フェンリルに勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない 作:ノシ棒
答えは出ている。
□ ■ □
――――――ところでこれを見て欲しい。こいつをどう思う?
「すごく……大きいですね、それ。サイズ合ってないんじゃないですか?」
――――――いやあ、こうやってベルトで締めればいけるし。どう? どう?
「ふふ、リョウ君にすごく似合ってるね」
――――――そう? そう思う? やっぱそう思っちゃう? いやー! 俺も! 俺も、実はそう思ってたんだよねー! たっはー! 似合ってるかー! たっはー!
「はいはい。ま、フェンリルの制服よりも、麦わら帽かぶってるほうがあなたにはお似合いですよ」
――――――いいよね! 農作業スタイルって!
「ねえ、リョウ君。今日は何をするの?」
――――――よく聞いてくれましたマイ助手ユノ君。さあ、次にこれを見てくれ!
「えと、はい先生。これ、幼木ですよね? 今日は植林作業をするんですか?」
――――――そう、でもただの細っこい木じゃない。なんとこれ、リンゴの木なのです!
「わああ! これ全部、リンゴの木なの?」
やっべ気持ちいい。超気持ちイイ。ちょー気持ティー。
すごいすごいと手を叩くユノちゃんのリアクションに、鼻がのびるのびる。
この子知ってるわー男の喜ばせ方知ってるわー魔性の女になるわー。
大量のfc(フェンリルクレジット)はたいて購入したかいがありましたわ。
ヒバリさんに搾取されながらもコツコツとためたヘソクリが吹っ飛んだけど、俺は後悔していない。
見よ、このリンゴの苗木を。
バイオ栽培されたものだけど、その分強く根を張る、お手入れ簡単の品種を選んだのだ。
俺のポケットマネーと引き換えに。
ランク10の武器よりお高いとかどうにかしてると思ったけど、俺は後悔していない。
手が滑って桁をひとつ間違えちゃったけど、後悔してなどいない。
してないったらしてないんだい。
「ああ、なるほど。考えましたね」
「サツキ? えと、何かわかったの?」
「この人、子供たちにこれ、リンゴの木を植えさせるつもりなんですよ。確かリンゴは、実をつけるまで5年はかかるはず。
あの子たちが大人になる頃、色々使えるでしょうね。親をなくし、扱い難さに捨てられて、鼻つまみ者になってしまった子供たち。でも実利があれば、受け入れられますからね」
お、おう!
え、いや、そこまで考えては……。
俺、リンゴって食べたことなくて、その……。
先行投資っていうか、その。
女神の森にきたんだし、せっかくだから俺も植林作業とかやってみたいなーって。
だったら食べれるものがいいかなって、その。
「わあ……! リョウ君はやっぱりすごいなあ」
いや計算通りだ。
俺の計算はすごい。なんていうかもう、すごい。すごすぎる。
これは未来への投資なんだ!
リンゴっていいよな。
赤くて、まあるくて……こう、おっぱいを思い浮かべるような造詣をしてるし。
きっと食べると甘くておいしいんだろうし。
ほら、たしか歌とか詩とかにもリンゴをモチーフにしたのいっぱいあるし。
リンゴの詩とか俺もう大好き。
落ちたっていいじゃない、リンゴだもの……これニュートンさんの詩だっけ?
とにかくリンゴ最高!
植えようぜ、みんな!
「きゃっ、こーら、みんな押さないの!」
「ええい、ガキんちょども、さわんなさわんな! ほら、順番だから!」
ああーいいよーこれいいよおぉ!
子供たちにもみくちゃにされる美女二人……最高の画だと思います!
ツンデレサツキさんはグラマー最高だし。
意外とノリの良いユノちゃんは可愛くて最高だし。
農作業スタイル超似合ってる俺も最高。
植林とか、たぶんこういうの、ネモス・ディアナしか出来ないからなあ。
いやー、これもゴッドイーターやっててよかったーって思う一瞬だよ。
この前アラガミと戦ったときに森の一角吹き飛ばしちゃったから、弁償的な意味でやたら高いリンゴの木を植林しようって考えたのは、うん、正解だったな。
ナチ総統すごい目がピクピクしてたもん。あれぜったい切れてたもん。
「私は怒ってなどいない。私を怒らせたらたいしたものだ」とか言ってたけど、切れてるんですかって聞いたらピクピクしてたもん。あれ絶対切れてたもん。
でも、久しぶりに会ったなあ、ナチ総統……いや、ナチ現場監督。
俺がまだその日暮らしのバイトばっかりしてた子供の頃、ここで働いた時にお世話になったんだよね。
世間って思ったより狭かったんだなあ。
「まさか君が生きていて、ゴッドイーターなんぞになっていたとはな」って、ナチ総統も驚いてたもんなあ。
こっちもまさか、あのキツイけど色々親切にしてくれた親方が、総統になってるなんて思ってもみなかった。
覚えててくれたんだって、ちょっと嬉しくなったよ。
あの時も大変だったなあ。オウガテイルの群が押し寄せてきたから、俺がトラックに資材山盛りにして囮になって、ここから引き離したんだっけ。
意外と逃げ切れちゃったもんだから、この資材どうしよってなって、よし着服し……有効利用しようってなって。夢の我が家を建てることができたんだなあ。懐かしい。
でも罪悪感もあったから、ここに戻るに戻れなくて、それっきりだったんだよな。
貴重な重機を初運転でオシャカにしちゃったからってのもあります。ハイ。
「んー」
どしたの、ユノちゃん。
「えへへ」
ああああんもおおおお!
