大学デビューおめでとう。実家暮らしでも昼食くらいは作ろうね。はい。
無事に某私立大学のデザイン学科へと進学したあたしは、もれなく金欠に悩まされていた。セイシュンエネルギー弾けるJKだった時分よりも幾分バイトの制限は緩くなったし、深夜のバイトだって可能にもなったけれど、その分生活にお金がかかるようになった。
機材車を買うためのAfterglow共同軍資金。大きなハコでライブができるようになったことで跳ね上がるノルマ代──これは大抵問題なく捌けるけど──、そして、学費。国公立分しか出せないよと両親には事前に言われていたから、あと半分の学費は自分で出している。奨学金も借りているけれど、今後自分が返さなければいけないことを考えればあまり手を付けたくないのが本音。
結論として、お金が足りない。そもそも浪費家で金遣いが荒い自覚があったので、これはいかんと思い始めたのが春のこと。昼食をパン屋のパンで済ませようとしたらそれだけでエンゲル係数うなぎ登りどころか鯉登り……じゃなくて滝登り。英世さんが龍になって空へバイバイ。
自販機で飲み物買うの禁止。コンビニ禁止。やまぶきベーカリーは……ときどきゆるしてほしい。
エフェクターだってひとつ買うだけで諭吉さんが複数人サヨナラするし、ギターなんて1クラス分どっか行っちゃう可能性だってある。浪費は禁止、質素倹約を座右の銘に。いっそ二つ名に。“質素倹約”青葉モカ。ひーちゃんだったら“油断大敵”上原ひまりかな、と弄りがいのある親友に念波でちょっかい。
深夜バイトもやろうと思ったけれど、それで学業やバンドを疎かにするのもなんか違う。結局、コンビニバイトのシフトを増やしたのと塾のバイトを週一で入れてるくらいで、あとは短期で頑張ることにした。
地味に困るのが昼食だった。コンビニやパン屋はもってのほか、学食も混んでいるし、意外と高くつく。麗しの母上にお弁当をねだれば、面倒臭いの一言で一蹴されてしまった。
年頃の女の子なんだから自炊くらいできるようになれば? という至極真っ当なお小言を頂戴して、自炊戦士モカちゃん爆誕。ただし平日の昼に限る。
水曜日は午前で終わり。夕方まで家でゆっくり寛げるハッピーデイ。……完全休日が週に1日もないのって実は結構苦しいのでは? と浮かびかけた疑問を消し去って、大学からスーパーへ。同回生よりヘタクソなデッサンは、スケッチブックを閉じれば忘却の彼方。週末までの製作課題は棚上げ。
大学1回生もすっかり後半戦。絵心集団に囲まれる恐怖ももはや馴染み深い。ちょっとずつ追いついてきているのだから、上等だろう。そもそもデザイン学科であって絵画専攻じゃない。
それよりも関心は食欲へ。自炊を始めて、なんだかやけに食欲旺盛になった気がする。もともとかなり食べる方ではあるけど。
疲れていなければ水曜日は凝った料理を作る。昨日はちょうど炊飯器が空になったから、炊き込みご飯を仕込んでおいたのである。実家暮らしの良いところは、事前申告さえすれば冷蔵庫の食材を使っても良いところ。代わりに沢山作ったおかずは夕食にも持ち越されるから、共働き主婦の母上もご満悦。win-winでみんなハッピー。
愛しの炊き込みご飯の相棒を求めてスーパーへ。デッドラインすれすれ、お勤めご苦労様シールとは無縁の真昼のスーパーだけれど、代わりに品揃えは上々。
そしてあたしは運命の出会いを果たしたのでした。
死んだ魚のような目。刀のようなシャープなシルエット。白く光る肌ツヤ。
3尾買うと298円。鮮魚コーナーにデデンと鎮座するサンマくんに、あたしの心は奪われてしまったのです。
「彼とデートをします」
写真を撮ってひーちゃんに。昨日、サンマが高騰するかもというニュースを見て残念がっていたのを思い出した。1尾100円はお買い得です。自炊歴半年のあたしが言うんだからなんにも信用ならないけど、たぶん。
「ズルい!」と返ってくるのでお相伴をお誘い。美味しいものは分け合いっこ。喜びは2倍、カロリーはひーちゃんへ。3限が空きコマだから来るらしい。どう考えたって3尾は食べられないからちょうど良かった。
美味しいサンマの見分け方なんてものに自信はないけど、野菜と違って魚はだいたい見れば分かる。目が澄んでるとか、鱗が剥がれないで輝いてるとか、あとは体高が高いとか。死んだ魚の目に「澄んでるね」って言うの、どうなの?
