Chopin's Omnibus 作:マシロタケ
本編に冬はなかったので書いてみたいなと。
「まったく、普段から身の回りの整頓をしておけとあれほど言っておいたはずだ。それがなんだこの有様は!」
「ご、ごめんよ。僕もその、忙しくてさ」
「そんな言い訳!」
とある男の部屋に劈く女帝の嘶き。
彼女のトレーナー、秋名は女帝の圧に押され、背中を壁に付く。
「トレーナーさん。また散らかしたの?」
エアグルーヴの陰からひょこりと現れたのは、冬毛もこもこの黒鹿毛少女。寒さのせいか、少しだけ鼻が赤いのが愛らしい。
今日はクリスマスの前日。所謂イヴというものだ。
先日、秋名とエアグルーヴがトレーナー室で会話をしていた時に、クリスマスの話題が出た。
一人暮らしの秋名は特にこれと言ってクリスマスらしいことはしないとエアグルーヴに話したところ、年中行事を蔑ろにするとは感心しないと叱責され、そして半ば強行されるような形でクリスマスパーティが開かれることとなった。しかし何故会場が秋名宅なのか。それはよくわからない。
そして、秋名は二人の家事師範を自宅へ招き入れることになる。そして今に至る。
当然、秋名自身も何もしなかったわけではない。いらないものは極力捨てて、掃除機を掛ける等のことくらいはやっていた。だが、女帝の目からすれば、それらは全て中途半端。
棚の上や窓の淵には埃が溜り、押し入れの中は整頓されているというより、詰めれるだけ詰め込んでいるという状態。本棚に並ぶ本も無秩序。服も畳まれず、ハンガーに通して放置されているだけ。仕事部屋の上にはファイリングされてない書類が山のように。これでは流石に「掃除をした」とは言えない。
秋名は項垂れてごめんと言うと、まずは掃除からだなとエアグルーヴは袖を捲る。
ショパンも倣って袖を捲り、頭には三角巾と右手にははたき。暮れも近いため、徹底した大掃除が始まる。
ショパンと秋名は机に溜まった書類を綺麗に纏め、見逃しやすい塵や埃を除去していく。今回は流石にみられては不味いものは出てこないらしい。律儀にもショパンとの約束は守っているようだ。
次第に秋名にもエンジンがかかってくる。少しずつ身のこなしが軽くなり、てきぱきと要領よく。ショパンも負けじとてきぱきと……やっていた時だった。
窓の外でちらりと白い何かが光ったような気がした。
ショパンは手を止めると、掃除道具をその場において窓を覗く。そして、目を大きく見開いた
「わぁ! 雪だぁ!」
ショパンのその声を聞きつけて、秋名も手を止めショパンの下へ。
窓を覗くと、どんよりとした曇り空の彼方から、ふわふわとした白い雪が優しく自由落下している。
「ああ、そういえば、今日は降るって言っていたね。ホワイトクリスマスだ」
地面を見ると僅かに雪は積もっている。それを見てショパンは「ちょっと遊んできてもいい?」と秋名にきらきらした瞳を向けて、秋名が答えるよりも前にその場から駆け出して行った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「……ひぃん」
十数分後、秋名宅の玄関に佇むその娘。
頭に雪を積もらせて、手袋をしなかった手は赤くしもやけ。小さなお鼻はまるでトナカイのように赤くなっており、ずるずると鼻をすすっている。その瞳はうっすら涙目だ。
「たわけ! 碌な防寒もせずに表へ出ればそうなるとわかっていただろうに!」
エアグルーヴはショパンの頭に積もった雪を払いながら言った。彼女の靴下もぐちょぐちょだ。
「ははは、こりゃ大変だ。お湯を張ってあげるから、お風呂に入っておいでよ」
と秋名は苦笑を交えながら言った。
お湯が溜まるまでの暫くの間、ショパンは掃除から戦線離脱。残りの掃除は秋名が引き継ぐことに。
エアグルーヴは二つの容器に暖かいお湯と少し冷たい水を用意し、ショパンのしもやけの手を交互に浸す。そしてに血流をよくするためのマッサージとして、ショパンの小さなお手々をこねこねと揉んであげる。
