突然だが、俺の朝のルーティンを紹介したい。それは、起き抜けにコーヒーを淹れ、ベランダに設置してあるゴミ捨て場から拾ってきた木の椅子に腰かけてコーヒー片手にたばこを吸うことである。夏は氷を入れてアイスコーヒーにするし、冬はそのままホットで飲む。まあ朝であることは稀だし、授業がある時はバタバタしててしないことも多いけど。
我が家は知り合いのカス共の家とは異なり市内の奥まった静かなところにあるため、これで優雅な朝を迎えることができるのだ。
ぱちり、とはとても言えないような目覚めだった。なんか違和感というか異物感がすごい。まるで異世界にでもきたかのような。
とはいえ今日も今日とて布団から這い出し、お湯でも沸かすかとキッチンに向かう。
「……あぇ? やかんがない」
俺はコンロの上にやかんを置きっぱなしにしているのが常であり、まずそれが無いことに違和感を抱く。
あたりを見まわす。
やかんとかキッチンというか、ここ俺の部屋じゃなくね?
だんだんと意識が覚醒してくる。
「……頭いた」
二日酔い特有の頭痛。
そして、昨日七星、新田と飲んでいたことを思い出した。確か烏貴族で俺は限界がきて一人で帰れるからとか言って離脱して、二人は二軒目行くって別れたんだっけ……。その後の記憶が全く無い。どうやって家に帰ってきた? いやここ俺の家じゃないっぽいけど。
「…………ここどこだ?」
妙に広くて身に覚えのない部屋。知らない部屋、知らない壁、知らない家具の配置。知らないことだらけのこの部屋は、起き抜けの違和感を如実に示している。
「あ、あれやらなきゃ」
いまだ少し痛む頭をなんとか働かせ最初に思ったのは、こういうシチュエーションに陥った時にしなければいけないだろうと、常日頃から脳内シュミレーションしていたあれだった。よかった俺が日々学校にテロリスト来た時のこと妄想しちゃうタイプの痛い奴で。そうじゃなかったらこうも冷静になれんぞ全く……。いや冷静なのかは知らんけどさ。
俺はもぞもぞとベッドに戻ると、仰向けに寝転がって上を見つめた。
「知らない天井だ。……よし完璧」
「何が完璧なんです?」
「……え?」
横から声が掛かった。
「……え?」
「昨夜は激しかったですね……えへ」
知らない女の人がそうはにかんだ。
「…………え?」
☆
一方そのころ七星、新田は。
「上々友情!」
「万事まじ快調!」
「「ななななななな!!」」
「はい言っちゃいましょ!」
「キミはBest Best Frend!」
カラオケ店でオールで友情をはぐくんでいた。
☆
ずざざ、と壁際まで走り寄った。一気に意識が覚醒する。
なんだこれ何だこの人! というかこここの人の家じゃ!?
疑念のもと部屋の中を見れば、そうとしか思えなくなってくる。いや確実にそう。だってうちのオンボロアパートこんな綺麗じゃないし! こんなでっけえテレビとか間接照明なんてないし!
というかまてさっきこの人なんて言った?「昨夜は激しかったですね?」だと? それってつまりあれか、つまりそういうことか? 知らない女と激しくヨサコイ踊る趣味なんてないし、もしかしてライン越えちゃったのか俺? 初めてを? 知らない女と? 好きでもない人と……?
と、先ほどからベッドに寝そべる女を見た。
生憎その体は布団に隠れて見えないが、少し明るめの黒髪を下ろしており、幸薄そうだが目鼻立ちがすらっと通っていて普通に美人だ。
……美人だ。
考え込む。
え、普通に美人じゃねえかよ。なんか絶望感薄れたぞおい。しかも年上っぽいし。むしろちょっと嬉しいまであるぞこれ。行為の記憶が全然ないのが残念とすら思えてきたぞこれ!
駄目だ、このシチュエーションが特殊過ぎてどうしたらいいのか全く分からん。普段痛い妄想をする俺をして分からん。
たばこでも吸おうと、ポケットをまさぐる。
……あれ? ポケット?
見ると、俺は昨夜の格好のままだった。脱がされた形跡もなく、汗をかいた不快感も感じられない。そういう事をすれば、当然服は脱ぐわけで、汗もかくわけで……。
するとつまりあれか、何もなかった、のか……?
「……あの、たばこいいですか?」
「はい、もちろん」
恐る恐る、ベッドの脇に位置する二人掛けくらいのローソファに腰を下ろした。眼前のローテーブルに灰皿があったし、何よりベッドに戻るのは気まず過ぎてできない。
ジッポを開きたばこに火を点ける所作をまじまじと見つめられる気まずさに耐えつつも、煙を吸い込んだ。じじ、と半分ほどまで火が進んでいき、かつてない多幸感と脳がぼやける感覚が押し寄せてくる。限界がきて煙を吐き出せば、過去最大レベルの煙が出て、こんな時だというのにちょっと嬉しかった。
「知ってると思いますけど、私も吸うんですよ」
声につられてベッドの方を向く。
布団をはだけさせ、下着姿のお姉さんがゆっくりとした動作でこちらに歩み寄って来ていた。俺の巨乳判定センサーが警鐘を鳴らしている。というかそんなもん無くても分かる格好してる。
思わずごくりと唾を飲む。
「知ってるってどういう……」
「……覚えてませんか?」
そのままお姉さんはソファにしな垂れかかってくると、机の上に置いてあったハイライトメンソールから一本取り出し口に咥える。そして目を閉じてん、と唇を寄せてきた。うわすげえエロい……。
……あれ、これ前もどっかであったような。
「ふふ、こういえば分かりますか? 火を、貸していただけませんか……?」
「……あ、あ」
ゴキブリお姉さんだ。
そう思ったのと、俺と彼女のたばこが触れ合うのは同時だった。
☆
どこかで思っていた。「言うてこの世界では俺優勝でしょ!」と。女が男みたいな貞操観念を持っていて、つまりは下半身で物事を考え、下半身同士に脳みそを持つ者同士、ウハウハな生活ができるのだと。
でも違ったんだ。この世界では俺は狩られる側。俺が優位に立って女の子を手玉に取るなんてこと、出来るはずが無かったんだ……。
並んでたばこを吸う下着姿のお姉さんは、きっとこの後俺をめちゃくちゃに犯すんだ。その豊満な2つのおっぺえを使ってあんなことやこんなことするんだ! 嫌がる俺を無理矢理犯して、それをばらされたくなければって脅してその後も関係を強要するんだ! エロ同人みたいに! エロ同人みたいに!!
