこまで思い至った時、距離を取るように広かった歩幅は途端に狭まっていった。

 

───分かってる。全部八つ当たりだ。

 

 才能もなければセンスもない。そもそもやる気もない。自分がこの上なく呪術師に向いていないことは、自分自身が誰よりも一番良く理解している。

 

 呪術師になんてそもそもなりたくはなかった。

 痛いのも怖いのも嫌だし、死ぬなんてもっとも嫌だった。世間から見れば底辺の扱いを受けようとも、呪霊や呪詛師と戦って常に死が付きまとう呪術師に比べればマシだ。

 

 それでも、呪術師にならざるを得なかった。

 

(私はアイツの所為で───)

 

 今頃、東京でのうのうと暮らしているであろう姉の顔を思い出す。

 自分に瓜二つな双子の姉。どれだけ忘れようとしたって忘れることなんてできない。毎朝洗面台に立つ度、鏡に映り込む自分に面影が重なるのだ。

 

(だからってこんな時にまで思い出すなんて……)

 

「……はぁ、最悪……」

「おーい、禪い……じゃダメか。真依ぃー」

「真依って気安く呼ばないでくれる?」

「じゃあなんて呼べばいいんだ?」

「……自分で考えて」

「え?」

 

───コイツは本当に。

 

 何でも聞かなければ動けないなんて、まるで子供だ。

 そんな感想を抱きながら探索を再開する。

 兎にも角にも、呪霊を祓除しない内には帰れない。この何とも言えない空気をどうにかするには他の同級生でも交えなければ無理だ。

 

「……そう言えば」

「なんだ?」

「貴方何級?」

「ん? あー、確か一級」

「……はあ?」

 

 聞き間違いだろうか?

 

「ちょっと……学生証見せなさい。どうせ財布に入れてるでしょ。貸しなさい」

「現金の持ち合わせならないぞ?」

「誰がカツアゲする気よ」

 

 急にふざけたことを抜かすマモリにガンを飛ばしながら、学生証の入った財布をふんだくる。言われた通り大した金額の入っていない財布の中を漁れば、本日付けで交付された学生証が見つかった。

 そして、浮世離れした少年の証明写真の左上に燦然と輝く『一』の文字が目に入る。

 

「嘘……ホントに一級?」

「なんで嘘吐く必要あるんだよ」

「だって、貴方……」

 

 呪術師の等級は四から一級に分かれている。

 四が最低で、一が最高。例外として特級という等級こそ存在するが、あれは斜め上に位置した特別枠である為、大多数の術師にしてみれば縁のない話だ。

 一級こそ実質的な最上位の術師。呪霊の中でも特に危険な一級呪霊を問題なく祓え、場合によっては特級をも祓除する、いわば今後の呪術界を背負っていく柱だ。

 

───その等級をたかだか1年生が?

 

(歌姫先生や東堂でも準一級だってのに、こいつは一体……!?)

 

「なあなあ」

「っ……なによ?」

「あれが今回の標的?」

「は?」

 

 少年が指差す方向に振り返れば───居た。

 こちらを覗き込みながら息を潜める呪霊が。

 

『あ、あ、あ』

「っ……!」

『あ、そ、そ、ぶ、うぅう?』

 

 喰らう為だけに肥大化したような口を開きながら、呪霊が走り出してくる。

 すかさず真依はホルスターに収めていた拳銃を取り出し、呪霊に照準を合わせる。

 

(落ち着け。落ち着け。落ち着け、私……!)

 

 授業で習った通りに拳銃へ、弾倉へ、そして弾丸へと呪力を流していく。

 呪力とは負の感情が変換された力。恐れや怒りを覚えている状態でこそ、強大な呪力を発することが叶う。

 

(あんなのは雑魚よ。脳天を撃ち抜けば簡単に殺せる!)

 

「───そこっ!!」

『ぎゃ、あ、あぁあああぁぁああぁああ!!』

 

 呪力を込めた弾丸で頭部らしき部位を狙撃する。

 ……がしかし、それが致命傷になった様子は見受けられない。ダメージこそ負ったものの、依然として健在の呪霊はその醜い肢体を振り回しながら、廃病院の壁を次々に叩き割っていく。

 

『い、い、い、痛い、痛いぃいぃいぃ、いいい!!』

「チッ!! まだ足りないっての……!?」

『痛いぃいいいいぃぃい!!』

 

 痛みに悶える呪霊に対し、真依は次々に弾丸を撃ち込む。

 

「クソっ!! 死ね、早く死になさいっての!!」

『痛い痛い痛い痛いぃいいいぃぃいい!!』

「死ねっ!! 死っ……はぁ?」

 

 無我夢中で撃ち続ける最中、突如掌に空虚が走った。

 

(もう弾を撃ち尽くしたっての……!?)