かーわーいーいー! かーわーいーいー!
「リョウ君と父さんが知り合いだったなんて。なんだか不思議」
「ほんとですよ。あなた、ゴッドイーターになる前は何してたんですか?」
えっと、確か。
極東で両親がアラガミに喰われてから……えーっと、何だったかな。
外国にあるフェンリルの養護施設? に入れられるって、ヘリに乗せられて。
なんやかんやで海外であったドンパチに巻き込まれて。
ああ、そういえばそこで核の炉心が爆発した瞬間も見たな。チカッと光ってきれいだったなあ。次の瞬間に爆風で吹っ飛んでそれどころじゃなかったけど。
あの時、ソーマとかツバキさんが現場にいて戦ってたんだっけ。
あとリンドウさんも。
「え、嘘でしょ? それって、旧人類文明最後の反攻作戦のこと……? その場に居合わせたって、はあ!?」
アラガミが核爆発を捕食しなけりゃ死んでたなあ。
放射線も危なかっただろうし、いやそれだけはアラガミのおかげかも。
ハッハッハ。
「いや、ハッハッハじゃないでしょ!」
でもほら、こうやって生きてピンピンしてるし。
ラッキーラッキー。
「そういうことじゃ! ないでしょ! あぁぁもぉぉぉ!」
その後はユーラシア大陸が子供一人で暮らせるような場所じゃなくなっちゃったから、命からがら密航繰り返して極東に逆戻り。
生きる術を色んな人から教えてもらって、その日暮らしの始まりさ。
そしてゴッドイーターになったに至る、と。
「絶対途中すっとばしてるでしょ、それ! ここ建造する時にアラガミの大群相手に大立ち回りした子供がいたって、ナチ叔父さんから聞いてはいたけど……波乱万丈ってレベルじゃないでしょもう!」
「でもほらサツキ、リョウ君だから。しょうがないよ?」
「ああもう、なんだかそれで納得できる自分が憎い……」
「毎回気付いたら事件の中心にいたりして」
「毎回人助けとかしちゃったりしてたんでしょうね」
「リョウ君だからね」
「リョウタロウさんですからねえ」
えっ、何その生暖かい目。
待って、お願い待って。
絶対二人とも何か勘違いしてるって!
俺、巻き込まれただけだからね?
確かに事件とか事故とか、両手と足の指を足しても足りないくらいに遭遇してるけど、でも巻き込まれただけだからね?
はいはい、って何でそんなリアクションするし!?
待って絶対勘違いしてるってば。毎回ひーこら言いながら情けなく逃げてたんだって!
何そのヒーローみたいな奴!
あぁぁ……俺じゃんかぁ……。なんか成り行きでそうなってただけなのに……。
でもホント、中身こんなだからね?
だって、俺だよ?
リョウタロウだよ?
開けてびっくりがっかりの、リョウタロウクオリティだよ?
