魔女のコンビニ~ざばとっぷへようこそ~   作:結城 しえら

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第一話『〈お客様〉のお悩みお聞かせください』

「はぁー」

 

 胸の中にあるズンとした重たい気持ち。

 少しでも楽になりたくて外に吐き出すもそれは一瞬で、解決には至らない。

 

「なにしてんだ私……」

 

 少しでも気を紛らわしたくて声を出したが、効果は無かった。

 私がこんな感情に襲われているのには、理由がある。

 私には好きな人が居る。と言っても、つい十数分前に自覚したばかりなのだが……

 

 その子の名前は榎井(えのい)カナ。小柄で愛想が良く、笑顔がとっても可愛い。学校の中で男子から密かな人気を集めている女の子。

 私の幼馴染で、幼い頃から中学生になった今でも一緒にいる存在。これからも彼女とは、一緒に過ごしていくものだと思い込んでいた。あの現場に遭遇するまでは──

 

 

 それは放課後のことだ。いつものようにカナに帰ろうと声をかけると、「今日は一緒に帰れないから先に帰っていて欲しい」と言われた。

 普段なら彼女の方から「うん、帰る!」と抱き着いてくるものなのだが、違う回答に私は一瞬呆気にとられた。

 

 私はどんな顔をしていたのだろう。とにかく困惑した事だけは覚えている。

 気になったので、何かあるのかと聞いてみれば「いのりには関係ないから」と、はぐらかされてしまった。

 彼女があんな態度をとるのは初めてだった。

 胸がチクリとした。何故そう感じたのか、分からなかった。

 カナが何をするのかどうしても気になってしまった私は、先に帰るふりをして彼女を尾行した。バレていたかもしれないが、私の心臓はバクバクと鳴っていて、見つかるかどうかなど気に掛ける余裕はなかった。

 

 カナの行先は体育館裏だった。

 薄暗く、人の寄り付かない場所。普段の彼女ならまず足を運ばない所だろう。

 物陰に隠れて観察していると、男子が一人近づいて来た。見かけない顔だったが、学年色が同じだったので恐らく他クラスの人だろう。

 まさかあの男がカナを脅しているのか? もしそうだったら絶対に許さない。

 こぶしに力が入る。

 カナに危険が訪れない様、見守る必要があると感じた私はいつでも飛び出せるよう身構えた。

 何やら話しているようだったが、この位置からでは聞こえない。もう少し大きな声で話してもらえないだろうか。

 そう思っていた時だ。

 

「──なのでお、俺と付き合ってくださいっ!」

 

 その一言が聞こえた。ハッキリと。

 右手をカナに差し出し腰を折る男子を見て、私は目を見開いた。

 つきあってください……ツキアッテクダサイ……

 その言葉を理解するのに数秒かかった。いや、もしかしたらもっとかかっていたかもしれない。

 カナは男子に告白されていたのだ。

 

 ──付き合ってください──

 

 突如、言葉を理解したその刹那。頭のてっぺんから足の爪先へと、血の気が引いていく感覚に襲われた。

 頭の中が真っ白になり、胸に穴が開いたんじゃないかと錯覚する。目の前がチカチカする。息が出来ない。苦しい。

 しゃがみ込んでいなければ私は倒れていたに違いない。

 

「……ごめんなさい」

 

 その一言が耳に届いた。

 カナは謝って、その場を走り去った。少しして、男子もその場から消えた。うなだれながら。

 私だけが残った。

 ほっと、胸を撫で下ろす。口から安堵の息を吐く。

 カナの一言で私の症状は落ち着いていた。

 ここにいてもしょうがないので、私も学校を出た。そして冒頭に至る。

 

 

 私はカナの事が好きになっていたようだ。

 いつからかは分からない。

 それでもさっきの感情がどういったものなのか、私は理解していた。

 この気持ちをどうしよう。カナに伝えるべきか、そのまま隠すべきか。

 

 

 こうして、自分の気持ちに気付いた私は、どうしようかと悩んで……ふと、周りを見た。

 

「ここ、どこ?」

 

 先ほどまで歩いていた住宅街はそこに無く、霧に包まれた草原が広がっていた。

 とにかくまずは落ち着こう、それが一番大事だ。

 何事も冷静になって対処するべきだとテレビか雑誌で見た記憶がある。

 私は辺りを見渡す。どこも霧に覆われていて真っ白だ。

 何も見えない。

 

「ど、どうしよう……」

 

