黒龍ノ唄 作:黒龍伝説
――――目を覚ますと、その身は黒い鱗に覆われた怪物へと変貌していた
*
古来より、その地は龍の治める土地とされていた。
魔法を通さない黒ずんだ分厚く堅牢な鱗に覆われ、吐き出す吐息は壮烈な業火となって辺り一帯を焼き尽す。
天を衝かんばかりの巨体に、捻じれた一対の角。黄金の瞳は宝玉の如し輝きと、濃密な毒素を孕んだ激烈な紫の虹彩を持つ。
人間も、エルフも、魔族も届きえない生物の
それこそが、黒龍である。
*
「――――え、吾輩ってそんな扱いであるか?」
目をぱちくりと丸く広げてキョトンとした表情を浮かべた褐色肌の青年に対して、ヒンメルは改めて噂が当てにならない事を改めて理解する。
北の地にあるとある山地。豊かな動植物の生息地である一方で、魔族も人間も足を踏み入れることが出来ない場所。
その理由が、今まさに岩山に腰掛けてヒンメルと並びあって談笑する青年だった。
「人の姿は長いのかい?」
「うむ。吾輩としては窮屈であるが、しかし人の身である方が事が簡単に進む場合も多いであるからな。魔力さえ押さえれば、森の動物たちも大人しいものよ」
そう言って、青年はからりと笑う。
褐色の肌に、腰まで伸びた毛量のある黒い髪。白い腰帯に裾の解れた紺のズボンに素足。上半身には襤褸布を外套の様に羽織っただけの軽装。
一見浮浪者のようだが、その正体は人間ではない。
「まさか、伝説の黒龍が人化できるとは思いませんよね」
酒瓶片手の生臭坊主であるハイターの言葉に、エルフのフリーレン、そしてドワーフのアイゼンが頷いた。
生きた伝説、黒龍。
神にも手を掛ける怪物にして、生物ピラミッドの頂点。北の地でありながら、魔王や魔族の侵攻を受けていないのは偏にこの龍が森を含めた周囲一帯の山々を縄張りとしている為。
勇者一行であるヒンメルたちがこの場所を訪れたのは、森の近くにある領地にて領主に頼まれたから。
曰く、龍の庭と称される森と山は資源の宝庫であるから
ここ数年は龍が飛んだ、という報告も無く伝説も形骸化しているのではないか、という事で調査に送り込まれた四人を出迎えたのが、この青年の姿を取った黒龍だった。
因みに、正体を一度ハッキリと見せている。その時点で、生物としての格とも言うべき明確な差を見せつけられる事にもなっていたり。
「それにても、この森を訪れる人間は随分と久方ぶりであるからな。実に楽しい閑談である」
「昔にも、人がこの森を訪れたことが?」
「うむうむ、昔の話であるな。中々の魔法使いであったぞ」
「その人間って……フランメって名乗ってなかった?」
「おお!流石はエルフといった所か!そう、フランメ!あの娘は、何度かここを訪れていてな。ふっふっふ、吾輩をよく魔法の的にしていたものである」
アレは中々だった、と笑う青年だが笑い事ではない。
大魔法使いのフランメ。彼女の存在は、千年は昔ともされる魔法史上の存在であり、その実在性すら疑われる始末。
しかし、今目の前でこの青年は会った事があると口にした。それどころか、魔法を何発も受けたとも。
眼鏡の位置を直しながら、ハイターはため息を零した。
「いやはや、伝説の存在とは言ったもの。これでは飲まずにはやっていられませんね」
「お前はいつも飲んでるだろ……しかし、大魔法使いのフランメか。まさか実在を断言されるとは、な」
もう酒瓶から直飲みするハイターを尻目に、アイゼンは改めて自分たちの頭目と並ぶ青年へと目を向けた。
手が震える。もし仮に敵対すれば、この旅路でも出会った龍とは比べ物にならない存在が聳え立つ事になるだろう。
幸いなのは、当人、いや当龍に人類に対する敵対心などが見受けられない事か。
(ヒンメルとフリーレンの二人がかりでも、恐らく無理か。そもそも、生物が挑める領域に無い)
震える手を握り、アイゼンはただ黙っていた。
対人能力はヒンメルが頭一つ抜けているが、酒が絡めばハイターも高い。一方で、アイゼンとフリーレンはどちらかといえば愛想が無い方。下手な会話は、相手の神経を逆なでしかねない、という自制からの行動だった。
「君は、人里に降りようとは思わないのかい?」
「思わんよ」
ヒンメルの問いに、短く、しかしハッキリと青年は答えた。
「吾輩は、それはもう長く生きている。生きて、生きて、生き続けて、いつ死ぬのかも分からない。そして生物の理合いの外に在る。ならば、下手に吾輩が干渉する必要も無いだろう?」
青年は、いや黒龍はそんな存在だった。
伝承やら何やら語られてはいても、結局のところ龍はただそこに居ただけ。挑みかかってくるような馬鹿を振り払ったりはすれども、言ってしまえば自然現象に近い存在だった。
「吾輩は、吾輩が終わるまで、ただそこに在る。それだけの存在なのである」
龍はただ、その地に在り続ける。
それから凡そ、数十年後。一人の勇者は眠りに就き、その弔辞としてか、空を蒼炎が舐めるのだった。