 

 リボルバー式の拳銃など、装弾数はたかが知れている。

 それでも残弾管理を怠ってしまったのは、偏に真依の実戦に対する恐怖心からだ。恐怖が思考を鈍らせ、現状を正しく認識させなくした。

 呪術師にとって恐怖とは身近に存在する。だがそれは飼い慣らすものであり、支配されるものではない。

 

「早くリロードしないと……!!」

『痛い痛い、痛いよぉおぉぉおおぉおお!!』

「!? こっちに……!!」

 

 呪霊は何もしてこない真依を見るや、一転してこちらに突撃してきた。低級の呪霊だからと侮ってはいけない。そのように考える術師には呆気ない死ぬ未来が訪れるだろう。

 なぜならば、呪術戦の基本は呪力を用いての身体強化。それができなければ低級呪霊の攻撃だろうと致命傷になりかねないからだ。

 

 だがしかし、真依にはその絶対的な呪力量が少ない。

 故にどのような攻撃でも致命傷になりかねない危険性を孕んでいた。

 

「何突っ立ってんのよ!? 貴方も応戦して!!」

「俺も?」

「当たり前でしょう!? 何の為に来たのよ!!」

「んー……」

 

 それもそっか、と少年が呑気な声を上げる間にも、呪霊は目前まで迫っていた。

 ここまで迫られてしまっては仕方ない。反撃は諦めて回避に移ることにした真依は、すぐ横の病室へと飛び込んだ。

 

 しかし、少年の方は動かない。

 

「ちょ……!?」

 

 

 

『痛い、いた、いた、痛ぃいいいぃぃい!!』

 

 

 

 呪霊が開いた大きな口が少年へと向けられる。

 

(ウソ、死ぬのアイツ? 一級の癖に?)

 

 だとしたら呆気ない死だ。

 そして、

 

(私が仕留めきれなかった所為で?)

 

 自分の所為で、死ぬ。

 一瞬でもそんな思考が頭を過った瞬間、真依は自身の背筋がゾッと寒くなる感覚を覚えた。

 

───己の所為で誰かが死ぬ。

───そんな経験を、彼女がしたはずもなく。

 

「とっとと避けなさい!!」

 

 

「───『ふたりあや』───」

 

 

「……え?」

 

 

 よく見れば、少年の手元に呪力が宿っていた。

 そしてもっと目を凝らせば見えてくる。

 

 呪力を宿した細い線が、

 

(いえ……あれは、()……?)

 

 まるであやとりでもするように指を動かす少年に、いよいよ呪霊が喰らい付こうとした。

 まさにその瞬間、少年の指に掛かった糸の絡まりが解かれる。

 

 そして、

 

 

 

「───『大河(たいが)』」

 

 

 

『痛い、痛い、いッ……たあぁああぁああああ!!?』

 

 突拍子もなく湧き出てきた水が、迫りくる呪霊を廊下の最奥まで押し流した。

 紛れもない本物の激流。溢れた水は真依が逃げ込んだ病室にまで流れ込み、伏していた彼女の制服をびしょびしょに濡らす。

 

「冷たっ……ってこれ、本物の水じゃない……!?」

 

 彼の術式だろうか。

 考えられる線はそれだけだと推測を立てたところで、やけに澄んだ声が真依の下まで届いた。

 

()()()()ってのは世界的に見ても案外ポピュラーな(まじな)いでな』

(! 脳内に直接……いえ、鼓膜に直接声が響いて───!?)

『呪術的な意味合いで言えば、見えない存在を表現することでスピリチュアルなエネルギーを引き寄せるってとこか』

 

 突然流暢に語り始める少年に真依は察する。

 同時に、不自然に宙を伝ってくる水滴を見て、彼から自分にまで繋がる糸のような物体にようやく気付く。

 

(まさか糸電話のつもり? でも本命は……()()()()()!)

 

 三度、指と糸が絡み合う。

 

『ゔぁ、い、たいぃいい!! 痛ぁいあいあいぁいあい~……!!』

『『ふたりあや』は結んで作った型に流し込んだ呪力を解放することで技を発動する。だから今みたいに水を放出する以外にも色々出来てな』

『痛ぁ゛あ゛あ゛ぁ゛あ゛あ゛ぁ゛い゛!!!』

 

 激流に押し流されていた呪霊が再度突撃してくる。

 対して少年の指は、また新たな軌跡を両手の間に描く。

 

「───『箒星(ほうきぼし)』」

 

 刹那、肌を突き刺す冷気が廊下を吹き抜ける。

 

「寒っ!?」

 

 真依は自分の方にまでやって来た余波に身震いする。

 病室からでは呪霊がどうなったかはっきりと確認することはできない。だが、ただの余波で病室の入口まで凍り付いていることは確かだった。

 

 恐る恐る立ち上がり、廊下の方を覗き込む。

 そこに居たのはやはり転校生の少年だ。

 

「貴方……呪霊は……?」

「ん?」

 

 真依の声に振り向いた彼は『ん』とだけ答え、廊下の奥の方を指差す。

 

『い、ぃい、ぃいいぃいぃ……』

 

 指先を辿れば、そこには一体の氷像があった。

 辛うじて開いていた大口から震えたうめき声を上げる呪霊だ。それは凍り付いた壁から自身の身体を剥がせず、ただただ寒さに震えるしかできなかった。

 

 そんな呪霊に歩み寄る少年。

 床まで広がった氷の上を易々と渡り歩いていく彼は、呪力を込めた拳を一振り。真依があれだけ弾丸を撃ち込んでも殺し切れなかった呪霊の頭部をたった一撃で砕き割った。

 

「……」

「これで任務終了か?」

「……いいえ、まだよ。子供も探さないと」

 

 今回の任務は呪霊を倒して『ハイ、終了』とはならない。

 行方不明になった子供を隅々まで探してようやく完遂したと言える。

 

(もっとも、あんな呪霊が徘徊していたんじゃ絶望的だけど)

 

 呪霊に襲われた人間の末路など悲惨なものばかりだ。

 遺体の欠損は当然として、人間の負感情の集合体である呪霊には本能的に嗜虐的な趣向を持つ個体が多い。意味もなく弄ばれた遺体は凄惨を極め、時には元が人間であったか分からぬほど原型を留めてないケースも往々にしてある。

