コハルちゃんとは、えっち本を共有する仲なんです!   作:ペンギン3

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量子不確定存在

 

「花風、ナゴリ……」

 

『残り香みたいな名前でしょ? 俺、結構気に入ってるんだ』

 

 楽しげな声の主に、セイアは胡乱なものを覚えずにはいられなかった。

 

「さも思い付きみたいな名乗りだったが、本名なのかい?」

 

『んにゃ、ペンネーム。匂いみたいに、誰かの記憶に残る作品を書けますようにって願掛け込めた』

 

「……本名は?」

 

『顔出し不可なら、匿名使うのが逆にリテラシーまであるよ。インターネット不自由か?』

 

 何だこいつは、とセイアは強く思ってしまった。

 咄嗟に、グーでパンチしたくなったのだ。

 

 尤も、扉を開けると不味いという直感のせいで、そうもできないのだが。

 

『ま、それはいいさ。それより、俺は名乗ったんだから、今度はそっちが挨拶して欲しいところなんだけどな』

 

「そっちは偽名なのだろう?」

 

『でも、呼び名があるのと無いのじゃ、ある方が便利だろ? 名乗らないっていうなら、仮称としてダウナーロリ声萌え妹って呼ぶけど良いか?』

 

「良い理由がないっ、私は姉なんだ!!」

 

『怒るところそこなのか……』

 

 困惑したような扉向こうの声に、セイアは何故自分が困惑されなければならないんだ、とあまりの不条理さに憤りを覚えてしまった。

 

 が、それはそれとして、向こうの言い分にも一理あることも認めた。ダウナーロリ声萌え妹という蔑称に対してではない、呼び名がないと不便だということに対して。

 

「……百合園セイアだ」

 

 だから、著しく不服そうにしながらも、セイアは渋々自分の名前を名乗った。彼女たちの妹がいれば、即座に"横乳貧乳お姉ちゃんだよ!"とカスの合いの手を入れてセイアのボルテージをブチ上げただろうが、ここにメブキはいなかった。

 

『無茶苦茶本名っぽいじゃん、やっぱりインターネット苦手か?』

 

「ここはネットじゃなくて現実だっ」

 

『顔見せない奴に本名伝えるのは良くないよ』

 

「キミがっ、呼び名がっ、必要だとっ、言っていたんだろう!!」

 

 ハアハアと肩で息をしながら、耐えきれずにセイアは憤怒した。初対面でここまでコケにされたのは、イマジナリーお姉ちゃん棒以来である。

 

 ……結構最近の出来事だった。

 

『取り敢えずは、百合園さんとでも呼ぶか』

 

 ただ、そのふざけた言動の中から繰り出されたのは、想像の100倍くらい常識的な呼び方だった。てっきり、愚妹の如く意味の分からない類の呼び名を、雨後の筍の様に濫造されると思っていたから。

 

「……セイアでいい、キミのことはナゴリと呼ぶことにするよ」

 

『えっ、いきなり下の名呼びとかレベル高っ。……びっちか?』

 

「一体何なんだっ、キミは!!!」

 

 少しは心を開こうか、と歩み寄ったセイアに浴びせかけられたのは、拗らせオタク特有の論理であった。セイアはグーで殴っていい、こいつを。

 

『何者かと問われれば、うーん……ここでは、美少女力学同好会部長となら名乗れるかな』

 

 だが、怒りはその回答によって、横乳から脇に寄せられることになった。扉向こうの人物が、何故ここにいるのか理解できたが故に。

 

 あと、美少女力学同好会なるふざけた名前は、このちゃらんぽらんさから生まれたのだね、と妙に納得してしまったから。

 

「道理で、リオが部長代行などと名乗っていた訳だ。キミは入院でもして、休学していたのかい?」

 

 姿の見えない部長の代わりに、リオは精一杯の努力をしてならないことをしていたのだ。そのことが理解できて、セイアはそのいじらしさに胸が温かくなった。

 

 ……そして、胸に来たのは、セイア一人ではなかったらしい。

 

『えっ、あの二言目には"意味が分からないわ"、が口癖じゃないかって思うくらいに連呼していたリオが、部長代行として部活を守ってくれてたの!? ……どうしよ、普通に嬉しいんだが?』

 

 扉の向こうから、やや喜色が滲んでる声音が漏れ出てくる。予期せぬ嬉しい出来事に、思わず浮かれている様であった。

 

「事情を知らなかったのかい?」

 

『そうだよ、こっちも複雑骨折してる事情が入り組んでいてね、新入部員くん』

 

「こんな部活、絶対に入るわけがないんだっ」

 

『……ん?』

 

 セイアの言を聞いて、それまで余計なことまでペラペラ饒舌だったナゴリの舌が回らなくなった。

 

 何かを考える様にして、僅かな沈黙が訪れる。

 そして、扉向こうから聞こえてきた、次の言葉は……。

 

『新入部員ならぬ、侵入部員──不法侵入者ってことか?』

 

「なっ!?」

 

