Chopin's Omnibus   作:マシロタケ

1 / 2
これはショパンが、ちょっとだけ眠たいお話


ショパンのお昼寝

 書物の紙とインクの香りとは、いつだってヒトを惑わすもの。

 或る者は、その香りに緊張を掻き立てられるという。また或る者は、その香りに時間を失念すると言った。

 

 また或る者は、その香りに意識を奪われてしまうと言うらしい……否、彼女に関しては本のせいではないのかもしれない。

 

 こっくり、こっくり。何度も大きく頷くように。こっくり、こっくりと船を漕ぐ。

 頭が揺れる度に、黒鹿毛の鬣がふわりと靡く。

 

 手に持っている少女漫画のセリフが頭に入ってこない。とても感動的なシーンだというらしいのに、それをどうでもいいと思える程に意識が朦朧としている。

 

 いけない、いけない。ここで眠ってはいけない。そう思えば思うほど睡魔とは意地悪だ。

 だから、こっくり、こっくり……そして、ぷつん。

 

「おい、ここで寝るんじゃないぞ」

 

 眠りに落ちる直前。ショパンのお耳の先端が抓られる。

 小さな痛みにヒンと鳴けば、睡魔は少しだけ飛んでいく。

 

 すりすりと苛められた自分のお耳を慰めるショパン。彼女の居眠りを阻止したエアグルーヴは、再び手に持った洋書へと視線を戻す。その洋書とは、海外ミステリー小説。ゼンノロブロイの『今月の推薦図書』にも列挙されていた程の話題作だ。

 

『ええ、当時彼は眠っていましたわ。私、ちゃんとこの目で見たんですもの。旦那様が暖炉の前で、いつも愛読なさっているアガサ・クリスティを手に、こっくりこっくりと居眠りをなさっていたのを――』

 

 家政婦の証言シーン。エアグルーヴの推理が正しければ、おそらく彼女は白……。

 

 ふと、現実の世界に視線を戻す。そうすれば、居眠りはここにも居る。

 

 スー スー と愛らしい寝息を立てて。体を緩慢に揺らして、おやすみなさい……。

 

「ねるな!」

 

 再びお耳を抓れば彼女はヒーンと覚醒する。便利なお耳だ。よく伸びるだけが取り柄というわけでもないらしい。

 

「まったく。寮の書庫について来たいと言ったのはお前だぞ」

 

「うん……ごめんなさい……ふぁ」

 

 それでもショパンの瞼は鉛のように重い。そして頻りに欠伸を何度も。

 

 今日のお昼ご飯はスパゲティだった。ミートソースを絡めた、ショパンの大好物。おかわりまでしたらしい。

 そして満腹の胃袋は、脳へ血糖値の急上昇を伝え……。今に至るとかなんとか。

 

「寝たいのなら部屋で寝ろ」

 

「うん……」

 

 ショパンは椅子から立ち上がり、ふらふらと歩く……そして頭を本棚へごちん。

 

「……しようのない」

 

 エアグルーヴは貸出台帳に小説のタイトルと自分の名前を書くと、本を手にしたままショパンと書庫を後にする。

 

 激しい微睡で前がよく見えていないショパン。そんな彼女の手をエアグルーヴは引いてあげる。

 

 そして自室の扉を開ける。ショパンは導かれるようにベッドへ一直線。

 

 もぞもぞと毛布へと潜り、ぴょんとお耳だけが出てくる。

 

「……まぁ、たまにはいいか」

 

 椅子に掛けてふと溜息を吐く。ベッドからは小さな寝息がくぅくぅと囀る。

 

 エアグルーヴは本の続きを読もうと、机に向かったちょうどその時。

 

「ただいま!」

 

 と、明るく溌剌で麗らかな声色。トレーニングを終えた殿下のお帰りらしい。

 エアグルーヴはファインに向かい、人差し指を一本口元へ当てる。

 

「どうかしたの?」と問う彼女に対し、今度は指の先をベッドへ向ける。

 

 ファインモーションは直ぐにその意味に気が付く。

 

「わぁ! ショパンちゃんお昼寝してるんだ」

 

 彼女はエアグルーヴのベッドの前で膝をつく。毛布から生えてきた、ゆらゆらと揺れ動くふたつのお耳がどうしても愛らしい。

 

 ファインに少しの悪戯心。ゆらゆらと揺れるお耳を指でつまんで、すりすり、すりすり。そうすると、毛布の中からヒーンと苦情が飛んでくる。

 

 そしてショパンのお耳は迎撃体制へ。もう片方のお耳でファインの手をぺしぺしと叩く!