 

 そんな遺体と対面するか、いっそのこと何も残っていない方がマシか。

どちらが救いになるかは、それこそケースバイケースだ。

 

(私にしてみれば一思いに殺された方がマシだけれど……)

 

 だが、真依は徹底的に自分の立場で物事を考える。

 他人が自分の死体を見てどう思おうが関係ない。せめて苦痛を覚えぬ内に。もしくは死んだことさえ分からぬ内に死ねればいい。常日頃からそう考えていた。

 

(それに比べてこいつは……)

 

 チラリと目を向ければ、何食わぬ顔の少年がてくてくと横並びに歩いていた。

 先の襲撃にも毛ほども堪えた様子を見せていない。それが場数を踏んだ術師としての精神力か、ただ単に彼自身の感情が希薄であるか───。

 

「……」

「こっち見てどうした?」

「別に」

「ふーん。あ、そう言や男が前歩くんだったっけ?」

 

 思い出したように真依の一歩前に出るマモリ。

 そんな少年の背中を見るや、真依は毒気を抜かれた顔で深いため息を吐いた。

 

(こいつは……ただのアホね)

 

 純粋。裏を返せば、冗談や皮肉が通じない憲紀タイプだ。

 

(私が嫌いなタイプね)

 

 哀れ、憲紀。

 だが、半分は自業自得でもあるから仕方がない。

 

「そう言えば」

 

 ふと、少年が口を開いた。

 初めて向こうから語り掛けてきた事実に、思わず真依は身構えた。

 

「……なに?」

「お前って何級?」

「……四級だけど文句ある?」

「怒ってる?」

「怒ってない」

「……そうか。俺より低いのか」

「逆に訊くけれど、一級より上の人間が何人居るか知ってる?」

 

 『嫌みか』と殴りたい気分になるが、この質問もまた純粋な疑問だったのだろうと拳を引っ込ませる。

 

「ふぅ……そもそも今年入学したばかりで四級じゃない方がおかしいのよ。何してたら入学したばかりで一級になるっていうの」

「でも東京には特級の奴が居るんだろ?」

「それこそ異常よ。私達と同じにしないでくれる?」

 

 コツコツと。

 二人の足音が、廊下を反響する。

 

「別に四級だっていいでしょ。むしろ分不相応な等級を割り当てられる方が迷惑だわ」

「そういうもんか?」

「そういうものよ。少し考えれば分かるでしょう?」

「ふーん」

 

 理解しているのかしていないのか、曖昧な生返事が返ってくる。

 

「じゃあ、俺が守ってやらないとな」

「……は?」

 

 だからこそ、次に出てきた言葉に呆気に取られた。

 

「……貴方、今なんて?」

「俺が守ってやらないとな、って」

「急に何よ……気持ち悪いわね」

「だってお前四級なんだろ? 俺より弱いってことじゃないのか」

「くっ!」

 

 毒を吐いた瞬間、すかさず刺し返された。

 歯に衣着せぬ物言いに歯噛みするしかない真依は、せめてもの抵抗に握った拳を少年の背中に叩きつける。

 

 『痛ぁ!』と悲鳴が上がるが謝る気はさらさらない。

 

「言ってくれるじゃない。だったら精々私より先に死なないようにね」

「ああ……でも、なんで今俺のこと殴った?」

「そのくらい自分で考えなさいよ」

 

 今度は尻を蹴りつける。

 再び苦悶の声が上がるが、真依は先頭をマモリに譲ったまま後ろに付いていく。良い盾が出来たとはまだ言うつもりはない。

 

「ここが最後の部屋か」

「貴方が入らないと私も入れないんだけれど」

「そうだな」

 

───すでに呪霊を倒し、若干気が抜けていたのは否めない。

 

「……っ……」

 

 だからこそ、真依は踏み入った部屋で目の当たりにした光景に言葉を失った。

 

 部屋の奥───血溜まり───横たわる子供───が、二人───片方の下半身───無───覗く腸───。

 

「うっ……!」

 

「……」

 

 喉の奥から込み上がってきた感覚に口と鼻を手で覆った真依。

 しかし、そんな彼女に脇目も振らず、少年は黒ずんだ血だまりの上を渡り歩く。ネチャネチャと鳴り響く水音が反響するが、そんなことを厭う様子はない。

 淡々と歩み寄った少年は、おもむろに自身の学ランを脱ぐや否や倒れた子供の下半身を覆い隠すように被せる。

 

 そして、一人をそのまま丁重に抱き上げた。

 

「もう一人頼んでもいいか?」

「え……」

「この子を家族のところに連れて帰ろう」

「ぁ……え、えぇ」

 

 初めて会った時から何を考えているか分からない瞳を浮かべていた彼であるが、この時ばかりは憐れむ感情の色がはっきりと見て取れた。

 そんな彼の提案に数秒遅れてから頷く真依。

 任された欠損の少ない方の子供を背負った彼女は、さっさと部屋を後にする少年の背中を追う。

 

「……」

「……」

「……」

「……」

「……ねえ」

「うん?」

「……いいえ」

 

 やっぱりなんでもないわ、と。

 

 背中から漂う死臭に顔を顰める真依は、それっきり無言になった。

 ゆっくりとせざるを得ない足取りで階段を下りていく。コツコツと鳴り響く足音は、来た時よりもずっと重く聞こえたのは気のせいじゃないだろう。

 

(……本当、最悪)

 

 そうして出口まで辿り着いた時だった。

 

「……は?」

 

 間の抜けた声を上げたのは真依だった。

 