そんなことを考えつつ、肉厚の名刀達をセンバツしてビニール袋へ。その輝きまさに国宝級〜。
炊き込みご飯とサンマ、となればやっぱり和食に寄せたいところ。
大根おろし用の大根を買うついでに、これを味噌汁にしてしまおう。朝の記憶が正しければ豚コマがあったような。
記憶中枢を信じて、ええいままよと買わない勇気。ギリギリワンコインに収まらなかったのは大根が高かったから。薬味のくせして主役より高いとは何事か。しかしサンマくんには君が必要だよ。
大根とサンマ。何をするのか丸わかりだけど、サンマを買った時点で同じかもしれない。10月の涼しさ、晴れの日の暖かさ。春には敵わないけれど、秋の陽気も悪くない。何より食欲の秋。腹ぺこモカちゃんは今からずっと上がり調子なのです。
家に帰ったら、玄関でさつまいもと鉢合わせ。母方の実家から送られてきたやつだ、と思い出した。小さなダンボールに山盛り。同じように送られてきた少し遅めのきゅうりは野菜室に避難してるのにね、と慰めて手を洗う。
使い道に困る、と話題にされていた気がする。市販のものよりは甘くないし、焼き芋にするにも、それだけで食べ切るのはかなり大変な量。
君も来るかい、と手を差し伸べてみる。思ったよりも好感触。焼き芋本番の前の小手調べ、みたいな。
おヒゲをプチプチ抜きながら洗って、生ゴミが出るついでにサンマの鱗を落とし始めた辺りでタイムアップ。間の抜けたインターホンの音がこだまする。
「いらっしゃ〜い」
「おじゃましまーす」
昨日ぶりにあったひーちゃんは、ほんの少しだけ緊張したような雰囲気で我が家に足を踏み入れた。
ブラウン系でまとめた、セーター地のツーピーススカート。うーん、如何にも女子大生って感じ。よく考えなくても元からこんな感じのコーデばっかりだった。
テキトーパーカーのあたしじゃ敵わないキラキラパワー。オシャレなのに中身はいつものひーちゃんなのがあたし的には10点加点。たぶんハッフルパフ。
「まだ何にもできてませーん」
「それなら手伝うよ?」
「ん〜、大根を卸してもらおうかな」
「りょーかい!」
ひーちゃんも料理ができるのはわかってるけど、包丁を使っているし、我が家のキッチンはそんなに広くないから明確に役割分担。鱗を落として洗ったサンマに塩を振って、冷蔵庫でしばらく放置。よく動画で見るやつ、実際にちゃんと水気が出てくるから効果はあるんだろうけど、この臭み抜きでどれくらい味が変わっているのかはあんまり分からない。馬鹿舌だからしかたなーい、と卑下はするけど、普段から魚ばかり食べ比べてる人にしかわかんないんじゃないだろうかとは思っている。雰囲気でもプラシーボでも、より美味しく感じられるならひと手間くらいは悪くない。
寝かせている間にお味噌汁を作る。ちゃんと豚コマはあったから、今年──じゃなくて今シーズン初の豚汁となります。鍋に少しだけ油を敷いて、豚肉を炒める。その間にさっきの大根とさつまいもを切って、ついでに冷蔵庫にあった玉ねぎも投下。ピーラーは正義。桂剥きは悲惨なダイエットに終わる可能性大です。……あ、人参がない! 彩りは紫にお願いします。
「モカの手料理食べるの初めてだな〜」
「ううむ、楽しみにしておるが良いぞ〜」
「うん、結構フツーに楽しみ。でも、どうして急に誘ってくれたの?」
「ちょっとは手慣れてきたからねー。毒味役?」
「ちょ──、信じてるからね!?」
「うん、あたしを──信じて──」
「それ蘭の真似?」
「まさかぁ」
火が通ったら水を投入。入れ忘れると面倒だから顆粒だしを投入。大根おろしのキリマンジャロを作り上げたひーちゃんを、今度はアク取り大臣に任命。すりおろし大使は罷免。
冷蔵庫から取り出したサンマを洗って、飾り包丁を入れる。ちょっと歪になったやつはひーちゃんの分にしよう、と心に決めてグリルに投入。塩を振り直すのを忘れかけたので危なかった。
あ、豚汁に入れる予定だったこんにゃくも忘れてる。具材がどこまで欠けたら豚汁じゃなくなるんだろう。味噌と豚肉が入っていればセーフだったりするのかしらん、といつも通り胡乱な思考。