 

「何~きさま~。この私に盾突こうと申すか~?」なんて続けていると、お耳は一瞬の隙をついて毛布の中へ緊急避難。

 

「……ファイン」

 

「うふふ、ごめんなさい!」

 

 ファインは上機嫌さを口に出すと、これからシャカールとラーメン屋に行ってくると言い残し、私服へ着替えて部屋を後にした。

 

 また静かになった自室。敵の襲撃が去ったことを知ったお耳は、再び徐に顔(耳?)を出す。

 

 そして再び、くぅくぅと。

 

 エアグルーヴは一つ息を吐くと、再び小説の中の世界へ。

 

 いよいよ物語は佳境へと踏み込むところ。目が離せない、いいところだ。

 

『マーシャル警部は頭を抱えていた。この一連の怪事件。その鍵を握っているのは、ここの家政婦であるのではと考えていた。彼女であれば、この館内を理由なく自由に歩き回れるし、彼女の行動を訝しむ証言もいくつかある。特に婦人は非難めいたように家政婦を疑う言葉を吐き続けている。だが、肝心の決定打となる証拠が何もでてこない。アリバイだって鉄壁だ。彼は溜息を誤魔化すように、珈琲を口に含んだ。その時だった。――館の奥の寝室から、婦人の叫ぶ声が聞こえたのだ!』

 

「ヒーン」

 

 ……調子を崩されたエアグルーヴは、本を一度閉じた。そしてベッドへと赴き、毛布をめくる。そこには、とろけた寝顔と、もう一度「ヒーン」と鳴く声。

 

「……寝言か。まったく」

 

 そしてエアグルーヴはショパンのおもちのような頬をつんつんと突くと「寝るのなら静かに寝ていろ」と言った。

 

 しかしなんとまぁ、柔らかい頬肉なのだろう。弾力そのものだ。今度は二本の指で頬を摘まみ、少しだけ引っ張ってみる。お耳に負けず劣らずよく伸びる。

 

「ん……んぅ? なあに……?」

 

 まずった、やりすぎた。ショパンが起きてしまった。エアグルーヴは慌てて手を放すと「あ、いや、すまん!」と、逃げるように机へと戻っていった。

 

 再び小説を読むふりをして、約1分後。再びベッドからは安眠の歌。

 

「他人のことを言えたものではないな……」エアグルーヴはそう呟くと、再び読書の世界へと帰っていった。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

『「雨が止んでよかった」とマーシャル警部は抜けるような大空を見上げてそういった。「それで、婦人は」マーシャル警部が助手に訊ねる。「ええ、全て白状しました。エングル氏へ毒を盛って殺害しようとしたことも、全ての罪を家政婦に着せようと工作を働いていたことも」助手はメモを睨み、言った。「では、晴れて解決ということだな」マーシャル警部は葉巻に火をつけて言った。「いいえ、それが」マーシャル警部の穏やかを打ち砕くように、助手が言った。「婦人の自供、どうも引っかかる部分が多いと、取り調べに当たった刑事たちがいうのです。おそらくですが彼女の犯行、裏で糸を引いた人物が居る可能性があるのではと。噂では"例の組織"ではないかと」少し重い溜息と共に、助手はメモ帳を閉じた。「何をしているのだね」気が付くと、マーシャル警部は愛車のロータス・ヨーロッパSに乗り込み、エンジンを始動していた。「事件が終わっていないのならば、急がねばならん。行くぞ!」助手は慌てて車に乗り込む。そして、緑色のヨーロッパSは、リヴァプールの街へと消えていった―― 続く』

 

 

「……ふぅ」

 

 少し疲れた目を癒すように瞼を閉じ、天井に向かって一呼吸。気が付けば、窓の外は既に暗い。

 エアグルーヴは椅子から立ち上がる。大きく伸びをすると、体がどれほどまでに固まっていたかをその時知る。

 

「まぁ、悪くはなかったな」

 

 エアグル―ヴの推理も概ね当たり。少し満足げに独り言。

 その時、ふと思う。そういえば、ショパンは?