「なんで……なんで出口が消えてるのよっ……!?」

「……」

「私達、確かに来た道を戻って───っ!?」

 

 やや錯乱しつつ出口だったはずの壁を見渡す真依であったが、不意に背後から聞こえてくる足音に肩がビクリと跳ね上がる。

 足音は、ついさっき自分達が下りてきた階段の方から聞こえた。

 

───ベチャ、ベチャ。

 

「……何?」

 

───ベチャ、ベチャ。

 

「何よ……」

 

───ベチャ、ベチャ。

 

「何が来るっていうの……!?」

「……下がれ」

「下がれったって、どこに下がれって言う……の……?」

 

───ベチャ……。

 

 

 

『……ンニヒィ……』

 

 

 

 階段から覗く白い顔。

 目なんてものはない。蝋の如く白い肉体は限りなく人に近いが、ニタニタと薄ら笑いを浮かべる顔面には血に塗れた口しかない。

 

 そして何よりも、

 

(なに、この……!!?)

 

 圧倒的なまでの───呪力。

 

「はっ、はっ、はっ、はっ───!!?」

 

 圧し掛かる膨大な呪力にあてられ、真依の膝がガクリと折れる。

 腰が抜けた彼女は顔から滝汗を流し、過呼吸一歩手前のリズムで息を吸っては吐いてを繰り返していた。

 

(駄目。こいつは相手にしちゃいけない。殺される。早く逃げないと殺される!!!)

 

 ほとんど錯乱に近い状態で後ろを振り返る。

 がしかし、やはり出口は塞がれたままだ。

 

「……生得領域か」

 

 

『ニヒィ』

 

 

 直後、轟音。

 続けて激震が真依の身体を襲った。

 

「え……」

 

 だが、痛みはない。頬を打ち付ける小さな石礫以外からは。

 何が何だか分からぬまま、轟音が鳴り響く真横の方を向いた。

 

「ひっ」

『アァハァ……♡』

 

 息を飲んだのは、すぐ真横にまで呪霊が迫っていたからではない。

 出口だったはずの壁に、血飛沫を巻き上げながらめり込む手足が見えたからだ。

 

『キャハ♡』

 

 間髪入れずの殴打が壁へ。いいや、そこに居るはずの少年へ叩き込まれていく。

 

『キャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!』

 

 殴打。殴打。殴打。殴打。殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打───。

 

 激震は建物全体へと伝播していき、パラパラと天井から破片が零れ落ちてくる。

 

「はっ……はっ……はっ……」

『ハァアァ~~~……♡』

「はっ……!!?」

 

 ギョロリとこちらを剥いた顔。

 湛えた笑みが深くなるのを目撃した瞬間、真依は陸地で溺れる感覚を覚えた。

 

(死、ぬ)

 

 そんな覚悟などできていない。

 そもそも、するつもりもなかった。

 

『キャヒィ?』

 

 呪霊はゆっくりと歩み寄ってくる。

 わざと狭めた歩幅は、こちらの恐怖を煽る演出だろうか? そう思うと、呪霊の湛える笑みがより邪悪に見えてくるようだった。

 

(動け。動け。動け。動け。動け。動け……動けったら!!!)

 

 そう自分に言い聞かせるも、やはり真依は動けなかった。

 恐怖と緊張で弛緩した体では立ち上がることもままならず、あっという間に目と鼻の先まで呪霊に近寄られる。

 

 迫る濃密な死の臭い。

 瞬間、真依の脳裏に声が蘇った。

 

───『お姉ちゃん、手放さないでよ』

───『放さねーよ』

 

(なん、で)

 

───『絶対だよ?』

───『しつけーなぁ』

 

(なんで)

 

───『絶対おいてかないでよ』

───『当たり前だ。姉妹だぞ』

 

(なんでこんな時まで、あんたを思い出さなきゃいけないのよ)

 

───『じゃあ、俺が守ってやらないとな』

 

 そして最後に蘇ったのは、先に逝った少年との約束だった。

 

「……嘘吐き」

『ニヒィ♡』

 

「おい」

 

『イ? ───ヒイイイイッ!!?』

「……え?」

 

 が、しかし。

 直前まで目と鼻の先にあった死の臭いが遠ざかった。代わりに鼻を摘まみたくなるような血の臭いが漂ってくる。

 恐る恐る瞼を開けば、これまた鮮烈な紅色が目に飛び込んできた。

 学ランの中に着込んでいたパーカーはより赤く染まり、それでいて透き通るような白色にも真っ赤な血化粧が施されていた。

 

 けれども、香ってくるは紛れもなく生の存在感。

 

「あ、貴方……生きて……?」

「ん? いや、別に死んだなんて言ってないけど」

 

 当然だ。死人に口は利けない。

 つまり、口を利けている彼は生きているという証明になる。

 

 けれども、真依は未だに彼の生存を信じられずに居た。

 

「だってさっき、あれだけ殴られたじゃない!!」

「痛かった」

「痛かったって……!」

 

 あれだけのラッシュを『痛かった』の一言で済ませるなんて、それこそ2年の東堂ぐらいのゴリラにしか許されない言葉だ。

 呆れと驚愕が綯い交ぜになった壮絶な表情を湛える真依であるが、それも廊下の奥から聞こえてくる瓦礫の崩れる音にハッとする。

 

『キ、ヒヒィ……!』

「お?」

『ヒヒヒキヒィ……!』

 

 白い歯を剥き出しにする人型呪霊。

 しかし、笑っているように見える表情は怒りに彩られていた。

 