豚汁が無難な感じでも、サンマくんさえいれば良いのだ、とグリルから漂う匂いに思いを馳せつつ。
昨夜から楽しみにしていた炊飯器の蓋を開ける。ごぼうとしめじの炊き込みご飯。見た感じとても良い出来。匂いはバッチリ。味が薄いってことはないと思うけど、こればかりは炊く前に味見ができないから一発勝負だ。クラシルを信じて。
「卵焼きも作る〜?」
「……多くない?」
「サンマ2尾だもんね〜。こんなもんかー」
「私が2尾食べる計算になってる?」
「そーだけどー?」
「流石に多いって! ……いやでも、いける……? もう1時だし……」
「食いしん坊だなー」
「モカが言ったんでしょ! 半分こしようよぉ」
泣きが入ったところで、豚汁モドキの火を止めて味噌を投入。我が家はずっと合わせ味噌。たまに出先で食べる赤味噌や白味噌の味が忘れられないけれど、1パック買うと使い切る前に飽きそうでおそろしい。結局いつもの味に落ち着くのが恒例行事。
サンマを引き上げて……長い皿が無いから大皿にイン。この場合はオンかも。
1尾は真ん中から一刀両断。ひーちゃんはワタがそんなに好きじゃないらしいから、上半身はあたしの元へ。フラれて可哀想に。あたしが美味しく食べてさしあげよう。レストインピース。
「ひーちゃんってしめじ大丈夫だっけ〜?」
「苦手なのはしいたけだけだよ」
「あー……」
大きめの茶碗に豚汁をよそって、ドキドキワクワクの炊き込みご飯を普段の白米よりも心做しか多めに盛っておく。緑が寂しかったから、冷蔵庫からきゅうりの浅漬けを取り出してくる。小鉢にスライスされたきゅうりを載せれば、さながら定食屋さんのサンマ定食。しかも炊き込みご飯付きのデラックスバージョンだ。
「いただきます!」
「まーす」
ひーちゃんが写真をAfterglowのグループに送り付けていた。いつもの事なのに、ちゃんと許可を求めてくるあたりがリーダーだなぁ、と思う。……いや、ウチのグループはみんなこれくらいするかも。気遣いを忘れてないから長続きしているわけで。
青葉食堂! というメッセージと共に貼られた写真は、流石に撮り慣れているだけあって構図も角度も綺麗だった。インフルエンサー予備軍の面目躍如、かなり映えてる。中身が“こういうのでいいんだよ定食”なのはシュールだけども。
サンマの胸びれをつまみとって、そのすぐ後ろから体の真ん中に箸を差し込む。最初にひれを全部取れだとか、そういう細かいマナーは好きじゃないけど、大体の作法に従っていれば綺麗に焼き魚を食べられるから、大雑把な括りでのマナーは嫌いじゃない。
あとは、こういう作法は蘭が完璧だから、なんとなくそれに影響されてみんなもそれなりにできたり。
一応形式にそって、背中側から身をつまんでいく。大根おろしと醤油、それから市販のレモン果汁。これだよこれって感想しか出てこなくなる。
きっと、あたしはキミに会うために生まれてきたんだ。期待した通りの味、100パーセントの期待に100パーセントのクオリティで返してくれる安心感。初めてにしては皮目まで綺麗に焼けたのがちょっと嬉しい。グリルの掃除は考えないことにする。
サンマの腹骨はどうしても綺麗に食べるのが難しいから、多少崩れても気にしない。蘭なら上手く食べれるのかも、なんて。
小さな頃は食べられなかったハラワタが、ほんの少しの苦味と共に美味しく食べられるようになったのを実感すると背筋が伸びる。
ブラックコーヒーを飲めるようになったときの達成感、みたいな。ビールが飲めるようになっても同じことを思うかもしれない。ほぼ1年先の話だ。
あたしはきっと酒飲みになるらしい。これは4人の共通認識らしかった。成城石井が好きだから、だって。なんだそれ〜、とは思ってる。
次は豚汁に箸をつけた。よく寝かして出汁が出た、塩っ辛い豚汁も好きだけど、大根の食感と味がよくわかる作りたての豚汁も好きだ。さつまいもを入れたのは正解だった気がしている。少し大きめに切ったけれどちゃんと火が通ってホクホクしている。メークインなんかよりは煮崩れしやすいんだろうけど、まだ存在感を保ったまま。