……っは、危ない。危うく「むしろばっちこい」と思っているのがばれるところだった。俺はあくまで嫌がっているという体裁を保たねばならないというのに。
いやー、ついに卒業しちゃうのか俺、こんな美人で胸の大きい年上の女の人となー! いやだけど仕方ないなー! だってこの世界だと俺って狩られる側だもんなー! っかー!つれーわー!!
「今更ですけど、私は八田翠といいます。好きに呼んでくださいね」
期待の眼差しで隣を盗み見ると、そう言ってお姉さんが微笑んだ。
思わずどきりと心臓が跳ねるが、ここは努めて冷静に自己紹介をすべきだと判断し、精一杯クールを装うと手を差し出しながら口を開いた。
「平野和です。今は彼女はいません、付き合ったら一途で情熱的です!」
まあ今はとか言ったが、いたことなんてないけど。ちょっと見栄張った。
八田さんはくすりと微笑むと、差し出した俺の手を握ってくれた。ほんのり冷たくて柔らかい手だった。
え、これつまり付き合ったってことでいいの?
「誤解のないように言っておきますが、やましいことはしませんししてませんよ?」
「……へ?」
手が離れたのが何となくさみしくて八田さんの顔を見ると、困ったように笑う彼女の顔があった。呆けたような声が漏れる。
「すぐそこの通りで泥酔していた平野君がいたから、取り敢えず安静にと思って連れてきただけなんです」
「え、昨夜は激しかったって……」
「あ、あーそれは、ちょっとからかってみたくなったというか、お約束というか……」
「さ、さっきはあんな……」
「ち、違うんですよ!? さっきはなんだかイケイケだったというか、ちょっとブレーキ効かなくなったというか、寧ろそのせいで冷静になったというか……」
何故だか申し訳なさそうに告げられる。
……まあ、昨夜なにもなかったことに関しては薄々分かってはいたので別にいい。よく考えたら泥酔した男を家に連れ込んでとか普通に逮捕案件だし、エロ同人みたいなことは現実では起こりえないのだと実感しただけだ。八田さんにとっては、この状況すらも俺が警察にチクればアウトなのだ。善意でしたことなのにそれはないだろうと思うが、前の世界を鑑みれば十分にあり得る。
問題はだな、昨夜何事もなかったとはいえ、起き抜けにあんなエロいことされてこっちがその気になったらなんか一歩引かれたこの生殺しみてえな状態だよ! どうしてくれんだよ! せめてその胸にぶら下がってる凶器しまえよ! 服も着ろよ!
介抱してくれたことは非常にありがたいが、それはそれとして襲って来いよ! 役得とか言うんだったらもっとぐいぐい来いよぉぉぉぉ!!
……。
…………。
よし決めた。ここは俺が男になろう。この流れで拒絶されるなんてことは無いだろう。俺を部屋に入れるんだから付き合ってる人もいないだろうし、俺が襲う分には問題ないだろう? 前の世界でも逆レのニュースとかネットのコメントは「羨ましい」で溢れかえってたし、何の問題もないはずだ。いけるいける。
俺のヘタレさも性欲ブースト掛かってる今なら薄れてるし、絶好の機会といえた。
逆レの作法とか全然知らんけど、とりあえずがばっといっとけばOKみたいなとこあるし大丈夫だろう。大丈夫大丈夫、ここエロ同人でやったとこだし。
八田さんがたばこをもみ消したのを確認し、俺はすうと一度深呼吸をした。
……よし。
ジリリリリリリリリリリリリリリ……!!
「……やださ――あぇ?」
「ぇ、もうこんな時間!? やだ私ったら……!」
突如としてスマホがアラームを爆音で奏で始めた。時間を見れば午前8時半を指している。そして、慌ただしくばたばたスーツを着始める八田さん。
あ、仕事か……。
……え?
呆然とする俺をよそに、八田さんは手際よく身支度を整えだしていた。慌ただしくも最低限のメイクを施し、鏡の前で髪を整えながら投げかけてくる。
「平野君っ、私は先に出ますけど、カギはポストに入れておいてくださいね!」
と、それだけ聞いたら新婚かなとちょっとドキドキする台詞を残して、あっという間に彼女は去って行った。その間実に十分と少し。出勤RTAでももう少しゆっくりやるだろというタイムだ。
あとに残されたのは、八田さんがいた場所に手を伸ばした状態で固まる俺だけだった。
「……なぁにこれぇ」
なんで七星と新田は主人公をきちんと家まで送ってあげなかったんですか(正論)