『キヒヒ……ィイイイイッ!!!』

 

「来る!?」

「だろうな」

 

 身構える真依に対し、マモリは淡々と指に絡めた糸を手繰る。

 手慣れた様子で糸を取れば、あっという間に一つの形が出来上がった。

 

「───『巣掻(すがき)』」

『ンヒッ!?』

「きゃあ!?」

 

 少年の手元に呪力が流れた瞬間、廊下を分かつように張り巡らされた蜘蛛の巣が突撃してくる呪霊を絡め取る。

 

『ンギギ……ギィイ……!』

 

 それを力尽くで引き千切ろうとするも、想像以上に強靭な糸であるのか、中々解放されることは叶わない。

 

「……すごい」

「『鉄塔(てっとう)』」

 

『ンギッ!!?』

 

「!!」

 

 続けざまに糸で作られたのは塔のような形状。

 そこに呪力の淡い光が満ち満ちれば、轟音と共に壁や床から飛び出てきた鉄の棒が呪霊の身体を貫いた。

 

(あれは鉄筋? 金属を生み出した……いいえ、()()()?)

 

 真依は半ば恐怖から逃避する形で冷静に状況を分析する。

 呪術において、物質を操作する操作する術式には大まかに二通り存在する。

 

 一つは既に在るものを操作する術式。

 もう一つは、無いものを生み出し操る術式だ。

 

 前者は先輩の憲紀の『赤血操術』が当てはまり、後者には自身の『構築術式』が当てはまる。

 ただし、前者に比べ後者は膨大な呪力を要する。

 それほど呪術において“無”から“有”を生み出すことは困難であり、要求される呪力量も膨大になっていく。

 

 しかし、真依の拙い呪力感知でも少年の呪力はそれほど大きく感じられなかった。

 すなわち彼は前者。“有”を操る術式である可能性が大きいと言えよう。

 

(それにしたって水に氷、鉄って。確認しただけでも出来ることが多くないかしら……!?)

 

 基本的に一つの術式につき、出来ることは一つ。

 あとは術師の解釈で、どんどん術式を拡張していくしかない。

 

 にも関わらず、目の前の少年が操る術式は多芸だった。

 彼女の父親である術師が精々炎を生み出すだけに終わるところを、少年は三つの物質を操っている。

 

───異常。

 

 もしもこの場に呪術に精通しているものが居れば、少年の術式をそう称していたであろう。

 しかし、だからといって複数種の物質を操る術式がない訳ではない。

 

(十種影法術……あれに匹敵しかねない汎用性の高さを持ってるっていうの!?)

 

 一個下の親戚に、禪院家相伝の術式を持って生まれた少年が居る。

 その少年の持つ術式『十種影法術』は、影絵を媒介にして式神を召喚できる他、式神ごとに有用な特徴を兼ね備えていた。

 だからこそ、代々禪院家では十種影法術は相伝の術式として重宝され、多くの十種影法術者が当主として歴史に名を連ねていた。

 

 それに匹敵する術式を、どこぞの馬の骨とも分からぬ少年が持っている?

 

(知らなかった……そんな術式があるなんて!)

 

 真依はその時、一筋の光明を見た。

 この絶望的な状況を切り抜けられるだけの希望を。

 

『ギ、ンギギィ……!!』

「……嘘でしょ」

「しぶといな」

 

 が、その希望も目の前の光景に露と消える。

 壁や床から突き出した鉄筋に串刺しにされていた呪霊であったが、自身の身体が千切れるのも厭わず藻掻き続ければ、やがて達磨になった呪霊が血塗れの床へと転がり落ちた。

 一見勝敗は決したように見える光景であるが、呪霊の再生能力を侮ってはいけない。

 直後、みるみるうちに引き千切られた四肢の断面から肉が盛り上がる。それは10秒も経たぬ内に新品の手足となり、再び呪霊をその足で立たせるに至った。

 

 呪霊は呪力を以て己が身を補完する。

 故に、身体の大部分を吹き飛ばすなり核を潰すなりしなければ、呪霊は延々と傷を塞ぎ、人間に仇を成してくるという訳だ。

 

『ニヒィ……♡』

 

「チッ! 気色悪い笑顔浮かべてくれて……夢に出てくるじゃない」

「普通の呪霊だったら今ので祓えるはずなんだけどな」

「そうよ! それだけ()()が別格ってことじゃない」

 

 真依の冷や汗が止まることはない。

 ただ、彼女の前に立つマモリの顔にはこれっぽっちも焦燥の色は浮かんでいなかった。

 

『ンニヒヒヒヒィ……♡』

「しゃーない。直接頭ぶっ潰す」

「できるの……!?」

()()

「ンニヒィイイイッ!!!」

 

 気味の悪い笑みを湛えた呪霊が、足元のコンクリートを砕きながら突撃してくる。

 突風の如き勢いだった。進路のすぐ傍にあった窓ガラスは、次々に甲高い音を奏でて砕け散っていく。

 

(速い!!)