 冤罪だ! と告げようとして、セイアはふと今の状況を俯瞰して考えてみた。

 

 ナゴリはこの部活動の部長で、ここにいることに何ら問題は抱えていない。

 

 強いてあげるなら、部長であることが本当かどうか確認できない点だが、こんな部活動を運営するのはこういう人格のやつ、という解像度が高すぎる。なので、信じられてしまう。

 

 一方でセイアは、こんな部活動とは全く関わり合いのない日常を送っている。こんな場所、普段なら知っていたとしても来る理由すらないのだ。

 

 であるのに、ここにいるのは……。

 

「り、リオの知り合いで、協力者なんだ!」

 

 状況証拠的に、疑われても仕方ない。

 そう思って、慌ててセイアは言い訳を始めた。

 

 こんな怪しい部活の部室に侵入する様な、そんな端ない人間だと思われたくなくて。

 

『協力者……エロゲー作成のか?』

 

「何の話をしているんだ!?」

 

 なのに、セイアの言い訳に対しての返答は、更に複雑怪奇なものであった。

 

 エロゲー、何故そんな単語が?

 ここは、美少女と量子力学を掛け合わせた、謎めいた実験を行っている部活動じゃないのか?

 

 セイアの脳裏に、様々な困惑が駆け抜けていく。

 その中で、ひっそりと何かが繋がりそうになっていた。

 

 ──そういえば、メブキがエロゲーのイベントがどうこうなどとほざいていたな、と。

 

『何って、美少女力学同好会の話だよ。正式名称、"美少女ゲーム開発における量子力学的観点からの実在性を究明する同好会"についてのことだよ』

 

「何なんだそれは!?」

 

 本当に何なのだ、その無駄に長ったらしい上に創部させることが間違いなふざけている部活動は。

 

 セイアは心の底からそう思ったが、扉向こうの人物は微塵も恥じらいを覚えていないらしい。平然としながら、その単語を口にした。

 

『何って、エロゲーを作る部活動だが?』

 

「廃部にするんだっ」

 

『嬉しいことに、リオが存続させてくれてた』

 

 その言葉を聞き、事ここに至ってセイアはリオが分からなくなりそうだった。天然の空気感は感じていたが、公序良俗に反することを許容する様なタイプには見えなかったから。

 

「……リオの弱みでも握っているのかい?」

 

『……あったね、そんなことも』

 

 その言葉で、セイアはようやく感情の整理がつけることができた。

 

 リオは弱みを握られて、無理やり脅迫されていただけなんだ。だから、色々と仕方がなかったに違いない、と。

 

 だったら、部長がいなくなっても部活動を存続させていた理由は何なのか、という疑問が湧き出てくるが務めて気が付かない様にする。これ以上、リオを残念な目で見たくはなかったから。

 

「ところで、質問したい事柄が出てきたのだが……」

 

 だから、その話題は打ち切って、セイアは点と点が線として繋がってしまったことについて尋ねることにした。

 

 さっきのことで頭を悩ませても、何ら益することが無いのだ。非常に懸命である。

 

『スリーサイズか? 上から71・56・80だ』

 

「そんなことを聞くのは、私の妹くらいなんだっ」

 

『妹さん、将来有望だな』

 

「絶対に近付かないし、近付かせない」

 

『おー、シスコンさんか、百合園さんは。俺もだから仲良くできそうだ』

 

「キミにも妹がいるのかい?」

 

『居た、が正しいな』

 

「……すまない、良くないことを聞いてしまったみたいだ」

 

『んにゃ、大丈夫さ。キヴォトスに来て、色々あったし、そん中で踏ん切りもついたしな』

 

 会話の中で、思わぬところに地雷が埋まっていた。扉の向こうの人は、もう既に妹がいない。その事実に、セイアはチクリと胸が痛んだ。

 

 自分にも大切で仕方がない、バカすぎるけれども世界で一番可愛いと思っている妹がいるから。

 

 その子がアリウスで危機を迎えていた時、自分の胸の中がグチャグチャに引き裂かれて、絶望と憎悪で胸が浸りそうになったことを思い出した。

 

 それを思うと、自身がナゴリみたいに気丈に振舞える自信はない。その点で、素直にセイアはナゴリのことを尊敬した。

 

「……キヴォトスに、来た?」

 

 ただ、素直にその言葉を消化しようとしたところで、またも引っ掛かりを覚えてしまった。

 

 ナゴリの言葉を素直に受け取るのなら、この人物は……。

 

『そ、外の住人なんで、俺』

 

 ──妹と同じ、外からの来訪者だった。

 

 なんら隠すことなく明かされた事実に、セイアは言葉を詰まらせた。

 

 虫のざわめきみたいなモノが、胸にヒタヒタと這い寄ってきていたから。

 

「…………それで、質問のことだが」

 

『シスコン同士で同志の百合園さん相手に隠すことないから、何でも聞いてくれて構わないよ』

 