水に浸される度にヒンと鳴くショパン。それを見てエアグルーヴはくすりと笑う。「私も昔は、こうしてお母様にしもやけを治して頂いたことがあったな」と独り言のように呟いた。
それにしても、エアグルーヴの暖かくて柔らかい手が心地いい。ショパンの顔は少しだけうっとり。
うっとり、うっとり……。うつら、うつら……そして。
「ひっくしゅ!」
と大きなくしゃみが一つ。
小さなお鼻からは情けないものがたらり。
ちょうどその時に、「お風呂が沸いたよ」と秋名が言った。それを聞いたショパンは立ち上がって、温まるために浴室へと向かう。
「風呂で寝るんじゃないぞ」とエアグルーヴはショパンに釘を刺して、浴室へと向かうショパンを見送った。
すこしすると浴室からヒーンと鳴く声が聞こえた。きっと浴槽で眠って溺れかけたのだろう。わかりやすい娘だ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「トレーナーさん、トレーナーさーん」
掃除もひと段落がついたところで、秋名を呼ぶショパンの声が聞こえた。
本人を直接前にしなければ、エアグルーヴの声と少し似ているものだなと秋名は思いながらショパンの下へ。
「あ、トレーナーさん!」
「どうしたの、ショp」
そこにいた黒鹿毛の娘の姿を見て、秋名は絶句する。
だって、湯上りの彼女を隠すのはバスタオル一枚のみ。ほぼほぼ生まれたままの姿という状態。事案だ事案。
その姿に思わず仰け反る秋名。しかしショパンはその姿のまま秋名へ駆け寄ると「ねぇねぇ、トレーナーさんの服何か借りても良い?」と訊く。
この娘に恥じらいというものは無いのだろうか。と秋名は額を押さえた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
秋名のシャツを借りたショパン。かなりぶかぶかだ。だけど、暖房のしっかり効いた部屋ではこれでも問題はないらしい。
そして、ぶかぶかの服で戦線復帰。そして再び二人で掃除に取り掛かり、しっかりと胸を張って「掃除ができた」と言える部屋が完成する。
ちょうどその時、台所から二人の胃袋を刺激するような、優しい香りが漂ってくる。
食卓へ向かうと、エプロン姿のエアグルーヴが居た。くつくつと音を立てるシチューの鍋をゆっくり掻き混ぜている。
ショパンがエアグルーヴに駆け寄り、「もうできる?」と訊いている。エアグルーヴは「もう少しだ。テーブルに皿を並べてくれるか」とショパンへ言う。
女帝の言いつけ通りにショパンは三人分のお皿をテーブルへ。テーブルの隅には小さなクリスマスツリーが佇んでいる。部屋のオーディオからは『もろびとこぞりて』のオルゴールバージョン。
オルゴールのメロディに酔っていると「場所を空けてくれ」とエアグルーヴがシチューの鍋をテーブルへ。肉と冬野菜が沢山入ったそれは、秋名の懐かしい記憶を呼び起こすようだ。
そして、三人は食卓へ。シチューの皿の横には、クリスマス用のチキンとサラダ。秋名のグラスにはシャンパン。エアグルーヴとショパンのグラスにはシャンメリー。三人は慎ましく、静かにグラスを交わす。
エアグルーヴがシチューを取り分けて、ショパンは待ってましたとあつあつのシチューを頬張って、シチューが熱くてヒンと鳴く。それでも、お腹と背中がくっつく程に空腹なショパンはシチューを食べる手を止めない。
「ショパン。もっと気品のある食べ方を学べ。口の周りについているぞ。まったく」
そういってエアグルーヴはショパンに紙ナプキンを差し出し、ショパンはそれで口を拭く。そして、シチューがとてもおいしいんだもの、とエアグルーヴに笑顔で言った。エアグルーヴはまんざらでもなさそうに、「そうか」と少しばかり高揚したような声で答えた。
