ここは、どこだ?
確かあたしは補習授業部の試験を手伝うためにゲヘナへ行った筈だ。
それにしても辺りは真っ暗で何も見えない。声も出せない。
身動きも全く取れない。
ああ、でもなんだか心地いい。
このまま漂っているのも悪くないかも‥‥
意識が次第に薄れていく
暗闇の中に身も心も溶け込んでしまいそうだ
『‥‥ちゃん!―――サバキちゃん!!』
身体が消えそうになった時、不意に誰かに呼び止められた。
はっきりとあたしの名前を呼んでいた。
どこかで聞き覚えのある様な、とても久しい人の声がした。
『起きて、サバキちゃん。ほら、補習授業部のみんなが待ってるよ』
優しい声があたしの意識を暗闇から引っ張り上げる。
奥底から背中を押されるように光の向こう側へと突き出された。
『いってらっしゃい、サバキちゃん』
目を開けると見慣れた合宿場の天井があった。
そしてあたしは、ベッドの上に寝かされていた。
「‥‥っ‥‥はっ…はぁっ‥‥」
声が出る。息ができる。
酸素の冷たい感覚もわかる。
あたしは、元の場所に帰ってこれたらしい。
「”黒狐!”」
「副先生!目が覚めたんですね!よかった‥‥!」
聞けば、あの後あたしは過呼吸を起こして気を失ってしまったらしい。
狐面ががっちり張り付いたおかげで処置には難儀したが、看病してくれて今に至る。
多少の倦怠感はあるが、あたしのせいで彼女たちの勉強を阻害してしまった。
第三次特別学力試験に向けて、頑張らなくてはならないというのに。
「‥‥ごめんなさい。あたしのせいでみんなに迷惑を掛けたわ。第3次試験まで時間がない、急いで準備しないと」
ベッドから起き上がろうとするも慌てたヒフミちゃんに制止される。
「無理をしないでください、副先生。ゆっくり休んでからでも間に合いますから」
「それに背中の翼のことだってある。気持ちを整理するのにだって時間は必要なはずだ」
アズサちゃんに言われ、はっと気づく。
今のあたしの背中には黒い翼が広がっている。
あたしが気絶した理由もこの翼が原因のこともあってか気を遣ってくれているのだろう。
そんな気持ちを無下にするのも気が引けるというもの。ここは大人しく休もう。
「わかった。今日の所はみんなの言う通り休みます。ですが、すぐに復帰しますのでご安心を」
こうしてその日は解散となった。
1人、部屋で思い返す。
確かに翼を見られたことはショックだ。
でも、今重要なのはあたしの正体よりも補習授業部を全員合格させること。
あたしが送ることのできなかった青春をせめて、あの子たちには過ごさせてあげたい。
お偉いさん方の策謀で潰されるなんてことはあたしは許したくない。
そう思えば、覚悟は決まった。
◇◇◇◇
「みなさん、先日はご迷惑をおかけしました。ですが、もう大丈夫です」
翌朝、勉強を頑張っている補習授業部の前にあたしは姿を見せた。
背中から生えた翼を隠さずに。
「副先生、もう大丈夫なんですか?」
「それに背中の翼だって…」
優しい後輩たちだ。
あたしが隠そうとしなければ心配をかけることもなかっただろうに。
心が痛む。
「ええ。もう大丈夫。翼のことも、吹っ切れたわ!」
大胆に笑い飛ばした。
実際、後輩たちのことを考えれば些細な事。
ならいっそ、笑い飛ばせば気が楽になる。
「さぁ、みんな!最後のテストまで気張っていくわよ!!」
「「「「「おおーーー!!」」」」
◇◇◇◇
それから第3次学力試験までの一週間。補習授業部の努力が続いた。
あたしと先生が3倍にまで広がった範囲の基礎を教え、ヒフミちゃんとハナコちゃんが補完する。
コハルちゃんとアズサちゃんの学力も日を追うごとにめきめきと良くなっていった。
第5次模擬試験ではようやく全員が合格ラインに立てるまでに。
しかし、本番が上手くいくとは限らない。
不安を抱えながらも、最後のチャンスが明日に迫っていた。
「‥‥ついに明日ですね」
「はい‥‥」
補習授業部の退学が掛かった試験。みんなにも緊張が走る。
「また、内容が変わったりしないよね?」
「試験範囲は以前の通りですし、合格ラインも90点以上。場所もトリニティ第19分館の第32号室、本館からは離れていますが、そこまで遠くはありません」
開始時刻も午前9時と、通常通りだ。