「よーっし! みんな、リンゴの木を植えよー!」
「はいはい、まあ、私もヒマですし、手伝ってあげますよっと」
ぐぬぬ……納得いかない。
盛大にスルーされたし……。
「ほんと、似合ってますよあなたには。血まみれよりも、土まみれのほうがらしいでしょ」
うん。
やっぱり、サツキさんはいい女だなあ。
極東にはいい女が多すぎて困るよ。
男なんてかたなしだし、俺なんてもう、まぶしくて自分が恥かしくなっちゃうくらいだ。
こんないい女の横に並べるくらいに、カッコイイ男になりたいなあ。
あーあ、まだまだだなあ、俺。
まだまだ、だよ、うん。
だって、こんな無駄なことしたって、意味なんてないんじゃないかって、気を抜くとすぐそう思っちゃうから。
“おじさん”……やっぱり、俺はまだまだみたいです。
まだ俺は、あなたの言う“ゴッドイーター”にはなれそうにない。
あなたが救った鼻たれの泣き虫が、今じゃゴッドイーターだ。何があるかわからんし、生きてみるもんだと言ったあなたの言葉は正しかった。本当に何があるかわからないものです。
ゴッドイーターなんて俺がやっていけるわけないと思っていたけど、どうにかこうにか、しがみついていますよ。
でもあなたみたいなゴッドイーターには、どうしてもなれそうにありません。
「ゴッドイーターは人の盾であり剣なんだからよ、誰かに顔向けできんような顔でいちゃあ駄目だ。どんなことがあっても、笑ってなきゃな」……なんて。
命の価値は平等だけど、命の重さは誰もが同じだなんて、俺はどうしても思えませんでした。
どうしようもないやつだっています。そんな助けたくもないやつを、命をかけて守らなきゃいけない。部下に守って死ねと命じなくてはいけない。
つらいです。どうしようもなく。
ただ戦っていればいいだけの時は、もう過ぎてしまった。
知らぬ振りを続けるのも限界です。知ってはいけないこと、知りたくもないことばかり目にしてしまった。
おじさん、今、とてもあなたに会いたいです。
アナグラを出て、今でも誰かのために働き続けるあなたに。
あなたはどうして、そんなに傷付いても、笑っていられたんですか。
人に石を投げられ、唾を吐きかけられても……どうして。
最初期のピストル型神機で、スサノオを退けたあなたの姿は、子供の眼には眩しすぎた。
だいじょうぶか、と笑って振り向いたあなたの姿が今でも忘れられない。
腕が……ゴッドイーターを続けられないくらいに傷を負ったというのに、その原因を作った馬鹿な子供に、笑いかけてくれたのはなぜなんですか。
怖くて、怖くて、俺はゴッドイーターになんかなれないと思ったけど。あなたのように、なんでもないさと笑える男になりたいと、思っていたのに。
あなたのような本物のゴッドイーターには、俺はなれない。
ああ……今日もまた、いやな天気だ。
曇っているのか、晴れているのか、よくわからない曖昧な天気。
俺みたいな――――――。
「リョウ君? どうしたの?」
――――――ごめんごめん、すぐ行くから。なんでもないよ。
「ちょっと、サボらないでくださいよ。あなたが言い出したんでしょ。あーもう、手がドロドロ……あなただけ軍手とかしちゃって、ずるいですよ」
――――――あわわ、ごめんなさい。どうぞ。
「これ、最初に気配りできるかどうかが、男の真価ですよねー」
「もうサツキったら……わぷ!」
――――――ユノにも軍手と、はい、これ。
「わ……麦わら帽子!」
「ん、よろしい。それでいいんですよ、それで」
――――――ちょっとはカッコイイって、思ってくれたり?
「何言ってるんだか……でもまあ、私が見た中じゃ、そこそこいい線いってるんじゃないですかね? こんな世界で、明日のために何かを残そうだなんて、普通考えられませんから」
――――――明日の、ために。
「リンゴですよ、リンゴの木。実が成るまで時間かかるってこと、知ってたでしょ。あなたはあの子たちがこれから先、リンゴの実が成るまで自分達だけで生きていけると信じてたから、そんなチョイスをしたんでしょ」
――――――そっか、そうなの、かな。
「呆れた、無意識ですか。悩んだ顔しちゃって、自分のことなのに自分が一番よくわかってないんですね。答えなんて考えなくったってね、あなたみたいな人は最初からもってるんですよ、そんなの。ここに聞けばいいでしょ、ここに」
言って、サツキさんは俺の胸をトンと指で突く。
胸の奥まで響く痛みは、サツキさんの細く長く伸びた爪のせいではない。
――――――答えは、あるのかな。
「さあ? いっちょ前に悩んだって無駄ですよ。どうせあなたはもう、解ってるはずですし。苛立つだけですからいつもみたいに能天気でいたらいいんですよ。あなたは」
「サツキは相変わらずけなしてるのか元気付けようとしてるのか、わかんないなあ」
