夏休みに出されたゼミの課題のために大学図書館を訪れていた日。
まだ夏休みが始まって間もないのに、なんと勤勉なことだろうか。全学生は俺を見習った方がいい。普段の俺なら締め切りぎりぎりまで溜め込んでから、結局間に合わないという留年待ったなしの特性を発揮するところだが、この日は違った。急に心を入れ替えただとか、そんな殊勝な理由ではない。人はそう簡単に変わらない。
普通に昼からバイトがあると勘違いで早起きしてしまい、他にすることが何も無くて、仕方なくだ。泣く泣くと言っていい。俺のような模範的大学生なんて基本的に金欠なので、本当に何もできなかった。つらい。
ちょっと一服するかと、いつものコンビニ横の喫煙所まで足を延ばした。それにしても、図書館からここまで絶妙に嫌な距離にある。五分くらい歩かねばならない。たばこ吸いたいけど遠いしなあ、と気分が乗らない時はあきらめるくらいの絶妙な塩梅。まさか大学側が仕組んだ禁煙策なのか……? まあ行くんですけどね。
夏休み期間中ということもあってか、普段の混雑とは打って変わってがらんとしている。俺にとってはここ数か月は混雑もちょっと嬉しいくらいだったが、閑散としたここで一人ゆっくり吸うのも悪くない。
優雅に備え付けの椅子に腰かけ、入道雲が映える夏の青空をぼうっと眺める。なんとなく、入道雲に沿うように煙を吐き出してみた。……うん、早起きもいいもんだ。
「よう」
死角となっているコンビニの角から誰ぞが姿を現した。横目でちらと喫煙所内を見やるが、他に人影は見当たらない。……俺か。いや分かってたけど。
「お前がこんな時間に大学来るなんて思わなんだ。世界が滅ぶ日も近いな」
「それそっくりそのまま返すで」
「俺は最初から真面目で通ってるだろ常識的に考えて」
「そんな常識は無いな。てかパチンコ行こや」
「はあ……」
この関西弁を流暢に話す死んだ目の男は、俺の友じ……とは認めたくない。悪ゆ……でもないな。なんだこいつは。俺の何なんだ?
まあとにかく、ゼミが同じで知り合った同期だ。二言目にはパチンコに誘ってくるあたりお察しだが、こいつも俺と同じく腐れ大学生をやっている。ちなみにこいつの腐れ具合を簡潔に説明すると、ヤニカスパチンカスギャンブル依存症留年の危機である。そして今現在彼女がいない。まるで負の役満だ。生きていていいのか不安になるレベル。
あ、分かった。同類だ同類。だから波長が合うんだこれ。
名を
「金無いし無理」
常套句を口にする。事実でもあるし。というか金が無いので物理的に無理である。まあゼロとは言わんが、これが無くなったらマジでヤバい。それに、今は課題をやるマインドなのだ。確変である。このまたとないであろう折角のチャンスを棒に振るわけにはいかない。
というか幸中は結局何のために大学来たんだよ。そういうとこだぞお前がカスなの。
「しゃーないな、ノリ打ち(投資金額をシェアして打つこと)でいいで」
「行く」
「……俺、和のそういうとこ好きや」
結論。俺もクズだった。やっぱ同類!!
☆
こんにちは! 役立たず通り越してクズの平野です! 自分ではクズだと思いつつも、「まあそこまでではないっしょ」と思っていました。でも課題やってる途中、クズの誘いに乗ってパチンコ行こうとしてしまい肩身が狭いです。
そんなこんなでパチンコ屋に行くと思われた夏の昼下がり。取り敢えず一服休憩を挟んで、私は今バイト先に来ています。
……いやなんで?
