確かに自室で首を吊ったと思ったのに、知らない森の中で何事もなく目を覚ましたのが確か15日前だった。
死ぬ直前はそりゃあ色々と絶望したものだが、いざ死にきれずに変な世界に飛ばされてしまうと、人は案外気楽になれるもんだ。きっと、未知の場所に放り出された不安や恐怖を、しがらみが全てなくなったことによる解放感が塗りつぶしているのだと思う。案外ここは死後の世界という奴かもな、なんて、何の恐怖も気負いもなく、ただぼんやりと、死ぬとき履いていた靴下のまま湿った地面を歩きながら考えていた。
死後の世界がこんなに穏やかな森の中なら、もっと早く死んどけばよかったかな?
流石にこれほどの楽観は1日と経たずに襲ってきた空腹によって霧散することになるが、その後、あまりにも腹が減ったからそこら中に生えていた木の実や果物を食べてみたが、結局”死に直す”どころか腹も下さなかった。
ヨモツヘグイとか言うんだったかな、この世のものならざるものを食べたので、日本神話の考え方的に俺はもうこっちの世界の人間になってしまった訳だ。クソッタレな現実への帰り道を塞いでやったような気がして、なんとなく清々したのを覚えている。
水場は中々見つからなかったが、湿気の多い土地柄か、あたりに生えている野菜や果物はやたらと水気が多かったのでこれも何とかなった。明らかに毒々しい見た目の果物やキノコもいくつか生で食べたが、不思議なことに問題なかった。
思えば気候も暑くもなく寒くもなく、生き物が過ごすには極めて都合のいい土地に思える。
そして、"今"から12日前だ。襲ってくる多種多様な「よくわからない生き物」が、実は弱いと気がついた。
この世界には小さな虫やヘビなど以外にも、猛禽のような何かやイノシシのような何かがこの森にはいる。
それまでは見かけるたびに隠れてやり過ごしたり逃げたりしていたが、この日とうとう逃げきれなくなって、飛び込んで来た灰色のイノシシみたいな生き物めがけてがむしゃらに拳を振り回した。
結論から言うと、イノシシが血だまりになった。
いや、拳は当たらなかった。イノシシにタックルされたのに自分の体幹が全くブレず、困惑するより早く、半ば反射的にイノシシのこめかみのあたりめがけてバン! と両手を拍手するように叩きつけた。
首から上が粘土みたいに潰れて弾けた。
眼前に飛び込んで来たスプラッタと、遅れてやってきた「生き物」を殺した感触にたまらず嘔吐して、少ししてからそもそもイノシシにタックルされて何故無事だったのか疑問に思った。
それから1時間も経たないうちに、少なくともちょっとやそっとでは傷つくことが無いと分かって、俺は再び楽観を強めた。ちょっとでも考えたらおかしな状況に巻き込まれているのは明白だったが、あるいはだからこそ、俺は深く考えなかった。根本のところで、考えることを拒否していたのかもしれない。やはりここは死後の世界か、あるいは死ぬ直前に見るという走馬灯の親戚みたいなものだと。俺はそう考えることにした。
その日の夕方、思いっきり助走をつけて跳べば超えられなくはない程度の幅の川を見つけて、後はひたすら下流へと歩いていた。
ここが何なのかも、俺がどうしてまだ生きているかもサッパリ分からないまま。いや、死を経験してある種の無敵状態になってるメンタルはともかく、何日もずっと歩き通しで足が痛くならないどころか、全く疲れすらしないのもおかしかった。
天国と言うには何もなさ過ぎるし、地獄と言うには責め苦が無さ過ぎる森の中を、俺はひたすら歩き回り……そしてつい先ほど、2人組の少女に出会った。
ダリアとリリ、姉妹だと言っていた。肌が白く、二人とも金髪で瞳は綺麗な緑色。長身長髪で胸の大きい方がダリア(姉)、小柄で短めの髪を片側に縛っているのがリリ(妹)だ。
本人たち曰く16歳と13歳だそうだが、背が低い……というか栄養状態が悪いようで、痩せこけているためかもう2歳くらいずつ幼く見える。子供だ。親は見当たらず、住める場所が近くにあるとも思えなかった。