 理解のできない状況に私は焦っていた。

 落ち着こうと考えてもそれは無理にきまっている。

 もう一度周りを見渡す。何かをしないと、気がどうにかなりそうだった。

 すると、私の左斜め後方に光る何かを見つけた。

 

「あそこに手掛かりがあるかもしれない」

 

 そう考えた私は早速行動した。

 この行動が最善なのかは分からない。そもそもそんなことを考える余裕が私にはなかった。

 そして、その光のもとにたどり着いた。

 光の正体は一軒の建物だった。

 中の様子は見えないので分からない。

 入口らしき所に看板が付いていた。

 

「〈ざばとっぷ〉……お店、なのかな?」

 

 ひとまず、入ってみよう……人がいれば、帰る方法を聞けるかも知れない。

 私は少し腰が引けながらも、目の前の建物へと足を踏み入れた。

 

 中はコンビニだった。思っていた以上に普通の。

 入るとチリンと鈴の音が二回、静かに鳴り響いた。喫茶店かとも思ったが、室内のつくりは私の知るコンビニとそう変わらない。

 棚には商品が置かれ、店の奥には飲み物などを冷やすショーケースがある。

 

「いらっしゃいませ」

 

 店の中を観察していると、突然背後から声が聞こえてきた。

 びくりとして私はばっと振り返った。

 そこには──このお店の制服なのだろうか──真っ黒に染まった服に身を包んだ店員と思しき女性が、愛想の良さそうな表情をして立っていた。

 

「……っ」

 

 私はゴクリと息を飲んだ。

 彼女の姿が異様だったからだろうか。

 頭に三角の帽子を被り、髪は濃い紫色。腰下まで伸びている。糸目の愛想の良さそうな表情が変にバランスを取っていた。

 その笑みは張り付けたような、何かを隠しているかのような。見ていて違和感を覚えた。

 まるで、魔女の様だった。

 

     ◇

 

「いらっしゃいませ」

 

 一人の少女が入店した。あの制服は○○中学校の生徒さんかな。

 ボクは元気な声で挨拶をした。どんな時でも、お店に来てくれた人はみんなボクの大切な〈お客様〉だからね。

 そんな〈お客様〉は店内の中を不安げに見渡していた。

 ボクの声に気が付くと、こちらに恐る恐る近づいて来た。

 

「あ、あの、すみません……」

「はい、いかがなさいましたか?」

 

 〈お客様〉には笑顔が大切。

 不安そうな表情を浮かべる〈お客様〉を安心させるため、笑顔でボクは応対した。

 何か分からないことでもあったのかな?

 〈お客様〉は一拍を置いて答えた。

 

「ここは、どこですか?」

 

 ──なんだ、いつものパターンか。うん、大丈夫そうだね。

 それなら対応はいつもと同じでいいかな。

 

「私、さっきまで普段通る道を歩いていたはずなのに、気付いたらここにいて……」

 

 オロオロする〈お客様〉を前に、ボクは口元に人差し指を置くことで制止した。

 ここに来る人の大半は同じ反応をするなぁ。

 

「ここは〈ざばとっぷ〉、お悩みを抱えた〈お客様〉がたどり着くコンビニです」

 

 ボクは分かりやすく簡潔に、〈お客様〉へと説明した。

 

「お悩み……コンビニ……?」

 

 どうやら上手く理解出来なかったみたいだ。どうやって説明しよう。

 ボクは説明が苦手なんだよね。

 

「ここでは、〈お客様〉のお悩みを解決する為の商品を提供しています」

 

 今度は上手く伝わったのか、ボクの説明を聞いた〈お客様〉は困った顔をした。

 

「でも、私……お金持ってないです」

 

 なんだ、そんなこと、気にしなくていいのに。

 だって、ここでは関係のないことなのだから。

 

「大丈夫ですよ〈お客様〉。ボク、お代は頂きませんので」

 

 フフフと笑みを浮かべて伝えると、〈お客様〉は驚いた表情をしていた。

 

「ここへたどり着いた人はみんなボクの〈お客様〉ですから」

「……その商品っていうのは、どういうものがありますか?」

 

 しばらく黙り込んでいたことに、ボクは何かしてしまったのかと不安になる。

 しかし、そんなことはなく、安心した。

 

「……」

「あの、どうかしたんですか?」

「いえ、興味を持って頂けたようで歓喜しておりました」

 

 やっぱり、人間の反応は面白い。

 それでは、とボクは前置きをして……

 

「〈お客様〉のお悩みに合わせてこちらでご用意させていただきます。なので──」

 

 お悩みをお聞かせください。と〈お客様〉へ言葉を投げかけた。

 

     ◇

 

「……あれ?」

 

 気が付くと、空は夕焼け色に染まり、カラスが鳴いている。

 辺りを見渡す。そこはさっきまで歩いていた住宅街だった。

 さっきのは、夢……?