 

 ベッドの毛布をめくる……そこには、まだいる。気の抜けた寝顔。

 

「こいつ……何時間眠っているつもりだ」

 

 エアグルーヴがそういった時、ぱちりとショパンの目が開く。

 

 そして一言「おなかすいた」といった。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 「それじゃあ、おやすみなさい!」

 

 ファインモーションがそういって、部屋の照明が落とされる。

 真っ暗な三人の部屋。寝つきがいいショパンは、電気が消えて数分後にはいつも入眠するのだが、今日ばかりはそういうわけにもいかない。

 

 ショパンはベッドの中でおめめぱっちり。

 

 それはそうだろう。なんたって、4時間もお昼寝をしたのだ。当然、こうなる。

 ショパンはやってこない微睡を催促するかのように、何度も寝返りを打つが、効果なし。

 

「ヒーン……」無駄な抵抗と知りつつ鳴いてみる。

 

 やがて暗闇に目が馴染んでくる。今宵は快晴の満月だ。月の光が少し眩しい。

 ショパンは月光に背を向ける。そうすると、そこには月光に照らされたエアグルーヴの寝顔。

 

 ショパンと違って、無駄な昼寝など好まない女帝の体内時計は、常に規則正しい。

 故に、ショパンを残して一足先に夢の世界へ。

 

「……」

 

 そういえば、こうして母の寝顔をまじまじと見ることなんてあまりないなとショパンは思う。だって、いつもショパンより後に寝て、ショパンより先に起きるのだもの。

 

 ……やはり、眠っていても女帝。その凛々しさと清さと麗しさはいつもそこにある。

 

 だが、すこしお耳が揺れている。よく見ると、表情は少しだけ渋面だ。

 

 きっと、夢の中でもショパンやトレーナー(たわけ者たち)を叱っているのだろう。

 

 ゆらゆら。ゆらゆら。時折後ろにキュっと絞るように。母のお耳は忙しない。

 

 ショパンはおもむろに、エアグルーヴのお耳に手を伸ばす。指先だけで軽くつまんでみる。

 

「ん……」

 

 ぴくり、とエアグルーヴが体を動かし、声を出す。ショパンが慌てて手を放すと、再び寝息が聞こえてくる。

 

 ショパンはもう一度、エアグルーヴのお耳を触ってみる。今度は少し大胆に摘まんで、すりすり。

 

「んぅ……ん……」

 

 流石は大人のウマ娘のお耳。ショパンのに比べて少し硬い。だけど、引っ張ってみると案外伸びたりするから面白い。

 

 ちょっと弄ると、母が少し反応するように声を出す。それがちょっとだけ愉快。

 

 こんな反応をする母の姿なんて見たことないや。ショパンは調子づいてくすりと笑う――。

 

 その悪戯娘の腕を、何者かが掴む。

 

 どきり。ショパンが視線をエアグルーヴの顔へと戻すと……そこには目を覚ました女帝の姿。

 

「おい……貴様も随分と肝が据わったな。女帝の眠りを邪魔すること。何を意味するか知っているか?」

 

 ぎろり、と猛禽のような視線がショパンをとらえる!

 

「ひ……ひぃん……ごめんなさい……」

 

 女帝の圧に怯えるショパン。自慢のお耳がぱたぱたと暴れる。叱られる。ゲンコツかも……?

 

 ショパンがお仕置きを覚悟で目を瞑った時。エアグルーヴはショパンの手を放し、抱擁するように、彼女の頭を抱えた。

 

「くだらんことをしていないで、とっとと寝ろ……明日も早いぞ……」

 

 そういうとエアグルーヴは再び目を閉じた。お仕置きよりも睡眠。結局女帝であろうと、睡魔には勝てないということだ。

 

「眠れないの」とショパンが言う。

 

「だったら、目を瞑っているだけでいい。兎に角、大人しくしていろ……」

 

 ショパンは自分の悪戯を反省しながら、母の胸の中でゆっくり目を閉じる。

 

 意識を母へ預ければ、とくんとくんと心臓の音だけが聞こえてくる。それがどうも心地いい。

 書庫の本の香りよりも、お腹がいっぱいの時よりも、もっともっと心地いい。

 

 気が付けば再び、うとうと。エアグルーヴの胸の中で、うとうと。

 

 

 そして

 

 

 

 ぷつん。

 

 

 

 おやすみなさいを言い忘れてしまっていることにも気づかずに……。

 

 

 

 

 





Q.ショパンちゃんは何故布団に潜るくせにお耳だけ出して寝るんですか?

A.眠っているときも周囲の音を聞くためです。何か身の周りで異変があった時に素早くその音を拾えるようにというウマ娘の本能の名残りだと言われています。しかし如何せん本人はぐっすり眠るタイプのようなので、音を拾ったところでどうしようもありません。むしろ無防備に生えてきているお耳がよく悪戯の標的になるようなので今のところデメリットしかないみたいです。かわいいですね。(因みに冬の寒い時期はお耳も布団に仕舞うらしいです。わりと自由ですね)




  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。