出会った当初、彼女らに群がっていた例の「よくわからない生き物」を蹴散らして、話を聞いて分かったことがいくつかある。
まず一つ目、「会話ができる」ということ。
耳に入ってくる相手の声は間違いなく知らない言語なのに、何故だか意味が理解できた。聞いてみたら、向こうも同じ状況だという。……頭が痛くなってきたのでもう考えないことにした。通じるんだからいいやの精神で行こう。
二つ目。ここは恐らく、俺が元居たのとは別の世界であるということ。
曰く、俺のような突如どこからか現れて何故か言葉が通じる人間を『渡り』と呼び、おとぎ話で語られる程度に例があるとのこと。歴代の『渡り』は誰も彼も非常に強かったとのことであり、断片的な情報ではあるが俺の境遇と一致していた。
死後の世界ではなかったけれど、異世界なのは正しかったようだ。死んだ時にバグでも起きて魂が変な所に飛び込んだりしたんだろうか? ともかく、不審者扱いされなくて本当に良かった。
しかし同時に、この「渡り」というワードを聞いた時、俺の中に1つ不穏なひらめきが走った。
そして、最後の気づきと同時に、その閃きが正しかったことを理解させられた。
「ひっ!! 嫌、いやぁ……!」
「お姉ちゃんしっかり! 直ぐ隠れないと……ゆ、『勇者』さま! 向こうにも『天敵』の群れが!!」
「……わかった、片づけてくる」
『勇者』と呼ばれた俺は回想を切り上げて、怯える二人に代わって『天敵』と呼ばれた生き物たちの方へと走りだす。
――天国だなんてとんでもない。間違いなく地獄だ。
俺が大学1年生だった頃に発売された、和製のオープンワールドアクションゲーム。
同人出身の有名デザイナーと、同人上がりの悪名高い脚本家がタッグを組んだが故に起こった世界観の合体事故。
可愛らしいアニメ風のデザインから繰り出される迫真のCERO「Z」。
「サバイバー」シリーズ。
人類が、生存競争に負けている世界。
ひたすら陰鬱で、暗くて、キャラが可愛らしいから余計に可哀想で、あまりにもどうしようもない世界に、俺はいた。
※
飛びかかってきた「よくわからない生き物」……もとい「天敵」が、俺の体にぶつかって逆に弾き飛ばされ、「ぎゃん」といった具合の悲鳴を上げる。
四つ足で、大きさと見た目は大型犬くらい。灰色の毛皮で全身覆われていて、狼をもう少し四角くして凶暴にしたような顔つき。今度の群れは……20匹って所だろうか?
(この二週間の最高記録を大幅に塗り替えてるな……近くに巣でもあるのか?)
こうして考えごとをしている間も、戦闘は続いている。……いや、戦闘と呼べるようなものではないが。
俺に襲い掛かってきた「天敵」が、バタバタ倒れていくだけだ。
別に、何か凄い必殺技をぶっ放しているわけじゃない。俺はさっきから、近づいてきたヤツから順番に殴る蹴るの暴行を加えているに過ぎない。
自慢じゃないが生前は喧嘩が弱かったし、武術の心得なんてもってのほか。たぶん型やら何やらメチャクチャだろう。それでもここまで一方的になってしまう。
ひたすら流れ作業のごとくちぎっては投げ、ちぎっては投げ……。噛まれても引っかかれても体に傷一つ付かないんだから、緊張感の欠片もない。ただちょっと面倒くさいだけ。
こっちに来た当初と変わったことといえば、慣れてしまって血しぶきやら臓物やらに一々ビビらなくなったことくらいか。人としての良し悪しはこの際置いといて、最初と比べてずいぶん効率化してしまった。
「こんなもんかな……?」
考え事を適当なところで切り上げ、辺りを見回す。20匹ほどいた群れのうち7割ほどは、既に無残な姿になって地面に転がっていた。他の連中もすっかり戦意を挫かれた様子で、遠巻きに俺を囲んではいるが、明らかに怖がっている様子だ。
「うへー……まぁ、こいつでいっか」
目の前の凄惨な光景に顔をしかめながら、手近な一回りでかいヤツの死骸を掴み、生き残っている『天敵』たちへひょいと投げ飛ばす。
「こうなりたくなかったらあっち行け、ほら」