「ムカついてるだけですよーだ」
「ね、リョウ君。嬉しいんだよ、サツキは。ほら、自分にあたってほしいって、この前……」
「そこ! こそこそ話ししない!」
「ふふ、サツキもよっぽどリョウ君のことが気に入ったんだね。こんなに誰かに肩入れするサツキ、初めて見たもの」
「ちょっと、私だけにやらせないでくださいよ! サボってないで、二人ともはやくこっちにきなさい!」
――――――もう、俺は、答えを……なんだろう、わかんないや。わかんなくなったな……。
考えてもしかたがないことなのかもしれない。
サツキさんが言うのなら、そうだと信じよう。
きっと……選択の時がこなければ、その瞬間がこなければ、わからないことだから。
とりあえず。
今日は、植林作業に勤しもう。
□ ■ □
その日は朝から曇天だった。
積乱雲というのは、海からくる暖かく湿った空気が、上昇気流によって堆積した末に起きる現象である。
ネモス・ディアナに限らず、極東地区はかつて関東とよばれた地域にある。北には山脈、南には海。多雨多湿であり、積乱雲が発生しやすい条件が整った地域でもあった。
ただ、空を覆う雲が全て赤い雨を降らすわけではない。
朱色の雨であるのだから、それを含む雲もまた、当然のように血の色をしている。
赤い雨を降らす、赤い雲――――――『赤乱雲』である。
空を見上げれば、天には雲。
積乱雲状に積みあがった分厚い雲ではあったが、色は白。
まばらに空は晴れ、青を覗かせていた。
「先輩、空、青いですし、雲も赤くないッスね。ここ数日このままですし、今日も大丈夫ッスかね」
――――――何があるかわからないから、油断しないように。装備点検。フォーマンセルで出撃用意。レインコートは各自準備。いいね。
「ウッス! 今日も部隊引率お願いしまッス先輩!」
先輩、と呼ばれ、リョウタロウは神機の保護ケースから手を離し振り向いた。
ゴッドイーターの先達を、階級に関係なく「先輩」と呼ぶのが極東の流儀である。
討伐スコアの差はあれど、ここでは命を掛けて戦ったその時間を評価されるのだ。
旧日本の文化、年功序列というものを引き摺っているらしいが、リョウタロウは良い名残りであると思っている。
ゴッドイーターの評価の全ては、その身を捧げた年月に尽きる。
浮き足だった新人に、視線で釘を刺す。
バンダナを着けた年若いゴッドイーターは、「わかってますって」と肩を竦めた。
「そいや先輩、今日はアレ、どうしたんスか? 先輩のトレードマーク」
――――――ああ、キグルミね。オーバーホールに出したんだ。データのフィードバックも必要だとかで、一度こっちに送ってくれって、リッカがさ。
「リッカさんッスか。そんで代わりに送られてきたのが、このデッカイ機械、と。いやあ、愛されてるッスねえ」
――――――本当にそう思うか……? 俺と替わってくれない? いや、マジで。
「い、いやあ、ははは……でも今までは先輩一人に任せきりだったんスから、俺達にも働かせてくださいよ。ね!」
茶化してはいるが、その様子には気が抜けたような態度は一切ない。
瞳はギラギラとして獣の輝きを灯しており、歴戦の戦士である貫禄を醸していた。
これが、極東のゴッドイーターである。
心強い味方であった。
ようやく極東支部のシフトが整い、ゴッドイーター達の派遣体勢が組まれたのであった。
リョウタロウと合流し、未だ一週間程しか経っていないものの、何年もバディを組んだかのようなチームワークをアラガミとの戦いにて発揮している。
他国よりも圧倒的に強い固体を相手取らねばならない極東のゴッドイーター達は、短時間で戦士として熟成されるのだ。
それが良いか悪いかは、必要であるという理由に駆られ誰も考えられぬまま。
「また今日もちまっこいの相手ッスかねえ。噂の感応種っていうの、俺まだ見たことないんスよ」
ここ連日、小型のアラガミの襲撃が立て続けに起きていた。
小型といえど、アラガミは脅威だ。それも、防護壁を狙った、これまでにない偏食傾向を持っていた。
見た目はただのザイゴート、オウガテイルにしか見えずとも、やはり地域によって個体差があるのだろう。
榊から伝え聞いていたシユウ感応種の姿は、ここに派遣されてはや数ヶ月、リョウタロウも未だ目にしてはいなかった。
拍子抜け、というのが正直な感想である。
そんな時がまた一番危ないのだということなど、この場にいる全てのゴッドイーターは承知していることだった。
油断はない。
だが、承知していたとしても、避けえぬ事態がある。
想定外の事態とは、想定外であるが故に起き得るのだから。
「観測機のチェック……クリア。赤乱雲の反応なしッス。目視にも赤は確認できませんッス。問題なしッスねえ」
――――――望遠レンズ! 映像確認! 雲の隙間に何かいるぞ!