 ただ、そのざわめきの正体が何なのか、セイアは輪郭すら掴めていない。唯一の手がかりは、ナゴリとこの事について語り合っている中で芽生えたざわめき、という事実のみ。

 

 故に、セイアは質問を重ねていけば、このざわめきの正体を掴めるだろう、と更に質問を続けていった。

 

「なら、尋ねさせてもらうが、キミは、その……伝説の、え、えろげーを騙って、迷惑メールを送信するなんてことをしたことはあるかい?」

 

『ないない、そんなモラルが無くなったDLSiteの怪文書みたいなメール、送ったことないよ』

 

 エロゲーも、完成間近だけど作りかけだし……と呟いたのを聞いて、セイアはアテが外れたと感じた。

 

 状況証拠と、キヴォトスでエロゲーがどうのこうのと主張しそうな人物を考えると、唯一このナゴリのみがそれに該当すると考えられたから。

 

 故に、妹に怪しいメールを送信した下手人は、ナゴリだと考えたのだ。残念なことに、微妙に掠るくらいで外れてしまっていたのだが。

 

 もう一人、キヴォトスでエロゲーがどうこうと主張する輩がいるのか……。

 

 その事実にセイアは頭を抱えそうになったが、いやいやいやと頭を振るう。そんな人物、そう何人もいてたまるかと思ったのだ、風紀的に。

 

「なら、keyという単語に覚えはないかい? 妹の携帯に届いた宛名がそれでね。曰く、その会社は伝説の……ゲームメーカー、だそうだが」

 

 完全に疑いを捨てきれなかったセイアは、更に質問を重ねた。エロゲーと再度口に出来なかったのは、完全に照れてしまっていたからだ。

 

 男女問わず、普通は初対面の人の前でエロゲーなんて連呼できないのである。

 

『keyは確かに伝説のエロゲー会社だな、妹さんはよく分かってる。……ん、key?』

 

 けれど、照れながらも質問の重要な部分は、しっかりナゴリに伝えることに成功していた。

 

 その情報だけで、色々と行き違いがあったことを悟ったのである。

 

「心当たりが見つかったかい?」

 

『うん……ごめん、もしかしたらだけど、身内がむちゃ悪さしてる可能性も……無きにしも非ず、かもしれない』

 

 無きにしも非ず、大嘘である。

 ナゴリは犯人が誰であるのか、確信していた。

 

 ただ、普段はこんなことする子じゃないから、何か事情があったんだと思っての言葉であった。

 

「それで、どうしてそんなことを……?」

 

『うむむ……わからん。思春期だから、とか?』

 

「10代の非行にしては、お粗末な上に挙動がおかしいじゃないか」

 

 思春期、便利な言葉である。

 男女問わず、思春期の心は乙女心よりも複雑怪奇。

 

 そんな、自分では理解してあげられない時に、思春期という言葉は往々にして現れる。

 

 いい歳の大人が突如として発狂するのも、古傷の思春期が発作のように痛んでいるだけなのかもしれない。大人しく警察に通報して、遠目から見守ってあげよう。

 

「わからないとキミは言うが、そもそもキミがそんなゲームをキヴォトスで作ろうとした理由が、私にはわからない」

 

 新たな事実と謎が、交互に出てくる。

 まるでイタチごっこみたいな様相に、セイアは根本をまず理解しないといけないのではと考えた。

 

 だからこそ、キミは何を思ってキヴォトスでエロゲーなんて物を制作しようとしたんだ、という問いかけを投げて。

 

 

 その問い掛けにナゴリは、僅かな間沈黙した。

 

 話すかどうかを逡巡しているのではない、どう話したものかと整理していたのだ。

 

 そうして、ナゴリの口から出てきた言葉は──妹のことだった。

 

『何のため、と聞かれたら自己満足の類ってのが答えになるんだろうけどさ──誰のためにってことだったら、妹のために、て言うのが答えになるかな』

 

 妹、ナゴリの口からその言葉が出るたびに、セイアは何故だか落ち着かなくなった。

 

 もう亡くなってしまっていると知っているからか、それとも……。

 

「どういうことだい」

 

『うん……俺の妹はさ、病弱でずっとベッドの上にいる女の子だったんだ』

 

「びょう、じゃく……」

 

 ナゴリが思い出すのは、いつもベッドの上で苦しげな吐息を吐きながら、それでもと笑みを浮かべていた、か細い血の繋がった妹の姿。

 

『殆ど外と交流できる状態じゃなくて、だから友達なんて一人だっていない。ただ、家族とお医者さん、それと看護婦さんだけが、あいつの世界の住人でさ』

 

 ずっと憧れを持っていたのをナゴリは知っている。苦しくない身体で、自分も友達を作りたい、一緒に遊んだりしたいんだって憧れを。

 

 いつも、病室の窓の外にある世界を、羨んでいたことを。

 

『明日には居なくなってそうだって思うと、毎日あいつのいる病室に足を運んでた。そしたらさ、いつも一緒にいるのが当たり前になってたんだ』

 