経緯を説明すると、パチンコ屋に向かう最中でバイト先から今から来れないかという電話がかかってきて、それに乗ったというだけである。
幸中は相当ごねたが、まあ金を失う(かもしれない)ギャンブルと金を稼ぐバイトの二択だったら、当然後者を選ぶに決まっている。俺は速やかに友人を見捨てる判断を下した。
一旦家に帰りスーツを着て参上した俺を出迎えのは、案の定新田だった。初対面はスーツ姿だったしそちらを見ている時間の方が長いのに、普段の彼女とは全然違う印象を受けるのはなぜだろうか。似合ってないからか?(デリカシー)
普段なら出会いがしらは互いに小言の一つや二つ吐いているところだったが、きっと塾長に俺の予定が空いていることを話してくれたのは彼女だし、一応感謝の意を表明しておく。サンキュー新田。
「ありがとう新田。お前のおかげで俺はクズに堕ちなくて済んだ」
「何ですか急に。心配しなくてもせんぱいは自分が思ってるよりちゃんとクズですよ?」
「ファッキュー新田」
「何ですか急に!?」
うがあと憤慨する新田をスルーして、俺はいそいそと授業の準備に取り掛かった。夏休み期間は夏期講習だったり夏の特別演習だったりと、稼ぎ時で忙しいのだ。というか急ぎのシフトだったせいでろくに準備時間が無い。何ならもう始まるし。
まあうちは基礎学力に重きを置いた個別指導塾なので、大した準備があるわけではないが。精々がその日担当する生徒の情報と、前回担当した講師のコメント、現在の学習状況を読んでおくくらいだ。
今ぱっと見た感じでは普通の中学生だ。目指したい高校もそこまでハイレベルではないし、まずは前回に続き期末テストの復習から入ろうか。なんて大体のアウトラインを形成しつつ、俺は生徒が待つ個別ブースへ向かった。
☆
夏期講習の時間が終われば、あとは通常授業の時間になる。俺がヘルプで呼ばれていたのは夏期講習のコマだけであったため、もうお役御免である。ちなみに新田は、今日は通しでバイトらしい。中々ヤニを補給に行けないあいつに、去り際満面の笑みでたばこのジェスチャーをしてやった。中指立てられた。
そんな訳で、今は塾最寄のコンビニの喫煙所にいる。汗ばんだ缶コーヒーを口にしつつ、ここ最近を思い返した。
もともと俺の生活に女っ気が無いせいなのか、最近はふとした時に男女逆転していることを忘れてしまうことがある。だって全然変化ないもん。もっと無条件でモテると思ってた。男女比が偏っていれば変化は如実だっただろうが、生憎そうではない。まあ元々モテてない奴が、逆転したとてモテるわけがない。つまりはそういうことだ。顔は悪くないはずなんだけどなあ……あ、中身か。そういや俺カスだったわ、ガハハ。
車止めの金属製ポールに腰かけ、ピースに火を点ける。夕方というにはまだ早い駅前の喧騒を眺めながら、長い煙をふうと、世の中へ遠慮なく吐き出した。ほぼため息である。はあ……。
「あ、七星だ」
漫然と眺めていた雑踏の中に、見知った顔を見つけた。これは所感だが、地雷系ファッションを着こなしている人間は前の世界と比べても大差ないくらいなので、多分大学デビューミスってる。いや似合ってるけどね。
というか喫煙所でのエンカウント率高くないか? ヤニカスはひかれ合うのか……。まさかそんなスタンド使いじゃないんだから。え、違うよね。
声を掛けるにはまだ彼我の距離があり、大声で名を呼ぶのは躊躇われる。七星の体の向き的にこちらの方へ歩いてきそうだったので、待っていれば声を掛けられるかもしれないが、何となく俺の手はスマホに伸びていた。そう言えば俺から電話したこと、あっただろうか。
通話アプリを起動し、耳にあてる。視界の中の七星がわたわたとスマホを取り出した。
『……あ、もしもし七星?』
『もしもし。どしたの、平野君から電話なんて珍しいじゃん。私明日死ぬのかな』
『電話くらいで死なないでくれ。向かいのコンビニ分かる?』
『え、うん。セブンでしょ? わかるわかる』
通りを挟んだ七星がこちらを向いた。自然、目が合う。
『すっ、えっ、あれ平野君!? あのスーツ着た人が!?』
『まあ多分それが平野君だな』
びっくりした人を絵にかいたような挙動でびっくりする七星。駅前の広場で地雷系ファッションの女が電話口で仰け反っているというシーンは、通り向かいから見ているこちらとしては相当面白いものがある。現に今通り過ぎた人ちょっと笑ってたし。
ともあれ、俺の現在地を把握してくれて何よりだ。ちょっと話してこうぜという意図を込め、次の一声を発しようとした。
『待ってて!!』
その一言と共に電話が切られた。
そして視界内の七星は、わき目もふらず全力疾走――をしているつもりだろうが傍から見たら小走りでこちらに向かってきていた。
登場人物
幸中充(こうなかあたる)
→「幸」運(ラッキー) 「中」る、「充」(ストライク)→ラッキーストライク