「え……あ、アラガミ反応!」
リョウタロウの怒声に遅れ、アラガミの反応を知らせる警戒音が観測機から鳴り響く。
モニターに移されたのは、空を滑空する数匹のアラガミ。
シユウの飛行編隊だ。
「シユウが群を作るなんて……いや、これは、シユウじゃない!」
シユウの群、その先頭を滑るように飛んでいるアラガミは、既存データに無いオラクル反応を示していると観測機が吐き出す。
そのアラガミは、妖艶な女の姿をしていた。
口元にはたおやかな笑みを携えて、翠色の羽毛に覆われた両羽に風を孕ませ、矢のように堕ちて来る。
「新種……新種だ!」
人面鳥身の、『新種』、である。
「先輩ッ!!」
リョウタロウは新種の姿を目視するや否や、アラガミ防壁の壁面の突起を足がかりに、壁を垂直に駆け上がった。
先手必勝の理である。防壁の縁に立ち、跳躍。身を空へと踊らせる。
新種へと振るわれる刃。
防護ケースを払われ、牙を剥いた神機が唸り声を上げる。
――――――神機が……! 感応種かァッ!
不自然な格好で、糸が切れた人形のように墜落したのは、しかしリョウタロウだった。
壁を蹴り勢いを削ぐも、廃材を薙ぎ倒しながら土に身体を打ち付けた。
あれは、ただの新種ではない。
赤い雨を浴び、凶暴化し、最も危険な進化を遂げた新種……『感応種』だ。
そして、それは“シユウ変異種”として報告されていた感応種でもなかった。
リョウタロウ達が認識していたシユウ感応種は、通常のシユウの背中に、触手状の器官が生えたものである。
接触距離にまで到達すると、口器から周囲のオラクル細胞に何らかの影響を及ぼす偏食場もしくは感応波を発生させる、と報告があがっていた。
対処法方としては、認識外からの遠距離射撃、あるいは感応波を発生させる前に近接攻撃にて叩く。この二通りである。
感応種は周囲のアラガミを統率し、凶暴化させる能力を有していた。
神機もまた、オラクル細胞の塊……人造のアラガミである。
リョウタロウの神機は、感応種の能力により制御不能に陥ったのだ。
だが、それはこれまでの報告にはありえないほどの距離、そして強度である。
リョウタロウほどの適合率を持つゴッドイーターが、一瞬の抵抗も出来ずただ墜とされるなどと。
ソーマとアリサがネモス・ディアナで交戦したシユウ変異種には、近接距離での能力圏しか確認されていないはずだというのに。
新種の美しい唇から、人間の耳には聞こえぬ音の波が迸る。
「そんな……嘘だろ!? この距離で神機が!?」
「こんなの報告にない!」
「まさか……進化したっていうの!? こんな短期間に!?」
考えられることはただ一つ。
シユウ変異種が進化した……すなわち、“感応種として完成した”のだ。
影響強度、範囲……全てがシユウ変異種とは桁違いだ。
それは後に、蠱惑の妖婦――――――『イェン・ツィー』と名付けられるアラガミである。
感応種の能力圏内に捕らわれた旧型、新型おりまぜたゴッドイーター達の部隊は、狙い撃ちにせんとして構えていた銃口を地面に擦りつけ、歯噛みするのみ。
神機は重さにして20キログラム程度である。ゴッドイーターの腕力であるならば、枯れ枝のように振り回すことが出来るはずだ。
だが、重い。
神機が、まるで地面に縫い付けられたように、鉛のように、重く感じる。
これは神機とゴッドイーターとが、その制御に神経接続が行われていることに起因する。
神機の変型やオラクル制御を、ゴッドイーターは自らの神経を通し、脳からの命令によって行っている。
ここに神機のオラクル細胞を直接操作されたのだとしたら、神経系を丸ごと遮断されたに等しいこととなる。
筋力でどうこうとなる問題ではないのだ。
唖然とするゴッドイーター達の頭上を、シユウの編隊が素通りしていく。
何の抵抗も許されず、侵入された――――――。
――――――小型種が来るぞ! 迎撃態勢!
瞬間、防壁が地鳴りを上げて揺らぐ。
オウガテイルの群が……否、こちらも新種だ。
翠色のオウガテイル達が、防壁に喰らい付いていた。
感応種の能力圏内から脱したのか、神機が回復する。
しかしそれは同時に、感応種がネモス・ディアナの中心区へと進撃したことを示している。
――――――近接部隊はオウガテイル種の迎撃! 銃撃部隊は俺について影響範囲外から狙撃、をォッ……!