もちろん焼き芋ほど甘くはない。あれは高すぎない温度で長時間火を通すことで多糖を分解して甘さを引き出しているから、流石にあんなにトロトロの甘さにはならない。けれど味噌の塩気と相まって引き立つほのかな甘さは、結構悪くない。ううむ、これならこんにゃくは欲しかった気がする。味のアクセントがいいだけに、食感の面白さも欲しかった。
「ん、さつまいもいいね」
「おばあ様からの仕送りなのです〜。山盛りだから使い切らなきゃね〜」
「そういう時期あるよね。ウチもゴーヤ貰っちゃって、先月まで困ってたなぁ」
「ゴーヤって炒め物以外にどうするの〜?」
「んっと、ピクルスにしてたよ」
「それ興味あるかも〜。お裾分けしてくれれば良かったのにー」
「私はそんなに美味しく感じなかったから勧めらんないよ」
ゴーヤのピクルス。ちょっと興味が湧いたけど残念。確かにきゅうりのピクルスがあるんだから、同じウリ科で似たようなかたちのゴーヤもお酢に合うのかもしれない。……と思ったけど水分量がだいぶ違うからどうだろう。その理論でいくとメロンのピクルスもアリになっちゃう。……後で調べよ。
「横で見てたから大丈夫なのはわかってたけど、やっぱり普通に料理できるんだね」
失礼な、と笑った。
「ひーちゃんがサンマ食べたいって言ってたから誘ったのに〜」
「ごめんって! 美味しいよ! モカは要領がいいから料理も上手いと思ってました!」
「よろし〜」
家庭科の授業でもそんなにやらかしてなかったでしょーに、と思ったけど、つぐの手際が良すぎてあたしたちはみんな足でまといだった。
あの時のスコーンは絶品だったなぁ、と懐古しつつ、実は1番気になっていた炊き込みご飯へ。ごぼうをささがきにして下茹でしたあと、しめじと一緒にお米に混ぜて、だしやら醤油やらを加えて炊いただけ。絶対美味しくなる! と思って炊いたけど、流石モカちゃん、完璧です。昨日のあたしは完全に頭が冴えていた。
醤油とみりんが大さじ3、白だしをちょっぴり。ごぼうは下茹でするか迷ったけど、えぐみが強くなると嫌だったから少しだけ水に晒して火を通した。もしかしたら要らなかったかも。
食欲の秋、きのこがおいしい季節だ。やまぶきベーカリーのキノコピザトーストも最高だけど、和食の方が好きかも。舞茸の天ぷら、えのきのホイル焼き、なめこの味噌汁、しめじの炊き込みご飯、しいたけの煮付け。
味がないとか食感が悪いとか臭いとか、キノコ嫌いには酷い言われようだけれど、よく出汁が出て美味しいんだぞ、と主張していきたい次第であります。
ひーちゃんが美味しそうに食べてくれるので、これはコック冥利に尽きるというものですな、と一息。
料理をするようになってようやくわかったけど、自分で作った料理は、自分の期待通り100パーセントを返してくれるものの、期待を超えてはくれない。結局外食したり他人に作ってもらった方が刺激としては大きい。
代わりに今日は、自分の作ったものを食べてもらえるのはハッピーだな、という発見もあった。
ひーちゃんに餌付けしたがるつぐの気持ちがわかった気がする。
「あ、つぐが『美味しそう』だって」
「うむうむ、苦しゅうないぞ〜。つぐに自信満々に出す勇気はないけど!」
「それは、うん……」
味変で豚汁に七味を投入。陳皮の味が好きだ。冬にこたつで食べるミカンの皮も、干したらこんな感じになるんだろうか。中学生なら自由研究にできたかも。あれは夏だった。やっぱりボツ。
「ごちそうさまでした!」
「お粗末様〜。青葉食堂日替わり定食、5000円でーす」
「高っ。……でも、これなら毎週お金払ってでも食べさせてもらいたいかも」
「……うんうん、モカちゃんもいっぱい食べてくれて嬉しいよー。ひーちゃん肥ゆる秋ってやつ〜?」
「えっ……? いや、確かに多めだけど、間食しなければ大丈夫だから!」
悪い男が付かないように太らせてやろ、と決意。つぐもけしかけよう。
満腹感に包まれたまま洗い物を済ませて、午後の講義へと出陣するひーちゃんの背中を見送る。
「いってきますのチューは〜?」
「したことないでしょ!!!!」