 

 最後の一枚が砕け散った時、鈍い殴打音が廊下を貫く。

 宙を舞う呪霊の身体。マモリの呪力を纏った拳で殴り飛ばされた呪霊は、その無駄に生え揃った前歯の数本を砕かれていた。

 

『ンギィッ……!!?』

「芸のない奴。何度も正面から突っ込んで来れば、そりゃあ動きも分かるだろ」

『ギギ、ンギィイイイ!!!』

 

 少年の言葉に嘲笑われたと感じたのか、呪霊はない眉間に深々と皺を刻み、両の拳に呪力を込めていく。

 

『ギイッ……!!!』

「殴り合いか」

 

 息を荒立てる呪霊に、マモリも構えを取った。

 

「あんまりこの体傷つけたくないんだけどな」

『ンギィアアアアアアアアッ!!!』

 

 凄まじい音圧を伴った咆哮。

 それを皮切りに両者は肉迫し、ド突き合いを開始する。

 

(やっぱりおかしい)

 

 眼前で繰り広げられる光景を目の当たりにし、真依は戦慄していた。

 呪術戦の基本は、術式よりもまず呪力による身体強化にある。これさえできていれば、常人ならば致命傷になり得る攻撃をも防げる。銃弾だって生身で防ぐことだってできる。

 逆に呪力で強化した攻撃は岩やコンクリートのような硬い物体をも打ち砕く。

 故に、呪力で強化された攻撃は呪力で防御しなくてはならない。でなければ、生身の人体など一山いくらの肉片と化す。

 

 呪力を用いた肉弾戦は、要するに引き算だ。

 相手の呪力で強化された防御力を、こちらの呪力で強化した攻撃力が上回れるか───それに尽きる。

 

 だからこそ、目の前の光景を信じられない。

 

(なんで……なんでアイツは、あのバケモノを圧倒できるのよ!!?)

 

「フッ!!」

『ギヒッ!!?』

 

 マモリの振り抜いた拳が呪霊の顎を撃ち抜く。

 グラリと揺れる白い肢体。しかし、すぐさま体勢を立て直した呪霊が相手の足を払おうと、横蹴りをくり出す。

 

「───『富士(ふじ)』」

『ギッ!!?』

 

 しかし、これは一足先に術式を発動したマモリによって阻害される。

 呪霊の足下が隆起し、むしろ横蹴りを加えようとした呪霊の足を掬ったのだ。バランスを大きく崩した呪霊は天井を仰ぐように倒れ込み、

 

『ギッッッ!!?』

 

 振り下ろされた掌底により、後頭部諸共全身を床に叩きつけられた。

 その際の衝撃で床には蜘蛛の巣状の亀裂が入り、間もなく衝撃の余波で崩れ落ちてきた瓦礫が呪霊に降り注いでくる。当然、マモリはそれよりも早く距離を取り、すぐさま術式を発動できるよう糸を手繰っていた。

 

 その姿に真依はこれまでに見てきた呪術師達の姿を幻視する。

 

───自分達姉妹をゴミ同然に扱い、蔑んできた実の父親。

───逆に、どうでもいいものと興味を持たぬ当主の伯父。

───悪辣な笑みでとことん尊厳を踏みにじってきた従兄。

 

 自分のような出来損ないとは違い、本物の呪術師達。

 そんな彼らと同じ力を、その背中に見た。

 

(けど、アイツは……)

 

 唯一。

 けれども、決定的に違う点を挙げるとするならば。

 

(本気なの……?!)

 

 呪術師にも当然間合いという概念がある。

 勝つ為には常に自分の間合いで戦う。故に持っているだけでアドバンテージである術式を持つ術師は、基本的に最も術式が真価を発揮する間合いで戦おうとする。

 その点、あの少年の術式は遠距離を得意としているはずだ。

 糸を指で手繰り、特定の型を生み出すことで技を発動する。術式発動までのプロセスがとことん接近戦に向いていない。

 

 なればこそ、距離をおいて『大河』や『箒星』を取り、遠くから圧殺する方が安全に呪霊を祓除できるだろう。

 それをしない理由は、今のところ一つしか考えられない。

 

()()()()()()()()()()()……そういう風に戦って……!?)

 

 強力かつ広範囲に渡る術式だが、それ故に場所を選ばなければ味方をも巻き込む。

 葛城マモリという少年は、それを理解した上で本来危険な肉弾戦を演じている訳だ。

 

 他ならぬ真依を───彼女との約束を守る為に。

 

(クッ……ソォ!!!)

 

 その現状を理解した瞬間、真依の頭は沸騰した。

 するや、恐怖で弛緩していた手足に力が漲り、すらりと長い両の脚で地面を踏みしめて立ち上がるに至る。

 

「ふざけんじゃないわよ……邪魔ならちゃんとそう言いなさい!!」

「ん?」

「私が居ない方が全力で戦えるでしょって意味よ!! 皆まで言わせないで!!」

「あー……言われてみれば」

「!? ……ったく!! ホント、訊かれなきゃ答えないんだから!!」

 

 怒りを力に変換し、真依は少年と呪霊が戦っている逆側の廊下へと駆けていく。

 勿論、亡くなった子供は背負ったまま。

 

「さっさとその呪霊やっつけなさい!!」

「言われなくてもそのつもりだけど?」

「約束!! ちゃんと守りなさいよね!?」

「───もちろん」

 

『ギギ……ッ!!』

 

 とうとう呪霊が瓦礫から這い出てくる。

 しかし、憤怒の形相を浮かべていた呪霊は、逃げ行く真依の背中を見るや否や下卑た笑みへと表情を変えた。

 

「行かせるかよ」

『ヒギッ!!?』

 

 直後、呪霊の頭部を踏み砕かんとするスタンプが床を踏み砕いた。

 寸前で回避した呪霊は人間の関節では成し得ない柔軟性でバク転を繰り返し、マモリとの距離を取る。呪霊も流石に彼のことを油断ならぬ強者と捉えていた。

 

 だからこそ、狡猾な呪いは弱点を狙う。

 

『ニヒィ……♡』

「……?」

『ヒィッ、ヒィィイイイィイイイイ!!!』

「!! この呪力出力は……」

 

 突如として高まる呪力。

 際限なく膨れ上がっていく呪力は廃病院全体を大きく揺らす。ともすれば倒壊しかねないほどの震動に別の階の窓ガラスや壁が崩れる音が鳴り響くが、問題はそこではなかった。

 

(こいつ……自爆でもするつもりか?)