言いかけ、リョウタロウは身を翻した。
全身を捻り切る程の必死さに、部隊員達は一瞬、目を白黒とさせる。
――――――総員退避! 退避ーーーーッ!
しかしすぐにその理由を“身に染みて”理解した。
「冷たっ……え、何これ」
「雨……赤い……!?」
「え、嘘……嘘でしょお!? 嫌ァ!」
「赤い雨だ……赤い雨が降ってきたぞ!」
ぽつぽつと、地面に跳ね返る雨音。
雨だ――――――赤い、雨が降ってくる。
馬鹿な。リョウタロウは天を睨んだ。
今も空は青が覗いている。
雲は白い……否。風に流された雲の“中”から、赤い雲が顔を覗かせていた。
積乱雲の中核に、赤い雲が内蔵されていたのだ。
罠だ。これは、自然が仕掛けた罠である。
雲が風に流され、横に長く削られて状態が不安定となり、雨粒だけが乗って飛んでくるという現象……天気雨だ。
地球が今、リョウタロウ達に牙を剥いたのである。
――――――全員雨天装備着用ォ! チィィッ……!
一気に雨音が強くなっていく。
逃げ惑うゴッドイーター達が、一人、また一人と足を止めた。
雨に全身が濡れていた。己の命運が尽きたことを、悟ったからだった。
リョウタロウは家屋の軒先へと飛び込んだ。だが、墜ち来る雨粒の方が早い。
この一滴が、致死性の毒である。
赤い雨が、リョウタロウの命を奪わんと死神の鎌の如く襲い掛かる。
「うおおおッ! セーフ!」
しかし、雨が頬を濡らすよりも早く、影がリョウタロウを庇うように覆っていた。
それは出撃前にリョウタロウと談話をしていた、年若いバンダナを巻いたゴッドイーターだった。
流血したように、顔面を赤い雨で真っ赤に濡らした――――――。
「すんません、俺達もう、手遅れみたいッス。神機はギリギリ動くんで、ここは俺達にまかせて、先に行ってください」
――――――お前達……!
「大丈夫ですって! そんなすぐには死にませんから! 雨で死んじゃうけど……でも、どうせ死ぬなら俺、ゴッドイーターとして、俺! くそっ、足が、震え、くそっ、震えるなよ、くそっ!」
――――――すぐに戻って検査を……!
「うるせえんスよ! ここは俺達の死線だ! あんたじゃない! あんたもゴッドイーターなら、行けよ! 行くんだよ! 行けええええッ!」
――――――すまん!
「いいんスよ、それで……みんな、走ってく先輩の後姿に、憧れてたんスから――――――」
リョウタロウはバックパックから赤い雨対策が施されたレインコートを着用すると、移送用のカーゴトラックへと走る。
背後に聞こえる戦闘音に耐えながら。
空を旋回する新種達へと、リョウタロウはトラックのハンドルを切った。
新種達が地上に降りようとしないのは、獲物を見定めているからだ。
ハンドルを叩く。天を睨むリョウタロウの奥歯が、ギリリと鳴った。
――――――二手に別れた……!
シユウの編隊が、二手に別れ飛んでいく。
感応種一体と、通常のシユウの群それぞれに。
シユウ通常種は居住区へ。
各々が偏食傾向を持つのがアラガミであるが、しかし共通するところが、人間を喰うという点である。
アラガミの食性からして、人の多くいる場所へと集まることは当然のことだ。
そして、郊外に向けて降下していく感応種。
これは偏食傾向に沿った行動であると考えられる。
郊外……リョウタロウの、借り宿があった場所だ。
すなわち――――――。
――――――どうしたらいい……どうしたらいいんだ……!
苦悩に歪むリョウタロウの顔。
リョウタロウは理解していた。
選択の時がきたのだと。
――――――俺は……俺は……!