 

「──あ」

 

 私は右手に違和感を覚えて視線を向ける。

 掌サイズのまんじゅうが握られていた。

 色は黒で少し硬い。黒糖でできているのだろうか、少し甘い匂いがする。

 

「夢じゃ、ない」

 

 思わず私はつぶやく。

 同時に、店員さんとのやり取りを思い出していく。

 

『それは盲頭(もうじゅう)。それを食べさせると、その人の意思は食べさせた本人、つまり──』

 ──貴方にだけ向くようになります。

 

 確かこんなことを言っていた気がする。

 他にも何か言われた気がするが、覚えていないということは左程重要じゃないのだろう。

 私は気にしないことにした。今はそんなことよりも、コンビニでの出来事が現実だったということの方が重要だ。

 

「あの店員の言っている事が本当なら……」

 

 この饅頭をカナに食べて貰えば、幼馴染以外の対象として私を見てくれる。

 そんな思いが沸くが、それでいいのだろうか。

 カナの気持ちを無視していいのだろうか。

 私の中で気持ちが葛藤する。

 そんな時だった。

 

「あ、いのり……」

「……えっ」

 

 声が聞こえ、私は振り返る。そこには今まさに考えていた相手がいた。

 

「カナ? なんで」

「なんでって、こっちのセリフだよ。私より先に帰ったはずなのに、なんでまだここに居るの」

「あ、えっと考え事してて……」

 

 告白の現場を見ていた、などとは口が裂けても言えない。

 私はとっさに嘘をついた。

 心の中でごめんと謝る。

 カナは少し怪しむ素振りを見せながら、こちらを見ている。

 やがて「あっ」と声を上げた。

 まさか隠れて見ていた事がバレたのかと一瞬焦るが、彼女の視線は私の右手。正確にはまんじゅうに釘付けだった。

 カナは甘いものが大好きな生粋の甘党だ。

 疲れた時などは必ずと言っていいほど甘いものを食べている。

 多分、告白されたことで気疲れしたんだ。だから今の彼女は甘いものを欲していて、このまんじゅうに目を奪われているんだ。

 先に立ち去ったはずのカナがここに居るのも、近くのコンビニで甘いものを食べようとしていたのだろう。

 私はそう思った。

 コンビニ。その単語に、まんじゅうと店員さんとのやり取りを再度思い出す。

 

「……まんじゅう、食べる?」

 

 気付いたら言葉を零していた。もしかしたら今のは私でなくカナの声だったかもしれない。

 

「食べていいの?」

 

 違った。カナは返事をした。

 つまり、今の発言は私で間違いないということになる。

 彼女の光輝いた瞳を見てしまえば、否定などできようはずがない。

 

「お、おいしい……」

 

 私はまんじゅうを渡した。

 カナは受け取るとまんじゅうを口いっぱいに頬張った。

 小さい口がまんじゅうによって膨れる。

 その姿がリスに重なって見えて、とても可愛いなと思った。

 こんな姿を物心つくときから見てきたんだ。好きにならないで何になるというのか。

 好きになる以外の選択肢など存在しない。

 

「……な、何見てるのよ」

 

 そんな風に考えていると視線を感じたのか、カナがジト目で私を見ていた。

 

「ふふ、可愛いなと思って」

「ふぇっ、ちょ、ちょっとやめてよ」

 

 私は思ったことをそのまま伝えた。

 すると彼女はあわてて顔を隠した。可愛いのは本当なのに。

 この気持ちに気付くのに、だいぶ時間がかかってしまったなと私は恥じる。

 だが今はそんなことどうだっていい──

 

「あはは、カナってば面白い」

「もう、からかわないでよー!」

「ごめんごめん」

「ふん……その、いのり」

 

 明後日の方向を向いているカナがちらりと私を見る。

 彼女の頬は膨れている。怒っているせいか、それともまんじゅうのせいか。私には分からない。

 

「まんじゅう……ありがと」

「……うん」

 ──今はただ、隣にいられればそれで満足なのだから。

 