生き残っていた『天敵』たちも、流石に恐れをなしたのかじりじりと後ずさりを始める。そのままじっと見つめていると、あるタイミングで一斉に森の中へと逃げて行った。念のため、こっそり戻ってくるヤツがいないかしばらく見張っておく。
皆殺しにするより怖がってる生き残りがいた方が、後で「こいつらは危険だ」と学習して襲って来なくなるかもしれない……という魂胆だ。こうも一方的だと虐待してるみたいで気分が良くない、というのも多少ある。
いくら相手が人類の敵だと言われても、俺からすればただの甘噛みしてくるヤツな訳で。どことなく犬を思わせるフォルムも相まって、慣れてしまえばちょっとかわいい位だが……一般人にとっては、そうではない。
俺が見つけた時点で「食べ残し」だったダリアとリリが、身をもって教えてくれた。
俺がおかしいだけで、こいつらにとって人間は「餌」だ。
「サバイバー」の世界において、人間は弱い。他作品で言う魔法だのアーツだの戦技だのはごく一部の強者の専売特許で、それ以外の一般人は本当に「一般人」の強さしか持っていないのだ。
一般的なRPGなんかでは「モンスター」と呼ばれるべき存在に「天敵」等という名前が付いている時点で察しは付くかも知れないが、あれらは現実世界の動物よりも大きく、凶暴で、頑健で、そして人を食料とみなしている。
例えばさっき蹴散らした狼もどき。「サバイバー」ではシンダーデビルという名前で大陸南部に出現するレベル17の雑魚敵だった。
普通に走って逃げると振り切れない恐れがあり、また群れを成しているため正面突破は難しい「序盤の壁」的存在だった。オープンワールドの性か、初めて会った頃にはこちらのレベルが30を超えていて普通にワンパンで倒せてしまった……というような報告がネットでは続出していたが、周辺で受注可能なクエストなどでの扱われ方から、現地住民にとっての危険性は十分に示されている。
常人の足では逃げ切れないスピードとスタミナ。多少の傷では倒れないだけの生命力。成人男性を押し倒せる突進と、骨をかみ砕く顎の力。常に群れで行動する上に、罠を見破れる知能と獲物の隠れ場所を見つける嗅覚が備わっている。
プレイヤーのような強者がいない村において、あの狼たちは文字通りの「天敵」だ。
そしてさきほど「序盤の壁」とか考えていたように、原作「サバイバー」には、シリーズ3作合わせてざっと700種類の「天敵」が出現する。色違いなどのコンパチを除いた"種族数"でこれである。
その中で言うと、さっきの狼なんかは全然弱い方。序盤の壁と言っても、ちょっとレベル上げかスキル上げをすればすぐ蹴散らせるようになる有象無象の1種でしかない。
「天敵」とは、「人間を捕食する、"並の人間"では倒せない雑食または肉食動物の総称」を指して、絶望と共に呼ぶ言葉。
「勇者」呼ばわりは、つまりそういうことだ。
「……ふぅ、もうこっち来る奴はいないな。もう出てきてもいいぞー」
考えているうちに最終確認も片付いた。近くに隠れている二人に声をかけながら、歩いていく。
……確かに、サバイバーの作中ではプレイヤーは強かった。最近の作品には珍しく「プレイヤー=主人公」を徹底していたゲーム内で、主人公は初めから「渡り」として高いステータスを持っていた。
レベリングやボス攻略のための救済措置もいくつもあって、「かなり骨太の難易度ながら色々足掻けば必ずクリアできる」ようにしっかりと調整されていた。
その主人公より、俺は強い。
ゲーム開始時、主人公はレベル1だ。だが今の俺は、それより明らかに強かった。
……深く考えた所で頭がおかしくなるだけだろう。どうせ一度は死んだ身だし、何より目の前の女の子二人を助けるのが先決だった。
(……この定型句は本当に便利だな。頑張る根拠にも、頑張らない言い訳にもなる)
そんなことを思いながら、ダリアたちが隠れている茂みへと歩を進めた。
「サバイバー」
I〇y先生みたいな画風から繰り出される虚〇玄みてぇなシナリオに定評のあるオープンワールドゲー。
誰が呼んだか「メガテンファンタジーⅩⅥブレスオブザアビス」。