しかし、依然と不可解なこともある。
「ええ。本館が昨日から不自然なくらいに静かなことです。まるで人気がなくなってしまったように…」
念のためあたしとハナコちゃんが掲示板を見張っておく。ナギサさんからの妨害も考えられるから。
それにしてもみんな、本当に頑張ったとあたしは思う。
「はい。ハナコちゃんが丁寧に教えてくれたおかげで私もコハルちゃんもアズサちゃんも、成績がぐんと上がったんですから…!」
「それはみなさんが頑張ったからですよ。何日もろくな睡眠をとれなかったのに、よく頑張ったと思います」
「”きっと大丈夫。みんななら合格できるよ”」
ええ。あたしも同感です。
今の彼女たちならきっと‥‥
「私はまだまだ深夜まで勉強するから!100点取れば誰も文句はいえないでしょ!」
ふふ。コハルちゃん、張り切るのはいいけど睡眠はしっかりとりなさいね。
ベストコンディションで本番に行けなきゃ辛いから
「休むのも戦略の内だぞ」
「ええ。アズサちゃんも同じですよ」
「‥‥ああ、今日くらいはしっかり休むことにする」
就寝のために自室へと戻り、掲示板を漁る。
しかしナギサさんからの妨害がないとは言い切れない。今の彼女は、不安と焦燥から半ば暴走状態にあると言ってもいい。
不測の事態だって起こりえる。万が一のことも考え、先生に相談しようと部屋を訪ねる。
すると、就寝中であるはずのヒフミちゃん、コハルちゃん、ハナコちゃんが居た。
「あっ、副先生も来たんですね」
アズサちゃんはいつのまにか部屋からいなくなっていたらしい。もしかしたらトラップの見張りにでもいったのだろうか?
それはさておき、ハナコちゃんから明日の試験について言及があった。
試験会場である第19館に正義実現委員会が隔離しているという。ティーパーティーからの要請で、エデン条約に関わる機密事項という建前で戒厳令を出したようだ。
ナギサさんは補習授業部に試験を受けさせるつもりもないらしい。トリニティの生徒である彼女らに正義実現委員会を敵に回せ、そう伝えているようなものだ。
コハルちゃんとしても憧れの先輩と戦いたくはないだろう。
あたしだって後輩と戦いたくはない。とはいえハスミちゃんの助け舟は期待できないだろう。2年前ならともかく、今ではティーパーティーと敵対するという意思表示。ハスミちゃんの立場が危うくなってしまう。
「私のせいだ‥‥」
どうしたものかと考えているとアズサちゃんが部屋に戻ってきた。
「アズサちゃん!?今までどこに行ってたんですか?」
アズサちゃんの表情はどこか重く、不安そうであった。どこか葛藤しているような顔であった。
「みんな、聞いて話したいことがある」
◇◇◇◇
「みんなにずっと隠していたことがある。桐藤ナギサが探している『トリニティの裏切り者』は私だ」
アズサちゃんが打ち明けてくれた言葉にあたしたち全員が衝撃を受けた。
同時にミカさんが言っていたことが事実であったことも。
「私は元々アリウス分校の出身でトリニティには身分を偽って潜入していたスパイなんだ」
これまで隠して来た真実をアズサちゃんは懸命に話してくれた。
「アリウス分校」
「知っています。確か昔トリニティが連合を組む際に反発し、追放された学園ですね」
「ああ。私はずっとアリウス自治区に居た。そして任務を受けてここに来た。ティーパーティーのナギサを暗殺するために」
そしてミカさんが和解を求め接触したのを利用したってことか。
「その通りだ。今のアリウスはティーパーティーの抹殺のためなら手段を選ばない。ミカに冤罪を着せ、ナギサを暗殺し、トリニティを崩壊させる。そういう手はずになっている」
経緯からいってトリニティを恨むのは理解するが、いくら何でもやりすぎだ。
それほどまでにアリウスの憎悪は深いのか。
「時間がない。明日の朝、アリウスの部隊がナギサを抹殺しに来る。ナギサを守らないと…!」
よりにもよって明日か…
「正義実現委員会もナギサさんの無茶あって本館には居ない。本館には戒厳令、実行するのには最高のタイミングですね」
しかしいくら何でも都合がよすぎやしないか?
それとアズサちゃんはナギサさんを殺しに来た筈、けどそれを阻止しようとしている。
あたしたちに打ち明けてまで。何故だ?