刹那の間……リョウタロウの脳裏に多くの場面が流れて消えた。
絆を結んだ仲間達。
死にゆく同胞。
戦ってきたアラガミ。
倒した敵。
ありがとうと言ってくれた人。
罵声を吐く誰か。
守るべき者。
守りたくもない奴。
見詰めてきたたくさんの終わり。
そして――――――自分の始まり。
“一番最初”のゴッドイーターがくれた言葉。
『俺がどうしてゴッドイーターになったかって? そりゃあ、お前――――――』
アクセルを強く踏み込む。
速度メーターは既に限界まで吹っ切れている。エンジンは熱く金切り声を上げていた。
リョウタロウの眼が、決意に染まる。
トラックは全速力で、“シユウの群れへと”突っ込んでいった。
□ ■ □
「よう、坊主。お前、また泣いてたのか? は……よせやい。こんなもん、傷の内にもはいんねえや」
――――――でも、おじさん、腕が。
「いいんだよこんなもん……大したことねえ。大したことねえのさ」
――――――おじさんのともだちが、みんな、たべられて。
「そうだな、死んじまったな。みんないいやつだったよ」
――――――ぼくが、ぼくのせいで、みんな。
「お前のせいじゃないさ。死にかけの赤ん坊たちのためにミルクを運んで、アラガミの群生地に足を踏み入れたガキを、誰が責められる? お前は立派さ。他の誰にも出来ないことをやったんだ」
――――――ぼくのせいで、ぼくの……。
「なあ、坊主よう。聞いてくれないか」
――――――おじさん……。
「俺はさあ、ゴッドイーターになったんだ。自分から志願してよう。そしたらなんでえ、軍からゴッドイーターに志願したのは、俺が最初ときたもんだ。
鼻で笑ったさ。どいつもこいつも、意気地のない奴らばっかだってな。
でもよ、違ったんだ。意気地のない奴は俺だったんだ。
ぶるっちまうんだよ。アラガミを前にすると、足が震えるんだ。こんなちゃちな玩具一丁で、あんな馬鹿でかい奴を相手にしなきゃなんねえんだ。
人間なんて、ちっぽけなものさ。どうにもならん化け物の前にゃ、喰われてお終いだ。それを強く感じたよ。
でもよ、一番怖いのは、アラガミじゃなかったんだ」
――――――アラガミよりも怖いものが、あるの?
「それは……人間さ。俺が一番怖かったのは、人だった。言うんだよ、みんなが俺を指さしてさ。
『お前がもっと早くきていれば』、『役立たず』、『どうしてお前が生きて娘が死ぬんだ』、『家族を返せ』、『消えてしまえ』……。
失敗を重ねる度に、守ってきたはずの人々の言葉が、重くのしかかる」
――――――じゃあ、どうしておじさんは戦うの? そんなにこわいのに、ひどいことを言われても、どうして。
「さあなあ、何でだろうなあ。俺にもよくわからん。後悔もしたし、辞めたいなんて思うのもしょっちゅうだ。
でもよ、なんつうか、最近少しわかってきたんだ。いや……思い出したんだよ。俺が軍隊に入った理由をさ。だから俺は、ゴッドイーターなんて得体の知れないものに手を上げてよ」
――――――おじさんは、どうしてゴッドイーターになったの?
「話の腰を折るなよお前……俺がどうしてゴッドイーターになったかって? そりゃあ、お前――――――」
――――――おじさん?
「……なあ、お前さ、明日世界が終わっちまうんだとしたら、どうする?」
――――――あした、世界が終わるとしたら?
「明日全部消えてなくなっちまうんだから、何をしたって無駄だと思うか? 刹那的に快楽に耽るべきか? どう思う?」
――――――わかんないよ、そんなの……。
「そうかい。ま、そうだよなあ……」
――――――でも、もし明日、ぜんぶなくなっちゃうんだってなっても、ぼくはたぶん、今日と同じ日を続けるとおもう。
「おい坊主、お前やめとけよ。こぼれた粉ミルクなんぞ、砂が混じっちまって使いものにならねえ。すくっても無駄だぞ」
――――――意味なんてなくても、つづけるんだ。つづけるんだ……。
「坊主……お前」
――――――でも、どうしてこんなにつらいんだろう。昨日と同じ今日のはずなのに。つらいんだ、いつも。生きるのが、つらい。
「そうかい……そうだな……そうなんだよ……ああ、ああ……そうだよな」
――――――おじさん、どうして笑っているの?