     ◇

 

「神道、今日もこれ頼んだぞ」

 

 ある日の放課後、私は職員室で担任からプリントの入ったファイルを貰う。

 私は「はい」と答えてからそれを受け取った。

 ファイルには、その日の授業で使ったプリントなどが入っている。

 休んだ人に届けるため、先生にお願いされたのだ。

 理由は、私が一番その子の家に近いから。

 

「……」

 

 私は無言で歩いていた。

 何も考えず、歩く。

 流れる景色をただ眺めながら。

 やがて自宅が視界に入るが、中には入らず通り過ぎた。

 だってまだ、休みの子にファイルを届けてないから。

 

 数歩歩いて、足を止めた。

 表札には榎井と書いてある。カナの名字。

 

「あら、いのりちゃんいらっしゃい」

 

 チャイムを鳴らす前に、カナのお母さんが顔を出した。

 笑っているはずなのに、その表情はどこか、暗い。

 どうやら庭の手入れをしていたらしい。

 

「おばさん……これ、プリントです」

「毎日悪いわね、ありがとう」

 

 顔色がまた悪くなってる。

 おばさんはお礼を言うと、私からファイルを受け取って家の中へ戻ろうとした。

そこを呼び止めた。

 

「いのりに会わせて下さい」

 

 でも、とおばさんは渋る。

 いのりは熱を出して休んでいる、それももう一週間。

 それに彼女は、私がまんじゅうを渡してから休むようになった。

 最初は普通に心配する程度だったが、あのまんじゅうが何か関係しているのではないかと、いつしか私はそう考えるようになっていた。

 

「お願いします」

 

 頭を下げ、一生懸命お願いをする。

 

「……分かったわ、上がって頂戴」

 

 私は頭を上げおばさんの顔を見つめ、それからもう一度頭を下げた。

 何かを覚悟したような、辛いような、そんな表情をしていた。

 

「……こ、これは」

「……」

 

 私はカナの部屋に入ったことを後悔した。

 彼女はベッドにいた。

 起き上がっていたが、その瞳は虚ろで、部屋の隅を見つめている。

 おばさんがカナに声をかけたが、彼女からの反応はない。

 いったいどういうことだ、訳が分からない。

 

「風邪じゃ、ないんですか……」

 

 隣に立つおばさんが泣きそうな顔で私を見た。

 ある日を境にこうなってしまったと言う。

 病院にも連れて行ったが、原因は分からなかったらしい。

 健康体そのものと言われたそうだ。

 日付を聞くと、やはり私がまんじゅうをあげた翌日。

 やっぱり、あのまんじゅうが原因なんだ、私のせいだ。

 

「そんな……どうして」

 

 カナ、と名前を口にした時だった。

 

「……いのり?」

 

 彼女が、私を見ていた。

 目に光が宿っている。

 

「カナ?」

「うん、そうだよ」

 

 小首をかしげて不思議そうにしている。

 隣を見ると、おばさんは信じられないとでも言いたげな表情でカナを見ていた。

 雫が一つ、またつと床に落ちていく。

 オロオロと近寄り抱き着く、良かったと言っていた。

 その間も、カナはずっと私を見ていた。

 まるでそこに居るおばさんが見えていないかのように……

 

「それじゃあ、また明日来ます」

 

 玄関口でおばさんに挨拶をして、私は家に帰ることにした。

 

 翌日、私は学校に行く前にカナの様子を見に行った。

 

「……どういう、こと?」

 

 部屋に入ると、カナは昨日と同じようにベッドで上半身を起こし、また虚ろな眼差しで部屋の隅を見ていた。

 どうして、いったいあのまんじゅうはカナに何をしたんだ。

 頭の中に、霧の中で出会った店員の顔が思い浮かぶ。

 

「昨日は元に戻ったのに、いったい何が……」

 

 そばに近寄り、彼女の手を握る。

 カナの手は暖かかった。

 少しほっとした、彼女の体温を感じることが出来た。

 

「……カナ?」

 

 手を握り返された。

 顔を上げると、目が合った。

 

「いのり、おはよう」

「カナ、身体は大丈夫なの?」

 

 私は不安になり、訪ねた。

 まんじゅうによる影響を知りたかった。

 そして知って、あのコンビニにもう一度行かなければと思った。

 

「平気だよ」

 

 にかっと笑い、何ともないと、彼女は言った。

 その言葉は何故か、私の胸の中にすとんとはまるようだった。

 それなら大丈夫だと、私は納得した。

 

「それじゃ、先に学校行ってるね」

 

 カナに手を振り、部屋を後にしようと背を向けると制服の裾を掴まれた。

 

「え、やだ、行かないでよ」

 

 ……え?