 ナゴリは、いつも妹のことを見守っていた。

 彼女がどんな子で、何を望んで過ごしていたか、なんてことも。

 

『でさ、いつも一緒にいると、妹が聞いてくるんだ。"私とずっと一緒してて、つまんなくないか"って』

 

 正直に答えたとしても、そんなことは全くなかった。だって、ナゴリにとっても、話のテンポが合う人間は妹であったのだから。ただ、ナゴリの妹は、ずっと動けない私のためなんかな、と心苦しく思っていたのだ。

 

 そもそも、ナゴリの妹は挙動がおかしいので、一緒にいて飽きる、という概念とは無縁でいられたのだが。本人が気にしすぎていたのである。

 

 動けるようになった自分は、実はみんなの人気者さんで〜、なんて妄想を妹側がしていたのはここだけの話である。

 

『おんなじ質問を何度か繰り返したら、もうそんなこと聞くことはなかったけど、次に妹はこう聞いてきたんだ。──お兄ちゃんが一番好きなものって、何って』

 

 その質問は、妹側の精一杯。自分といてつまらなくないよう、ナゴリの好きを好きになろう。それが妹のロジックで、愛情でもあった。

 

『あんまりに真剣に聞いてきて、隠そうとしてもキレてその場でお漏らしするからさ……仕方なく答えたんだ。──エロゲーが大好きなんですって』

 

「……そう、なのか」

 

 病弱、エロゲー、お兄ちゃん。それらの要素が耳に入ってきて、セイアは何かを察してしまった。ただ、察した内容が事実であるのならば、あまりに唐突なことで頭がそれを受け付けるのに追いついていない。

 

 だから、そのままナゴリの話を聞き続けるしかなくて。

 

『あいつはさ、自分が大好きな人と、好きな物を共有したいって思うタイプなんだ。そうすることで、相手のことをもっともっと好きになろうとする』

 

 セイアにも覚えがあった。

 彼女の妹が、好きだと公言している物について。

 

 コハルやハナコと共有するえっちな本に、ヒフミやアズサと語り合うモモフレンズ。それに、みんなが大小あれど好意を抱いている──先生のことも。

 

 ……先生を純粋に慕っている、というのも間違いではないだろうが。

 

『半分は本能なんだろうけど、もう半分は処世術だったんだろうな。そうすることで、誰にも嫌われないようにしてる。……世界が狭いから、誰かに嫌われるのが世界の終わり、みたいに感じてたんだと思う』

 

「…………」

 

 自分が薄らとしか知らない過去を語られて、セイアはひどく落ち着かなかった。居心地が悪い、というのが正しい形容かもしれない。

 

 ……自分の妹なのに、と思ってしまっていたのだ。

 

『妹があんまりにも喚くからさ、試しにゆるふわメルヘンなエロゲーをやらせたんだ。女の子向きだと思う物を選んで。そしたらドハマり、血は争えなかったな……』

 

 あと、ウチの妹の言語野を汚染した全ての元凶が誰であるのかも、今の話でセイアは確信した。

 

 アレさえなければ、どこに出しても恥ずかしくない、立派な自慢の妹なのに、と心の底から思う。

 

 それはそれとして、妹に対する愛情では、決して負けてる気なんて微塵もしていないのだが。

 

『それから妹は、暇があればエロゲーをするようになった。シナリオゲーからキャラゲー、果てには抜きゲーまで。……英才教育に成功してしまったんだ、俺は』

 

「決して許されてはいけない義務教育なんだっ!!!」

 

『急に大声出すじゃん、こわ……』

 

 怖いのはキミの教育方針だよ。

 そう言い捨てたいセイアだったが、咄嗟に声が出なかった。

 

 恐らくは事実であろう因果関係を取りまとめた時、自分とナゴリの関係性はどうなるのだろう、と思ってしまって。

 

『ま、そういう訳で、俺の妹はエロゲーが大好きなんだ。病室で他の何と比較しても熱中して、愛してるって言っても過言じゃないくらいにエロゲーの物語に没入してさ』

 

 一方のナゴリは、そんなことに気がついた様子すらない。扉向こうに居るのは、単なるリオのお友達だと認識していた。

 

 それも間違いではないのであるが。

 

『……でも、あいつの時間は有限だった。全部のゲームをやり切るには時間がなくて、最後の方はエロゲーなんてしてる暇がないくらいに苦しんで、ずっと強力な麻酔で意識がないまま……死んじゃったんだ』

 

 先程まで楽しそうだった声が、トーンダウンしてその場にわだかまった。かさぶたに触れて、その傷が痛んだ時みたいに。

 

『俺はその時、何もしてあげられなかった。見守っているだけで、何かを残してあげることすらできなかった』

 

「……そんなことは、ないはずだよ」

 

 そこまで静かに話を聞いていたセイアが、思わず口を挟んだ。そんなことはない、キミの妹ならそう言っているから、と。

 

『いや、できなかったんだよ。少なくとも、俺の主観では』

 

 しかしナゴリは、セイアの言葉を単なる慰めと受け止めて、その言葉を否定した。

 