 

『ニヒィ♡』

 

 いや、違う。

 

 頭を振ったマモリは思考を巡らせる。

 たとえ自身の肉体が爆散しかねない呪力を放出したところで、上級の呪霊は核さえ残っていれば十分肉体を再生することができる。

 逆に言えば核さえ残れば、どのような手段を用いても相手を殺し切れれば勝ちとなる。

 

「……ホント、これだから呪霊(オマエら)って奴は……」

『ニヒ、ニヒヒ、ニヒヒヒヒィ♡』

 

 勝ち誇ったように讃える粘着質な笑みが鼻に付く。

 対するマモリは、あからさまに不快そうな表情を湛える。しかしその指は淡々と動き続け、両の手に絡み合う糸をとある形へと昇華させていた。

 

「……お前の呪力の解放を止めなきゃ病院は倒壊。俺は生き残れても、真依はお陀仏って寸法か」

『ニヒィ……♡』

「させるか、ばーーーか」

『ヒ……?』

「要はお前の呪力を閉じ込められればいいんだろ?」

 

 手繰り、手繰られ、手繰り寄せ。

 そうして絡み合った糸の軌跡は、まるで蜘蛛の巣のような形を描く。

 

「それならちょうどいいのがあるんだよ」

 

 真紅の視線が呪霊を射抜く。

 その眼に浮かび上がっていたのは、純白の如く澄んだ真っ赤な殺意だった。

 

 その双眸が呪力の爆発に掻き消される、まさにその瞬間。

 

 

 

「領域展開」

 

 

 

 白波の如き絲の濁流が渦を巻き、

 

 

 

「───『魔守禍去(まもりかざり)』」

 

 

 

 ドス黒い呪力。

 その全てを、覆い尽くした。

 

 

 

 ***

 

「きゃ……!?」

 

 突如、足元を襲った激震に真依はよろめく。

 

(なに、この震動……? まさかとは思うけど……)

 

 心当たりならある。

 自分が逃げ始めると同時に膨れ上がった呪霊の呪力だ。

 あれが炸裂したとあたりをつけた真依であった、嘘のように静まり返る廃病院に辺りを見渡す。同時に充満していた不気味な空気が消え去った。

 

「生得領域が消えた? まさか……」

「おーい」

「!」

 

 警戒する真依の下へ、聞き覚えのある呑気な声が届いてくる。

 万が一の場合にとホルスターの拳銃を握るが、階段を上ってきたのは紛れもない転校生の少年だった。

 

「お、居た」

「貴方……」

「終わったぞ。ほれ」

 

 軽い口調で何かを放り投げる少年。

 

「……何よ、これ?」

「指?」

「なんで指なんか拾ってきてるのよ……」

 

 呪霊を祓除した証拠品としてか、少年は不気味な蝋化した指を持ってきていた。

 『そんなドロップアイテムみたいに……』と呆れる真依であるが、いまいち少年には通じなかったようであり、彼は疑問符を頭上に浮かべたまま再び指を拾い上げた。

 

「まあいいや。とっとと帰ろうぜ」

「ちょっと」

「ん? なんだ」

「貴方、もしかして……」

 

 信じられぬようなものを見る目を浮かべる真依は、少年が抱きかかえていた()()()()を指して訊く。

 

()()()()()()っていうの?」

 

 マモリが抱きかかえていたのは、行方不明になった子供の遺体。

 あるはずの下半身はなく、血を失った顔面は不気味なまで青白かった。遺体の損傷はそれだけにとどまらず、挙げればキリがないくらいだ。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……?」

 

 考えてみれば不自然だった。

 あそこまで呪霊と互角以上にやり合える術師が、どうして初撃を許したのか。それ以降の対応を見るからに、如何に相手の攻撃が素早かろうと対処できたのではないか?

 しかし、そこに『子供の遺体を守る為』という目的を付け加えれば、最初の流れが腑に落ちる。

 

 理解はできる。

 だが、理解したくない。

 

 そんな相反する感情がグチャグチャと掻き混ぜられた表情を浮かべる真依に対し、あっけらかんとした様子の少年はこう答えた。

 

「ああ」

「っ……馬鹿じゃないの……!?」

「なんでだ?」

「なんでって……当たり前じゃない。なんで死体如きの為に、生きている人間が危ない目に遭わなきゃいけないのよ!!」

 

 当事者の一人として、真依は叫ばずにはいられなかった。

 

「死んだ人間が生き返るなんてことはない!! 死体があろうがなかろうが、そんなのは遺族の自己満足でしょ!? 呪術師(わたしたち)が危険を冒してまで持ち帰る道理なんてあるはずないじゃない!!」

「……」

「そんな……そんなものの為に、貴方は命を懸けられるっていうの!?」

「名札見たか?」

「……は?」

 

 唐突な、それでいて突拍子もない質問に真依の思考が停止する。

 

「名札……?」

「この子とそっちの子、苗字が一緒だった」

「───!」

「兄弟だったんだろうな」

 

 小学生が着けているであろう名札。

 血濡れになったケース越しに名前を確認すれば、確かに二人の苗字は同じだった。

 