 

「それに私、学校も行きたくない」

 

 私は耳を疑った。彼女は今何と言った、行かないといったのか?

 普段真面目な彼女が、学校に行きたくないと言ったのだ。

 

「ど、どうしたの急に」

 

 様子がおかしい。

 私の知る彼女じゃない。

 

「あなた……本当にカナ?」

「そうだよ」

 

 間を置かずに答えた。

 急に何を言っているの、とカナは不思議そうにしていた。

 さも当然だというように言った。

 

「と、とにかく私先行くからカナも来てね!」

 

 私は逃げだすように学校へと向かって走った。

 結局、カナはその日一日学校に来なかった。

 授業の内容なんて何一つ頭に残っていない。

 

 

「今日もこれ頼んだ……ん、どうかしたのか」

「……いえ、いつも通りですよ」

 

 放課後になり、昨日と同じように先生からプリントの入ったファイルを貰う。

 私はまた帰り道を無言で歩いていた。

 空は夕焼け色に染まり、カラスが鳴いている。

 

「カナがああなってしまったのは、恐らく私のせい」

 

 あの日も、こんな空色だったな、などと考えていたその時。

 瞬きをした、その刹那。

 

「ここは……!」

 

 目の前には、辺り一面が霧に包まれた草原が広がっていた。

 この光景には見覚えがあった。

 

 ──あの時と同じだ!

 

 つまり、この前と同じように進めば……

 

「……ッ! ある、あの時と、同じ光」

 

 あそこに、あのコンビニが。

 カナをおかしくした、原因が。

 絶対に……許さない。

 私は考えるよりも先に走り出していた。

 

     ◇

 

 店の商品の調子を確かめ、それもあらかた終わり、外を見つめていた。

 今日も相も変わらず外は霧に覆われている。

 客は来ない。

 退屈で、窮屈で、暇であくびが出る。ついでに少しの涙も。

 一緒に伸びをした。背中の骨がポキポキと鳴った。

 

「今日も何事もなく一日が終わるぅー。何か面白い事でも……」

 

 ないかな、とそうつぶやきかけた時だ。

 室内の風が大きく揺れた。正確には、外と中の空気が強制的に入れ替わった。

 

「フフフ……来た」

 

 ボクは瞬時に表の方で何が起きているのかを理解した。

 だって、この空気の揺れ方は、いつも特大の幸せをボクへ届けてくれるのだから……!

 

 ボクは早速席を立ち、表の方へと姿を出した。

 身だしなみを整える事すら忘れて。

 

「いらっしゃいませ、フフフ、またお会いしましたね」

 ボクの〈お客様〉──

 

 〈お客様〉はボクを見るや否や駆けて寄って来た。それも表情は硬い。

 何かあったのかな? なんとなく……いや、言いたいことは分かっている。

 

「カナをもとに戻して!」

 

 挨拶もなく、開口一番。知らない人物だろうか、何かの名前を口にした。

 予想は大当たり、ボクはボクに金メダルを上げたいくらいの的中だ。

 

「フ、フッフフ」

 

 予想通りの流れにボクは笑いが漏れる。

 

「な、なにがおかしいのよ」

 

 な、何がおかしいって、もうボクを笑わせるのはよしてくれ、どうせ心の中では気付いているんだろう?

 その知らんぷりは、いつまで持つのかな。

 

「カナが、ここで貰ったまんじゅうを食べた子がおかしくなってしまったの。貴方ならその原因、分かるでしょ?」

「ほお、それはそれは、大変でしたね」

 

 わざとらしく、心配したふりをしてみる。

 あぁ、〈お客様〉ってば、そんな怒りの色を浮かべちゃって、かわいい。

 

「あ、貴方、ふざけてるのっ」

「まぁまぁ、落ち着いて下さい、ここで叫んでしまえば、分かるものも分からなくなってしまいますよ?」

 

 ボクは少し微笑みを浮かべ、口の前に人差し指を添える。

 〈お客様〉に言葉が通じたのか、少しおとなしくなってくれた。

 なんて従順なんだろう。

 それでは、と前置きをして、ボクは話を始めた。

 

「〈お客様〉に以前提供した商品。覚えておられますか?」

 