 あの時の自身の無力感は、ナゴリの魂に付着して拭い落とせないものになっていた。この先、ふとした瞬間にそのことを思い出すことも、きっとあるのだろう。

 

『──それから多分、少しして。何のきっかけがあったのか分からないし、前後の記憶が曖昧なんだが……気が付いたら俺は、キヴォトスに居たんだ』

 

 そんな傷を抱えた中で、ナゴリはいつの間にか異世界に迷い込んでいた。キヴォトスに来る前の自らが、生きているのか死んでいるのか、それすら判別が付かない。

 

 しかも──元々男だったのに、女の子になって。

 

『意味分かんないよな? 俺は分からなくて、ブチ切れながらその場でファーックッて叫んで放尿をしてたら、通り掛かりのネルにぶちのめされて、ミレニアムの反省部屋に放り込まれることになったんだ』

 

「バカなのかい?」

 

『でも、そのお陰で身元不明な俺はミレニアム預かりになれたんだから、あの放尿は必要な乱数調整だったんだ』

 

「バカに違いなかったみたいだ」

 

 セイアは辛辣であったが、間違いではない。ナゴリは間違いなくネジが外れている類の人間だった。

 

『ま、そういう訳でさ、ミレニアムで過ごすうちに暇を持て余した俺は、段々と考え始めたんだ。何で俺は、ここにきたんだろうって。何か、ここにいる理由が欲しかったんだな』

 

 暇とは、人間にとってのリソースである。自由にできる時間、と言い換えることもできるかもしれない。

 

 そのリソースを、ナゴリは自分がここにいる理由、ということを考えるのに費やして……。

 

『そうして考えて、思い至ったんだ。使命も何もない俺がここにいるのは、きっと妹がこの世界のどこかにいるからだって』

 

 そうしてたどり着いた答えは、結論というにはあまりに飛躍したものであった。

 

『この世界のどこかに転生して、前世の辛いこと全部忘れて、今度は健康な赤ちゃんとしてやり直せている。……そうだったら、いいなって』

 

 結論というよりも、願望という方が正しいのだろう。妹が居なくなった寂しさが、ナゴリの心にずっと巣喰っていたのだ。

 

『でさ、考えた。……もし、もう一度だけチャンスがあるなら、今度はあの子に何してあげられるのかって』

 

 事実がどうとか、その時のナゴリには関係がなかった。そうしないと、自分が自分でなくなってしまいそうだったから。

 

『だから、決めたんだ。──エロゲーを作ろうって』

 

 それは、ナゴリが唯一残せると思った贈り物であった。

 

 もしかしたら、前世のことなんて全く覚えていない妹は、エロゲーなんて手を出そうとも思わないかもしれない。他に楽しいことを見つけて、見向きもされないかもしれない。

 

 ──それでも良いと、ナゴリは思った。

 

 それは喜ばしくて、幸せに生きられている証左でもあることだから。

 

 ただ、ナゴリは選択肢を残してあげたかっただけなのだ。もしエロゲーをしたい時に、プレイできるゲームがあれば良いな、と。

 

 キヴォトスはド健全な透き通っている世界で、エロゲーなんて一つもなかったから。

 

 ……ひっそりと、"俺は大学生だぞふざけるなっ、エロゲーをやらせろ!!"と思っていたナゴリも居たが、今は女子高生扱いを世界からされているのである。

 

 成人男性でないことを噛み締めながら、2度目の思春期を存分に患ってほしい。

 

『あの子がそのエロゲーをプレイするかしないか、それは分からないけどさ。でも、したい時にできる、という選択肢自体は残されて然るべきだから』

 

 "それが、俺がエロゲーを作っていた理由"、と最後を締め括ってナゴリは軽くため息を吐いた。一気に喋りすぎて、色々と語りすぎて疲れたのである。

 

 思えば遠くまで来た、と感慨深くもなったのであろう。

 

 一方の話を聞き続けていたセイアは、胸に様々な感情が巻き起こっていた。

 

 悲しみ、同情、嫉妬、仲間意識、一概に言えないくらいに入り組んでいる姉心である。

 

 そんな中、何故だか姉妹で写真を撮っている未来が脳裏をよぎった。ナゴリも入れて、3人で。

 

 ナゴリの顔は曖昧で分からないが、メブキとナゴリの二人がアホ面丸出しでダブルピースをしていることだけはしっかりと認識できた。

 

 そして自分だけ、そんな二人に挟まれて嫌そうにダブルピースしている光景を。

 

 

(なんで私までダブルピースしているんだっ、ふざけないでくれ!)