そんなテーブルの向かい側の二人を、秋名は食事の手を止めてじっと見ていた。
「どうした。口に合わなかったか」とエアグルーヴが訊ねる。
「いいや、こうして皆で食事をするのがどうも久しくてね。どうも、家族のことを思い出す」
そう語った後に、もう一度続けた。
「こうして三人でいると、僕たちは家族みたいだ」
からん。とスプーンを皿の上に落としたのはエアグルーヴ。
「な、何を言い出すかと思えば! 貴様と言うやつは!」
「あ、いや、そういう意味じゃ。安心できるってことさ! ホントに、他意はないよ!」
秋名のその言葉が本音なのか、アルコールによるものなのか。シチューが美味しいショパンにとっては大した問題ではなかった。
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シチューとチキンとデザートのクリスマスケーキをぺろりと平らげたショパン。当然その後には、くらりくらりと微睡が彼女を襲う。
まだ幼く、強い睡魔に抗えないショパンはソファの上で微睡に溶けていく。
それを見た秋名は「また眠っちゃった」と優しくエアグルーヴへ言った。
「……泊まっていく?」と秋名が訊く。
「そういうわけには……」とエアグルーヴ。しかし、外の世界は白銀と闇夜に満ちている。東京にしてはかなりの積雪だ。
「……いいのか、面倒を掛けても」
「世話を焼かせたのは僕のほうさ」
と秋名はショパンを抱えると、寝室のベッドへ。首元までしっかりと布団を掛けると、ショパンはそのままもぞもぞと布団に潜り、ぴょんとお耳だけが出てくる。
「そうだ。君に預けておこうと思ったんだけど」
秋名がそういって、自分の鞄の中を探り、包装された包みを取り出した。
「それは?」
「ショパンへのクリスマスプレゼントさ。サンタが来たと言って君からショパンにって思ったけど。このまま置いてあげよう」
秋名はショパンの枕……もとい耳元へそのプレゼントを置いた。
エアグルーヴが中身を問うと、それはアイシャドウのセットだといった。エアグルーヴが使っているもの程高価ではないが、きっとショパンは喜ぶだろうと語った。
「まったく、甘やかしすぎだ」とエアグルーヴが言う。そうすると、秋名はもう一つの包みを、今度はエアグルーヴへ差し出す。
「……なんだ」
「ショパンだけ特別扱いというわけではないさ。君だって僕の担当だ。……メリークリスマス。エアグルーヴ。今日は有難う」
エアグルーヴは静かにそれを受け取る。開けても? と秋名へ問いてから、包みのリボンを外した。
その中にあったのは小さな指輪。薬指用ではない、小指に嵌める、所謂ピンキーリングと呼ばれるもの。
それを見たエアグルーヴは少し驚き、そして少し朗らかな表情を見せた。
「まったく……いや、それがトレーナー、貴様からのメッセージだというのなら、素直に受け取ろう。……有難う」
そこから、少しだけ沈黙の時間。
気が付けば互いの視線が絡み合う。
二人の距離が少しづつ近づいていることを、二人は自覚しない。
互いが互いの瞳に吸い込まれていくように、惹かれ合うように。
気が付けば、二人の口元の距離が、センチメートルで語れる程に近づいている。それでも二人は気づかない。
だって、今宵は、特別な日なのだもの……。
ヒーン
突如、ベッドから聞こえるショパンの寝言。
その声にはっと二人は我に返る。そして、その時に二人の距離が異常なまでに近づいていたことに気が付く。
「あ、ごめん!」
「い、いや。すまない、私のほうこそ……」
二人は顔を背け合う。心の高鳴りが、音になって聞こえるようだ。
「……今のって、寝言?」
「まぁ、そうだ」
「僕たちも、そろそろ寝ようか」
「……ああ、そうだな」
そして、一つのベッドの中では、布団から生えてきたお耳を隔てて、秋名とエアグルーヴが横になる。
なかなか寝付けない時間が、少しもどかしかった。
めりくり