 小首をかしげて問いかけると、〈お客様〉はこくり、と小さくうなずいてくれた。

 では、その性能についても? と問いかけると、〈お客様〉は視線を泳がせた。

 この〈お客様〉も最後までは覚えられなかったのか……残念だ。

 

「あのまんじゅう……いや盲頭ですが、食べた人の意思を持ち主にだけ(・・)向けさせるものです。つまり──」

 ──盲頭を食べた彼女は、〈お客様〉だけを意識するようになりました。

 

「そ、それって、どういうことなの」

「え、なに今ので分からなかったの?」

 

 あ、しまったつい本音が、ボクとしたことがはしたないね。

 

「コホン、仕方ないですね。まだ理解出来ていないようですので、ボクが隅から隅まで教えて差し上げましょう」

 

 〈お客様〉は呆気に取られている。そんなにボクの本音おかしかったかな?

 まあいい。そんなこと、今に忘れることになるさ。

 

「貴方は願いました。『彼女の隣に居続けたい』と、そうですね」

「ええ、そうあれば良いと思ったわ」

 

 だからボクはその願いを、悩みを解決するためにはどうすればいいのか、それはもう考えたさ、考え、考え考え……そして、たどり着いた結果。

 

「その子の思考を〈お客様〉一色にしちゃえば良い、とね」

「それってまさか……」

 

 おや、すでに心辺りは持ち合わせていたか。

 なら、何となく気付いているな。一気に行こう。

 

「そう、彼女はもう、学校の事、友達の事、外の世界の事、すべてにおいて何も考えてなどいません。言うなれば興味を失った状態にあります」

 

 勿論、育ての親に対してもね。と付け加える。

 あ、〈お客様〉の顔が歪み始めた。いいねぇ、そうだよそう来なくちゃ! その表情がボクは見たいんだ! もっと、もっとよく見せてくれよ‼

 ああ、興奮が止まらないね、ここ数日、我慢した甲斐のある反応だ。美しい……

 

 ──でも、まだ終わりじゃないよ。

 

「私のせいで……カナは」

「何を言っているんですか、〈お客様〉。貴方のお悩み、解決したんですから、もっと喜んでくださいよ」

 

 ボクはあえて、火に油を注ぐように、〈お客様〉へと言葉を投げかける。

 

「何を言っているのっ、こんなの、私の望みなわけ……」

 

 否定しようとするその唇に、ボクは自分の人差し指で蓋をした。

 

「いいえ、〈お客様〉。それが貴方のお望みなのですよ」

 

 フルフルと弱弱しく首を左右に振る〈お客様〉、その目には水がこれでもかと溜まっている。いずれその水たちは窮屈な部屋から逃げ出すように零れ落ちて行く、何を求めているのだろう、自由かな? それとも……まあいい。その先に待つのは、ただの虚無なのだから。

 

「私が……もど、めだのはぁ……かなのどなりに、これ、がらも……」

 

 途中から嗚咽が混じって何を言っているのか良く分からない。

 この表情もいいね、でも、まだだ。

 膝をついて涙を流す〈お客様〉、最後の一押しと行こうか。

 ボクは〈お客様〉……いや、彼女の耳元へと顔を近づけ──

 

 ──これでずっと、彼女は貴方の隣に居ますよ。

 

 ボソリと囁く。すっと受け入れられるように優しく、優しく。

 

「あ、あああぁ」

 

 彼女の涙は、留まるところを知らず溢れた。

 彼女の顔を覗き込むと、顔はぐしゃぐしゃになり、穴という穴から液体が溢れ、どれがどこから出ているのか分からない。

 彼女の瞳にはもう何も映っていなかった。

 どこまでも、どこまでも果てしなく続く黒。闇。

 

「フフフ、これで貴方もボクとオソロイだね」

 

 ほら……と顔をガラス窓の方に向ける。

 霧を背景に映るのは、ボクと彼女の光の灯らない黒い瞳。

 片方は口角をこれでもかと広げ上げ、紫色のピアスがキラキラと怪しく光る。もう片方はぐしゃぐしゃの顔に、嗚咽を我慢するために口をキュッと閉じている。

 

 ボクは彼女の顔を見つめる。焦点の合わない瞳を。

 最高の絶望を……ありがとう。

 とても、美しいですよ。

 ボクは心の中で、彼女に感謝を述べた。





店員「人の思いを操るのは、難しいものですよ」
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