「アズサちゃん。貴女は二重スパイだったのでしょう?ナギサさんを守るためにアリウス側へ嘘の情報を流していた。しかし誰の命令で」
「…これは私自身の意思だ。エデン条約が破談になればキヴォトスは混乱に陥る。そうなればまたアリウスのような学園が出来かねない。それだけは阻止しなければならない」
アズサちゃん‥‥
「アズサちゃんは嘘つきで裏切者だったわけです。トリニティでもアリウスでも本音を隠していた。ずっと周りを騙し続けていた。そういうことですね?」
「……」
「ですが、補習授業部は楽しかったですか?みんなといた時間は楽しくありませんでしたか?」
ハナコちゃんとて気持ちの整理は出来ていなかった筈。しかし、彼女が問いたかったのは、聞きたかったのは‥‥
「ああ。とても楽しかった。アリウスに居た時には味わえなかった日々だった。何かを学ぶこと、達成すること。みんなで成し遂げること。これからまだまだやりたいことだっていくらでもある。私のことを恨んでくれ。私のせいで補習授業部は…みんなは、こんな目に遭った」
違う、そうじゃない。
「”違うよ、アズサ”」
「この悲劇を生んだのは、お互いを信じられなくなってしまったこと。誰かのせいじゃない。きれいごとかもしれないけど、全員が信じる勇気を持つことができなかった。ただそれだけのことだったんだ”」
むしろアズサちゃんはよく打ち明けてくれた。
あたしたちを信頼して。軽蔑されるかもしれない恐怖がありながらも。
「ごめんなさい、先程のはなんと言いますか、どうしても意地悪したくなってしまったんです。アズサちゃんの真っ直ぐな顔を見ていると、なんだか心が落ち着かなくなってしまって」
心の整理がついたのだろう。ハナコちゃんも落ち着いた様子で話してくれた。
「ある人がいました。その人にとってトリニティ総合学園は牢獄のようなものでした。欺瞞に満ち、嘘と虚飾で飾られた空間で息が詰まりそうでした。誰にも本心を晒すことさえできずに普通の学園生活を送ることさえままならなかったんです。ついには学園でさえ辞めてしまおうとも思ってしまった」
そういうことか。
多少ぼかしているとはいえ、この話はハナコちゃんの‥‥
「しまいには試験を台無しにして、全てから逃げようとしていました。ですがアズサちゃんは違いました。『全ては虚しい』そのあとに『諦める理由にはならない』その一言がいつしか希望になっていきました。学園生活の楽しさにようやく気づけたんです。下着姿でプール掃除を、水着で夜の散歩をしたり、散歩を楽しんだり、何気ないことでも全力で楽しむことの大事さに」
あれ下着だったんか‥‥
「全てを諦める理由にはならない。アズサちゃん、学校でまだまだ学ぶことはあるはずです。それを諦めるつもりなんてないのでしょう?」
「ああっ!」
「でしたら桐藤ナギサさんを、アリウスの襲撃から守り私たちも試験を受けて合格する。そしてみんなで笑い合うんです!」
よう言うた!!それでこそあなた達よ!!
ただ問題は、ナギサさんから妨害を突破し身柄を見つけること。
正義実現委員会の救援は見込めない。だとすれば‥‥
「これまで様々な嘘や策略の中で弄ばれてきましたが、今度はこっちから仕掛ける番です。何せ、今ここには正義実現委員会のメンバーと、ゲリラ戦の達人と、ティーパーティーの偏愛を受ける自称平凡な人とトリニティのほぼすべてに精通した人がいます」
ちょっと待って?トリニティのほぼに精通した人?それ本当なの?
「その上、ちょっとしたマスターキーのような『シャーレの先生』に『荒事退治のプロ』までいるんですよ。この組み合わせなら、パパっとトリニティを転覆できるかもしれませんね♡」
ヒエッ
この娘、怖いよぉ!流石補習授業部のトップブレイン!!
「作戦内容は私にお任せください。それと副先生にも少しお話が…」
ん?あたしに?
「今こそ力を合わせる時。行きましょう!!」
◇◇◇◇
あたしはハナコちゃんに連れられ別室で話し合っていた。
「副先生。今回の作戦で力を借りたい方がいます。協力を頼みたいのです」
「…何故あたしなの?しがないシャーレ職員でしかないあたしに」
あたしからの疑問にハナコちゃんはきっぱりと答えた。
「むしろ副先生でないとダメなのです。1人には協力を取りつけましたが、あの方の協力が必要なのです。そしてそれを持っているのは副先生しかいません。それに危機に陥っている後輩を救いたいと思っている筈です」
後輩ねぇ‥‥
ハナコちゃん、貴女本当は‥‥
「どうかお願いします」
いいよ。あたしが何とかする。その代わり、絶対にナギサさんを守って合格する。
「いいわね?」
「もちろんです♡」
アリウスからナギサさんを守る。
補習授業部を全員合格させる。
両方やらなきゃいけないってのが副担任の辛いところね。
でも覚悟は出来ている。
あたしたちの手で最高のハッピーエンドをつかみ取るんだ!!