 

 ふざけるも何も、自分の脳が生み出した幻覚であるが、それもこれも全部セイアの中ではメブキとナゴリのせいになっていた。

 

 ……ただ、受け入れること自体は、もうやむを得ないしやぶさかではないか、と思いつつもあった。

 

 セイアは妹のことが大好きなお姉ちゃんで、彼女が幸せになってくれることを常に祈っているのだから。

 

 ナゴリのことを義理の妹としてなら、受け入れる余地はあるかもしれないと思い始めたのだ。長女の座を奪おうとするのなら、断固として戦うであろうが。

 

 

 だから、セイアは確認した。

 最後の答え合わせをして、迎え入れるために。

 

 

「──キミの妹は、春風メブキかい?」

 

 

 その問いに、ナゴリは息を呑む。

 なんで、どうして、そうした疑問の渦に突き落とされる。

 

 このキヴォトスにおいて、それはナゴリしか知らないはずの名前だったから。

 

 ──そう、ナゴリこそは春風メブキと血のつながりのある存在。キヴォトスに来てもげてしまった為、彼とは呼称できなくなった兄である。

 

『な、んで、あの子の名前、知って……』

 

 声が震える、指先だってきっとそう。

 ──魂そのものが、震えてしまっている。

 

「その答えを、キミは先ほど口にしていたよ」

 

 セイアの促しに、ナゴリはさらなる混乱の坩堝へと足を踏み入れてしまう。

 

 だって、本当にそうなってくれていたなんて。前世の記憶を保ったまま、あの子、メブキがキヴォトスにいるなんて、思いもよらないことだったのだから。

 

『…………いるのか、キヴォトスに』

 

「──居るよ、私の妹なんだ」

 

 その言葉で、ナゴリは更なる混乱に突き落とされた。だって、百合園セイアと春風メブキ、苗字だって違う二人なのだ。

 

 何故だろうと考えて、考え抜いているうちに一つの形に像を結んだ。

 

 

『──メブキにえっちなことをして、レズ妹にしたんだな!? メブキのお姉さまになろうだなんて、なんてふざけたことをっ』

 

「そんなわけがないんだっ、ふざけるなあぁーーーっ!!」

 

 

 おかしい、こんなことは許されてはいけない。

 自分は神聖な、新しい姉妹を受け入れる儀式をしていたはずだったのに。

 

 セイアは心の底から慟哭した。

 そして、確信もする。

 

 この発想は、間違いなくメブキと同じ血が流れている、と。

 

「それはキミたち姉妹の、おなろう小説の世界観での出来事なんだっ。紆余曲折あってメブキは大切な妹になったが、私が身体を差し出すわけがないんだ!!」

 

 しんみりとしていた空気はどこへやら、全てが吹き飛んでしまっていた。

 

『……本当にしてないのか? メブキの身体を開発しながら、"お姉様とお呼び"、とか言ってないか?』

 

「言うわけがないんだっ。幾ら大事な妹でも、処女は貰ってあげられないんだ!!!」

 

 だが、彼女たちにとっては、それくらいで良いのかもしれない。明るさを見失うよりかは、IQが2くらいの方が愉快ではある。

 

 それはそれとして、妹をレズレイプした疑惑を掛けられたセイアは、大変に激怒していたのだが。

 

 あと、どうでも良いことではあるが、ナゴリはレズレイプとラブライブって語感が似てるな、とかどうでも良いことを考えていた。本当にどうでも良いので、セイアは一発こいつをしばいた方が良かった。

 

 

 

「とにかく、私たちは妹を共有している。……言うなれば、キミと私は義理の姉妹なんだ」

 

『竿姉妹みたいで、ちょっと特殊なつながり感があるな』

 

「去勢されてる身の上で、戯けたことを言うんじゃない」

 

『普通に訴訟したら勝てるタイプの暴言だろ、それ』

 

 アイスブレイクは既に完了して、何ならホットブレイクタイムに突入してるまである二人は、気心が知れている友人のように語らっていた。

 

 自らの妹に、この人は優しくしてくれていたんだ、とお互いに認識できていたから。妹のことで、シンパシーが芽生えていたのだ。

 

「そんな馬鹿げたことよりも、もっと重要なことがある。──キミは、メブキに会うべきだよ」

 

 愛すべき欲棒を失ったことを脇に置かれて、ナゴリは少し傷付いた。けれども、セイアの言葉には心動かされた。

 

 会いたいかい、ではなく会うべき。メブキを第一に考えてくれている言葉に、深い安心感を抱いて──だからこそ、ナゴリは苦笑いするしかなかった。

 

『……リオから、今の俺の状態を聞いてたりする?』

 

「いや、全く」

 

 セイアの即答に、ナゴリは曖昧な笑みを浮かべた。どう話せば良いのか、中々に複雑な問題であったから。

 

『あの、さ。いま俺、ちょっとややこしいことになってて』

 

「……リオに美少女力学同好会を任せていることと、何か関係が?」

 

『うん、大アリ』

 

 話が早くて助かると呟きながら、ナゴリは自らの身に起こっている問題とやらを話し始めた。

 

 恐らくは、今回の事件に様々な思惑が入り込んで、複雑化する要因になった事柄について。

 

 

『今の俺は、量子的不確定存在、単純に言えば、存在したりしなかったりする──現象になってしまったんだ』

 

「量子不確定存在……」

 

