黒龍ノ唄 作:黒龍伝説
――――ずっとずっと昔から、黒龍は変わらずそこに居た
*
今より遠い遠い昔。歴史書に乗る千年は遠い昔の話。
『珍しい事も、あるものだ。我の縄張りに踏み込む人間が居るとは』
「……」
その森の最奥に存在する山には、黒龍が住んでいる。如何なる者よりも強大で、神にすらもその力が及ぶとされるほどの古の存在。
魔法使いがその地を訪れたのは、偶然だった。旅の最中に、偶々噂を聞き足を踏み入れただけ。
人類、そして魔族の手も入る事のない森は、原初の姿を保っている。それこそ、珍しい薬草や花々が自生し、獣たちが森の木々に紛れて侵入者を遠巻きにしていた。
そして辿り着いた頂上がまるで切り取られたかのように平面になった岩山の天辺に龍は居た。
黒龍。その名の通り、黒曜石の様に黒くそして堅牢堅固な鱗に覆われた天衝く巨体。金の瞳孔と紫の虹彩を持つ宝玉のような瞳。捻じれた二本一対の角。
抗うことは愚か、そもそも戦闘行為が成立しない。そう理解させられる存在。
「……言葉が、喋れるんだ」
『勘違いをしているようだが、我は貴様らの言葉など知らぬ。貴様の魔力に干渉し、我の意思を直接伝えているだけだ』
「平気で出鱈目な事をしてくるな」
『それで?我に何か用があるのか?そうでないのなら、疾く失せよ。人間は、焼くと臭い』
(話を聞く余地もあり、且つ理知的。魔族より、よっぽど言葉が通じる)
黒龍を見据え、フランメは首を振る。
人間の心配など、杞憂に過ぎないのだろう。この黒龍は、気紛れの一つで世界を終わらせることが出来る。しかし、そこらの人間や魔族と比べれば遥かに理性的で、尚且つ理知的だ。
「私がこの森に、もっと言えばここに来たのは近くの村で話を聞いたからさ。恐ろしい龍が近々村を襲うんじゃないか、ってね」
『ふむ、そうか……生憎だが、我はその期待にはそぐえんぞ。人間など襲った所で何の意味もない』
「魔族みたいに人を食わないのか?」
『魔族……?…………ああ、人の言葉を話す魔物か。そも、我は寝食を必要としない』
黒龍は、生物として
生殖を必要とせず、であれば
寝食を必要とせず、であれば他生物を害する必要が無い。
つまり、あらゆる生物に必須とされる事柄全てが、黒龍にとっては娯楽の域を出ないのだ。
そして何より、黒龍は強い。世界中を見てもまず間違いなく最高峰。害する事が可能な存在は、まず居ない。
フランメは、理解した。そもそも目の前の黒龍は、生き物というよりも自然現象などに近いのだろう、と。
同時に、
「ここは、良い眺めだ」
『何も変わらん』
「それはお前のお陰さ。この一帯は、黒龍が住む、何て言われて誰も手を出せない。だからこそ、森があり、川があり、動植物が確りと根付いている」
『…………』
フランメの言葉を受けて、黒龍は改めて眼下に広がる森を見下ろした。
何も変わらない光景だ。天候の変化はあれども、それもまた自然の摂理。黒龍が食物連鎖に無理矢理介入したりすることは無い。
『人の考える事は分からぬな。自然を貴ぶかと思えば、いたずらに壊しもする』
「その矛盾を抱えて生きるのも、人間さ。生きて、生き抜いて、その果てに残るものが何も無かったとしても、それでも生きるのが人間なんだ」
『…………ふんっ。たかだか百年足らずで何が出来るというのか』
そう言うと、黒龍は持ち上げていた頭を下して体を丸くし目を閉じた。
如何なる外敵も存在しない強者故に、どんな状況でも黒龍は眠りに就く。寝食が必要ないとはいえ、眠れない訳では無く。寧ろ睡眠は、時間を潰すのに最も優れた方法の一つと言える。
眠り始めた黒龍を一瞥し、暫く森を見下ろしていたフランメは、日が傾くまでその場に座り込み、やがて森を抜けていった。
この日からだ、魔法使いフランメが黒龍の下を訪れるようになったのは。
「ねえ、私の魔法の実験をさせてよ」
『森に手を出さぬのなら、良かろう』
ある時は魔法をぶっ放し。
「ねえ、今市井ではやってる服なんだけど、どうだい?」
『人間の容姿など、我には分からん』
「そこは分からないなりに、似合ってる、という所だよ」
ある時は談笑し。
「我、とか貴様って言うと堅苦しいから少し変えてみると良いさ。“吾輩”なんてどう?口調も砕ければ、それだけ親近感がわくさ」
『何故貴様にそんな事を言われねばならん』
「未来の話さ。この森にだって永遠に誰も来ない訳じゃないだろう?」
『不要だ』
ある時は、
そんな日々が一年ほど続いただろうか。
「実は、この土地を離れようと思っているんだ」
『そうか』
不意にフランメが切り出し、黒龍はアッサリと頷いた。
感動的な別れなど、そこには無い。
「随分と淡白じゃないか。一年も付き合いがある私が去るんだぞ?二度と訪れないかもしれない」
『人の一生など、我にしてみれば瞬きの様なものよ。一年だろうと百年だろうと一瞬きと何ら変わらぬ』
「……そうか」
少し凪いだ目をして、フランメは黒龍を見上げた。
この一年で分かった事といえば、この目の前の存在が人知如きでは計り知れないという事位か。
「これで最後かもしれないからね。折角だ、何か魔法を見せてくれない?」
『魔法?……ふむ』
少し考えこむ仕草を見せて、不意に黒龍の動きが止まる。
そこから、まるでガラスの割れるような音と共に龍の巨体が砕け散り、その後に現れたのは毛量の多い黒髪の褐色肌の青年。
全裸である。
「どうだ?人化を試して……何故、目を逸らす?」
「逸らすに決まってるだろ……!私にだって羞恥心の一つや二つある……!!」
「?まあ良いか」
腕を組んだ黒龍の体に、
しかし、魔法は魔法。咳ばらいを挟んで、フランメは気を取り直した。
「ま、まあ、良いだろう……じゃあ、な」
後ろ手にひらりと手を振って、フランメは踵を返して去っていく。
黒龍にとって人間の一生など、先の通り瞬きのような時間でしかない。
それでも確かに、異種族である彼らの交流は存在していた。この事実だけは消える事のない真実だ。
それから数十年後、黒龍の縄張りの一角には広大な花畑が広がっているらしい。
季節を問わず様々な花が咲き誇るその場所は、しかし何人たりとも足を踏み入れる事を許さない禁断の地。
もしも荒らすというのなら、それは龍の逆鱗を蹴り飛ばすが如し、蛮行。
花々は手折られる事無く咲き誇っていた。