「俺ってえ奴がくっだらねえからさ。つまらん男だよ、俺は。
世の中もアラガミであふれ返ってるし、人の心まで荒んでるときた。
あーあ、いっそ世界なんてよう、一度きれいまっさらになっちまったらいいんじゃねえかとも思っちまう。
たぶん皆、そう思ってるんだろうぜ。だからどいつもこいつも言うんだ、無駄なことなんて辞めちまえって、さ」
――――――……。
「でもよ、こうも思うんだ。人は無駄な努力を続けてるんだろう。そんな無駄なことをしたって意味がない、そう考えてもるんだろう。
でもみんな、出来ることなら、今日と同じクソくだらない日を過ごしたい……ってさ。
過ごさせてやりたかったよ。生きるはずだった今日を。つまんねえ毎日を。俺は失敗した……失敗を重ねすぎた……」
――――――おじさん……。
「悲しいことに、今の時代、一人でそれを守ることはできんらしい。協力しあうことだって、人は忘れちまったようだ。
だから誰かが立ち上がらなきゃならん。
どんな悲劇にも、理不尽にも、大したことはないさと笑えるような奴がな。
そうすりゃそいつの後をついて、また誰かが立ち上がってくれるかもしれん。
続いていくんだ。きっと。なんでもない日々がただ過ぎ去っていくように。
俺はそう信じることにした。それが俺の理由だ。
いつか花が咲き、実を結ぶことを信じることにしたんだ。
希望の木を植えること。俺が、ゴッドイーターに志願した理由だ。そんな、くっだらないガキの理想じみた理由なんだ。無駄なあがきってやつさ」
――――――価値のない日々を、守るため……。
「守るべき者、守りたくもない奴……取捨選択の時は、何時だってそこにあり続ける。
今日を続けていくには、人の力が必要だ。それは残酷に、数字として目の前に迫ってくる。
明日をくれてやれなかったやつもいるさ……。
ゴッドイーターは、“みんな”を守らなきゃいけないんだ。
老いも若いも、関係ない。例えそれが子供であったとしても……俺は切り捨ててきた。全部を救うことはできない。できないのさ……」
――――――ぼくが生きてるのは、うんがよかったから?
「そうだ。悪いが、ここに嘘は吐けん。他に守らにゃならん奴がいなかったから、お前だけだったから、お前は助けられたんだ。
ゴッドイーターだけが命の天秤に乗ることはない。そんな命の価値を計る天秤から降りた奴等が、ゴッドイーターっていう馬鹿野郎なんだ」
――――――ぼくは、これからどうやって生きたら……。
「いいか、坊主、よく聞け。お前は偶然、運良く命を拾った。だからよく考えるんだ。考えて生きろ。その命の使い道を考えるんだ。
より多くの命を生かすために使え。明日のために……“まだ見ぬ名前も知らない誰かが”明日を迎られるために、選択し続けろ。
それを続ければ、その痛みは、お前の心を切り刻むだろう。
だが笑え!
なんでもないさと言うように、笑え!
嘘でもいい。それが仮面だっていいさ。お前をみて、誰もが勘違いするくらいに……笑うんだ!
そいつが希望になる! お前の笑い顔を見た奴等が、お前がいるから大丈夫だと、そう思うようになる!
そして、いずれはお前自身の希望にもなる。そう信じ続けるんだ!
諦めるな! 負けるな! たとえ胸の傷が痛んだとしても! 逃げるんじゃない! そいつから逃げてしまえば、お前は一生、負け続けることになる」
――――――にげ、ない。
「そうだ! 逃げるな! 信じることから……逃げるな!」
――――――信じることから、逃げるな……!
「それでいい。生きなきゃいけないのが正しさだろう。正しいことは、つらいことだ。“正しいことは、いつだって間違ってる”。だが、逃げるな。どんな選択をしたとしても、正しさに負けるんじゃない」
――――――ぼくも、ゴッドイーターになれますか? おじさんみたいな。
「やめろ。せっかく拾った命を、捨てにいくんじゃねえ。それこそ、俺達がやったことが無駄になっちまう。ゴッドイーターになんかなるんじゃねえぞ。
だが……ゴッドイーターになんかならなくても、ゴッドイーターのように生きることはできる。お前はそうやって生きろ。いいな。
それは心を切り裂くような生き方だ……だが笑え、大丈夫さと言って、笑うんだ!」
――――――“みんな”が、ぼくをみて笑ってくれるように?
「そうだ。後でお前に、俺の好きな言葉を教えてやる。俺はそれを支えに生きてきたし、お前もそうなると信じている。そう、信じるんだ。
心配するな、たったの一言さ。たったの一言でも人生は変わる。せっかく拾った命だ、生きてみるもんだ……」
――――――おじさんは、英雄っていう、人ですか?
「やめてくれ。俺はただの……ただのよう」
――――――おじさんの名前、きいてもいいですか?
「『百田ゲン』――――――ただの、ゴッドイーターさ」
文量が多くなってしまったので分割します
後半は後日に!
主人公は若手のエースオブエース。最も新しい神話。
これは間違いないと思います。
しかし、真の英雄とは脚光を浴びず、ただ人々の暮らしを支えた者にこそ相応しい呼び名ではないかと思います。
正規軍から神機使いの適合候補者に初めて立候補したという、百田ゲンさん。
彼こそが……!
あれ、ていうか最初期の神機ってピストル型じゃ……えっ、ゲンさんヴァジュラしとめ……いや、当時は今のよりも基礎能力下だっていっても……えぇー
この人もたいがい人外レベルだと思います。