 何なんだそれは、と口に出そうになったセイアは、ここの部室に初めて来た時のリオの言葉を思い出した。あの時、色々と説明された中の内、自身がそうなってしまうかも、と言われた事象について。

 

「時間軸から、外れた存在……」

 

『あれだけの説明で理解できるんだ……。天才理系少女か?』

 

 違う、リオに説明された原理をそのまま口にしただけである。

 

 ただ、リオがどうしてあんなふざけたことをスラスラ口にできていたのか、ここにきてようやく理解できた。

 

 ──リオは元より、同様の現象に見舞われた友人を助けるために、研究を重ねていたのである。

 

「どうしてそんなことに……」

 

 苦々しく呟いたセイアに、ナゴリは能天気な声音で答えた。

 

『ゲーム開発部のみんなと一緒に、キヴォトスを救うために宇宙船……みたいな船で敵の本拠地に乗り付けたんだけど、そこの空間が俺と相性が悪い意味で良すぎたとか何とか、リオとかヒマリが言ってたな』

 

「……成程、キミはキヴォトスに来る前の記憶が無いと言っていたね。向こうの世界で、生きているのか死んでいるのかすら分からない、と」

 

『そうそう、その不確定性とウトナビュルビュルの方舟の並行世界を重ねる能力が合わさって、世界側の処理でバグが発生してしまったとか何とか』

 

「……色彩同様、世界の異物扱いされた訳だね」

 

『ざっつらいと』

 

 ウトナピシュテムの方舟の影響で、並行世界とこの世界が重なる事象が、あの赤い空の日に起こっていた。

 

 その処理を解除する際、世界側が誤ってナゴリも世界からの異物であると処理してしまっていた。それが、ナゴリが量子不確定存在になってしまった理由。

 

 誰にも姿を見せられず、姿を見ようと無理に部屋へ踏み込めば、誰の姿も見つけられずにナゴリが居ないことが確定してしまう。そんなシュレディンガーの猫的存在と化してしまっているのが、今のナゴリであった。

 

 さらに言えば、今のナゴリは現在に留まれない。

 昨日にいたり、明日に居たりするのだ。

 

 どの瞬間と重なっているのか、本人すら制御不可能なのである。

 

『こうして戻って話ができているのは、コピーしたケイ──俺の大切な家族、みたいなAIが、互いに中継しあってアンカーになってくれてるからだな。だから、偶に戻ってきたり、電子銃で落書きできたりする』

 

 初めてここに訪れた時に見た、あの電子銃での悪ふざけはナゴリの仕業だったらしい。

 

「……あの落書きは、メブキかい?」

 

『そうだよ、似てるだろ?』

 

 ちょっと自慢げなナゴリに、少し姉的嫉妬心が疼く。自分の知らないメブキを知ってる、というあたりに。

 

「こちらの世界では、彼女の心がそのまま形になった姿をしてるよ。だから、表情以外は違う形をしているね」

 

『えっ、マジで?』

 

「本当だよ」

 

 "なにそれ知らん、こわ……"と呟いている辺り、意趣返しには成功したらしい。ナゴリもメブキもキヴォトスに来て、外の世界での姿とは別人になってしまっていたのだ。

 

 唯一の例外は、先生くらいか。

 それとも、ゲマトリアなど外から訪れた大人もそうなのか。

 

 真実を知る者は黙したまま、愛すべき箱庭を愛で続けていた。

 

『因みに聞くけど……美少女?』

 

「黙っていれば、可愛いとは評せるだろうね」

 

『何でだよ、喋ってても可愛いだろっ』

 

「恥いるところのあり余り過ぎる可愛げなんだっ。教育したキミは、誠に反省して恥いって欲しい」

 

『PTAとソフ倫に常駐してそうな姉がよっ』

 

 両者、意見の相違はあれど、メブキを可愛いと思っている心だけは通じ合っていた、仲良しである。

 

 

 喧々諤々、互いの妹論を語らい合った二人は一段落した後、落ち着いて本題へと戻ってきた。

 

『……まっ、そういうことで、メブキに会うことはできないんだ』

 

 メブキと会えないか、という問題についてである。

 

「やはり、難しいのかい?」

 

『運が良ければ、時たまこうして話ができるくらいかな』

 

 結局、先ほどまで二人が妹論を語らっていたのは……一種の現実逃避に近かったのであろう。解決の糸口が、リオの研究を待つしかないのだから。

 

 この問題について、二人は著しく無力であった。

 

「……メブキに、キミのことを話してもいいかい?」

 

『やめといた方がいいな、次戻って来れるかも分からんし』

 

 さらりと告げられた言葉に、セイアは奥歯を噛み締めた。自分では、どうしようもない現実に憤りを覚えたのである。

 

「……キミの感じたと言っていた無力さが、痛いほどに分かったよ」

 

『出会ってすぐの俺に、そーゆーこと言ってくれるの、好きになるから危険だな。……結婚するか?』

 

「悪いが、他に好きな人がいてね」

 