「っ……!」

「俺もお前の言う通りだと思う。死人が生き返ることもなければ、死体を持ち帰るメリットなんてない」

 

 でも、と少年は呆然自失になる真依へと語り掛けた。

 

「死体でも、兄弟なら一緒に居させてやりたかった」

「……」

「だから、せめてこれ以上傷つけたくなかった」

「……そう」

 

 それから真依は初めて自分の背負った死体の方へ振り返った。

 やはり死体の瞳は虚空を見つめている。それを確認した真依は、唇を噛み締めながらそっと瞼を手で下ろした。

 

「……貴方、優しいのね」

「そうか?」

「皮肉よ」

「え、そうなのか?」

「冗談よ」

 

 結局どっちだよ……。

 はっきりしない物言いの真依に困惑するマモリであったが、それを見た真依は疲れ切った笑みを浮かべた。

 

「……少し休んでから行きましょう。色々あり過ぎて、今は歩けないわ」

「ん、そうか」

「? ……ちょっと。何する気───よぉう!?」

 

 おもむろに近づいてきた少年に訊き出す間もなく、真依の体は彼女の荷物ごと背負い上げられた。

 

「よし、行こうか」

「おぶるんだったら一声掛けてくれる!? ビックリするじゃない」

「そうか? 今度から気を付ける」

「……はぁ。まあ……助かるわ」

 

 またもや悪意なく行動したであろう少年には、真依も辟易せざるを得なかった。

 のべ三人を抱える少年は苦もない表情で来た道を戻る。流石に重心がずれている分、足取りは慎重だ。

 それでも背負われる真依は最後まで危うさを覚えることはなかった。微塵もブレない体幹は、少年の芯の強さを表しているようだと感じた。

 

「……」

「……」

「……ねえ」

「うん?」

「私は……呪術師になんてなりたくなかった」

 

 帰り道を進む間、ポツリと真依が零した一言が呼び水だった。

 

「なんでだ?」

「姉が居るのよ、双子のね。そいつが呪術師になるって家を飛び出していったから、私も呪術師になるしかなかった」

「そういうもんなのか? 大変だな」

「本当に最悪よ。努力も痛いのも怖いのも嫌なのに、毎日毎日呪術だなんだって……毎日生き苦しいわ」

 

 堰を切ったように溢れ出す言葉は、最早自分で止められるものではなかった。

 そもそもどうして少年に語ろうと思ったか、その理由さえ定かではない。

 

「やめられないのか?」

「……やめれたら苦労しないわよ。それにやめたところで行く当てもないし、逃げようったって家のしがらみがそれを許してくれない」

「面倒な家なんだな」

「ね。だったら、高専の皆と居た方がマシって訳」

 

 ただ、彼の背中に預かっている今だけは。

 この間だけは、積もりに積もったものを吐露していいと思ってしまった。

 

「そんなだから、私に期待するだけ無駄よ」

「何を期待するんだ?」

「……チッ。私は貴方より弱いから、自分を守るだけで精一杯なの。だから助けてもらえるなんて思わないでよねって話よ」

 

 純粋な疑問は煽りになり得る。

 良い知見を得たところで、真依はいくらか軽くなった胸の内を悟る。

 

(喋るだけ喋ってスッキリしたわ。まあ後は黙ってれば……)

 

「じゃあ、俺がその分頑張らなくちゃな」

「……は?」

 

 しかし、予想外の返答。

 呆気に取られた少女の瞳が、大きく見開かれた。

 

「頑張るって……何を?」

「呪術師やりたくないんだろ? だったらその分、俺がお前のこと守ってやる」

「……何よ、それ」

 

 何でもない時に聞けばキザッたいただの台詞。

 だが今に限っては、その言葉の響きにどうしようもない安心感を覚えてしまっていた。

 

「……自分の命くらい自分で守るわよ」

「でもお前弱いんだろ?」

「っ~~~───」

 

 事実を淡々と突き付けられて歯噛みする真依は、それでもなんとか言い返す。

 

「お前とか呼ばないで。せめて名前で呼びなさいよ」

「……呼ぶなって言ってなかったっけ?」

「いいわよ、もう。気にしないであげる」

「そうか」

 

 じゃあ、と少年は振り返る。

 その顔に浮かんでいたのは初めて見る、そして、屈託のない笑みだった。

 

「よろしくな、真依」

「……こちらこそ」

 

 出口は目の前だった。

 差し込んでくる外の光は、今の今まで薄暗い場所に居た所為か、うざったいくらい眩しく感じられた。

 

 だがしかし、

 

(……悪くはない気分ね)

 

 かくして、呪術高専京都校1年に仲間が増えた。

 糸を操る術式を持つ一級呪術師。

 

 

 

 そして何より───。

 

 

 

「……そう言えば」

「ん?」

「貴方……東堂の質問になんて答えたのよ」

「東堂?」

「貴方をぶっ飛ばした2年の筋肉達磨よ」

「あー、あいつか。なんて質問だったっけ?」

「……女のタイプがどーとか、そういうの」

「ああ、そうだそうだ」

「で?」

「妹」

「……は?」

「妹って答えた」

「……ちょっと。今すぐ下ろしてくれる?」

「は? でも真依歩きたくないって……」

「もういい。っていうか、ちょっと離れてくれる? 距離を置いて。私に近づかないで」

「お、おぉう……?」

「それと二度と私に触らないで。絶対」

「急に当たりキツ過ぎないか?」

「自分の胸に聞いてみなさいな」

 

 

 

 シスコン。

 真依には、少なくともその印象が最も強く焼きつけられた。

 

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