『えっ、先生とか?』

 

「何でわかるんだっ!?」

 

『うわ、当たってるし……。俺も何度も助けてもらってさ、辛い時に元気付けてくれたりとかしたし、童貞は無理だけど処女くらいはあげれるかもしれんと思ったことがあるから、かな』

 

「なんでメス堕ちしてるんだっ、先生に近づかないでくれっ!!」

 

『急に豹変するじゃん、こわ……』

 

 バカな会話で、感じた無力感を糊塗していく。

 どうしたらいいのか、それすら分かってない。

 

 

 ……ただ、それは諦める理由には、ならない。

 

 

「まったく……私の方でも、何か調べてみよう。科学的アプローチはリオが担当してくれるだろうから、私は神秘の方面を探ってみるよ」

 

『えっ、キヴォトスって、そういうのアリな世界?』

 

「妹を拾った時、あの子は幽霊だったよ」

 

『えぇ、マジで……?』

 

「マジだよ」

 

 真顔でマジマジと言い合って、先ほどの空気感を換気していく。

 

 なんら宛てが無いのは変わりない。

 ただ、未だに多くの可能性が残っているのだ。

 

 諦める、というより面倒くさくなるのは、まだ早い。

 

 エデン条約と妹を巡る事件で、セイアはそれらのことを学んでいた。

 

「だから、きっと──」

 

 前向きな言葉を伝えようとした瞬間、セイアはひどい揺れに襲われて、その場に倒れ込んでしまった。

 

「クッ、この揺れは……地震っ」

 

 ガタゴトと、部屋の色々な物が揺れ動く。

 幸いなことに、セイアの周りには物がなかったため、怪我をすることはなかったが。

 

『無事か!?』

 

「なんとかね」

 

 揺れたのは数秒の間で、これといった被害は見あたらない。ただ、唯一変化が起こったのは……。

 

『あっ、まずっ。……今ので……っ、世界との接続……不安定にっ……』

 

「君の方こそ、無事なのかっ」

 

『怪我はないっ……けど……しばらくは……来れないかも……』

 

 出会いが唐突なら、別れも唐突になるのか。

 セイアとナゴリの次元が、次第にズレていく。

 

『ごめ、んっ、百合園……さんっ』

 

「セイアだ!」

 

 未来の妹にすると決めた相手に、呼び方を訂正しつつ、咄嗟に先ほど口にしようとした言葉を伝えた。

 

「みんなで何とかするっ。だからキミは、諦めないでくれっ!!」

 

 それが聞こえたかどうか、定かではない。

 ただ、間違いなくそれは、セイアの決意表明ではあった。

 

 ……返事はない、既にナゴリはここにいない。

 

「メブキが心配だ、戻ろう……」

 

 リオもネルも、結局は戻って来なかった。

 それを寂しく思いながら、セイアは隠れ家を後にした。

 

 そうして、地下から地上に戻ったセイアは──そこで忌まわしいモノを見る羽目になった。

 

 

 

 夕陽が沈み、夜の帳が下りたミレニアム。

 

 その薄暗い世界の海上に──全長19.194545mを超える、クソデカいイマジナリーお姉ちゃん棒が、ゆっくりと岸に向かって進軍している姿を確認したのだ。

 

「ふっ──」

 

 セイアの心に過ったのは、無論この一語であった。

 

 

「ふざけているのかあぁぁーーーっ!!!」

 

 


 

 

 ミレニアムの埠頭に存在する、倉庫群の屋上。

 その一角で、ある人物が海上から現れた事象を観測していた。

 

「喝采はせぬ、喝采はせぬ。──貴様の残した未完結品であるが故に、な」

 

 その声は、影の様なコートの男が持つ、奇怪に歪められた絵画から聞こえてくる。

 ある種、冷笑が伴った声。

 

「だが、これも大いなる実験の一つではある。故に、現在時刻を記録する」

 

 彼──フランシスは朗々と、誰も居ない天文台で計測の開始を宣言した。

 

「午前3時20分……フン、お伽噺(フォークロア)を語るのには、些か遅い時間ではあるが」

 

 天文台から観測するのは、海を割りながらミレニアムへとゆっくり進行してくる一つの影。

 

 ──イマジナリーお姉ちゃん棒、その集合無意識が形を成した現象。

 

「貴様の望んだ馬鹿話(メルヘン)だ。ゴルコンダよ、無意識(イド)の底から哄笑してみせよ!」

 

 そう口ずさむ彼、フランシスの唇に浮かぶのは──嘲笑。

 

「先生よ、そしてミレニアムに集う数多の生徒よっ。見るが良い、これこそが奴の遺した崇高である!」

 

 フランシスからゴルコンダへと手向けられている感情、それは侮蔑であり──嫉妬。

 

 遠方からでも視認できるクソデケェイマジナリーお姉ちゃん棒は、ある種の崇高を形にした存在でもあるのだから。

 

「未完の怪異ではあるが、さて。どう対処する、先生、それに──春風メブキ」

 

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